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イーグルスファンコミュの人生変えたい…楽天小山伸一郎5年前の挑戦   ネパール野球代表主将らコボスタ訪問「子供たちを楽天の試合に連れてきたい」

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野球6月11日(土)の予告先発投手野球


北海道日本ハムファイターズ 吉川 光夫 VS阪神タイガース R.メッセンジャー

札幌ドーム14:00開始



埼玉西武ライオンズ 佐野 泰雄 VS中日ドラゴンズ 大野 雄大


西武プリンス14:00開始


オリックス・バファローズ 近藤 一樹 VS横浜DeNAベイスターズ 今永 昇太

京セラD大阪14:00開始



東北楽天ゴールデンイーグルス 釜田 佳直 VS広島東洋カープ 岡田 明丈

Koboスタ宮城14:00開始


千葉ロッテマリーンズ J.スタンリッジ VS東京ヤクルトスワローズ 山中 浩史

QVCマリン14:00開始




福岡ソフトバンクホークス 千賀 滉大 VS読売ジャイアンツ 今村 信貴

ヤフオクドーム18:00開始



野球オコエのプロ初三塁打ベースをオークション出品へ 野球


楽天はオコエが7日のヤクルト戦(郡山)で放ったプロ初の三塁打を記念し、

その試合で実際に使用された三塁ベース(直筆サイン入り)のチャリティーオークションを開催する。

11日の午前10時から19日の午後11時59分まで球団のオンラインショップで行われ、

落札金額の一部は東日本大震災の復興支援を目的とする

「TOHOKU SMILE PROJECT」の活動費用に寄付される予定。




野球人生変えたい…楽天小山伸一郎5年前の挑戦野球


【前回】2011年5月20日。楽天の小山伸一郎投手(当時32=現2軍投手コーチ)と嶋(当時26)が、

バーカウンターで肩を並べていた。夜も更けているが、2人ともグラスに口を付けていない。

−−−−−◇◇−−−−−

 「人生を変えたい」。小山が切り出した。嶋は黙っている。

「中日にドラ1で入って、うまくいかなくて。無償トレードで楽天に拾ってもらった。ありがたかった。

自分の場所があるだけでうれしかったし、今までガムシャラに投げてきた。

でも、何かきっかけがあればまた、人生が変わる気がする。勝負したい」

人生を変えたい? 私は、彼が球団にポスティング移籍を訴えるのだと直感した。メジャーが好きで

「ポスティング、マイナー。僕らしくていいでしょ」と屈託なく笑っていたが、あながち…と

思って聞いていた。気のおけない嶋に打ち明けたのだろうと解釈して、そのまま別れた。

2日後のナゴヤドームで真意を知る。試合前の練習を終えた小山が、鬼の形相、いかり肩でロッカーに

引き揚げてくる。他の投手よりタイミングがずっと早い。

球界の常識として、当日の先発を意味していた。記録班に聞くと、11年ぶりの先発はブランクの

日本記録だという。

けだし至言、と聞いていた深夜の告白は、まさか先発だったとは。いつも明るい彼からは考えられない

劇画調と、嶋の険しい顔を思い返して、一個人として緊張してきた。

1人の人間が分水嶺(れい)に立つ。どちらに流れるのか。

ナゴヤドームの日刊スポーツ記者席は本塁のほぼ真後ろにあり、投手の球筋がよく見える。

早めに入り、スコアブックに中日のスタメンを記した。1番から荒木、井端、森野、和田、ブランコ、

平田、グスマン、谷繁…強い。しかも投げ合う投手は吉見だった。

でも、彼はやってのけるんじゃないか。心配と同じ量の期待があった。

バッテリーだけを見ていた。小山に落ち着きがない。リラックスさせようと、嶋が肩を回すしぐさを

している。力みから球筋がシュート回転して、ベース板に交わってこない。1回、打者11人、

被安打5、5失点。勝負できず、あっという間にスコアブックが真っ黒になった。

2回59球で挑戦は終わった。小山は試合後、「何もないです」とだけ言った。

星野監督も「アイツしかおらんだろう」と台所事情を起用の理由とし、多くを語らなかった。ただ、

18歳の彼を中日のドラフト1位で指名したのは、他ならぬ自分だった。仙台に赴任した秋季練習の

初日、元気いっぱいの姿を見つけ「明るいなぁ。まだ頑張ってるんか」と喜び、気にかけていた。

無償トレードされた古巣の本拠地で、11年ぶりに先発させる。

千載一遇のチャンスを用意し、人生を変えてあげたかったのではないか。

5年後の6月5日、再びナゴヤドームである。小山はコーチとなり、副会長となった星野仙一に

駆り出され、1軍の助っ人としてブルペンに入っていた。中日の先発は、あの日投げ合った吉見だった。

試合前のきれいなマウンドを見つめて言った。

小山 この球場には、あんまりいい思い出がないですね。

 −先発のこと?

 小山 それだけじゃないです。中日時代、もがいてましたから。いろいろあったので。

 −でも今、コーチとして、請われて1軍にいる

小山 まぁ…。そう言えば格好いいですけど。いきなり来て、自分にできることはそんなにありません。

攻める気持ち。切り替え。ちょっと背中を押してあげる。そんな感じで。


 −また来るよ。いつか分からないけど

小山 僕もファームに戻ってるかも知れないし。会えるかは分かりませんね。

チームのために頑張ります。

 球団ブースには、厳しい顔で選手たちを見つめる星野副会長の姿があった。


 −小山コーチ、1軍に呼んだんですね

 星野 アイツしかおらんだろう。

 当時の言葉と重なって、眉間のしわが解けた。なぜ彼を先発に? 聞こうと一瞬よぎったが、

やぼだと思ってやめた。

愛憎入り交じって時が流れていく。小山はナゴヤドームで野望を抱き、押しつぶされても腐らず、

またはい上がり、ナゴヤドームに戻ってきた。激流も、枯れそうなときもある。

揺られながらも転覆せず、カヤックのごとく乗り越えていく過程が面白い。







野球ネパール野球代表主将らコボスタ訪問「子供たちを楽天の試合に連れてきたい」野球


野球と地震。この2つが遠く離れた国と地域を結んだ。

ネパールの野球振興に尽力するNPO法人「ネパール野球ラリグラスの会」の小林洋平理事長と、

ネパール野球代表チームの主将、イッソー・タパさんが10日、コボスタ宮城を訪れた。

ネパールは昨年4月25日、マグニチュード7・8の大地震に見舞われた。

東日本大震災を経験している楽天はすぐさま選手や球団職員らが募金活動を実施。

集まった義援金のうち、約150万円が同会に送られた。

小林理事長とイッソーさんはその義援金のお礼と使途の報告に訪れたのだ。

小林理事長によると、震災から1年が経った4月末、ネパールで子供たちのために復興試合を開催。

中には地震で家が損壊した児童もいたという。小林理事長が「試合を目標に練習を頑張っていた

子たちがいた」と話せば、イッソーさんも「野球をやっている間はすごく喜んでいた」と語るように、

震災で心に傷を負った子供たちは野球をしている間は笑顔を取り戻したそうだ。

小林理事長は「地震で向こうの子供たちは絆が強くなった」と語り、続けて「日本の方々の力で

ネパールの子供たちに笑顔を広げられた」と感謝の言葉を述べた。

ネパールの野球人口は現在、約300人。野球経験者は2000人を超えるが、経済的な事情から

若者の多くは学校を卒業すると中東などに出稼ぎに行くことが多く、

野球を続ける環境は根付いていない。

そんな中、イッソーさんは13歳の時、初めて野球に出会い「新しいスポーツで見たことない。

楽しかった」とのめり込み、10年に関西独立リーグ「大阪ホークスドリーム

(現大阪HDベースボールクラブ)」に入団。同国初のプロ野球選手となった。

「ネパールの子供たちを楽天の試合に連れてきたい。そして、ネパールでも野球を広めたい」と

イッソーさん。

ネパールと東北。地震という大災害に見舞われた国と地域が苦境も国境も乗り越えて、

野球を軸にこれから先もつながり続ける。



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