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イーグルスファンコミュの2度の大震災を経験した楽天コーチ「『復興のために』とか言葉では簡単に言えますけど…」それでも確信した「がんばろう」の底力

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野球楽天新助っ人マルモレホスがチームに合流 第一声は
「マルマルモリモリ、マルモです」つかみOKの自己紹介野球

楽天の新外国人、ホセ・マルモレホス外野手が12日、隔離期間を経て、
DeNA戦(静岡・草)前の練習からチームに初合流した。
粋な自己紹介でナインの心をわしずかみにした。
車座の選手を前に「マル・モリ・マル・モリ!、マルモレホスです」とあいさつ。
田中将らの爆笑を誘った。

守備練習では左翼をカバー。来日初のフリー打撃は場内に「マルモのおきて」の
主題歌「マル・マル・モリ・モリ!」のテーマ曲が流れる中、
22スイング中柵越え1本を含め、ヒット性の当たりは8本に達した。
当初はボールを見極めていたものの、ラスト5スイングは外野最深部まで運んだ。

練習後の会見もリラックスムードだった。
「チームに迎え入れてもらった感じがあるのですごく嬉しい。
自分もポジティブな人間だと思うので、チームに明るい影響を与えて行けたら」と
笑顔を振りまいた。石井一久監督は「本人と開幕に向けてどう調整していくか、
話はしました。急いでケガしてはいけないので、まずは状態を整えてやらせてあげたい。
成功しよう、キャリアを作ろうと思って来日してくれているのは感じました」と
期待していた。

早ければ15日のオリックス戦(草薙)から実戦出場する見込みだ。


野球2度の大震災を経験した楽天コーチ「『復興のために』とか
言葉では簡単に言えますけど…」それでも確信した「がんばろう」の底力野球

2011年3月11日。楽天の塩川達也は仙台にいた。一軍は兵庫・明石、
二軍は埼玉・戸田で実戦を行っていたなか地元に残留していたのは、
前年のシーズンオフに手術した右ひじのリハビリのためだった。

14時46分。

本拠地のウエートルームでトレーニングに励んでいた塩川は、建物の横揺れを
すぐに感知した。「あ、地震や」。最初はその程度だった。
ところが震動は瞬く間に強度を増し、誰かが「近くの柱に捕まれ!」と叫ぶが、
その声が「逃げろ!」と危機をはらんだ怒号に変わるまですぐだった。
塩川らリハビリ組の選手、球団スタッフたちは這うようにウエートルームから
外へ飛び出し、落下物での被害が少ないであろう敷地内の広場まで避難した。

 恐怖は、今も蘇る。

「最初は震度2、3くらいやったと思うんです。それが突然、かなりの強さになって。
外に出て球場の照明を見たら、倒れそうなくらい揺れていました。
とにかくものすごい横揺れだったことを記憶しています」


ぴかぴか(新しい)ライフラインの寸断…食料確保に走ったぴかぴか(新しい)

電気がすぐに止まり、携帯電話の回線がパンク状態でインターネットも
繋がらなくなった。
激しい揺れが収まると、各々が家族などへの安否確認や避難などに追われ、
塩川もすぐに動く。真っ先に自宅へ向かい、衣類など最低限の必需品を持ち出すと、
コンビニへ食料確保に走った。

時間が経つにつれ、被害の全容が徐々に明らかになっていく。
震源地は三陸沖でマグニチュードは9.0。最大震度は7で、仙台市は6強だったこと。
岩手、宮城、福島の沿岸部の町が大津波に飲み込まれる光景をテレビで
目の当たりにし、放心状態となった。

仙台市は最終的に死者904名、行方不明者27名、負傷者2305名。
大きな犠牲を払ったが、被害状況が不明瞭だった震災直後は、
目を向けるべきは数字ではなく、具体的な行動だった。


ぴかぴか(新しい)抱いた「困難を乗り越えましょう」の違和感ぴかぴか(新しい)
 
この街をホームとする楽天は、「がんばろう東北」を掲げ、復興を誓う。
選手たちが被災地を訪問すると、被災者は困難のなか笑顔で迎え入れてくれた。
地元のヒーローたちに背中を押され、復興への活力を漲らせる。
そんな人も少なくなかった。

力になりたい――塩川も純粋にそう思った。
しかし一方で、どうしても拭い去れない心のわだかまりがあった。

「津波だったり、東日本大震災の被害があまりにもすごすぎて。
『復興のために』とか『困難を乗り越えましょう』とか、言葉では簡単に言えますけど、
僕はなんか『気軽に言えないな』っていうのがすごくありました。
そうやって励ますことで勇気づけられたり、頑張れる人たちはいると思います。
でも、安易に言ってしまうことによって
『逆に傷つけてしまうこともあるんじゃないか? 』って気持ちになって
しまったんですよね」

そう言えるだけの理由が、塩川にはある。


ぴかぴか(新しい)阪神・淡路大震災も被災「おばあちゃんの家とか、親戚の家が全壊して」ぴかぴか(新しい)
あの時。1995年1月17日の記憶が、塩川のなかでフラッシュバックしていた。
5時46分。
当時、小学6年生だった少年は、地面から突き上げられるような激しい縦揺れによって
目が覚めた。自宅の倒壊は免れたが、食器は全て砕け散り、
室内のありとあらゆるものが乱暴に佇まいを変えていた。
マグニチュード7.3、最大震度7。日本に大きな傷を残した阪神・淡路大震災。
塩川はその被災者でもあった。

「トラウマみたいになっていたから」
思い出すだけで、声が沈んでしまう。

「外に出たら道路がめちゃくちゃになってて、近隣の区が火事で燃えているのが
見えて、それがすごく怖かった。
身近に亡くなった人がいなかったことが不幸中の幸いなのかもしれないけど、
おばあちゃんの家とか、親戚の家が全壊して。地震の直後は連絡が取れなかったんで、
みんなが避難所で生活しているって知ったのも2週間後くらいでしたから」

自宅が倒壊しなかった塩川家はその場に留まったが、ライフラインは寸断されたまま。
食事にありつけず、家族が調達に奔走する。
塩川も給水車に並ぶなどの手伝いに追われた。
東日本大震災で物資の確保を優先したのは、この経験があったからだ。


ぴかぴか(新しい)「イチローさんがいたオリックスに、どれだけ力を与えてもらったか」ぴかぴか(新しい)

電気は約1週間、水道、ガスに至っては復旧までおよそ3カ月を擁した。
震災で最も被害が大きかった神戸市のなかでも、震源地である淡路島と明石海峡大橋で
繋がれた塩川が住む垂水区は、その規模が比較的、小さかったと言われている。
それでも街の犠牲は、死者26名、負傷者1020名。
「小さかった」と表現するのは、あまりにも無責任すぎる。

悲嘆や絶望は計り知れない。だが、強引に放り込まれた暗闇においてもなお、
人間とは必ず光を見つけ出す生き物である。

塩川にとって、それが野球だった。

「がんばろうKOBE」

地元のプロ野球チーム、オリックスの旗印は負の感情を忘れさせてくれた。
当時はイチローや田口壮らスター選手が多く、ファンクラブ会員の塩川も
例外ではなかった。

あれから25年以上が経っても、記憶を手繰り寄せると声のトーンはすぐに上がる。
「スーパースターのイチローさんがいたオリックスに、どれだけ力を与えてもらったか。
震災があった95年は『がんばろうKOBE』を謳って優勝しましたからね。
あの光景は、すごく印象に残っています」

自身もプロ野球選手に…コーチの今、確信していること
それから16年。今度は自分が被災地のプロ野球選手の立場となっていた。
だからこそ、言葉より雄弁に語れるものがあるのだと、塩川は知っているのである。

ぴかぴか(新しい)「自分の結果はどうだったか別として……」ぴかぴか(新しい)

自虐気味に笑い飛ばす。11年は一軍での出場はわずか4試合。
この年限りで現役を引退したこともあって、
95年のオリックスから与えてもらったように、自身のプレーが東北の被災者に
どういった形で影響を及ぼしたのかはわからない。

 だが、これだけは言える。

 大きな力、温かな息吹をもらっているのは、選手たちも同じだということ。

きっと、95年のオリックスの選手たちもそういう気持ちだったんだろうな――引退後、
楽天のジュニアコーチとして東北各地を野球教室などで回るようになり、
塩川は確信する。

「選手たちが『僕たちのほうが被災者のみなさんから力をもらっています』って、
よく言うじゃないですか。あれ、本当にそうなんです。
選手や球団スタッフたちが被災地を訪問して子供たちと触れ合って、
みんな笑顔になるじゃないですか。そうなると元気になれるんです。
『前を向いてやっていかないといけないんだ』って、思えるんですよね」


ぴかぴか(新しい)野球が証明した「がんばろう」の底力ぴかぴか(新しい)
震災から2年後の13年。「がんばろう東北」を掲げ続けた楽天は、
絶対エースのスーパースター・田中将大がマウンドで仁王立ちしシーズン24連勝。
球団創設9年目にして初のリーグ優勝、日本一まで上り詰めた。

ぴかぴか(新しい) 野球が証明した、「がんばろう」の底力。ぴかぴか(新しい)

阪神・淡路と東日本。未曽有の大災害の痛みを知る塩川には、
その偉大さを何があっても信じ抜くことができる。

「そういうのって、率直に『すごいな』って思えますよね」

今の楽天には、9年前の英雄・田中がいる。地元・東北出身の岸孝之、銀次をはじめ、
則本昂大、浅村栄斗らスターも並ぶ。
大学から仙台に移り、今や人生の半分以上をこの地で過ごす塩川も、
二軍の内野守備走塁コーチとして次代のヒーローたちの育成に励む。

顔ぶれに変遷はあれど、クリムゾンレッドのユニフォームをまといし
戦士たちのメッセージは、あの時のまま。

「がんばろう」

この言葉、体現する姿があるだけで、東北はいつだって前を向ける。

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