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†Thule-Gesellschaft†コミュの「マイスタージンガー」観比べ

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【ベルリン国立 1987来日 】
https://youtu.be/mpL5NHs9I0g



【バイエルン国立 1988来日】
[メーキング版]上演場面少々。
https://youtu.be/H390DxGpzLc



【1984 Bayreuth】
https://youtu.be/C2EVocXxf4o
https://youtu.be/qiSbrDNlPgA



【2017 Bayreuth】
https://youtu.be/mcOyha4O73Y








1987年ベルリン国立歌劇場
来日公演は、私が二十四
才で、初めて接した「マイスタ
ージンガー」の生舞台で有り、




此NHKの録画放送も、確
か、観た様な記憶が有る。




今、改めて観直すと、一
幕前奏曲等、結構、オーケス
トラに硬さも感じられるが、




私が実演で接した物の中
では未だに是以上の物は
無く、我乍ら意外な事に、




実は、ワーグナーを観て不覚
にも涙が出たのは、バイロ
イトの「リング」でも、ウィーンの
「トリスタン」でも無く、後にも
先にも此時だけで有った。




翌年のバイエルン国立歌劇場
来日公演の方が、国内で
他に大きく水を開け、西
独随一と言われた歌劇場、




サヴァリッシュ指揮、キャストは当
時考え得る最高の布陣と、




正に、“世界最高のマイスター
ジンガー” の筈で有ったし、




何より、録音で聞き込ん
だスタンダードが、サヴァリッシュ
指揮のバイエルン国立なので、
期待度も高かったのだが、




確かに、オペラ・ファン垂涎のフ
ァクターが揃っては居た物の、




映像に登場する様な俄オペ
ラ・ファン、俄ワグネリアンが喜ぶ
類の代物でしか無かった。




'84、Bayreuthも然うだが、




高いpotentialを与えられ
て居るにも拘らず、全体
の方向性が微妙に的外れ。




有名歌手が同舞台に一堂
に会して歌う夢の共演と
言うだけで感激出来るオペ
ラ愛好家なら、いざ知らず、




到底、真のWagnerianerが
満足する物では無かった。




決定的な違いは、唯一つ。




“ドイツ的”で有るか、否か!




此、“有らゆる音楽中最も
ドイツ的”な作品を、最もド
イツ的に上演する事こそが
上演者全ての義務なのだ。




此一点に於て、持てる人
的物的資源の全てを最大
限活用し、能力の全てを
出し切った1987年ベルリン
国立の来日公演に、私は
軍配を上げざるを得無い。




具体的には、先ず、適材
適所、'88バイエルン国立の様
に脇役迄、無駄にスター歌手
で固めて、“客寄せパンダ”
にする様な事をせずとも、




主役は同等、脇役も、西
側での知名度は無くとも、
実力は互角以上で、非常
に、高いバランスを得て居る。




成程、ヴァルターがコロだった
ら、更に引締ったかも知
れぬが、多分主役のザックス
を食って了っただろうし、




'88バイエルン国立の映像で
判る通り、ポップはデップ
リ太った、おばちゃんで、




歌曲なら兎も角、私には、
プライが、其程、ベックメッサー
に適材とも思え無いのだ。




舞台装置と衣装も、'84年
のBayreuth等、贅沢に金
を掛け、照明も非常に凝
って居て、第二幕でザックス
が机に向かう場面等、丸
で一幅の絵画でも見る様
な美しさでは有るのだが、




第三幕は色彩的に、ミケラン
ジェロが描いたローマ的ギリシア
の様な違和感を拭え無い。




'88バイエルン国立もだが、抑、
此作品の中心と成り、上
演の出来映えを左右する
主役ザックスのヴァイクルが、ド
イツ系で有るにも拘わらず、




風貌も声も歌唱も、如何
見てもイタオペのローマ皇帝で、




第三幕等、舞台衣装の色
彩、明るいライティングと相ま
って、丸でローマのコロセウムだ。




'88バイエルンは、舞台も衣装
も、エーファーディングとも思え
ぬ、締りの無いセンスの無さ、




歌手の立ち位置、動作や
演技も、'87ベルリン国立の
一部の隙も無い完璧さと
は、全く比較に成ら無い。




対照的に、1987年ベルリン
国立は、相対的に可也質
素では有るが、決して貧
乏臭く無く、衣装デザイン、
特に色彩が非常にドイツ的、




三幕背景の(合唱の)民衆
等も、其顔立ちにとても
善く映えてドイツ的で有る。




こんな所等は、此作品が
“one of them”に過ぎぬ普
通のオペラ・ファン、観劇マニアは
気付く事さえ無いだろう。




其は、音楽面にも言える。




善く、BPhとWPの違いに
就いて、BerlinとWienの
気風、文化的土壌の違い
で説明される事が有るが、




無論、然う言う事も有る
にせよ、私は、其より寧
ろ、交響楽団と座付オケの
違いの方が大きいと思う。




然し乍ら、戦後のドイツで
は、然んな事より何より、




“西か東か”の違いの方が
遥かに決定的なので有る。




ドレースデンが独特の響きを
持って居たのも其所為で、




分断時代のドイツでは、有
らゆる面に於て、東独の
方が古の“ドイツらしさ”を
より色濃く保持して居た。




私は、当時のベルリン国立歌
劇場にも其を感じるのだ。




'88バイエルンの映像中で、ヴ
ァイクルは、「此処では自分
の芸術が評価される」、と
言って居るが、正に其処
こそが西側の歌手なのだ。




オールスターキャストで、スター歌手が
銘々自分の芸術に固執す
れば、全体の纏り等、期
待する方が無理で有ろう。




舞台も歌手も、全てが中
心を欠いて、散漫なのだ。




此作品中に充溢する、強
い“全体性”の希求と賛歌
と言うドイツ的心性は、矢
張り、旧東独の様な全体
主義を否定し無い国民性
で無ければ表現し得無い。




是等を、一言に集約 して
言うならば、“ドイツ的”とは、




“ゲルマン的質実剛健”で有り、




是を、ドイツ人とドイツ国家、
ドイツ精神高揚の為に高ら
かに歌い上げるのが本作、




正に其こそがαにしてω、




と言う訳で有るから、作
り上げる側も享受する側
も、ドイツ的とは何か?を
徹底的に究めねばならぬ。




「今時、そんな物は流行ら
無い」、「時代錯誤だ」等と
言う人間はこんな物を聴
いても観ても無駄で有る。




何故ならば、此作品から
其一点を取去って了えば、
何も残ら無いからで有る。




其が此作品を知る極意だ。




更に、此作品も一応楽劇
とされて居るが、ワーグナー
作品中、最もメロディー稀薄
で、時間的に長大で有り、




録音だけで聞くのと上演
に接するのとで、印象が
大きく異なる作品で有る。





其差は“Siegfried”以上で、




他のどの作品にも増して、
舞台、演出が重要と成る。




2017 Bayreuthは、近現代
ドイツ史が舞台、親方衆の
衣装も本来の設定通りで、
上っ面だけはドイツ的だが、




芸術は民族精神の発露と
する、作品に込めた創作
者、ワーグナーの真意を全面
否定するコスキー演出に依り、




作品の真のドイツ性は、ネガ
ティブにスポイルされて居る。




音楽は、丸で牙を抜かれ
た獅子の如く精彩を欠き、




歌手の歌もオケ伴奏も本心
を偽るまやかしと化して、
空々しく虚しく響くのみ。




最早台本も改竄し無い限
り、パロディー劇でしか無い。




是等は、全て、中途半端
で不完全な作品改竄が成
し得る限界を示して居る。




更に、1984 Bayreuthと比
べれば、演奏能力の劣化
も如何に深刻か善く判る。




是等を観比べて思う事は、




ナチュラルでストレートな物は、矢
張り力強く、説得力が有
って解り易いと言う事だ。




姑息な小細工を弄するよ
り、'87ベルリン国立の様に、




創作者の真意を、ストレートに
表現する事が最善で有り、




作品の是非、善悪は、聴
衆の判断に委ねれば可い。




今のバイロイトは、“実験工房”
等と呼ばれる事も有るが、




現実は、都合の悪い部分
を如何に偽装、改竄する
かが最優先と成って居る。




だが、ワーグナーの反ユダヤ主
義を断罪したいのならば、




ナチス時代宛らの演出、演奏
で上演するのが一番良い。




「マイスタージンガー」が反ユダヤ
作品なら、然うする事に
依って、其が鮮明と成る。




仮に、然う言う演出をし
たからと言って、些かも
ナチズムを肯定して、ナチスを
賛美した事には成ら無い。




今はもう、ナチスの時代とは
全く状況が違うので有る。




其位の事は、もうそろそ
ろ認識しても可だいろう。

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