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イーグルスファンコミュの杜の都の“初代エース”岩隈久志が現役引退…球団創設5年目、初のCS決定時の独占手記を再録

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野球楽天則本昂大−オリックス山本ほか/20日予告先発野球

<セ・リーグ>

ヤクルト高梨裕稔−巨人戸郷翔征(神宮=時計18時)

中日福谷浩司−DeNA大貫晋一(ナゴヤドーム=時計18時)

阪神ガルシア−広島九里亜蓮(甲子園=時計18時)

<パ・リーグ>

日本ハム上沢直之−ソフトバンク笠谷俊介(札幌ドーム=時計18時)

楽天則本昂大−オリックス山本由伸(楽天生命パーク=時計18時)

西武高橋光成−ロッテ石川歩(メットライフドーム=時計18時)


野球記録で見る岩隈 ハイライトは21勝挙げた08年、投手3冠にMVP、
ベストナイン、沢村賞と総なめ野球

巨人は19日、岩隈久志投手(39)が今季限りで現役を引退することを発表した。
記者会見は23日に東京ドームで行われる。
 岩隈は日米通算170勝(日本107勝、メジャー63勝)をマークした。
日本でのハイライトは楽天時代の2008年だろう。21勝(4敗)、
防御率1・87、勝率・840で投手3冠に輝き、MVP、ベストナイン、沢村賞を受賞。
最多勝は近鉄時代の04年(15勝)以来2度目で、スタルヒン(巨、大映)らに
次ぐ当時5人目の2球団での最多勝獲得となった。また、20勝以上、防御率1点台以下、
勝率8割以上の3項目をクリアしたのは、59年の杉浦忠(南海)以来、
49年ぶりの快挙で、以後は、後輩の田中将大(楽)が13年に達成しただけだ。

他にも、岩隈の球歴は多くの記録に彩られている。
プロ2年目の01年5月29日、日本ハム戦でプロ初登板初勝利(中継ぎ)の快デビュー。
エースとして順調に成長し04年には、菅野(巨)に今季破られるまで
プロ野球記録だった開幕投手による無傷の12連勝を成し遂げた。
楽天に移った05年3月26日ロッテ戦では記念すべき楽天初試合の開幕投手の大役。
9回1失点完投と期待に応え、3―1で球団に初勝利をもたらした。
また、10年には区切りの記録を相次ぎマーク。
6月5日横浜戦では通算1000奪三振(128人目)、
8月31日ロッテ戦では当時9位のスピードとなるプロ205試合目での通算100勝
(127人目)も達成した。

最後に先発投手として一時代を築いた岩隈ならではの記録をひとつ。
デビュー2試合目の01年6月10日、日本ハム戦から楽天最終登板の11年10月7日
ロッテ戦で達成した225試合連続先発登板は日本歴代4位となっている。


野球杜の都の“初代エース”岩隈久志が現役引退…球団創設5年目、
初のCS決定時の独占手記を再録野球

巨人は19日、岩隈久志投手(39)が今季限りで現役を引退すると発表した。
23日に記者会見を開く。

岩隈は05年から新球団の楽天でプレー。エースとして08年には21勝4敗、
201回2/3、防御率1・87で最多勝、最優秀防御率、沢村賞を受賞した。
09年にはWBC日本代表として原監督のもとで世界一に貢献し、
ベストナインにも選ばれた。

 杜の都の“初代エース”の奮闘に心からの敬意を表し、再録する。

仙台に来て、良かったと思います。本拠地で決められて本当に良かった。
どんな時も応援してくれた仙台のファンの笑顔を見ていたら、
自然と喜びが沸いてきました。

正直、今季は勝負どころだと思っていた。若いチームですが、
着実に強くなってきていると手応えを感じていたからです。

僕自身の“開幕”は早かった。WBCに向けて早めに体もつくっていたし、
決勝の大舞台で先発したのは、すごくいい経験になりました。
帰国後は「ここからが始まりだ」と切り替え、シーズンに臨みました。

でも、無理がたたったのか、右ひじに痛みが出て、体全体が痛かった。
初夏には、これ以上投げたら「潰(つぶ)れる」と思った。
6月18日から右ひじ痛で1軍を離れ、1か月ぐらい2軍で調整しました。
自分の中ではいい意味での切り替え。本当の勝負はまだ先。
しっかり治そうと決断したんです。

そんな中、後半戦の開幕を野村監督が「岩隈しかいない」と任せてくれた。
あれで気持ち的に「また新しい戦いが始まる」という気になれました。
夏場からはチームの雰囲気も良かったし、試合が進むたびに
「チャンスを逃したくない」と感じるようになりました。

9月1日の西武戦(Kスタ)では完投し、チームもサヨナラ勝ち。
ヒーローインタビューでCSについて聞かれ、自然と「本気ですから!」と
叫んでました。
僕らしくない感情の爆発に、ファンの歓声がものすごかったことを覚えています。

球団創設時を思うと、今の快進撃は感慨深い。僕がオリックスではなく、
楽天でのプレーを希望した一番の理由は新しい球団だからです。
近鉄から球団名が変わるだけだったら、何とも思わなかった。でも、吸収合併ですから。
それでは、もう一緒になって戦いたい気持ちはなかった。
新しいところで、新しい気持ちでプレーしたかった。

05年の開幕戦(3月26日・千葉)は忘れられません。一体となって戦おうという
気持ちで臨み、勝ちました。何といっても「初めて」ですから、やりがいがあった。
本拠地開幕戦(4月1日・西武戦)も、よく覚えています。
仙台の方々の声援の中で勝てた。ただ本当に覚えているのは、
めちゃくちゃ寒かったということ。寒くて体が動けないんです。
「こんな寒さの中で、これから投げていくのかな」という感じでした。

僕自身2連勝でスタートしましたが、そこからは本当に苦しかった。
マジで100敗するんじゃないかなと思っていました。
体も悲鳴をあげる中で、無理していた。でも「100敗したくない」という思いと、
あきらめたくないというのがすごくあった。
初年度の自分、9勝15敗ですよ。15敗って球団記録でしょう。
今後も破られないと思う。21勝は抜かれるかもしれませんけど…。
ただただ、キツかった。

そのころは近鉄時代とは違って、朝井や一場ら若い投手にアドバイスを
するようにもなりました。
「みんなで戦っていないと、やっていけない」と感じていた。結果が欲しかった。
がむしゃらにやっていたと思います。

最初は球団施設も今のように整っていませんでした。
室内練習場はまだなく、雨が降ると社会人のJTの練習場にまで行ってました。
球場でも駐車場に車を止めてから、選手用通路がない。
ファンの方と一緒に歩いていましたね。カラオケで楽天の応援歌を入れると、
1年目の映像が流れるんです。髪も長くて茶髪で、めっちゃチャラ男に見えますもん。
見ないようにしています。でも、あんなに負けていても最後まで応援してくれる
ファンがいた。期待にいつか応えたかった。

06年には持ち味の2段モーションが禁止になり、フォーム改造の影響で肩の痛みも
出始めた。ほとんどをリハビリに費やし、1勝2敗と苦しいシーズンになりました。
07年も故障続き。正直、楽天の野球がつまんなかった。
けがから復帰しても、不安ばかりだった。
楽しくない。求めるものが自分の中にない感じ。結局5勝5敗。
「何のために野球をやってんのかな」という感覚。そこで、右ひじの手術を決意します。
気持ちや考え方を全部変えようって。

でも、この苦しい2年間があったから、野球への考え方が成長できたと思う。
チームのために、どうすれば勝てるか。それを考えるようになった。
けがしている時でも、応援してくれるファンがいた。その声援に気づけた。
家族の支えも大きかった。自分のために野球をやっているんじゃない。

だから去年は、マウンドに上がるのが楽しかった。守ってくれる野手やファンのため、
感謝の気持ちを表して投げよう。
その意識が21勝、沢村賞などの結果につながったのだと思います。

球団史上初のAクラスは、指導者やチームメート、球団職員や裏方さん、
ファンや家族との「絆(きずな)」で勝ち取ったものだと思います。
ペナントレースは続きます。最後まで上を上を目指して、投げていきたい。
5年間、支えてくれた方々の声援に、恩返ししていきたいです。

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