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織豊から徳川への歴史コミュの第二十八章 決戦 関が原

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6)ショート小説2・・・「混沌、そして明暗」

       

                                                                                        

戦闘は、混戦を極めていた。

中でも奮戦していたのは、かの島左近率いる石田隊6000だった。

黒田長政の軍を、大砲数門で押し返していた。

    

   

○それは高くついた

       

「かかれ、かかれー!」

島左近の姿を遠めに見た者は、ほとんどの者が悪鬼に見えたことだろう。

すでに何本もの矢を鎧に受け止め、銃創も刀傷も受けていた。

左近がその剛槍を振り回せば、確実に数名の兵が即死した。

更に左右に振り回せば、確実に敵陣への突破口が開けた。

彼はまさに・・・いくさ人だった。

死を恐れず、戦場で生まれ、戦場で死に行く者。

だからこそ、今まで生き長らえてきたのだった。

「死中に活」・・・これである。

     

「むうう・・・流石は・・・鬼左近!」

唸ったのは、東軍の謀将黒田長政である。

手がつけられなかったのだ。

何せ、石田隊のほとんどが、島左近隊と言っても過言でない部隊。

鉄砲で狙えば、何人かが盾になり、その屍を越えて左近が突進してくる。

そして大槍でばったばったとなぎ払う。

こんな化け物を相手にしては、たいがいの兵は怯んでしまう。

福島正則はと言えば・・・宇喜多秀家を押し込めるのに必死で、とてもこちらまで援軍を回す余裕などない。

「されば・・・!」

長政はやや引きながら素早く別働隊をつくり、密かに笹尾山につづく丘に登らせた。

無論鉄砲隊である。

じりじりと長政の本隊は、石田隊を誘いこんできた。

頃合を見計らって、一旦退却の命を出す。

「かかれえ!」

島左近の怒号が耳につく。

長政はちらっと丘を見た。

「よし・・・撃て!」

ガガガーン!・・・・ガガガーン!・・・・ガガガーン!

側方からの奇襲である。

一斉射撃の前に、まるで無防備の石田隊だった。

「う・・・ごああああああ!」

全身に銃弾を食らった左近は、馬上から転げ落ち、近習に支えられて退却しようとした。

しかし・・・後方からの銃射を受け、さしもの猛将島左近もばったり倒れこみ、そのまま息絶えた。

そして騎馬の群れに全身を踏まれ、首級をあげようとした黒田の兵も、もはや判別不可能・・・。

猛将島左近の壮烈な戦死だった。       

         

「ご注進!島左近殿・・・討ち死に!」

伝令の報に、石田三成は声を失った。

「石田殿・・・今の言葉・・・たいそう高くつくと思われよ。」

黒田長政の声が、三成の脳裏に蘇った。

「高く・・・ついたの・・・。」

三成はがっくり首を垂れた。

     

  
     

      

○金吾と刑部

    

    

戦闘は膠着状態になっていた。

石田隊の猛将島左近を討ち取ったものの、いまだ大砲は健在であり、一進一隊を繰り返していた。

しかし・・・南宮山の毛利秀元、松尾山の小早川秀秋と麓の大谷吉継、赤座直保、小川佑忠、朽木元綱、脇坂安治らは戦闘に参加していなかった。

彼らは、合図の狼煙が上がれば、総攻撃を東軍にかける予定になっていたという。

さらに、池田輝政、浅野幸長、山内一豊ら東軍も、毛利を押さえるために動けないでいた。

この時点で、事実上石田隊・小西隊・宇喜多隊と、福島隊・黒田隊・井伊隊だけの戦闘となっていた。

        

    

ここに、一人の若者がいた。

小早川秀秋・・・中納言という要職にあるまだ20歳に手が届かないこの若者は、秀吉の正室ねねの甥・・・。

北政所の一つ年下の弟の五男であった。

当初秀次同様、秀吉の養子となっていた。

しかし秀頼の生誕により、これも秀次と同じく邪魔者となって、毛利輝元の養子に出される予定だった。

しかし毛利宗家に他の血が入ることを良しとしなかった小早川隆景の配慮により、秀秋は小早川家を継ぐことになった。

毛利家は鎌倉以来の名家であり、どこの馬の骨ともわからぬ秀吉の甥の血なぞもってのほかだったのだろう。

秀吉は秀秋を従四位下右衛門督にした。

このとき秀秋12歳である。

この官を唐名で金吾将軍と呼び、豊臣政権下の武将は秀秋を「金吾殿」と呼んだ。

運命に翻弄された彼は・・・今だに確固たる自分というものを身につけてはいなかった。

しかしその秀秋も・・・自分のそんな優柔不断さが、いかに後世語られるものとなるかなど、思いもよらなかった。

         

「殿!」

家老の声に、秀秋ははっとして目をあけた。

気持ちのいい木陰で休んでいるうち、うたたねしてしまったらしい。

現実逃避である。

三成につくべきか、家康につくべきかで、彼の心は揺れ動いていた。

すでに徳川に内応する手筈にはなっていた。

しかし・・・彼の心中には、迷う因となるものがあった。

「金吾殿・・・関白になりたくはございませぬか?」

そう言ってきたのは、石田三成であった。

逆臣家康討伐に力を貸せば、その身分にしてやる・・・そういう誘いだった。

逆に家康は、上方において2ヶ国の安堵を約束してきた。

秀秋の気持ち的には、家康派だった。

かつて朝鮮出兵の際、石田三成は「金吾殿は大将の器にあらず」と秀吉に進言。

そのため秀秋は、筑前名島53万石から越前北の庄12万石に格下げになったといういきさつがあった。

秀吉の死後家康の配慮により再び名島に返り咲くことができたが、三成にたいしての恨みが残った。

しかし・・・関白だぞ!

自分にとっても憧れだった秀吉・・・。

その威光は、今でも秀秋の中で光り輝いていた。

その関白に・・・なれるものなら・・・?

しかも、今は西軍が押し気味ではないか!

     

家老の後ろには、家康の合戦前日目付け役として陣に来ていた奥平貞治、黒田家の家臣大久保猪之助がいた。

「秀秋殿・・・もうとっくに動かねばならぬところですぞ!如何なる所存か!」

奥平貞治が吼え、そして詰め寄った。

それを大久保猪之助が押さえる。

「まあまあ・・・。しかし金吾殿。このままでは、我殿に、金吾殿三成につく由・・・と注進せねばなりませぬ。さすれば。」

猪之助は桃配山を指差した。

「まだ徳川には手付かずの30000がおります。確か・・・?」

猪之助は奥平貞治をちら・・・と見た。

「・・・おう、そうそう。秀忠殿30000も、そろそろ御到着されるとのこと。しかも、南宮山の毛利殿は、吉川殿が押さえてくださるそうですぞ。」

秀秋は指折って何かを数えていた。

「ひいふうみい・・・ろ、60000の軍が?徳川に?」

秀秋の軍は15000である。

しかも、最強と言われた三河軍団が健在・・・。

あの家康が本気になれば、ひとたまりもない!

しかし、ほんとうに毛利は動かないのか?

     

迷っているところへ、伝令が飛んできた。

「ご注進!内府家康公、本陣を桃配山より、前線へ移動された由!」

「何ぃ?!」

驚いたのは、奥平貞治の方だった。

大殿・・・何をされる?

見れば確かに、家康の旗印は山から、主戦場へと移動しつつある。

「中納言殿!」

大久保猪之助が、きっと秀秋を睨んだ。

「内府がなぜ本陣を移されたか・・・後方の毛利を全く気にせずにじゃ!この意味がおわかりか!」

戦闘の膠着に業を煮やした家康の、家康ならではの采配だった。

押され気味の東軍に括を入れるため・・・それと今だ動かぬ小早川秀秋に対する威嚇でもあった。

             

家康は毛利が動かないと確信していた。

西軍の総大将毛利輝元は無才な男であり、同時に毛利家も・・・毛利・小早川・吉川の三家がかつての結束がないことを知っていたからだ。

更に外交僧安国寺恵瓊の強引なやり方によって、不本意ながら西軍についた吉川広家の心中もわかっていたからだった。

何としても毛利を潰さぬようにしなければ・・・この吉川広家の気持ちによって、毛利家も吉川家も徳川政権下で生き残れたのだ。

しかしもう一つの小早川家は・・・?

         

秀秋は震えていた。

東海一の弓取りと言われた徳川家康の不気味さを、今芯から味わっていたのだった。

何故・・・大将が前線に出てくる?

「おお!見なされ!我が方が盛り返したぞ!」

奥平貞治が戦場を指差した。

家康の姿を見た東軍の意気は、確かに上がっていた。

大砲を押し込め、白兵戦が展開されていた。

「殿・・・ご決断を!」

家老が秀秋に詰め寄った。

しかし・・・この期に及んでさえ、この若者は決心せずにはおれないでいた。

無理もない話かもしれぬ。

幼い頃から、秀吉の意のままに動かされてきたのだ。

自分で決めることなぞ、ほとんどなかったのだ。

いつも強い誰かに背中を押されなければ、動けない性分になってしまっていた。

・・・誰か・・・誰か助けてくれえ!

そのときだった。

ガガガガーン!

ものすごい銃声が聞こえた。

足元に何発か弾がやってきた。

秀秋ははっと我に返り、銃声の元を見た。

こちらを向いていた鉄砲隊は・・・徳川家康本隊!

「こ・・・これは!」

大久保猪之助が何かを叫ぼうとしたそのとき・・・若者の口が開いた。

「せ・・・攻めよ!攻めよ!大谷刑部を攻めよ!我らは内府の見方じゃー!」

さんざん家康の威嚇に恐れをなしてきた秀秋は、この銃声によって背中を押されたのだった。

          

「内府殿・・・動いたか!」

松尾山の麓に陣を張る大谷吉継は、みこしに乗っていた。

秀吉から絶賛されたいくさ上手・・・孫子兵法をきちんとこなす戦いぶりは、彼を手本とする者が多くいた事実から伺える。

しかし彼は、業病・・・ハンセン氏病にかかっており、歩行もままならぬ身だった。

ようやく見える目を必死で開き、家康の本陣移動を見ていた。

「流石は内府じゃ・・・いくさの呼吸を心得ておる。」

彼は・・・親友三成に口説かれるまでは、心情的には家康派だった。

それはこのいくさ上手ぶり・・・この点で共感できた部分もあったかもしれない。

しかし何よりも・・・次なる天下人は徳川家康しかないと、実感していたからだ。

いくさに膠着状態は良くない。

兵も人の子・・・命は惜しい。

故に、いい加減にしか戦わなくなるし、場合によっては裏切りも出てくる。

ここで総大将が出てくれば、兵の息も上がり、逆に敵は怯む。

「しかし、問題は金吾じゃ。あやつ・・・何故動かぬ?」

石田三成から総攻撃合図の狼煙が上がっていることは、すでに知っていた。

「金吾殿はいくさに慣れておらぬ。合図があって、小早川勢が山を降りたときは、そなたが指揮をされよ。」

そう、三成からは言われていた。

しかし彼は察していた。

金吾め・・・あのクソガキめ!

おそらくは、今ごろどちらにつくか、迷っておることだろうて。

そのため吉継は小早川秀秋を監視するため、松尾山の麓の山中村に陣を張っていた。

その軍勢1500人。

来るとすれば・・・自分に来る・・・そうしたらひとたまりもない。

どうせじき死ぬ身よ!

病のため、やたら喉が乾く。

近習に持ってこさせた水を含んだそのとき・・・。

     

「わあああああああああああああああ!」

すさまじい掛け声が聞こえてきた。

「金吾か?」

大谷吉継は身を起こした。

「大変でございます!」

伝令が飛んできた。

「如何いたした?」

「小早川秀秋・・・裏切りにございます!我が軍へ向かって、山を降りて来まする!」

「・・・来たか!」

大谷吉継の中で、何かがスパークした。

金吾め・・・やってくれよった!

ここが我が死に場所・・・どうせ長くない命よ!

「押し返せ!大谷隊の底力、見せてくれようぞ!」

        

後世語り草になるほど猛烈ないくさぶりだった。

大谷吉継のみこしは何人もの男たちに担がれ、誰かが倒れては・・・また誰かが替わった。

大谷勢が10倍もの小早川勢を・・・松尾山の中腹まで三度も押し返すたのだ。

これには小早川秀秋も、真っ青になった。

まさに鬼神・・・。

しかし、小早川の裏切りは決定的だった。

それまで日和見を決め込んでいた連中が、次々と呼応し始めた。

脇坂、赤座、小川、朽木・・・彼らが非力な大谷勢を急襲。

「ぬうう・・・きゃつらあ!」

もはや壊滅は時間の問題だった。

ハイエナが獲物に襲い掛かるがごとく、猛襲されたのだ。

「五助・・・五助はおるか!」

「はっ!」

吉継は、側近の湯浅五助を呼んだ。

「もはやこれまでじゃ・・・どこぞに場所はないか!」

覚悟を決めた。

「殿・・・?」

「介錯を・・・頼みたい。」

五助も手傷を負っていた。

「・・・はっ!」

「わしの・・・病み崩れた顔を敵に晒すのは、忍びない・・・。我が首を地中に埋めよ。」

五助は近習のもの数名を連れて、山中に逃れた。

本隊は、身を呈して主を見送った。

主戦場の修羅場を離れた、木陰のある涼しい場所でみこしは下ろされた。

「憎っくきは金吾よ・・・3年の間に、祟ってみせようぞ!」

そう言って、吉継は頭巾を取った。

業病で爛れた顔を部下に晒す・・・今生の別れだからこそ、素の顔で・・・と思った。

吉継の思いに、近習のものは泣き崩れた。

「皆の者・・・礼を言う。わしの無念を、金吾めに伝えてくれい!」

脇差を抜く。

五助が静かに後方に回り、抜刀して鞘をそっと脇に置いた。

戦場の声が、やたら遠くに聞こえる。

楽しかった頃が、脳裏をよぎる。

妻と子の顔が・・・浮かんで消えた。

生きのびてくれよ・・・。

透明で、静かな気持ちになった。

覚悟が・・・できた。

「三成、地獄で会おうぞ!」

言うや、腹を掻っ捌く・・・。

「ごめーーーーーーーん!」

湯浅五助の太刀が閃き、吉継の首がおちた。

        
      

           

○そして・・・

       

「殿!・・・やりましたぞ!」

本多忠勝が家康の本陣にまでやってきた。

すでに小西隊、宇喜多隊は敗走し、小西行長・宇喜多秀家・安国寺恵瓊はいずこへと逃れていた。

毛利秀元は吉川広家に守られて退却し、島津隊は覚悟の敵中突破を敢行していた。

結局のところ、西軍でまともに戦ったのは、30000強に過ぎなかった。

「三成めは?」

「身を隠しておる由。」

「そうか・・・。」

家康は立ちあがった。

その姿を見た兵が、ときの声をあげた。

「エイ・エイ・オーーーー!・・・エイ・エイ・オーーーー!・・・エイ・エイ・オーーーー!」

次第に広がってゆき、関ヶ原全体にまで伝わった。

家康は軽く手を上げてこれに応え、きびすを返して忠勝に向いあった。

「さて・・・わしらにはまだまだ、やることがある。」

「御意!」

「当面の敵は・・・後ろのやつらじゃの・・・。」

家康も忠勝も・・・そして他の譜代家臣も知っていた。

豊臣恩顧の者どもは、信用できぬ!

自分たちがここまで来れたのは、絶対的に信用できる家康と家臣の信頼関係があったからだ。

徹底的にやらねば・・・。

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