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魂の記憶コミュの遂に公開!!魂の記憶・・・〔冒頭〕

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2007年5月27日

 届かぬ声 心の叫びよ 誰ぞ聞く
     眺むる情感 沈む旭や如何せん
{概略}
 時代の閉塞感がテレビを賑わすなか、僅かな兆しにこころを悩ました三十代までの道のりがこの書を世に示したい動機である。詩集として世に現したいが、なにぶん伝える時代の常識から逸脱している。単語に籠めた思いは、古典の文化を再認させたい。
 単語には音、型がありそのいずれでも、意図がある、と云う認識が前提で先ず存在する。日本文化は漢語を取り込み、独自の感性と漢語の意図とを読み継がれた文化で確認できる事が、つまり連続性のある、文章体系を築いている。文字と認識は不可分な存在で、語蒙の多少は、読書や流行などで「かたち」が流動てきである、が、単語が使われた背景は時代を映し、主題を代弁している。そもそも、言語は共有することで確立されているものだからだ。詩情は恋が中心で編まれているが、一塊の「理」を物理の認識から導かれている。歪曲された、私個人の認識は「論」で、慮って頂きたい。
 時代の閉塞感に話を戻すと、、「窮鼠猫を咬む」と云う、「持たざる者」や「汚名でも遂げたい売名行為」がテレビの復旧で新たな社会問題に影を落としている。マス・メディアが為すべき「正義」は真実を伝えることだけなのだろうか…。便利へ流れる人間の「怠惰」こそ、時代を閉塞に向かわしている。ありあまる人間の「欲」は未だ「礼節」を知らない。政教分離の「利」が「害」に繋がっているからだろう。そもそも、利は害を生む。
 着目すべき利には弊害があると認識しなければならない。また、「学」の礎は東洋では儒教であると断言する。儒教の歴史を紐とくと、形式化される、単一に向かう・・世界標準やマニュアルに縛られる、盲目為る輩の存在はいつの時代でも存在しているが・・政治と社稷を切り離して考える現代は倫理を考慮する事を教えられない。共存共栄の美徳は先人らが示した大義であった。子らに大人の理屈を説く前に、「人間の怠惰」を矯正する社会でなければならない。その理論は「荀子」二万言の中に包括されている。亦、理想をあくまでも追及するべきだと儒家の大家「孟子」が唱えている。法治国家の理念は「韓非子」が示し、いずれも「儒」の門徒である。その大家の分類や認識を問う前に、その時代の混乱は想絶な軋みがあった。正義然り、言語然り、偽徳然りである。
 想像力の欠如が教育で育まれている。
 完成された言語が生む、害が洗練された時の重さを先ず、配慮すべきだろう。刻まれし歴史の過客は先祖を祀る、子らに残す、、時代の偽であった。偽とは人為である。「人、為すべきことを為し、為さざるべき事を為さず。」(荀子)・「言に頼らず、威を示せ」(孔師)
 文筆名「森田剛乿」こと森田剛治の師、孔師は暗に私を導いてくれた。道を示され、行うことは苦痛を伴うからだろう…。競争原理と平等社会とは背理を伴う、「大人の理論」であろう。この場合、大人とは成熟した社会と認識して頂きたい。背理を単なる矛盾として粗を指摘する、「テレビ」は子供の理屈を代弁しているにすぎない。
 読書と云う文化は、「書」離れする社会で加速して逝くのだろうか…。今、示すべき出版社の「義」は読書を誘発するモノでなければ、ならない。文章を編む作業や、詩を描く背景は意外、困難である。論に依れば頑なに、私情を述べれば固に陥る。認識を共有すべき「書」とは、いつも、時代の閉塞感を打破してきた。勤勉に努めよと訴える「学問のすすめ」や、ファンタジックに物理を語る「銀河鉄道の夜」は、日本の先駆と文化の深さを代弁している。ジャンルや名に重きを置く、経済の理屈で、この「魂の記憶」を読むなら、単なる時間の無駄であり、自己の知識の少なさが障害となる。未来を憂う魂がなければ、無名・無学の権威なき「書」を手に取る理由はないはずである。そこで、自費ように書き溜めた「流行を負わない理」を映した「魂の記憶」に、時代のニーズを(本来はしたくない)考えた「歩」を付け足したのが「魂の記憶〜温儒知道」である。
 「鬼と、人と」(堺屋太一)が憑依的に描かれた作風であるように、精霊が廃れし時代に「鬼の理屈」、「一塊の真理」、「魁」、「醜い人間」、「閻魔の怒り」、、の視点で描いた作品である。底の詩はここ一年で描いたモノが多いが、、論は七年前に編んだモノから重複が煩わしくないように、三年前位から纏めた作品である。年男の記念に是が否でも「書」にすることが「歩」を付け足した主な理由である。流行に捉われると「所謂、古さ」が懸念されるが、、「温故知新」や「主流の欠落した真理」を突くことで、斬新であると自負している。「歩」は改憲が主題である。巍巍とした理想を掲げるべき憲法に過去の背景や心情で改憲を是とすることこそ、愚かな選択であろう…。
 自己犠牲の無い「バカ者」を「人間」と解し、「犠牲者」を主に「人」として、、前者を「者」、後者を「家」として、使い分けている。「殆い」等の古い表現方法は「論語」に準拠し、「刻」は「一瞬の時」、亦は「運命を分ける選択」として用いて、時と同じ読みである。亦、型の印象は「殆・怠・胎」は「治」に比べ忌むべき事として、、音で区別できるように、「治=乿」とし、さらに「チ」の危うさを指摘しているのが隠れた主題である。つまり、音意と印象を音や型の成り立ちを見定めている。
漢語文化や、中華思想など古き良き精神「和魂漢才」と云うスローガンが伏線に張っている。思想やモットーを大雑把に「東洋的・西洋的・儒者的」に分けるとすると、世相を認識する上で「咸・捉・操」と分けることができるのではないだろうか…。
 読み上げた「智」を同じくする事は不可能であるし、感化された知識が多いことも否めない。底に「詩」を加えることで、「俺の咸」を伝える事がこの書の個人の意義である。性悪なる本性や、性善なる理性は誰もが持つ、共通項であろう…。「したごころ」を廃しているのは、変が恋の境目であるように、威と咸の似ていて異なる意は漢語でなければ伝えられないだろうか…。モットーなき生きざまは忌むべき風潮で・・全てが自由と云う単語に集約されている。本来の自由を安易に考えている、短絡的な思考は、もはや矯正できないだろう…。底に詩情が湧いてきたのが、本書である。
先ず詩ありき、聖書の暗喩を用いるなら、そんな引用がこの本には欠かせないだろう。

 如何に売るかは私の問題外で、何を伝えたいか、どう伝えるか、どのように伝わるかが私の主な関心である。この書が切っ掛けで、読書の倫が広がらん事を願うばかりである。

 過ぎ去りし 季節を思えば 長き道
     我、憂う 学の道、未だ成就せぬ事を



注意【無断転載厳禁】既に刊行された文献ですので、引用する際は、〔魂の記憶より〕と付け加えてください。特にメッセ等による告知の必要はありません。

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