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酒井雄哉大阿闍梨コミュの法話の内容

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飯室不動堂今後の年間行事予定表です。

http://www.sakai-yusai.com/gyouji/gyouji.html

参加された方は、法話の内容、感想など書かれてはいかがでしょうか?
宜しくお願いいたします。

コメント(17)

ちなみに、2月8日の護摩供でのお話は、

歳をとると、時間が流れるのが早いという話から、最近の不況の話題になり、

問題が起こるというのは結局自分に問題があり、問題をなんとかするには「今」を自分がしっかりと強く生きるしかないというお話をされました。


その後、なんと、大阿闍梨と直接お話をするという機会に恵まれまして、僭越ながら、2つ質問をさせて頂きました。


一つ目は「二千日回峰行という人間業とは思えない偉業をなされていますが、本やDVDで語られているのは、精神面の話ばかりですが、肉体面には何かされていたことはあるのか?」と尋ねました。

答えは「ない」と言うことでした。そして、例えば戦時下に生きている人などは、朝起きれるだけで感謝して、何も考えずにその一日をただ生き抜くことしか考えていないし、体のことなんか考えなく動くものだと。

回峰行をすることへの決断というのは、決断なんて甘いものではなく、覚悟を決めているというくらいのレベルなんだと、自分の認識の甘さというか、まだまだ平和ボケした日本人だったなと反省させられました。


次に「本やDVDを観ていると、“霊感”を大阿闍梨は否定されているように感じましたが、僧職の方で珍しいと思うのですが?」というやや失礼な質問をしてしまいました。

答えは人それぞれによって見え方というのは違うと言うお話でした。
そこにあった観葉植物を見ながら、いま大阿闍梨が見ている観葉植物と私が見ている観葉植物は見ている場所も異なるし、それを見た説明も異なると。

だから、例えば透視や予知などが出来る人を見たとき、あえて“霊感”と捉えなくても、動物の方が透視や予知能力は人間よりも優れているわけですから、“霊感がある”と言う人は「知恵遅れ」だとも考えられると。

それを、「霊感があって凄い!」などと捉えなくても良いのではないかとお話されました。

そして、何と、常行三昧のお話をされて、90日の常行三昧の10日目くらいにお堂が明るくなり仏様が現れるという“好相”を得られたそうだ。
その時、今、修行しているのは常行三昧であり、好相行では無いと。しかも常行三昧の10日目であることから、魔界に入っている可能性もあると相談した延暦寺の方に言われたそうです。

お釈迦様等の悟りを開かれた人は、悟りを開く前に必ず魔界に入るそうだ。

ということで、好相を得たところで、それも霊感だなんだと捉える必要は無いというお話でした。

行者である大阿闍梨本人の口から常行三昧の話を聞いたとき、本やビデオで千日回峰行をある程度知っているつもりになっていた私でしたが、全く異なる迫力を感じました。
やはり、凄い世界を体験されている行者さんの迫力は違うものだと感じました。

という感じでした。
本日3月8日、護摩供へ行ってきました。

法話の内容は、春になってきて三寒四温と言いますが、寒くなったら「寒いな〜」と嫌がって、温かくなると「今日は暑いな」と嫌がったり、結構みんな自分中心に物事を考えるというお話から始まりました。

そして、自というのと公というので自に重きを置くと、怒ったり腹が立ったりしなければならないが、公に重きを置いて生きると安楽に生きることができるという話をされました。

そして、以前聞いたお話でもありますが、失敗というのは自分が原因であるし、今をきちんと整理して自制して行けば良いのであって言い訳してはいけないとWBCや最近の政治の話も織り込みながらされました。

無常の風が吹いても自分は今を大切に生きるしかないんだと。

結局何でも自分でやらないとダメ、人間に生まれただけで有難いんだから感謝の気持ちを持ってという話をされました。

天文学の話を聞いて3億年後には人類は滅びるとか言って、どうせ滅びるんだからとか気が大きくなって、人に迷惑かけたって自分は3億年生きないんだからとも仰っていました。

今の人生は仮の姿で、どうせ死んだら宇宙に帰るんだから、そういう感じで自分中心で考えずにという話もされていたと思います。

阿闍梨さんのお話はとにかく色々な経験や時事の話題を織り交ぜて、楽しいですよ。

今回は護摩供の後、阪神ファンな大阿闍梨の一面を見せて頂きました。

4月12日の護摩供での法話の内容です。

春なのに暑いという話から、以前に植えたサクラがもうダメかと思っていたが去年から花を咲かせ始めたという話をされ、諦めなければ季節もめぐって咲かないと思って捨てたりしなければ、また花を咲かせることもあるという話から、自然の法則として何事も回るというのがあるが、みんなそれを忘れて一喜一憂するという話をされました。

何事も思い通りにしようとするからダメになると。一歩ずつ駒を進めていくのが重要と言う話をされました。

そして、飯室不動堂にも振り込め詐欺から電話があったという話をされました。
振り込め詐欺にしても借金にしても、結局自分がしっかりしていないからダメだと。
そして、御自分が僧職へ就くようになった経緯を話され、すぐに決断し返事をしたことが良かったという話もされ、自分をしっかり持つことの重要さを話されました。

ファッションや金持ちや貧乏も回るという話から、今回は何事も回るという自然法則があるから、その時の浮き沈みに左右されず、自分をしっかりすることについての話でした。
ん〜と、今回の法話は・・・。

これから夏に向かう一番いい季節だからがんばろうと言うこと。

あと、人と生まれてきたら何か人のために役に立とうということ。

すんません。印象に残ったのはその2点です。(笑)

5/10の護摩供は信者さんの入りはまあまあ。

お昼はやまかけおそばとおにぎりでした。美味しかった。わーい(嬉しい顔)
(おにぎりをもう一個もらいました。瓜の漬物も美味!!)

あと身重の人が護摩中、失神してオロオロしました。
(阿闍梨さんはどこ吹く風(^_^;)。)

あと阿闍梨さんの居室にに挨拶に行くときに一緒になった90歳のおばあさんに、
「あんた、お供え(お金)はどうしたん?」
「ええ、もう他の人(お寺)に渡しました。」
「あほやなあ〜、阿闍梨さんに直接渡したほうがええのに。。」
「次からそうします。」
「今から返してもろて、阿闍梨さんとこにもう一回持って行き!」
「・・・・・・・・。」
次から気をつけます。うまい!
6月14日
何十回と阿闍梨さんの話を聞いているけど、話のテーマはいつも同じ。
「無常」
最近になってようやくこのことがわかりました。

阿闍梨さんに限らず、すべてのお坊さまの法話の基本に流れる考え方この無常観。
「世に無常の風が吹き荒れている。」「この世は無常。」

「無常」というとネガティブなイメージに捉えられがちだけど実はそうではない。

つまり「無常」は「常ならず」であって、決して「無情」(情け容赦ない)ではありませんということ。

いいことも「無常」なら悪いことも「無常」です。

たぶんそうじゃないかと思うのだけど阿闍梨さんは何を話すか、当日挨拶に来た人の悩みや苦しみを聞いて決めているのだと思う。

その人たちをいかに励まし苦しみを和らげるか。

最近、阿闍梨さんのところに挨拶にいくようになってようやくそのことがわかりました。

詳しいことはまた次回に。。

今日のお話で印象に残ったのは、小さな失敗でいちいちクヨクヨしないこと。

阿闍梨さんのエジプト旅行のときのエピソードでバスタブのシャワーを出しっぱなしにしてカーペットを水浸しにしたとのこと。

阿闍梨さんは「やっちまったこと事はしかたあるめえ!」と開き直って、地元の業者3人に10ドルを渡したところ、その業者はバキュームで水を吸い取って、しばらくそのままにしておいたところ、さすがは乾燥地帯、あっと言う間に乾いて事なきを得たとのことでした。(笑)

ちょっとした失敗でガタガタ騒ぐな!と言う教えでした。^_^;

今日は阿闍梨さんのために札幌のおみやげをもっていきましたが、行きの電車の網棚に忘れてしまいました。 涙

ああ無情! げっそり

きょうのお昼はちらし寿司でした。わーい(嬉しい顔)
7月12日の護摩供の法話について御報告します。

宮本武蔵の「神仏は尊し、神仏を頼まず」という有名な言葉より、御利益や見返りを求める気持ちではなく、自分が慈しみを持って行動をすれば徳が得られることを話されました。
そして、選挙の話で、立候補者がその時だけ「何々をします。お願いします。」なんて言わなくても、普段から人のために本気になって行動している徳のある人には自然と票が集まるという話をされました。

今日のお昼は私はよく遭遇するカレーライスでした。
阿闍梨さんのところには実に様々な人が相談に来るのだとと思います。

その相談内容もさまざま。。。

嫁とソリの合わないおしゅうとめさんが愚痴をこぼしにきたりとか、どうやれば楽して金儲けができるかとか、食べるものを制限できずに生活習慣病で悩む人とか、仕事もあり健康なのに幸福感が得られない人とか・・・。

ま、実際ほんとうにかわいそうな人は相談には来ない、と言うか来れない。
だってお寺に来るにもまったく手ぶらと言うわけにもいかず、いくばくかの「お供え」が必要だから・・・。
(いえ、決してそれが悪いと言っているのではないですよ。それが唯一のお寺の収入なんだから。。)

だから実際は相談に来られる人は本当にかわいそうな人から見れば幸せな人たちばかりですが、それがわからない「煩悩をかかえた最も救い難い衆生」であります。

お不動さんは忿怒の姿をしてますが、それらの最も救い難い衆生を力ずくで救ってくださいます。

お不動さんが左手に持つ縄は羂索(けんじゃく)と言いますが、これで仏道に従わない衆生を鞭のようにうったり、悪心を縛ったりして悪い方向へ行かず良い方向へ導こうとします。アナ恐ろしや。。(笑)

いえいえこれこそ慈悲に満ち溢れた厳父そのものです。

阿闍梨さんは生きた不動明王です。われわれ「煩悩をかかえた最も救い難い衆生」をどう救ってくださるのか。

そのためにいろいろお話してくださいます。

今日のテーマは「慈愛」(いつくしみ)です。

いつくしみとは相手を思いやる心、よく自分の思いを人にぶつけて「自分の愛をなぜ分かってくれないのか?」なんて愚痴る人がいるけど愛とは本来、相手の立場にたって相手を思いやる心なんですよね。

自分のことではなく相手のことを第一に考え行動する、想像力を働かせ世の中には自分よりもっと気の毒な人がいて、いかに自分は恵まれているかを仏さまに感謝する、そしてその人たちに何ができるかを考え行動する。

苦しいときの神頼みなんてよく言うけど、神様や仏様にあーしてください、こーしてくださいと頼むのではなく、毎日健康で生きていけることを感謝して、一生懸命頑張って、なにか世の中の人のためになるようなことをしている人を神様や仏様はなんとかしてくれると言うことです。

「天は自ら助くるものを助く。」

洋の東西を問わず言っていることは皆おなじです。わーい(嬉しい顔)
9月13日

自分は勤め人で主に第二日曜日の護摩供の日にしかお寺に行けません。

8月は広島のマツダスタジアムまで行ってたのでお休み。。。^_^;

今回は2ヶ月ぶりで阿闍梨さんにカープショップのお土産をもって参りました。(^^)

長寿院もめっきり涼しくなりましたね。

夏は護摩がある日はお堂の風除けのビニールを上げて、障子も取り外すのですが半そでのアロハで行ったらヒンヤリしました。

来月はビニールもおろして秋仕様です。

今回のお話のテーマは「感謝」すること。

心の持ち方ひとつで世の中の見え方が変わってくる。

でもなかなか逆境にあるときはこの「感謝」する気持ちを持つことが難しいですね。

「人と同じことをしてなぜ自分だけこんな目にあわなければならないのか?」

仏様の教えは究極のプラス思考だと思います。

今は苦しくとも苦しい状態は永遠には続かない。

そりゃその通りだと思います。

でも苦しんでいる人間はそれが未来永劫続くように感じる。

いえいえ心配ありません。

現代の日本ではどんなに貧しくても飢死することはまずありません。

水が貴重品の砂漠に比べて蛇口をひねれば綺麗な水がでてくる日本は世界一幸せな国です。

仏様に手を合わせて現状に感謝する人間は仏様がなんとかしてくれます。

そういうわけでいつも美味しいご飯を用意してくださる食堂のかたがたに感謝、感謝(笑)。
(弁当箱左うえは山芋の梅肉あえ、実に美味。種がすこし入っていてゴリっといきました。わーい(嬉しい顔)
3月14日
今日は暖かいと思っていたけど、飯室堂はやはり冷えます。あせあせ(飛び散る汗)
2月は沖縄に行ってサボっていたので今年初めて。。あせあせ
きょうはけっこう空いていました。

帰りの食堂もガラガラ、おにぎりをもうひとつもらえばよかった。うまい!

けっこう初めての人も多かったですね。わーい(嬉しい顔)

いつも阿闍梨さんのところに行くとお茶をだしてくれるけど、出がらしで温かった。バッド(下向き矢印)

写真は阿闍梨さんの居宅、ここで寝起きしています。

それから千日回峰で使ったわらじ。写真はこの程度まで、許可なく撮影は禁止です。あせあせ

法話の内容は「縁起」について、阿闍梨さんは「偶然」と言う言葉を用いてわかりやすく説明してくれました。(笑)
その2

ちゃんと御本にサインしてもらいました。(笑)
>> ヘボ薬剤師さん

ごめんなさい。m(__)m

「わかりやすく」 と言うのは大ウソです。何が言いたいのかあまりわかりませんでした。(笑)

いつもそうなんですけど正直そんなに話の上手な人ではありませんからね。あせあせ

というより(最近の阿闍梨さん関連本2冊のような)優秀な聞き手であれば、阿闍梨さんのお話をもっと広げてここに書くことができるのですが、私にはとてもそんな能力はありません。ふらふら

縁起というのは仏教の根本の考え方でこの世界のあらゆるいのちやものは、すべてつながり関係し合っていて、それ単独で存在するものは何一つないということです。そしてこの事実に気づく時、人は自分以外の存在に思いやりの心を抱くことができるということです。

仏さまの教えも、天台宗、真言宗、浄土宗、浄土真宗、日蓮宗・・・と分かれてはいますがそれはよく山のぼりの登山道にたとえられるように道は様々あるけど頂上はひとつということです。

だから宗派が違う、考え方が違う、信条が違うからと言っていがみあうのは無駄なこと、ここ(飯室堂)には創価学会の人もクリスチャンも来る。

自分の座った座布団の右が禅宗で左がイスラム教なんてのはおもしろい「偶然」じゃないか。この「縁起」を大切にして皆お互いに思いやりのこころを持ちましょうということじゃないかと思いますよ。
(阿闍梨さんは多分こういうことが言いたかったのではないかと言う自分勝手な解釈です。あせあせあせあせ(飛び散る汗)
4月11日

修行のさまたげとなるものに「執着」と言う心の働きがあります。

「執着」とは事物に固執し、囚われる事です。

そして自分自身に対する執着を「我執」と呼びますが仏さまの教えではその克服こそが重要課題とされます。

われわれ普段の生活においても、この我執=自分への固執がムクムクと頭をもたげてはいろいろワルサをします。

仕事を始めたところどうも性にあわない。自分には向いていないんじゃないか。もっと他に自分にあった仕事があるのではないのか。あるいは、あの人はこういう意見だけど自分はこう思う。だからあの人のいうことは聞けない。

「自分」というものが前に出すぎて結局はうまくいかなくなる。。

この「自分」をいかに捨てるか。「無我」とか「無心」とか言われるものです。

千日回峯行はいったん始めて途中で挫折したら「死」という不文律がある。

物事はいったん始めたらとにかく最後までやり遂げなければならない。

ああ眠たい。やる気が起こらない。また明日にしよう・・・、これらはすべて自分にこだわっている証拠、とにかく無心になって今やっていることに集中しなければならない。

そして最後までやり遂げることができたものに栄冠は光ぴかぴか(新しい)輝く。

今日は自分自身にとって非常に耳の痛いお話でした。(笑)

私もがんばりまっせ!!(明日から・・、いや!今日から!!あせあせ

写真はいつも阿闍梨さんが打たれている滝。真冬であろうがなんであろうがとにかく一年中毎日打たれています。

ああ、こんな修行をされる行者さんに比べてまだまだ自分は甘いな。バッド(下向き矢印)

注意:いつもながら上記記事は阿闍梨さんのお話の自分勝手な解釈です。「修行」であるとか「執着」であるとか「我執」であるとか言った言葉は一切阿闍梨さんは使われておりません。すべて自分のうろ覚えの聞きかじりの知識です。あせあせ
5月9日

今日のお話は天台宗の尼僧、大石順教尼について。

興味があるかたはhttp://www.yy007.com/ohishi/まで。

いつもながらなんのお話か、さっぱりわかりませんでしたがあせあせ(飛び散る汗)
「天台宗」「大石何某」「両腕」などのキーワードで検索して上記のアドレスまでたどり着くことができました。あせあせ

毎年この時期はそうなのだけど、GW明けは人の入りも少ないです。ふらふら

阪神が調子が良いせいか阿闍梨さんもニコニコしてました。わーい(嬉しい顔)

あと告知として通常の行事の他に6月6日(日)に新しいお堂の法要があるので時間がある方は来てほしいとのこと。天台座主もお見えになるそうです。
http://www.sakai-yusai.com/tayori/tayori.html飯室堂まで直接お問い合わせください。

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