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とにかく、人生には意味がある!コミュの僕の今日という日

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大変長文ですみません。
たくさんの人に知って欲しいありのままの僕の今日という日です。

3月8日
6年前、今日という日が忘れられない日となった。
6年前の3月8日、オレは、次の日から日光へスノボーをしに行くために買出しに行こうとウキウキで家を出ようとした。そのとき、玄関でドアノブに手をかけた瞬時に家の電話が鳴った。靴を脱ぎ捨てて、急いで電話の受話器を上げる。
元気のない友達の声にすぐ何かを感じた。

先輩が交通事故で亡くなったらしい。

そんなわけでオレは、電話の向こうの彼女をなだめた後、狭い家をうろうろした後、友達に電話をかける。引き継いで電話をまわそうとするものの、情報が限られてて、いまいちはっきりしない。話しながら胸が苦しくなった。

そんなわけで、大切な友達の誕生日と大切な先輩の命日という幸・不幸の両方を兼ね備えた日となった。

先日、七回忌ということで久々に人が集まった。あっちこっち電話をかけるものの、出席率は、葬式の半分もいない。参加を強制なんてできない。その人の想いと予定の問題だ。それでも多くの人が集まったと思う。
なんだか、時の流れと共に薄れていく記憶、先輩の声や笑い方、少ない思い出が薄れていく寂しさを感じて、切なさが募る。
人を呼んで、お経をあげてもらって、線香をあげて、花束を添える。そして、親戚友人がそろって、会食をする。最近、近所の葬式に集まる人を見ると「あら、○○さん!」なんつって、おばぁちゃんたちがあちこっちから集まってきて世間話をしているのを見かけた。
一方で若者たちばかりの法事であることを再認識する。それでも先輩のお姉さんの子供は、見る見るうちに大きくなり、男三兄弟!前回、先輩の家にお邪魔したとき、口をきいてくれなかった長男。ずっと、オレのことを見つめてた。本当は、一緒に遊びたいんだってオレは知っていた。一番強そうな二番目。首の据わっていないような一番下の子。先輩はおじさんになった事実も知らないで、いつまでも若々しい成人式の顔のまま。先輩がみることのできなかった子が三人。新しい命が先輩の家に生まれ、オレは、なんだかその子の存在が嬉しくて、嬉しくて、会食の間、ひたすらその子供たちとじゃれあった。当然、口も聞いてくれるようになり、大盛り上がり、軽く「たのしい幼稚園」通となり、子供の笑い声が響く。法事に子供とじゃれてるオレ・・・どうなん?
周りには、「仕事は、そっちの道へ進んだら?」なんていわれてる始末。正直、オレは、そっちもいける!っていうか間接的にいきます!!
なんか、先輩の話がでても盛り上がらない。当然だけど、話が広がらない。
「もし、彼が生きていたら・・・」
なんて話がぽろって出てくる程度だ。笑顔は見られない。
やっぱり、まだ時間が足りないんだろうか?
オレは、皆に声をかけ、ちょっとづつの集金をして、脳と心に直接響いてくるお経を聞き、墓に手を合わせ、親戚の方とカニ料理をがっつり食べ、なんだか想いが募るものの、それを吐き出せずに今、ここにいる。

そのあと、写真を撮り、なんだかスーツ姿の皆が違和感なく揃うのを見ると6年という年月を感じざる終えない。オレは、まだ3月になるとセンチメンタルになることは変わりない。ただ涙の量が減ったくらいだ。


人は死んで、残された人に何を残すのか?


悲しみと後悔。オレは、先輩に「後悔」ということを教えてもらった。それは、何にも変えがたいものとなり、今まさにオレの信念となっている。「大切なものは何か?」当たり前の大切なモノを沢山感じれるようになった。そして、今日、人は死んでもお金がかかるということを学んだ。

お経の間、きっと、あんまり意味も解っていない子供の後姿を見た。会食で一緒に遊んで、帰りの車から最後までずっと手を振り続ける子にオレが伝えてあげられることがあるような気がした。オレだけにしか伝えられないことがあるかもしれない。

睡眠不足で、昼酒を飲んだオレは、もうグデグデで先週の疲れが一気に出たようだ。その後、ジョなったものの盛り上がりに欠ける数名。色々感じたことを何一つ吐き出せなかった。


そんな想いが溜まったか、少々胸がいっぱいになってきたようなオレ。ちょっと、辛いここ最近。先輩のことだけじゃない。
就職活動は、相変わらず、できるだけ企業を周っている。得るものも沢山ある。けれど、思うようには行かないのが現実だ。学歴社会の壁を破るのは容易ではない。当然、不合格の通知を受け取ったりってことだ。一方で一次通過・二次通過の電話も幾度と鳴り、手帳の予定はぎっしり埋まり、とても無職、学生でもない人とは思えない忙しさだ。将来への不安も募る。

昔の写真やビデオを見ながら、いろんなことを思い出す。周りは、彼氏彼女を少々幸せそうだ。会えないヤツへの想いも募る。誰よりも解って欲しいんだけど、愚痴を言いたくはない。それでも話を聞いて欲しくて、電話をかける。言ってはいけない事まで言ってしまう。相手を惑わすような発言をしてしまう。そんな弱さをさらけ出し、情けない気持ちでいっぱいだ。

昨日、7日は、免許失効&タイミングよく、免許更新時期と言重なり、初回講習なるものを受ける。違反だ。飲酒運転だ。事故だ。死だ。刑務所だ。残された者がどうだ。散々脅しをかける内容に、散々オレの頭の妄想に拍車をかける。今まで忘れてた妄想が復活する。ずっと見続けた事故の夢。先輩のこと。なんだかビデオを見てて、若干胸が苦しくなった。なんだかそわそわしてみたり、だるそうにして、話を聞いていないかのように装ったりしてみる。そういえば、オレが初めて車に乗ったとき、冷や汗が止まらなくなり、オレらしからぬ、極限緊張状態になったのを思い出す。実は、車の免許取得に9ヶ月という期限ギリギリかけて取得した。先輩が亡くなったと聞いた首都高速では、手汗が止まらなかった。自分でも無意識にトラウマ!?になってるようだ。(今はなんてことないけどね。慣れって怖いです。)ビデオを見てて、涙は、でそうにない。これも慣れなんだろうか?
とにかく、なんでまたこの日にこんな・・・

そのまま、SPI2なる雇用試験を受けにいく。品川オフィスビル街にあるテストセンターは、ノートパソコンが置いてあり、厳戒態勢でテストが行われる。初めてのテスト方式に多少、戸惑いながらテストを受ける。手ごたえがつかめない。これでまたひとつ・・・なんて、思いながら夜のオフィスビルを抜けて、家路に。途中、友の誘いも、迷ったが、断るオレ。なんだか、オレらしからぬ決断だ。一人上野をぶらつき、家に戻ると、母が一人台所で待っていた。夕飯までとパソコンを開けると裏情報より予想したとおり、不合格の通知がメールで届く。一番興味があった企業からだ。学歴重視の選考だったのだろう。現実はあまくない。それでも他の企業からは二次選考の連絡がまた来る。「もう少し嬉しそうに電話にでなさいよぉ」なんて母に言われながら・・・別に嬉しくないわけじゃないけどね。はしゃぐほどでもない。

最近、精神的に病んで体調を崩してる大切な友達が何人もいる。そんな大切な人に対して、無力を感じたり、力になれたかと期待してみたりする。意識して、努力していることを否定され、なんだか落ち込んだりもする。。

何やかんやで想う事は多々ある。
人に言えないこともある。
言いたくないんじゃなくて、言わないだけだ。
言いたい相手は、傍にいない。
それは、正直、寂しくて、誰かに言わないと積もっていく。
それがオレにとってプラスにならないから、こんな場で徒然なる日記を書き施す。きっと、今、これを読んでくれるひとがいるからだ。いつか、自分で読み返すためにかもしれない。忘れたくない想いがたくさん詰まってる今をなんとか残したいってゆー気持ちと、貴方に知って欲しいって気持ち。

将来への不安はある。
でも心配はない。大丈夫な自信がなぜかある。
大器晩成と言い聞かせて、自分がいつか大物になれると信じてみる。小心者のびびり君だけど、諦めることはしないと思う。
凹んでもすぐ前向きになれる。
孤独を感じても、一人じゃないのは確認済みだ。
明日もまた面接だ。大切なヤツの門出のために熱いMEETINGも予定してる。

弱々しいオレが強くなった分だけ、人にもっと優しくしてあげられるような気がする。他人を思いやれるようなくらい強くならなきゃ!そう思う


今日で23歳のERINAさん!
めっちゃ、誕生日おめでとう!!
なんだか、若干暗い人がいたりもする3月8日ですが、オレは貴方の生まれてきた子の日をめっちゃ、嬉しく思います!!
HAPPY BIRTHDAY TO YOU!!



一年前の今日の日記を読み返す。

〜エリナへ〜
誕生日おめでとう!

なんだかエリナだけは定期的に連絡を取ってくれてるねぇ。最近は、なかなか試験に向けていっぱいいっぱい勉強に励んでいるようだけど、最後まで手紙とか書いてくれるのはエリナだけだし。感謝感謝だよ。もっと皆のたわいもない話とかを聞きたい俺。

〜Nさんへ〜
先輩が亡くなって、5年目。
俺は今でもこの時期になるとなんだか手付かず状態になってしまうみたい。勉強もUNIは入りたて、やらなきゃいけないのはわかっていても、どっか抜けてます。一人勝手に寂しいモード突入。1週間前後はもうそんな感じ。
寂しくなるじゃんねぇ?

俺、悔しいよ!!忘れたくないのに段々記憶が薄れていく。先輩の声とか笑顔とか、何を話したとか・・・。忘れたくないのに忘れていく。
俺はもう先輩の年を追い越して、それでもいつまで経っても俺の理想。死んでいった先輩は、だんだん俺の中で、大きくなっていく。

5年前。スノボーに行く前日。俺は旅行に行く、買出しに玄関を出ようとした時、家電が鳴った。面倒くさいなか受話器を取ると、電話の向こうでCが元気ない声で
「先輩が交通事故にあった。」って。
「で?」
「亡くなったみたい。」
「(え?)」「マジでか?」
「うん・・・」
「そっかぁ。」
「お前は大丈夫か?」
「うん、よくわかんない」
「しっかりしろよ。」
「うん」


「でどんな感じだったの?」
「知らない。他の事は何にも知らない。」「どうしよう?」
「他には誰かに連絡したか?」「俺が誰かに連絡しようか?」
「うん」
「お通夜とか葬式とかはどうなるんだ?」



「じゃぁ、またあとでな。」「しっかりしろよ」
「うん。じゃあね。」

そんな感じの会話だった。
で俺はひとり狭い短い廊下を意味もなく、とにかくいったり、来たり。おもいっきり漫画のようにテンパッてた。独り言も言った気がする。で☆に電話をした。そしたら涙が止まらなく出てきた。とりあえず、分担でスノボー旅行の面子に分担で電話かけたんじゃなかったかな。いきなりだけど行けなくなったって。
でまた行ったり来たり、家中歩きまくって、なんだかてんぱったまま吉野家の牛丼を妹と二人で食べながら、俺は半泣きになりながら妹にあれやこれや語りだした気がする。

そしてお通夜に、葬式。いったん学校に集まって先輩の自宅へ行ったのはどっちだったかな?お通夜かな。夕方だった。元陸上部の一人は真っ赤な口紅をつけて、めーいっぱい化粧を施していた。俺はそれが無性にいらだって、今にもぶっとばしたい気持ちでいっっぱいだった。で人伝いに化粧を落とすように頼んだのを覚えてる。それでも結構残ってた気がする。
先輩の家に着くと若い人たちがたくさんスーツに学生服を着て集まってきた。すごい数だった。人気者だったのを物語っていて、俺はその中での一人でしかないことをさらに思い知らせられたきが余計に寂しくも、皆に愛された先輩がうらやましくもあった。
お焼香は、もうどうやったらいいかもよくわからないし、なんだかしっかり挨拶できたのかどうかも覚えてない。覚えてるのは写真の中の先輩が成人式用っぽいスーツ姿でぎこちなく写っていた。今ではその姿が一番はっきり覚えてる気がする。
お通夜の帰り道は暗かった。みんな個々歩く差ができつつ帰って行く道。俺の後ろではなんだか祭りの帰りと変わらないような会話が聞こえてくるのにやたらと腹を立てた。
またあいつか!(怒)

葬式は昼間だった。なんだかまだ2回目なのに先輩の名前がFULL NAMEの看板で出ていたのに現実を見た。
「俺と同じ名前の漢字だ!」
先輩と話したのを思い出した。

最後にあったのは一個上の学年の高校卒業式。俺は先輩にくっついて回り、どっかしらから見つけてきた、バイブレーター機能つきのドラえもんで一緒にはしゃいだ。赤い尻尾を引っ張ると震えるヤツだ。校庭に置いてしっぽをひっぱると歩いてるみたいだった。卒業生が出てくるのをアーチを作って待つ。OBの先輩が来てる部活はほとんどなかった。俺は先輩達が来てるのが誇らしく、卒業生がうらやましかった。
「先輩、来年俺の卒業式にも来て下さいよ!」
「あたりまえだろ。」
そんなちっちゃな約束がすごく嬉しくて、卒業が楽しみになった。
一週間後俺はCの電話を受け、今はお父さんの言葉に堪えてた涙が全部溢れ出し、もう前が見れないほどぐしゃぐしゃで、霊柩車を見送ると、ひざから崩れそうになるのを必死で堪えた。あとあと周りの人が泣いてるのを思い出した。俺はこういう場で泣かない。堪えられると思っていたけど、車が行ったときは本当に先輩が遠くへ行ってしまうように思えた。

俺は一人どんどん思いつめ、少ない記憶の中から必死に習おうとしてる。今はそのおかげで絶対にもう後悔はしない。
先輩に好きだってことすら言えなかった自分を俺はこれからも一生後悔しなきゃいけないから。

俺はもう後悔だけはしない。


拝読ありがとうございました。
たくさんの人に知って欲しいありのままの僕の今日という日です。一年で一番訴えたい一日です。なんか感じたものがあったら嬉しいです。良かったらコメントしてください。

「生きる!」似たようなコミュニティーになってしまうかもしれませんが、よかった参加してください。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=498569

コメント(6)

7年と少し前ですが,私もサークルの同期を亡くしました。

本当に突然の出来事で,全く信じられませんでした。
同期を代表してはるばる彼のいる病院まで行きました。
「霊安室」という文字を見た瞬間,「現実なんだ」ということを突き付けられました。

葬儀は北海道で行われましたが,同期全員が参列しました。
もちろん自由意志です。
葬儀の翌日,友人(てつ氏)が,
「今日の空は青すぎる」
といった言葉が胸に残っています。
卒業旅行も苫小牧のお墓にお参りしました。
そして大学を卒業した今でも,彼の命日付近で同期会を開催します。

最近では彼の話題もあまり語られなくなったけど,遠方からでもその日は全員出席する,という行動にみんなの想いがこめられていると思っています。

彼は私たちといつまでも「つながり」を持つだけではなく、私たち同士の「つながり」までかけがえのないものにしてくれました。

自分の話になってしまいましたが,文章読ませていただいてまた思い出したもので。
>危ない茉莉香
読んでくれてありがとう。
なんだか、誰かに話すために書いたわけじゃないのに、誰にもいえなくて、誰かに聞いてもらえたらいいなぁって思っちゃいました。今までずっと、抱えてきた想いを顔を知らない人に聞いてもらうことにちょっと違和感を感じながらもこの新しいツールにちょっと感謝です。

はい!僕、素直です!
それが取り柄です。ポリシーは後悔しないこと!今日も就職活動の中、面接でポリシーは?って聞かれて、自然と即答してました。

先輩の笑った顔がだんだん薄れてきます。
それが辛いです。

記憶は消えていくから生きていける

危ない茉莉香の言葉は素直にそうだなぁって思います。
先輩が笑ってくれてたらいいなぁって思います。
ありがとう。


>wata
僕は辛い経験を受け入れられる人こそ強いんだなぁって思ってます。まだ後悔をひきずってます。当たり前のことを理解し切れてないのが事実です。大切なことって、めちゃめちゃシンプルだけど、すごく難しいと思いませんか?
とにかく、少ない記憶の中から一生懸命ひっぱりだして、大事なものを自分のものにしなきゃなぁって思います。そんでいっぱいキッカケつくって、思い出しましょ!
大切なこと思い出してくれて、ありがとう。
共感してくれて、ありがとう。

>すうざん
初めて、バカ酒を呑みました・・・
合宿で先輩二人と号泣です。
血ゲロを吐きました。
そのまま、詰まってたもんまで吐き出せました。
今まで話を出すことをためらっていたのはオレだけじゃなかったんです。一緒に泣きました。記憶を一緒に辿りました。
それだできてからなんだかもう他人とは思えないほど、愛しい友達です。
亡くなった先輩は「みんなで楽しもう!」先頭に立って誰よりも楽しもうとしてました。それがしっかり伝わってます。「陸上部は仲がいい。」学校の評判でした。OB・OGの先輩がいつも行事に来ている。後輩たちの自慢です。
「つながり」をかけがえのないものにしてくれました。
「つながり」を残してくれたんですよねぇ。言葉でひょうげんできました。ありがとう。

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