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イーグルスファンコミュの今江年晶が東北で取り戻した笑顔エリートが知った初めての挫折と復活

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野球【4日の予告先発】野球


 ◆オリックス・東明大貴―楽天・則本昂大(時計18時・ほっともっと神戸)


野球ソフトに大敗で今季最悪8連敗&最多借金21、平石監督代行若手への切り替え示唆野球


◆楽天0―12ソフトバンク(2日・楽天生命パーク)より

パ・リーグ最下位の楽天は投打でソフトバンクに圧倒されて0―12と大敗。

引き分けを挟み今季ワーストの8連敗となり、借金も今季最多21となった。

平石監督代行就任後の成績も26勝27敗2分けで初めて負けが先行。

指揮官は手も足も出ない完敗に「本当に申し訳ないです。

日曜日でいっぱいファンの方々に来て頂いているのに、こんな試合をしてしまって

本当に申し訳ないです」と声を震わせながら謝罪した。

1日時点で3位日本ハムとは15ゲーム差で、CS進出はもはや絶望的。

平石監督代行は残り25試合の戦いへ「勝たないといけないのは当然ですけど、

その中で若手であったりそういう選手も起用することになると思う。

全員が全員、若手に切り替えるわけにはいかないけど、これからはちょっとずつ代えていきたい。

どういう風に勝ちにつながるかは、分からないけど。ただ使う以上は我慢して使おうと思います」と

来季も見据えて育成へ切り替える方針を示唆した。



野球今江年晶が東北で取り戻した笑顔エリートが知った初めての挫折と復活野球

ぴかぴか(新しい)純粋に野球を楽しむ今季ぴかぴか(新しい)

4月21日のオリックス戦でクローザー・増井浩俊から放った一発は、今江年晶の通算100号となった。

17年目で迎えた節目。だが本人は手放しでは喜べなかったようだ。

「ちょっと恥ずかしいというかね。周りの人からは『まだ100号だったんだ』と言われましたから。

やっとって感じです」。ただ、ロッテから楽天への移籍後、ケガに苦しみ続けてきたベテランは、

その一発を復活への号砲といわんばかりに今季はチームの主軸へと返り咲き、

その存在感を見せつけている。

勝負強さも健在で、「打順は気にしたことないです」と言うが、4番に座った46試合で43安打20打点

(8月28日時点)。チャンスではやはり、期待せずにはいられない。

ロッテ時代には日本シリーズMVPを2度獲得し、ゴールデン・グラブ賞にも4度輝くなど、

勝負強さと実績を兼ね備えたヒットメーカー。どん底の2年間を経て、本来の姿を取り戻し始めた。

さらに、練習中も若手に引けを取らないほどの声を出し、大きな笑顔を見せる。

今江はいま、仲間との野球を純粋に楽しんでいる。



ぴかぴか(新しい)常に任されたキャプテンぴかぴか(新しい)


小さいころから、周りよりも何でもうまくできた。幼稚園の休み時間に野球をやることが多かった

今江少年は、人よりも体が大きく目立つ存在だった。

友達の兄が少年野球に入っていたこともあり、小学3年から入ることができる少年野球チームに

特例で、幼稚園の年長から入ることに。それほど体もパワーも図抜けていた。


「人よりも強く打てたり、投げられたり、走れたりしていたので、プロ野球選手には普通になれるやろなと

思っていたんですよ。まあ、子どもでしたからね」


小学校6年時には身長174センチ。そのころから、プロ野球選手は夢ではなく、目標だった。

中学に入ってもその状況は変わらず、少しずつ周りが追いついてきても、まだチームの中心にいた。

そんな中、プロ野球選手になるために選んだのが、プロのスカウトも多く訪れるPL学園高だった。

そのころの今江にとって、甲子園出場は一つの通過点。さまざまな高校からの誘いはあったが、

少年野球チームの先輩である覚前昌也氏(PL学園高→大阪近鉄)の

「プロ野球選手になりたいんやったら、PLに来たほうがいいよ」という言葉で決心がついた。

入学後、1年時から4番を任され、2年時には甲子園にも出場している。

「先輩方の甲子園出場に貢献できたことはうれしかったです。

でも、甲子園では結果が残せなかったので、苦い思い出ですね」。

自身は3安打にとどまり、チームは3回戦で敗れた。だが、このときはまだ2年生。

強豪校でもチームの中心にいた今江は、3年時にはキャプテンも務めた。

再び甲子園に出場することは叶わなかったが、秋にはドラフト3巡目でロッテへの入団を決めた。

「やっと野球だけできるんや」。それが最初に感じたことだった。

小学時代からキャプテンを任され、常にチームのことを考えながら野球をしてきた。

高校でも厳しい寮生活に加え、キャプテンという重責を背負い、

「野球をやっている」という感覚が薄かったという。「やっと自分のことだけ考えて野球ができる」。

夢を叶えたという気持ちよりも、安ど感のほうが大きかった。だがそれは、順風満帆だったことの

裏返しとも言える。

体格にも才能にも恵まれていた今江は、大きな挫折なくプロへと歩みを進めた。


ぴかぴか(新しい)一変した野球人生ぴかぴか(新しい)


プロへ進んでも1年目から1軍での出場機会を得るなど、ポジション争いに苦戦しながらも4年目には

サードでレギュラーをつかみ、05年からは背番号が「8」へと変わるなど、

名実ともにロッテの顔となった。

すると06年の第1回WBCにも出場。世界一に貢献し、日本を代表する選手へと成長を遂げる。

ロッテでは05年にリーグ優勝、日本一に輝き、10年にはリーグ3位からの下克上日本一を達成。

その両方で日本シリーズMVPに輝くなど、勝負強さはいっそう磨かれ、

実績も着実に積み重ねていった。

そんな中、15年シーズン終了後に大きな決断をする。それが海外FA権の行使だ。

その年は死球によるケガもあり、出場数が減っていた。さらにロッテとの2年契約2年目。

今後の野球人生を考えたとき、何かを変えるならこのタイミングしかなかった。

だが、環境を変えてもレギュラーの保証はどこにもない。

これまで応援してくれたファンや支えてくれたチームメート、球団。

それらを思うと、寂しさがあふれ出てきた。

だが、あえてイバラの道を選んだ。それは自身のさらなる成長を望んだから。

「迷ったら前に進もう」。家族の後押しも力となり、東北の地へ行くことを決めた。

だがその決断により、想像以上に険しい道を歩むことになる。

移籍初年度はロッテ時代に発症したふくらはぎ痛が再発し、春季キャンプを2軍で迎えた。

開幕には間に合ったものの、死球によるケガなども重なり、89試合出場にとどまる。

だが何よりも厳しかったのは守備位置のレギュラー争いだったかもしれない。

本職のサードにはウィーラーがおり、ファーストには銀次がいる。

ロッテの顔だった男は、自らの居場所を見つけられずにいた。

移籍2年目は、銀次のセカンド兼任によりファーストに定着。筋膜炎による一時離脱はあったものの、

レギュラーの座はほぼつかんでいた。

しかし、再び不運が今江を襲う。7月27日の福岡ソフトバンク戦で守備中に松田宣浩と交錯し、

左手首を負傷。残りのシーズンを棒に振った。クライマックスシリーズには代打で出場したものの、

シーズン51試合は05年のレギュラー定着後最少の出場数だ。

期待を受けての移籍だっただけに、もどかしさは募るばかり。


「この世界は結果を出したもん勝ちなんですよ。僕は結果を出せていなかったし、

ケガによって結果を出す舞台にも立てていない。いろんな感情が湧いてきました」


試合に出られない悔しさ、そして結果が出ない悔しさ。それらと戦う日々が続いた。

小さいころから誰よりも図抜けていた今江にとって、こんな経験は初めてだった。


 これまで順調だった野球人生。それが、移籍によって一変した。


「これは何かのお告げなんだと、今後のためなんだと思ってやらないと、

地面の底の、コンクリートの下で僕はもう眠っていたと思います(笑)」

そう振り返るほど、どん底だった。気持ちを前向きにしておかなければ立ち上がれないほどに……。






ぴかぴか(新しい)支えてくれる妻の存在ぴかぴか(新しい)


それでも、「移籍の後悔は一つもなかったです」と、その顔に悲壮感はない。

「移籍しなかったらそういう経験もできていなかったと思うので。今後の野球人生、いや、

野球人じゃなくても、こういう経験はこれからの人生に絶対に生きてくるんやろうなって

思いながら過ごしていました。ポジティブにやってないと多分僕はもう、生きてないですね(笑)」と、

今では笑顔で語る。踏みとどまれたのはやはり、家族の存在があったからだ。

自身の性格は「めちゃめちゃネガティブ」というそんな今江を支えたのが、

04年に結婚した幸子さんだった。苦しいとき、いつも前向きな言葉をかけてくれた。


「『偶然なんかほとんどない。すべてにおいて必然と思ってやるしかない』と言ってくれて。

確かにそうやな、と」

嫌なことがあると、どうしても「自分だけが最悪なんだ」と思ってしまう。

そんなとき、今後のために今があるのだと、視野を広げてくれた。

その支えのおかげで踏ん張ることができた。


「嫁さんがいなければ今の自分はないなって、本当に思います」


どん底だった2年間を終え、返り咲いた。だが、まだまだこんなもんじゃない。

「ケガがなければ今くらいは最低限できるかなという考えですし、もっとできるのにな、と思いながら

今はいます」。それは打撃だけではない。サードが今江の本当の居場所。

本職であるサードは、今でももちろん、思い入れの強いポジションなのだ。

高校まではショートだったが、プロに入り、自身の肩のことを考えるとサードのほうが

自分に合っていると感じるようになっていく。さらにショートには名手・小坂誠がいたこともあり、

徐々にサードをやりたいと思い始め、自らコンバートを申し入れた。

プロで生き残るために選んだポジション。移籍したからといって、簡単に手放すわけにはいかない。

それでも、「僕はサードじゃないと嫌だとか、そんなことを言える立場じゃないですから」と、

ファーストや指名打者での出場が続く中でも結果を求め、チームに貢献している。

ただ、あきらめたわけではない。ウィーラーとの熾烈なポジション争いに今後も挑んでいくつもりだ。

移籍により苦しい時間も経験したが、同時にチームが変わったことで新たな楽しみも増えた。


「良い意味でも悪い意味でも、楽天はすごくみんな仲がいいんですよ。

チームメートはもちろん、球団の関係者の方もとても温かい。

東北という土地柄もあるのかもしれませんが、ファンの方も含め、すごく一体感がある」

初めての移籍に多少の不安はあったが、PL学園高の先輩である松井稼頭央(現埼玉西武)が

気さくに話しかけてくれたことも大きかったという。

そして何より、年齢が近い選手が多く、チームになじむのに時間はかからなかった。


「僕は17年目なのでベテランと呼ばれる年齢ですから、年下からはなかなか絡んできて

もらえないんですよ。でも同じ年の人がいたら、突っ込んだり突っ込まれたりして、

やっぱり楽しいんですよね」

仙台では、家族と離れて独り暮らしをしていることもあり、

「球場、ロッカーに来るのがすごく楽しいんです」とうれしそうに話す。笑顔の源はそこにあるようだ。

8月26日で35歳となった。だが、今季の活躍は序章に過ぎない。

「まだまだ打率も打点も残したい、残せると思っています」。

衰えなど感じさせず、まるで野球を始めたばかりの少年のように目を輝かせ、

笑顔でプレーをする背番号8の姿がある。

チームが下を向きそうなとき、今江がその笑顔で引っ張っていってくれるだろう。

大好きな仲間とプレーできる喜びをかみしめながら。




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