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イーグルスファンコミュの楽天日本一が教えてくれた「乗り越えられない試練はない」…平成から令和へ〜とうほくの記憶〜

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野球28日予告先発野球

楽天安楽智大−ロッテ石川歩(楽天生命パーク=午後時計13時)



野球楽天今季初3連敗野球

<楽天5−6ロッテ>◇27日◇楽天生命パーク


楽天は2回、茂木が3号2ラン。

楽天は4回にブラッシュのソロ、5回に浅村のソロ、銀次の適時打で同点に追い付いた。

楽天は今季初の3連敗。守護神松井は1敗目となった。



野球安楽「勝って次の時代へ」28日ロッテ戦先発野球

安楽智大投手が過去の自分を超える。先発予定の28日のロッテ戦に向けて、

楽天生命パークでブルペン入り。

72球を投げ込み、変化球の制球を確かめた。右腕は済美時代に13年センバツで全5試合を投げて

772球を投球。「ANRAKU」は世界的に知れ渡り、平成を代表する球数問題論争の引き金となった。

「高校の時だけでなく、プロの自分も知ってもらわないといけない。勝ちで締めくくって、

次の時代に入りたい」と自身の平成最後の登板で成長した姿を見せる。

野球<楽天Eデータ>フォーム微調整 手応え/守護神松井 好調の要因野球


東北楽天の守護神松井が抜群の安定感を発揮している。

14試合に登板し防御率0.60で、リーグトップの8セーブ。3、4月の月間MVP候補にも挙がっている。

好調の要因をデータから読み解いた。

昨年12月に投球フォームを微調整した。右足をしっかりと踏み込み、左腕を体全体で縦に

振り下ろす意識を高めたことで、松井特有の伸びのある直球の球威が増した。

今季は打者のバットがボールの下で空を切る場面が多く見られる。

共同通信デジタルの調べでは、直球の空振り率が21.4%と昨季の14.1%から大幅に上昇した。

両リーグを通じて今季100球以上の直球を投げた投手の中で唯一の20%台を記録している。

被打率も1割4分3厘と、昨季の2割2分5厘から改善した。

一方で、直球の投球比率は51.4%と昨季に比べて5ポイントほど落ちている。

代わりに上昇したのは今季磨きを掛けたカットボールだ。

投球比率は21.2%と昨季に比べて3倍になった。

カットボールの空振り率(50球以上)は22.2%。2位千賀(ソフトバンク)の17%を引き離す。

ストライク率も68.5%と高い。

「直球よりも(横に曲がる)変化球に手応えを感じている。リリースポイントが安定したのが大きい」と

松井。右足を踏み込んだ後に膝を伸ばす動作とボールを手放すタイミングが合っているという。

気が早いかもしれないが、今季の松井は自己最高の成績を更新しても不思議ではない。

ボールの質が格段によくなったことに加え、これまで隔年で好成績を挙げているからだ

昨季5セーブしか挙げられず雪辱に燃える守護神が、今後どんな活躍を見せてくれるか注目だ。

<注目ポイント!>

●昨年12月に投球フォームを微調整したことが奏功した。

●直球の球威が増し、空振り率が両リーグ最高。カットボールも進化を遂げた。

●プロ入り後、隔年で活躍している。今季はキャリアハイの可能性も!?




野球楽天日本一が教えてくれた「乗り越えられない試練はない」…平成から令和へ〜

とうほくの記憶〜野球


平成16年(2004年)6月、オリックスと近鉄の球団合併構想が明らかになり、球界再編問題が勃発。

楽天は同9月に新規参入を表明し、ライブドアとの争いを制し、同11月にプロ野球50年ぶりに

新球団が誕生した。東北初のプロ野球の球団は、1年目の17(05)年、18(06)年と

2年連続で最下位になるなど、4年連続Bクラス。「お荷物球団」と揶揄(やゆ)もされたが、

25(13)年に悲願のリーグ制覇を果たすと、日本シリーズで巨人を倒して日本一。

平成のプロ野球史に、その名を刻んだ。

田中は両腕を突き上げ、ほえた。巨人との日本シリーズ(日本S)第7戦。3―0の9回、

3番手として登板し、先頭・村田に中前打を打たれるなど2死一、三塁とされたが、

最後は代打・矢野を三振に仕留めた。レギュラーシーズン、CSに続き3度目の胴上げ投手となった

“神の子”は叫んだ。「日本一になったぞ!」。球団創設9年目で初の日本一。

本拠地の観衆は総立ちで、割れんばかりの拍手を送った。

誰もが予想できない結末だった。レギュラーシーズンでプロ野球記録の24連勝を達成した田中が

日本S第6戦に先発。9回160球を投げたが2点のリードを守り切れずに逆転負け(2―4)。

なんと、440日ぶりに負け投手になった。しかし同第7戦では先発の美馬が、杉内と堂々の

投げ合いを展開。則本昂、田中とつないで3―0で勝利した。

星野仙一監督は「もう、最高です! 考えられない継投だったけど、どうしたって田中が『行く!』と

言うので。彼(田中)がいたからこそ、日本シリーズに出られたのだから。

最後はアイツがふさわしいだろう、と託した」と明かした。

24(12)年から2年間、東北支局で楽天担当だった記者も、球場で日本一を見届けた。

試合後、球場内でファンを取材すると「たった9年で、日本一になるとは思わなかった」という声を

多く聞いた。球団創設時から知っているファンは、そう思って当然なのかもしれなかった。

平成16(04)年6月、オリックスと近鉄の球団合併構想が明らかになり、球界再編問題が勃発。

楽天は同11月にプロ野球50年ぶりの新規参入を果たした。しかし翌17(05)年は開幕2戦目の

ロッテ戦で0―26と惨敗。同年は11連敗を2度喫するなど、38勝97敗1分け。

プロ野球最多黒星(1961年の近鉄103敗)は免れたが、首位・ロッテから51・5ゲーム差の

最下位に沈んだ。

とても恵まれた環境とは言えなかった。東北6県を活動拠点とする球団の構想により、

17年は2軍の本拠地が山形に置かれた。

球団創設時から在籍した山村宏樹投手(現スポーツコメンテーター)は

「春先は寒くて、選手用のロッカーもトレーナー室もありませんでした。

隣の県まで毎日往復で、練習より移動の時間が長かったこともあります」と当時を振り返る。

仙台市内に2軍施設が完成したのは18(06)年のことだった。

平成17(05)年の1年目から22(10)年まで、Aクラス入りしたのは21(09)年の1度だけ。

23(11)年には、満を持して星野監督が就任したが、災害が襲った。3月の東日本大震災だ。

震災発生時は、兵庫・明石市内でロッテとのオープン戦を戦っていた。

仙台に戻ったのは35日後だった。

仙台に家族を残していた選手は、一日でも早く戻りたいというのが本音。一方で野球を最優先に

考えた指揮官との間には、確執も生まれた。「選手と溝ができていることは知っていたけど、

気にもしなかった」。強気な言葉とは裏腹に、苦悩は大きかった。

日本一を勝ち取った指揮官は、こう言った。「東北の子供たち、全国の子供たちに、そして被災者の

皆さんに、こんなに勇気を与えた選手を褒めてあげてください。

あの大震災で苦労されている皆さんを見ると『日本一になってみんなを癒やしてあげたい』と、

それしかないと信じてやってきた。雀の涙だけでも癒やしてあげられるかと、いつも考えてきた」。

被災地に勇気と感動を届けた指揮官は、副会長を務めていた30(18)年1月4日、

膵臓(すいぞう)がんのため70歳で亡くなった。震災以降、闘将の口癖は

「乗り越えられるものにしか、試練はやってこない」だった。26日の時点で、

2枚看板の岸と則本昂を欠く中、今年のチームは首位に立つ。

どんな試練も乗り越えて、令和で初の頂点に立つ。


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