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イーグルスファンコミュの震災から7年…岩手の銀次、星野さんの活動継承&今江「星野さんもそうだった」とことん社会貢献

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野球岡島選手会長「東北を再び熱くする」東日本大震災から7年、球団公式サイトにメッセージ野球

https://www.rakuteneagles.jp/news/detail/00001025.html

東北を本拠地に置く楽天は11日、東日本大震災から7年となり、球団公式ホームページ上に

立花陽三社長と岡島豪郎選手会長が、思いをつづった。

楽天は今季も、4月13〜15日の西武戦(楽天生命)で「がんばろう東北シリーズ」を開催するなど、

復興への活動を続けている。

この日も中日とのオープン戦が行われる岡山・倉敷で、試合前に募金活動が行われる予定。

社長、選手会長のコメントは以下の通り。


立花社長

「東日本大震災から7年。改めまして、震災によって亡くなられた方々のご冥福を心から

お祈り申し上げますとともに、被災された皆さま、そのご家族の方々に対し、お見舞い申し上げます。

この7年間、東北各地を訪問させていただき、街の復興が着実に進んでいる一方、まだまだ生活や

心の問題を抱えている人々の姿も目の当たりにしてきました。東北を代表するプロスポーツチームと

して私たちができることは、野球を通じて東北をもっと元気に、もっと明るくすること。

そして再び、東北に日本一という夢と感動をお届けすることだと考えております。

1つ1つの勝利が少しでも東北の元気に繋がることを信じて、今年も1年闘ってまいります。

日本一の東北へ。ともに前に進んでまいりましょう」

岡島選手会長「東日本大震災から7年が経ちました。『3・11』は特別な日であり、

忘れてはなりません。7年経った今でも、復興が半ばで、震災になお苦しむ方が

たくさんいらっしゃると聞きます。

震災を風化させず、被災地の皆さまに少しでも元気になっていただくためにも、

勝つことが被災地の球団である我々の使命だと思っています。

2013年のあの感動を皆さまともう一度味わうためにも、『東北を再び熱くする』いう熱い気持ち、

そして星野さんから培った『勝利への執念』を胸に闘ってまいります。

真の復興に向けて、そして『日本一の東北へ』向けて、心を一つに、気持ちを込めてともに

闘っていきましょう」



野球梨田監督らが中日戦前に東日本大震災の募金活動 銀次「一生忘れてはいけない」野球

楽天は11日、東日本大震災から7年となり、中日とのオープン戦(倉敷)前に球場前で

約15分間募金活動を行った。

梨田監督を先頭に、平石ヘッド兼打撃コーチ、岩手出身の銀次、選手会長の岡島、

エース・則本が参加。岩手・普代村生まれの銀次は「一生忘れてはいけないことだと思っている。

球団、選手が一体となって東北を盛り上げていきたい」と話した。



野球震災から7年…岩手の銀次、星野さんの活動継承野球

銀次は、今も鮮明に覚えている。震災によって、変わり果てた故郷・岩手の姿を。

今でもユーチューブなどで当時の映像を見返す。

地元の普代村近くにある宮古市は、沿岸部で甚大な被害を受けていた。

その姿は言葉にならなかった。「世の中が、どんどんあの日のことに対して意識が薄くなる気がして。

それは、もっと怖い」。

3年前から、宮古市で野球教室を始めた。「地元から野球選手が出ることが僕の夢。

あの日を忘れないためにも。そして地元の選手が活躍すれば、みんなが活気づく」と考える。

星野仙一さん(享年70)の活動から影響を受けた。「ずっと続けることに意味がある。

影響力がある人がやることで、野球の輪が広がる。自分もさらに活躍して、いつかは星野さんの活動を

引き継ぎたいって思っている」。支援を続ける野球人を目指す。


野球今江「星野さんもそうだった」とことん社会貢献野球

楽天は東日本大震災から7年の3月11日を、当時の監督だった星野仙一さんの故郷、岡山・倉敷で

迎えた。

楽天今江は、今も鮮明に覚えている。15年、ロッテからFA宣言し、楽天との交渉の場。

星野さんから言われた。

「お前のことは、野球だけじゃなくて、それ以外の社会貢献活動の面でもしっかり見ている。

そういうところを若いやつらに広めていってほしい」

07年から社会貢献活動を始めた。テレビ番組を見て、障がい者の子どもたちの野球事情を知った。

「自分たちは五体満足で野球が出来ている。しかもそれを仕事にさせてもらって。

何か出来ないかなと」。障がい者野球チームの「群馬アトム」に直筆の手紙を出した。

今では毎年オフに訪れる。千葉の養護施設にも訪れ、野球教室を開催するなど子どもたちと

向き合ってきた。

震災が、気持ちをさらに強めた。11年3月11日。

ロッテ2軍の浦和にいた。車で自宅まで7時間かかった。

「嫁さんが立っていた地面が急に割れたりして。液状化現象もあって」と動揺した。

そして福島・いわき市への慰問も始めた。

その姿を見ていてくれた星野さんが、亡くなった。膵臓(すいぞう)がんだった。

「うちの母親も同じがんで亡くなってね」と病室での闘病姿を自然と想像した。

「気付いた時には、もう遅いって」と言葉を詰まらせた。「星野さんもそうだった。

やるなら、最後までとことんやるべきと思っている」。

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