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イーグルスファンコミュの楽天 球団初の外国人捕手誕生へ 入団テストから育成契約

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野球楽天 球団初の外国人捕手誕生へ 入団テストから育成契約 野球

楽天が11月の岡山県倉敷市での秋季キャンプで入団テストを行った

アレジャンドロ・ゼゴビア捕手(24=レイズ2A)と育成契約を結ぶことが14日、分かった。

早ければ年内に発表され、球団初となる捕手の外国人選手が誕生する。

近年、チームは正捕手の嶋に次ぐ2番手捕手が不在。捕手だけでなく内野も守れるゼゴビアは力強い

打撃も魅力で、年齢も若く、キャンプ期間に大久保監督も「捕手がしっかり守れるようになれば面白い」


と高く評価していた。




野球銀次 まさかのハット!野球でも「得点圏打率1位を狙う」 野球


東日本大震災復興支援試合「チャリティーサッカー2014」 東北ドリームス12―8JAPANスターズ (12月14日 ユアスタ)



銀次がまさかのハットトリックだ。昨年に続き始球式を務め、後半から東北ドリームスの一員でベンチ

入りした。

同7分にPK、同38分に直接FKを決めて胴上げされると、試合終了間際には右からのセンタリングを

右足ボレーで決め「皆さんが自分にボールを集めてくれたおかげ」と感謝した。

今季リーグ5位の得点圏打率・336だった男は「きょうみたいに、チャンスで決めて来年は得点圏打率

1位を狙う」と気勢を上げていた。





野球家族にも反対された監督就任…デーブが本音語る野球


◆闘将の名演技「1」

 大久保監督が大役を引き受けてから2か月が過ぎた。

星野前監督から引き継いだ重圧は計り知れないものがあるという。

 「2軍だと親分(1軍監督)についていけばよかったのが、これからは全て自分。コボスタを見ると、

今でもとんでもないことを引き受けちゃったんだなと思う」

就任1か月前の9月18日、星野監督が退任を表明。その10日ほど前、来季に向けた話し合いが

あった。

 「星野監督に呼ばれて『俺は、みんなのおかげでいい思いをさせてもらっている。1人も見捨てない。


お前も、そういう監督を目指せ。よその球団から監督のオファーが来たらやれよ』と言われた。

オファー来るわけないでしょと思っていたけど、あれが(退任の)サインだった。後で(星野前監督に)


『名演技でしたね』って言ったら『たいしたもんだろ』って」

 監督就任は、報道が先行した。球団から要請があったのは10月14日。

宮崎で、2軍主体のフェニックスリーグを指揮していた。当日朝、連絡を受け、急きょ仙台へ。

そのまま就任会見となった。

「バタバタと決まった。引き受けざるを得ないような流れだった。最初に報道が出たときも『監督になっ

たらどうしよう』と考えること自体、星野監督を裏切ることだと思っていた」

 決断を後押ししたのは、闘将の一言だ。

「星野監督に『俺はおまえの後ろ盾だ』と言われたのが一番大きかった。(今は)荷は重いけど、

やってやる、任せとけ、という思い」



 ◆変装変わらず「2」

 監督選考は、当初から内部昇格を軸に議論が進んだが、決定までには時間を要した。

一部ファンが、就任反対の署名運動を起こした。西武コーチ時代に暴力ざたを起こし、激しいバッシング

にもさらされた。「もう目立つ生き方はしたくない」と、野球界と距離を置いたこともあった。

 「(西武を)クビになった時、いつも帽子にサングラス。俺はいつ、この帽子が取れて犯罪者じゃない扱

いを受けられるんだろう、と。今も同じ。

監督になっているのに、帽子とかサングラスを外せない。来年どうしようか考えても、

悪いことを思い出す」

 つい最近も、実家のある水戸に帰ってこんなことがあった。

 「仲間たちから『誹謗(ひぼう)中傷、気にしないでいきましょう』みたいなこと言われた。

今もいろんなこと言われてるだろうし」

 監督報道が出た頃は、母親から「断れないのか」という電話が毎日のようにあった。



 「お袋には『覚悟してくれ』、『いい思い出だ、母ちゃん。あんたは監督を産んだんだ』と言ったよ。

(それで)スッキリした。今日を一生懸命、精いっぱい頑張る。悔いがないようにという生き方しか

できない。昔は振り返らない」



 ◆2軍生活財産「3」

 現役時代、西武、巨人と常勝軍団を渡り歩いた。

 「長かった2軍生活が財産になっている。実績がない分、褒められることが少なかった。

理不尽なことの方が多かったことが財産。選手が何を言われたら嫌か、何を言ったらやりやすいのか。

自信があるというより、自分を信じてぶれないところがある」

 現役時代は強打を売りにしたが、指揮官として求めるのはバッテリーを中心とした強固な守りだ。



 「打撃だけの人は、なかなか使えない。打率9割9分6厘はあり得ない。

守備のエラーって、それほどするものじゃない。そこが基本。選手個人にも意識がなかったら意味がない。

星野監督も『壊れたテープレコーダーのように、とにかく言い続けろ』と言っていた。愛情持って厳しく。

それを引き継がせてもらっている」

 「守備重視」は黄金時代の西武と同じだという。

 「のびのび打っていたのは秋山、清原、デストラーデだけ。この3人にも3ボールから待てのサインが

出る。1人も自由に打ってない。残る選手は常にチームバッティング。

守備ができる人からレギュラーの枠にはまっていった」

 今年7月、星野監督が腰の手術のため休養。監督代行を17試合務めた。

その間、16盗塁を成功させて機動力野球も垣間見えた。

 「楽しかった。勝つためだけに野球がやれる。『17試合だからだよ』『監督じゃないからだよ』という人も

いるけど、変わらない。楽しみ」



 ◆安楽起用慎重「4」

 今オフはドラフト1位で済美高・安楽投手を獲得。松井裕を含めて、育成面でも楽しみな選手が多い。

「安楽は1年目から戦力ということは思ってない。無理して中6日のローテに入れるというのはないと

思う。

松井もまだ2年目。自分が勝ちたいからといって、無理はさせたくない」

2年以上の契約をする新監督が多いなか、異例の1年契約だ。最下位から1年で巻き返すのは

容易ではない。

 「俺みたいな実績ないヤツが監督やるという実績が(球界に)できた。あんなヤツでも監督できるんだ

と、夢と希望を与えたいと思っている」

 ある言葉を胸に刻んで、監督業を務める覚悟だ。

 「『褒められて有頂天にならず、けなされて落ち込まず』。この言葉を大事にしている。

将来、常勝軍団になっている楽天を見て『この常勝軍団は俺たちが作った』と、年金暮らしをしながら

みんなでワクワクして見たい」




野球星野前監督の決断 貫いた信念野球



選択肢は1つしかなかった。「辞める」だけだった。楽天星野仙一前監督(、現シニアアドバイザー)が

2カ月の休養から現場に復帰したのは7月25日。ほどなくして、今季限りの辞任を決めた。

「あれだけ休んだんだから、ユニホームを脱ごうと思った」。残り試合を全うするため、辞意を伝えたの

はごく身近な人に限った。三木谷オーナーに伝えたのも9月に入ってから。強い慰留を受けたが、

決断を変えなかった。

日本一から、わずか1年後の出来事だ。惜しむ声は多かったが、それでも辞めた。

理由は、体力が限界だったから。文章にすれば、それだけの話になる。

ただ、裏には、通算17年間にわたった監督業の信念があった。「出処進退は自分で決める」。

その判断基準が「体力」だった。新たに3年契約を結んだ今季開幕前、こう言った。

 「俺は体力的に限界だと思ったら、いつでも辞められるようにしている。精神的には、かなり人より強い

と思うけど、体力が伴わなければ精神を病んでくる。


精神が伴わなければ、選手に影響してくる。チームに影響してくる。そこが、俺が去る時」

 5月26日から休養したが、その直前は「負けても、どうでもよくなっていた。こりゃダメだと思った」とい

うほど、腰の痛みに悩まされていた。体力の悪化→精神の悪化→選手、チームへの悪影響という、

負のスパイラルに落ちかけていた。6月の手術でかなり改善し、1時間近いウオーキングも出来るよう

になった。とはいえ、万一、腰痛が再発すれば、また長期離脱の恐れはある。自ら去るしかなかった。

 信念に従い決断したが、過程では無力感にも襲われていた。都内の病院に入院していた6月前半。

禁煙の病棟を抜けだし、近くの公園でたばこの煙をくゆらすのが日課だった。のどかすぎた。


勝った、負けたの現場とのギャップは大きかった。「早く戻って来て」というファンの声はうれしかったが、

「こんなことではいけないな」と感じていた。リハビリ中には、フロント主導で監督代行やコーチが入れ替

わった。


反対はしなかった。できなかった。自分が不在なために起きた人事とも言えたからだ。

「球団はどこに向かっているのか」という質問に「もう、俺には分からん」と力なく漏らすしかなかった。

だが、いったん決断した後は、辞めるまで信念を貫いた。9月上旬。「続投」「辞任」の両極の報道が

流れた。


騒がしい周囲を受け流し、口にする話題の多くは来季構想だった。ドラフト、外国人補強、育成法。


フロント改革にも及んだ。そんな姿に「来年も、やる気満々だ」と言う球団関係者は少なくなかった。


誤解だった。「来年の話をしたから来年もやるとか、来年の話をしなくなったから辞めるとかじゃない。

チームを引き受けている以上、常に2、3年先を見ないといけない」。心の底の「辞める」の答えは伏せ、

そう説明した。

 後悔はある。「いっぱい、やり残したことがある。後ろ髪を引かれる思い」と言った。

ただ、辞めたからできる話もある。11月28日、大阪のホテルにいた。阪神時代からの支援者とのパー

ティーでマイクを握った。

「去年、優勝したあの時にユニホームを脱げば良かったと、つくづく思いました」。

日本一監督のまま辞めれば良かったのに、もう1年やったばっかりに最下位監督で終わった。

決断が遅かったというジョークに、なじみで埋まった会場はドッと沸いた。決断の後には、

いつもの星野さんらしい笑いがあった。

優勝監督が去り、楽天は新たなスタートを迎える。その中で松井稼はある決断をした。


チームのために、ベテランとして





野球嶋選手会会長 五輪野球復活へNPBと共闘「100年生き残れる競技に」 野球

日本プロ野球選手会(嶋基宏選手会長=楽天)は14日、静岡県草薙総合運動場で

「ベースボールクリスマス2014in静岡」を開催し、各球団から32選手が参加。

2020年東京五輪での野球・ソフトボールの実施競技復活の道が開けてから初の大きなイベントに

1万1000人が集まった。

嶋選手会長は「一人でもこういうイベントで野球をやろうという子が出るといい」と野球振興の重要性を

訴えた。

競技人口の減少は球界の共通課題。嶋会長は「子供たちの野球離れは選手会の議題にもなってい

る」と真剣に話した。

今回の五輪復帰に向けた動きを競技人口の底辺拡大と連動させる必要がある。

選手会では10年に駒沢オリンピック公園総合運動場で行って以来となるベースボールクリスマスの

東京開催も検討。

選手会関係者は「これまでは統一球の無断変更問題など問題提起の立場を取ってきたが、野球界が

ひとつになるチャンス。100年生き残れる競技にしていかないといけない」と日本野球機構(NPB)へ

共闘を呼び掛けた。

NPBでは15日の12球団実行委員会でアマ側が求める「五輪対策協議会」の設置に向けた話し合い

を行う。

選手会の松原徹事務局長は「五輪は別格。球界全体の取り組みとして期待したい」とし、

「球団と選手が一体になれるよう配慮してほしい」と希望を明かした。

五輪復帰へ向け、今求められるのは一体感。球界再編やWBC参加問題などで対立構図にあった

NPBと選手会が手を取り合い、アマチュア球界と三位一体となって取り組む姿勢が期待されている。



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