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メモ置き場コミュのホミ勉資料[2]

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(ホミ勉資料[1]からのつづき)


4.Johannespassion《Der Fromme stirbt》ヨハネ受難曲 《敬虔なるものの死》HoWV 1.4

作曲年:不明

歌詞:
ヨハネによる福音書に基づいてはいるが、アリア等の作詞者は不明

編成:
独唱(SATB)、合唱(SATB)、ホルン2、フルート2、オーボエ2、ファゴット2、ヴァイオリン2、ヴィオラ、通奏低音

構成:
2部構成。全39曲。基本的には《Ein Lämmlein geht und trägt die Schuld》と同様の構成。
冒頭は4声体のコラールで開始される。(→グラウンを手本にした?)

伝承:
1776年にハンブルクで、C.P.E.バッハによる短縮された編曲で演奏された記録がある。
この受難曲の原典はわずかしか残されていない。
2006年にシュトゥットガルトで出版されたホミリウス選集はベルリン・ジンクアカデミー所有の総譜に基づいている。その他、アウグスブルクの聖ペトリ牧師館とベルリン国立図書館にあるくらいである。オリジナル版による完全なStimmensatzがないので、ベルリン・ジンクアカデミー所有のC.P.E.バッハによる編曲(短縮版)のStimmensatzで補っている。

様式:
先達グラウンがそうであったように、この作品においても様式の混合(*5)が顕著である。
作曲年は不詳であるが、マタイ受難曲や受難オラトリオ《Ein Lämmlein geht》と比較してみると、ホミリウスの作品の中では早い時期の作品ではないだろうか…?

(*5)伝統的な対位法(ポリフォニー)と、イタリア・オペラからの影響による「新しい」作風(ホモフォニー)


5.18世紀のドレスデン、その社会的・文化的状況
   キーワード:ハッセ、グラウン、イタリアオペラ、啓蒙思想、楽観的思考

・領主であるザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト1世(在位1694〜1733年)が政治的理由(ポーランド王位と引きかえ)によりカトリックに改宗。

・ハンブルク出身のハッセ Johann Adolf Hasse(1699〜1783)はオペラ歌手でもあったが、ナポリに渡り、短期間のうちにイタリアで大成功を収め、さらにはウィーンでも名声を得た作曲家。

・1731 年以降、選帝侯により宮廷楽長に任命されたハッセの影響により、イタリアオペラやイタリア的なカトリックのオラトリオ上演でも、ドレスデンはドイツにおける拠点となる。→18世紀の間中続く

・その一方で、ドイツ語オラトリオにはさして重要なものは見られないといわれる(*6)。ホミリウスによる復活祭オラトリオ"Die Freude der Hirten über die Geburt Jesu"(ピアノ伴奏譜は1777年Frankfurt an der Oderで出版)と、受難曲"Jesus der gute Hirte"が見られるくらいである。

・ドレスデンではドイツ語オラトリオの需要がなかったので、クロイツ・カントルであるホミリウスは、それらの作品を他の町で出版した。

・ハッセのオペラ《クレオフィデ Cleofide》初演時(1731年9月)、J. S. バッハはちょうどドレスデンに滞在しており、初演を観た可能性も指摘されている。

・当時のドイツにおいて、イタリアオペラの上演に貢献し、ハッセと栄誉を分かっていたのがドレスデンゆかりの、ベルリンで活躍したグラウンCarl Heinrich Graun(1703/4〜1759年)である。

・グラウンの受難オラトリオ《イエスの死 Der Tod Jesu》(1755年ベルリン初演、60年ライプツィヒで出版)は19世紀後半までのドイツにおいて、アメリカやイギリスのヘンデル《メサイア》に比すべき地位にあった。メンデルスゾーンによるバッハ《マタイ受難曲》の「復活」(1829年)までの間、ドイツで最も演奏された(*7)のがグラウン《イエスの死》である。歌詞はラムラー Karl Wilhelm Ramler (1725〜1789年)。

・ホミリウスの《ヨハネ受難曲》にも、作品構成や様式にグラウンの影響を見ることができる。
 → コラールで開始される冒頭、ホモフォニーとポリフォニーの混合

・プロテスタント教会における啓蒙主義の影響 →「イエスの死」に対する解釈も変化してきた(*8)

・啓蒙主義者たちは教会に行かなくなった
 →「月曜クラブ」などで啓蒙思想を語り合う「教会はドグマ(教義)で人々を丸め込んで脅かして回心させているがそれは間違っている」と批判。

・18世紀のヨーロッパは気候が安定し(*9)、人々が生命の危機を感じることも減り、楽観的になった。

(*6)Massenkeil, p. 271.
(*7)1798〜1858年にドイツ国内で120回以上。ベルリン・ジンクアカデミーでは1796〜1858年には毎年、聖金曜日に上演される伝統があった。
(*8)「人類への愛のために自分を捧げた」という人間像の理想として描かれるようになってきた。贖いに対する考え方の変化?
(*9)17世紀までは「氷河期」ともいわれ、悪天候、凶作、寒さと飢え、ペストの流行など生命を脅かす出来事が重なり(ドイツは30年戦争もあり…)、人々は自らの苦しみとキリストの受難とをなぞらえていた。



6.受難曲のアリアにみられるオペラ的表現

・「復讐のアリア」には長調の曲が多い → 十字軍的メンタリティ(=異教徒迫害)、「正義の行い」、
「正しい戦い」(戦いの正当化) → 戦いを鼓舞するような性格の曲となる

・コロラトゥーラを含んでいる 

・デュナーミクのコントラスト 

・感情的、叙情的な表現の多用

・器楽伴奏における3度や6度の音程での音の動き


7.作曲家ホミリウスの「成分分析」

・バッハから直接受け継いだ対位法的手法

・ハッセやグラウンらから影響を受けたオペラ的要素

・教会音楽家、オルガニスト、ドレスデン十字架学校の勤勉な教師

・オペラには見向きもしなかった

・変化がめまぐるしい時代、土地にあって、ルター派の伝統を守ろうとした

*参考資料*
Massenkeil, Günther. Oratorium und Passion. (Handbuch der musikalischen Gattungen) Laaber: Laaber-Verlag, 1998, S. 271.
Wolf, Uwe. “Vorwort”, In Johannespassion (Ausgewählte Werke / Homilius ; Reihe 1 . Oratorien und Passionen ; Bd. 3), Stuttgart, 2006.
Wolf, Uwe.“Homilius”In Die Musik in Geschichte und Gegenwart, 2nd ed., Personenlteil, Vol. 9.
Wolf, Uwe.“Homilius”InThe New Grove dictionary of music and musicians 2nd ed.,vol.11, London: 2001, p.
Steude, Wolfram.& Landmann, Landmann. “Dresden”In MGG , Sachteil Vol. 2, col.1522-1545.
「グラウン」『ニューグローヴ世界音楽大事典』、第5巻76〜7頁。
「ドレスデン」『ニューグローヴ世界音楽大事典』、第12巻83〜90頁。
「ハッセ」『ニューグローヴ世界音楽大事典』、第13巻107〜119頁。

桑原武夫編「啓蒙の世紀」、『フランス革命とナポレオン』世界の歴史10(中公文庫)、東京:中央公論社、1975年、32〜66頁。
東京芸術大学楽理科2008年度開設科目『西洋音楽史I 演習』配布資料

*楽譜*
Homilius,Gottfried August. Johannespassion, ed. by Uwe Wolf. Stuttgart: Carus, 2006.
Homilius,Gottfried August. Passionskantate : ein Lämmlein geht und trägt die Schuld, ed. by Uwe Wolf. Stuttgart: Carus, 2006.
*録音資料*
Hasse, Johann Adolf. Cleofide. CD Capriccio 10 193/96
Caldara, Antonio. La Passione di Gesù Cristo Singnor Nostro.   CD HCD 31862-63
Graun, Carl Heinrich. Der Tod Jesu. CD CDA67446



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