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イーグルスファンコミュの東日本大震災から10年 楽天・早川「被災したからこそ」一投に込める「使命」

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野球東日本大震災から10年 楽天・早川「被災したからこそ」一投に込める「使命」
野球

東日本大震災からまだ道半ばの復興。被害の大きかった東北唯一のプロ野球球団が、
楽天だ。その一員として今季、加わったのがドラフト1位の早川隆久投手。
地元は外房の千葉県横芝光町で実家も津波被害を受けた。
運命に導かれるように被災球団でプロ生活をスタートした左腕。
復興の象徴の一人であり、8年ぶりに復帰した田中将大投手のようなエースへ。
被災したからこそ背負う思いを胸に、プロ人生を歩きだす。
 不思議な縁を感じているからこそ「優勝したい」という願望ではなく、
早川はあえて「使命」という言葉を使った。
「東北で優勝することが自分の使命だと思っている。
一人のプロ野球選手として元気や勇気を与えたい」。
21年の3月11日は、東北の球団の一員として迎える。震災から10年の節目。
早大時代の背番号は「10」、楽天では「21」を背負った。

「年数がたつことで風化させてはいけない。忘れてはいけないし、
体験した出来事として伝えていかなければいけない。
自分自身も被災したからこそ、東北の人たちの気持ちが分かる部分もある」

10年前は小学6年だった。実家は千葉県横芝光町。目の前は外房の海が広がっていた。
3月11日午後2時46分。大きな揺れに襲われた。
集団下校で家路を急ぐ途中、津波はすぐそこまで迫った。
たまたま通りかかった、いとこの車で高台に避難。
近くの防潮堤が決壊し、ほどなくして黒い波が自宅を襲った。

今でも思い出すと胸が苦しくなる。
母・優子さんは「地震=津波。家族にとって過去のことでははく、現在進行形なんです。
生きるか死ぬかの経験でしたから」と振り返る。母屋の1階の倉庫が水没。
農機具や祖父・清亮さんが、早川のために、その春からの中学への通学用に
買ってくれたばかりの新品の自転車もあった。同じ敷地内で祖母・春子さんが
営んでいた民宿は床上浸水し、隣の家は全壊。
当日の夜は家族で避難所だった体育館で一夜を過ごし、次の日は親戚の家に身を寄せた。

「僕が野球をやっている姿をずっと楽しみにしてくれていた」

祖父母が仕事を失うなど震災で生活は一変した。
だが、早川の存在が家族にとって希望そのものだった。中学進学後に肘を剥離骨折した
時は、春子さんが車で学校まで送迎。木更津総合では寮生活になり、
顔を合わせる機会は減ったが、甲子園や神宮球場にも応援に駆けつけてくれた。
実家に戻れば「何が食べたい?」と聞かれ、決まって好物の天ぷらをリクエストした。
家族からサポートを受け、プロ野球選手という夢をかなえた。
だが、大好きだった祖母・春子さんは、19年12月28日に他界した。

昨年10月のドラフト会議。4球団から1位指名を受けた。
楽天以外の3球団は在京球団だったが、同じ千葉県出身の石井一久GMがクジを
引き当てた。
運命に導かれるようにクリムゾンレッドのユニホームに袖を通すことになった。
優子さんは仏壇の前で春子さんに「隆久は東北のチームに行ったんだよ」と報告した。

13年の楽天のリーグ優勝と日本一は、早川家にとっても忘れられない出来事だった。
「多くの人を勇気づける優勝だった。田中将大投手の姿は印象的でしたね。
隆久もそういう存在になってくれれば」と優子さん。
右腕の復帰とプロ入りが重なったのも何かの巡り合わせ。
早川も伝説の投手の背中を追いかける。
「素晴らしいお手本が身近にいる。自分もそういう選手になりたい」。
被災地を勇気づける象徴になってみせる。節目の年。
ずっと胸に抱く誓いを新たに、プロ1年目のシーズンに挑む。

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