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孟嘗君コミュの【子どもに影響を与える】孟嘗君について語るその3

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『孟嘗君』、全体の5分の2を読み終えて、なかなかすがすがしい気分になりながら日々の自分と重ね合わせていろいろ思うところ深まるわけですが、

主人公の孟嘗君はまだ7歳!

であります。ほとんど出てこないし。。。
しかしだんだんわかってきたのは、養父である風洪、名前を変えて白圭の人生そのものこそがすでに孟嘗君を形作っているのだということなのですな。

子どもと一緒にいると、自分のいいところも悪いところも顔も、すごく似ていると思うことがよくあります。先日も、相撲のニュースを見ていたところ、まったく同じことを頭のなかで考えていたのですが、あっちゃん(注:5歳)がふと、

「朝青龍、調子が悪いかと思ってたけど、今回は意外と強いね。」

などと評論家じみたことを言っているのを聞くと、自分のちょっとした動作にもあらためて緊張感を抱いてしまうものであります。


白圭は、孟嘗君の養父であり、実の父はまだわずかしか登場していないわけですが、したがって宮城谷流解釈でいえば、主人公の人生に大きな影響を与えたのは、養父であったということなのでしょう。

人生、いろいろな人から影響を受けますが、あなたは誰から影響を受けましたか?

親?先生?先輩?友人?本?テレビ?


さて、風洪は公孫鞅の師である、尸佼を探し回り、諸国を駆け巡るわけですが、そこで出会った郭縦という商人と十年後の自分と富比べをしようと挑まれる。製鉄業を営み繁盛する郭縦が、徒手空拳の風洪にそんなことをいうくらいなので、風洪という人物もすごいが、郭縦もすごいですな。

いつの時代でも商人は、人を見る目、しかも長期的な行く末も含めた人を見る目がないと、大きな仕事はできないんだろうと感じます。ビジネスの世界はきびしい。

郭縦は、商人だからか、学問について否定的。

「そんなものがなにになる。学者が万人の主になれるか。億万の富を築けようか。学問とは、みずからが問い、みずからが答えるものだ。他人に問うから、おのれを失うのさ」

かといって、お金至上主義でもなく、富もまぼろしと郭縦は言う。戦争でやられる、君主がひどい政治をしてもやられる。

「だが、わしはすぐに立ち直る。なぜなら、わしは財を蔵に積まず、人に積んでいるからだ。人が手をさしのべて、わが家を再興してくれるであろうし、わが家ができることで、多くの人は分配される富を手にすることができる。わかるか」

「要するに、人気を集めることに、こころがけねばならぬ。成功するとはそういうことだ」

この場面だけではなく、この本を読んでいると、生きざまというのは顔に現れるし、周りの空気をつくるんだなあということをあらためて思い知ります。顔に気をつけよう。


風洪は、寿洋という老商人にもその後会うのですが、そこでのこと、

「その人をみきわめるには、初対面こそがもっとも重要である、と風洪はおもっている」

いろいろ考えてみると、初対面の会い方がしっくりいかない場合、たしかにその後もしっくりいかないことが多いように思います。キャッチャーミットのど真ん中にストレートを投げてくるような出会いのほうが、うまくいくように思う。


ついに、公孫鞅の師である、尸佼と出会い、秦へ連れていこうとするとき、尸佼の弟子で、ある親子がいたのですが、親のほうが何人かの弟子たちと残り、子供の弟子は秦へ行くということになりました。その親いわく、

「父は子をおしえるものではない」といい、「自分の子をおしえると、厳しくなりすぎるか、優しくなりすぎるか、どちらかになる。いかなる聖人でも、わが子の教育については、ほど、というものを見失うのです。」

なるほどなるほど。いくつかの事例を頭で思い浮かべる。。。。


その後、秦の公孫鞅の改革を、尸佼とその弟子たちが裏面で支えていくことになるわけです。尸佼には、弟子であり、宰相となった公孫鞅に対し、旧知の情といったやわらかさだけでなく、弟子への敬意もそこにはあったとしています。

「師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。」


公孫鞅の政治改革とは、簡単に言うと、法律を整備し、それにともなう官僚制度を組織し、民を治めるというものですが、これが律令制度となってのちの日本など諸国に影響を与えるわけです。いまの私たちが暮らしている世の中の仕組みのおおもとといってもよいかもしれません。

しかし、当時法律を整備し守らせるというのは大変なことで、とりわけ貴族や役人が法を曲げて自分の好き勝手なことをしているということはよくあったわけです。

そうした旧勢力と戦いながら、政治改革を厳しく進めていったのが公孫鞅というわけであります。

風洪は、この改革に対して「仁がたりない」と言いました。宮城谷さんがこの本を書いたのは95年ごろですから、その後の日本政治を振り返ってみると、いろいろ考えさせられるものがあります。


白圭と名前を変えた風洪は、商人にその姿を変えていくことになります。そして、政治的な陰謀から囚われの身になった孫子を助けるため魏へ向かうという方向へと話は変わっていきます。孫子を助けてほしいと、古くから知っていた孫子の妻から頼まれるわけです。

調べていくと、孫子は生きてはいるものの、罪人の刺青をされ、両足を切られ、獄につながれているということがわかります。妻はそれを知り泣き崩れる。白圭はだまって庭を眺め言う。

「人が不幸の底にたたきおとされたと感じたとき、じつはそこから幸福ははじまっていると考えられるか、どうかだ」


孫子をめぐる状況は大商人や貴族が絡む一大事件になっていきます。

「ことがらが個人の欲を超えた大きさになると、どちらが善でどちらが悪だといいきれなくなる。孫子は巨大な欲望の渦にまきこまれた犠牲者にすぎぬ」

こういうことはありますな。


このときに、白圭は斉の君主、田嬰に支援を受けることになりますが、この田嬰こそ、孟嘗君の実の父親なのでありました。田嬰は自家の損益を度外視した集団をもち始め、それが話題になる。食客のことです。文字通り、食べるだけの客。他に何もしない。田嬰に従う義務もない。「その男が田嬰のためになにかをするのであれば、それは男の意志によるもので、そこにはなんら強制はない」



全体の5分の2を読んでも、まだ主人公が世に出ないというのは、かなりスゴイですね。大河ドラマだって、1月中には成人しますからね。

いずれにしても、このまま合間を見て読み進めて日々勉強をしていきたいと思います。

一番勉強になるのは、女はこわいということであります。






(2009年01月18日03:01の管理人のmixi日記です)

コメント(3)

たしかに。
女はこわいウインク
女性のタフさやその時代に生きるために必要なものへの順応などには感心します。
白圭主導に見えて実は女性の強かさに操らてるのかもと。
その上でやはり力の男性の時代には悲劇を見るのも女性であり。
でもやっぱつえ〜あせあせ(飛び散る汗)
『孟嘗君』の女性観にも色々な思いがあります。
>つちのこさん
白圭の強さを支えるのも女でしたなあ。今日の「天地人」で織田信長にむかって「鬼になりなされ」と言っていたのも男ではなく女でしたな。
「鬼になりなされexclamation ×2
うんもすんも無く「ハイ」ですねあせあせ(飛び散る汗)

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