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誕生日を大切にするコミュ(改)コミュの?:導入〜幸せな人生と誕生日の関係〜

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ええ、こんにちわ!しんしんです。しばらく当コミュに誕生日の方がいらっしゃらないので4月6日のさえたん以降、HAPPY BIRTHDAYトピも御無沙汰しております。ま、あのトピはお祝いトピなので参加メンバーの誕生日にはどんどん書き込んで下さい的な開放チックなノリでやって行きたいと思いますので指でOK今後もよろしくお願い致しますウッシッシ


さて、トピで毎回誕生日が来られた一人一人の方に対して私が勝手に占いを施しているわけですが、その中に律・廟・風・文・海・統・陳の「周期」といういかにも宗教臭い言葉が出ていますねげっそりってかそもそもこの言葉は一体どういう意味やねん?とかどんな理論やねん?

とか突っ込みどころは満載だと思いますがこれはズバリ率直に言いますと自分独自の編み出し方式でして決して宗教ではありません。いや、敢えて言うなら天の声もへったくれもなしで自分が勝手に作り上げた自論と言い切っても構いません。インチキと言われればそれまでですが、それらは全て誕生日の大切さに気づいて欲しいという補助要素としての占いなわけです犬今回はその大切さについての専用トピです。どうしてあの温かくも(笑)怪しい占いが導かれるのか、それは?以降でお話したいと思いますのでそちらのトピが挙がった時に(夏の間に更新するつもりではいます目)御参照下さい!


というわけで誕生日を勝手に占わして頂いた(まだ数人ですが)誰しもが思われたでしょう疑問に順を追って私の誕生日理論という哲学を超わかりやすくお教えするコーナーがこのシリーズトピであります。今回はその1号ということで先程言いました通り誕生日理論の導入を御紹介したいと思いますわーい(嬉しい顔)一応日記でも宣伝させて頂きますが、興味のある方は是非ともぼんやりとでも結構ですのでお付き合い頂けると幸いです。あっかんべースルーも全然オッケーですうまい!(笑)でもいざ読んでみると結構楽しいと思いますよ指でOK多分......(笑)


なお、質問は随時受け付けておりますので内容やコミュについてもし質問がございます場合は遠慮なくコメント等を頂けると嬉しいです。シリーズ毎にトピを更新しますので一つのトピはコメントや議論にも広く使えるようになっていますんでよろしくです。ウッシッシ


導入ということで今回はなぜ誕生日が自分にとって主張すべき項目なのかということを幸せという人間の究極の概念と関連付けてお話したいと思います。まあ、コミュの扉でも書いたような原理的な話ですので、具体的な占星術の講座、すなわち周期の説明等は次回以降になりますので、そちらを先に知りたいという方は2からお読みになってもすぐに理解出来るように致しますのであせあせ2からでも全然構いません。とにかくこの章では誕生日の大切さというこのコミュの原点であり根幹となる部分を載せたいと思いまーすわーい(嬉しい顔)ではでは〜


人生とは人が生まれてから死ぬまでの期間のことを世間一般には差しますねうまい!一人の人間に平等に一つだけ与えられた人生、すなわち命です。あ、死んだ後どうなるとか、魂は流転してるんだとかそういう観念的な思想は考えないこととしますようまい!(笑)....ぶっちゃけこの理論にはキリストも仏も関係ないことなんで。とにかく目に見える範囲のことでのみ人生というものを考えることにしますね。

さて、人生十色というように人の人生はホント様々です。人生というものをその人が生きた道筋と考えれば、職業、財産、寿命とこの世に産声を上げてから永遠の眠りにつくまで一人として自分と全く同じ人生を歩む人間なんていないことは明らかなわけです。むしろそれで当たり前でいろんな人がいるから人間は長きに渡って文明を形成し、世の中が成り立ってきたわけです。

ある人とある人との違いを上げていけば間違いなくキリは無いでしょうが、ここで重要なのはこの違いというものでその二人が自分達の人生についてどう評価するかということなんです。

先程敢えて平等にという単語を蛇足感覚悟でたらーっ(汗)付け足しましたが、この平等というキーワードについて少し考えてみることにしましょうウッシッシ

「人は皆平等である。」この命題って果たして正しいでしょうか?皆平等とはすなわち皆同じであること。....今同じでじゃないと説明したとこですねがまん顔まあこういった言い回しには大抵暗黙の了解として人=人権という意味で使われることが多いわけですが、では人権は皆等しいと本当に言えるでしょうか〜皆というのは世界中の皆だとすれば人権...果たして本当に平等でしょうか?世界の人々が平等だという道徳上の建前は確かにありますね。でも実際のところその如何はかなり疑わしい状況ですね〜

私達が暮らしている日本という国は不景気とは言え、少なくとも人権においては一応保証されているでしょう。勿論国家の法律によってという意味ですが、世界のとある国では臓器売買や略奪によって人の命が虫けらのように扱われたり格差社会によって貧困に苦しむ人民も決して少なくなくて人としての価値や尊厳が脅かされている地域は存在するわけです。

つまり世界において人権が平等なんてとんだ戯れ言なんです。貧富や身分の差は勿論、人権においてすら多種多様なこの世界で一体何が平等だと言えるのでしょうか?人間の間に確かに存在するこの不平等が生み出すものが結局幸せの差を生みだしていくわけです。

.....人と人との根本的な違い、それこそが各人が人生の中で享受している幸せの差なのです。それは決して一律なものではありません。要するにお金をどれだけ持ってるかとか、学歴がどれだけ高いかということはその人個人の価値感の問題で別にお金があればあるだけ幸せとか学歴さえあればそれだけで人生が幸せとかその基準は個人によりけりなわけです。......人生金が全てだと考えるならそれはそれで大金持ちを目指せばいいし、東大さえ入れば俺は満足と考えるなら必死に勉強すればいい。そういった物質的な幸せの基準はあくまでその人によるわけです。まず取り敢えず幸せというものについて説明したいと思います。

では、人はその各々の価値観に従って生きています。うまい!自分の目指す道を歩いて、夢や目標を果たした人もいれば、果たせなかった人、夢なんてハナから持たなかった人、....たとえ同じ価値観で目指すべき方向が同じ人達の中でも、その結果は様々であることも明らかですねあせあせ勿論のこと、それはその同じ価値観の人の中でもその個人の能力や境遇が不平等であるから結果に違いが出てくるわけですがそれは幸せの差へと結びつくわけです。ある人の人生を語る時にその人は夢を果たしたから幸せで敗れたから不幸だと言いきることはできませんが、80年という長いスパンで見た時に、死を迎える最後の瞬間に自分の人生を振り返っていかにその過程に満足出来たかということを考えると、各々が従って生きてきた価値観(途中で変化した分も含めて)に基づいた行動の結果の積み重ねが人生の幸せの評価の指針となることでしょう。指でOKそしてそれがその人における結果的な幸せというものであるとこの理論では定義します。


長々と語りましたが...たらーっ(汗)何を言いたいのかというと、つまり人間は生まれつきあらゆる点で不平等で、それ故に価値観も違っていて人生も様々だけどその不平等さゆえに同じ価値観の人々の中で幸せの差が生じてしまうということです。総じて人は幸せにおいて不平等なわけですねぷっくっくな顔そもそも人間はどうして不平等なのでしょうか??

今、生まれつきという言葉を使いました。価値観というものはその人が育った環境、境遇に大きく影響されます。能力や思考回路は後天的な要素も強いけれど確かに先天的な影響もあるでしょうね〜遺伝子的なものですねあせあせ科学的に言えば細胞の持つ遺伝子のDNAの配列によってその人個人の肉体が決まり、それは体格や能力、顔立ち等あらゆる情報を確定するわけですね。でもそれはその家系に生まれたが故に、その夫婦の子供として生まれたが故に身に付いた能力と考えれば、そこに生まれたという境遇のせいで身に付いたと言い換えられるでしょう。つまり人の要素を決定している根源がその生まれつきの境遇だとすれば、その要素によって構成される人生は生まれつき決まっているものだと言うことが出来るでしょう。

生まれた時点で生まれてからのことまで全て決まるというのは運命は変えられないという唯神論を語っているかのようにも思えますが、神様の存在は別としても人は生まれながらに死ぬまでのあらゆることが既に決まっているという観念論でこの理論は進めていきます。少し説明不足な気もするのでもう少し丁寧に説明したいと思います。あっかんべーとにかく結論としては生まれつきの境遇が皆違っているから人生も違う。そして幸せに差が生まれる。要するに人は生まれながらに不平等なわけです。

人生は生まれた瞬間に決まるということは個人の差はいつどこで生まれるかに、それだけによるということです。逆の言い方をすれば、もし複数の人間が生まれた時と場所が全く同じなら(その人間は一つの世界に一人しかいないので実際には起こり得ないので、外的環境が全く同じ世界(コピー)が複数あると考えます。そしてそれらの世界は互いに干渉しないものとします。)その人達は全く同じ人生を歩むということです。.....どうですか?今の断言にやや違和感を感じるでしょうか冷や汗思わずこう反論したくなりませんか?

「環境が同じだって意思は人それぞれなんだから全く同じとは限らないだろ。」

こういった反論を無くすために、生まれた瞬間に人生が決まるということを詳しく見ていきたいと思います。ここで重要なのは先程指摘した通り、人間(人生)は後天的な環境の影響と先天的な要素という二つの境遇で決まるということです。そうです、同じ時と場所に生まれたということは同じ肉体を持って生まれたということです。つまり先天的な遺伝子や能力は全く同じわけですよ。意思というものも先天的な要素と成長する過程での環境が合わさって形成されるものであり、先天的な条件が等しければ後天的に受ける境遇も全て等しいわけで結果的に形成される意思も全て同じでそれこそ平等になるわけです。

つまりある肉体に生まれた時点でその体にデータがインプットされていて、外的条件(複数の世界の環境)が全く一緒なら人生は一通りに決まっていまうという意味なわけです。普通に考えて我々が暮らしている世界は一つなのだから、特定の肉体は一つしかなくて外的環境も1対1対応だから生まれた瞬間に(先天的な肉体と後天的な環境が決まっているために)人生が決まるということです。わーい(嬉しい顔)

そう考えると、結局個人の差というのはどの肉体を持って生まれたかということです。もし来世というものがあって、今自分の進んでいる道でもっと幸せになりたいと望むのならば(死ぬまで最終的な幸せの結果度はわからないわけですが)、データ解析をこなして(こなせるものと仮定する)生まれる段階で肉体を選び損ねさえしなければ思い通りになるわけです。前世の記憶が受け継がれないとするならば、ここで一つの問題が生じます。じゃあ今生と次の来世で意識を持つ「自分」というものは一体なんなのか?意思や考え方まで生まれた肉体によって決まるというなら今「自分」というものををこうやって意識している「私」はどこからやってきたのか?別に「私」でなくても誰であってもこの体に生まれたなら全く同じように意識するわけですが、意識しているのはあくまで他の誰でもない私自身なわけです。

cogito,ergo sum(コーギトー・エルゴー・スム).....我思うゆえに我あり。

フランスの哲学者であるルネ・デカルトが提唱した命題でもありますが思考する我は肉体の外に確かに存在しています。今までの議論からでも肉体的なものとは一切切り離して考えないと独自の我にはなりませんからね。

肉体の外と言えば、それは....取り敢えずイメージのしやすいように「魂」だとしましょう。あ、なんかどんどんそっち系の話に進んでいるように思われるかもしれませんがあくまで観念上の仮定なので不審がらずにご安心下さい。(笑)

その魂が自分独自の意識であるとします。でもあくまで意識のみで思考(能力や性格)は頭脳、すなわち肉体によって決まるわけです。魂は肉体とは別のものであり、命の二本柱が肉体と魂だとすると命が誕生した時、すなわち母親のお腹から生まれた時に魂が体に宿るものとしましょう。つまり魂は肉体という生物学的細胞に人間の生を吹き込むためのものだと考えます。魂そのものが誕生するのがどのタイミングかということも考えどころではありますが、少なくとも肉体という入れ物が出来るまでは宙を彷徨っているか、この世とは別のところにあるのか、それとも存在しないのかのどれかの状態にあることは間違いありません。ほっとした顔「我」の誕生の瞬間は正確にはわからないわけですが今分かり易くイメージするために、肉体が出来るまでは(肉体が母親のお腹から出てくるまで)この世とは別の次元にあるとしましょう。


その魂がどの体に宿るかが「我」がどの人生を選ぶのかを決めるわけです。肉体の誕生は生物的な営みの結果であってそれに付随して魂が宿るわけです。人間の生命は地球上で平均して3分に1度の割合で誕生していると聞きます。子供の肉体が出来始めてから約10月10日でこの世に生まれるとすれば同じく平均すれば3秒に1度の割合で肉体が出来始めるものと考えても問題無いので魂が宿るタイミングが肉体が出来始めたタイミングであろうが、生まれるタイミングであろうが平均で考えればどちらでも魂が宿る順番に関しては問題無いでしょう。ウッシッシ生まれるのが遅かったとか早かったというのは例外的なものとしてカウントすることとします。

そこで魂が宿るのは生まれるタイミングであると仮定します。また分かり易くイメージするために各々の「我」である魂は別世界でこの世に誕生する瞬間を巨大な列を作って並んでいて、子供の肉体がこの世に生まれた瞬間にその肉体に宿るものとします。つまりどの体に宿るかというのは列のどこに並んでいるかによって決まるということです。時の経過に伴って魂は列の前から次々とこの世に飛んで行きます。世界中のあらゆる地域で考えているので子供が生まれるタイミングが殆ど同じということもあるかと思いますが、さすがに0.0001秒程のミクロな違いはあるだろうし、あくまで命の誕生には順番があるとします。あせあせ

さて、先程から人生を決定しているのは生まれる場所と時間だと言いましたが、今魂の順番で生まれる時刻は誰しも違いがあることを示しました。ということは大事なのは超ミクロ単位で見積もった時刻であって、何年何月何日何時何分何秒何何...に生まれた人間は一人しかいないということです。その0.00○秒後に地球の裏側で次の命が誕生するにしてもその瞬間に生まれたのはあくまで一人だけでその瞬間に一番前に並んでいた魂がその肉体に宿るというわけです。

つまり人、いや魂の人生を決めているのは生まれる時刻そのものということです。その時刻がほんの一秒遅れたなら最前の魂はその1秒の間に先にこの世に誕生した他の肉体に宿ることになるわけです。ほんの1秒の差が日本のとある裕福な家庭の息子からアフリカの難民の少女という全く別の肉体として「我」が誕生することもあるわけです。人は生まれた時刻こそ魂と肉体が決定した瞬間となるわけです。手(チョキ)


だから生まれた時刻、すなわち生年月日(時分秒..)こそがその人の人生そのものの特有のアイデンテティなわけです。その時刻によって肉体は勿論、どの魂(我)なのかということも含めてすべて人生の情報、すなわち幸せ度数がわかるわけです。幸せとは生まれた時刻そのものなんですねるんるん

誕生日、生年月日はその時刻を決める上で重要なパーツなわけです。でも今の話を聞いていれば、重要なのは生年月日ではなくもっと詳細な時刻なんじゃないかと思われる人も多いでしょうね。現に同じ生年月日でも先程示した例のようにほんの数秒違うだけで国も環境も状況全てが変わってしまうかもしれないわけですから。逆に数年違っていても弟や妹といった関係で極めて近い関係で同じ環境で育つ例も多々あるわけです。時刻が人生を決定しているとは言え同じ日に生まれたことは全く関係無いんじゃないかということです。


最後にこの例を考えてみて下さい。例えばある三人の人A、B、Cが17時20分発の電車に乗るという予定があるとします。時間にうるさいA君は10分前にホームに着いて時間どおりに電車に乗りました。B君は若干遅刻して頑張って走ったもののホームに着いた時に丁度電車が発車しだして乗り遅れました。この駅には1時間に1本の割合でしか電車が通らないとします。時間にルーズなC君は遅れたことに何の罪悪感も感じずにのんびりと発車時刻の1時間後に駅に着きました。そこでB君と合流して共に次の時刻の電車に乗って目的地へ向かいました。牡羊座

ここでA君以外の二人は同じ電車に乗ることになって駅に着くまではその電車と運命を共にするわけです。A君だけが違う電車の運命に従うわけですが、この三人の場合、明らかな性質上の違いがあるのはA君とB,C君でしょうか?確かに定時に来た人と遅刻した人という意味では決定的な違いがあるわけですが、良識的に判断すれば、B君の遅刻はC君の遅刻と比べればまだ全然マシな方でしょう。これが電車ではなく単に集合時刻であるならB君は数秒の遅刻、C君は1時間の遅刻になるわけですから。げっそりたまたま電車の状況的にB君とC君は同じ電車に乗ることになったわけで時間の厳守さという意味でこの三人を判断するならA>>B>>>>>>>Cといった感じでC君が別種族の人間でしょう。A君とB君はホームに着いた時刻は近く時間厳守の縁はまだ近かったということです。


これこそが誕生日理論にそのまま結びつくのです。例えば誕生時刻が近いということはそれだけ魂の順番が近いということで魂の縁も近いわけです。でも結果として、B君は属性が近いA君とは別行動で別種族のC君と同じ電車に乗り合わせたように、どれだけ魂の縁が近くても宿る肉体には差が出るということです。魂の順番にこの例のように時間の几帳面さという善悪があるわけではありませんがこれから先、性格が変わらないとすればB君とA君は違う電車であっても、B君は少なくともC君よりはA君に近い、時間の几帳面さに対しての評価を受けることになるでしょう。

たとえ魂が全く別の肉体に宿ったとしてもある1日に生まれた命は魂自体は順番も近くて非常に縁が強かった(その1日の間にこの世に誕生出来たという意味で)わけで、その縁が後の人生の指針に幸せのポテンシャルという形で表れてくるわけです。たとえ全く別々の人生だったとしても、もっと深いところで幸せの縁はそれぞれ別の形で繋がりがあるわけです。そのポテンシャルという曖昧で測れないものを扱うのが誕生日理論なわけです。

正直、この後に紹介する占いの諸法則はあくまで自分が勝手に作り上げたもので根拠には乏しいものばかりです。言っちゃっていいのこんなことって思われるかもしれませんが、自分は今挙げた理由で誕生日に幸せのポテンシャルが関係しているという経緯で以後話を進めていくわけですが別にこの占いを信じる信じないかよりこういった「お遊び」に興味を持って頂いて誕生日の魅力を実感してもらえれば本望でございます。それこそが私の究極の目的なわけです。手(チョキ)あくまで自分が主張したいことはただ一つ、あなたの誕生日(生年月日)はあなたの人生を決める上でとても大事な要素なのだということです。それを知ってもらう為に誕生日同士の相性という面白い「お遊び」を考えたというのが私の誕生日理論の根底なのです。


ではでは、いろいろと省略させてもらったつもりではありますが導入編はこの辺りで終わりということで、次章からはいよいよ誕生日理論の法則の紹介へと入っていきたいと思います。うまい!まずはレーンと周期の法則ですね!では?章をお楽しみに!!感想や要望、質問等はお気軽にコメント等でおっしゃって下さいねわーい(嬉しい顔)

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