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戦史研究室コミュの「栗田中将の名誉回復を」 おかしい!?

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レイテ沖海戦、謎のUターン「栗田中将の名誉回復を」 証言集出版 (1/2ページ)
2010.3.31 13:41http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/100331/acd1003311343003-n1.htm

作戦の目的が1レイテ湾突入と機をみて2艦隊決戦の二つあったことが最大の誤算です。

この艦隊決戦は栗田が上申したものです。これで混乱した。
作戦目的は一つでないと、後世に悔いを残す戦訓です。

虻蜂取らず、二兎追う者の結果になりました。

>「Uターンは強敵である空母部隊(敵の正規部隊)を求めての行動で、謎でも何でもない。栗田中将の考えは、最初から一貫して変わらなかった」と結論づけている。


鈍足の戦艦部隊が高速空母部隊に追いつける訳がない。

直前に、商戦空母部隊に偶然にぶち当たったので、現場でそれが可能だと
錯誤したようです。

後に「疲れていた」と漏らしたいう証言もあります。

数日前に、乗艦の巡洋艦を魚雷で撃沈され、大和まで泳いでいますから
肉体精神疲労は極限でしょうね。

著書はまだ手元にありませんが、安易な名誉回復はいかがなものでしょうか。

 史上最大の海戦といわれたレイテ沖海戦(昭和19年10月)をめぐり、主力艦隊を率いながら“謎のUターン”で勝機を逸したと批評された栗田健男中将(明治22年〜昭和52年)の名誉回復を図ろうと、栗田氏が校長を務めた海軍兵学校最後の生徒だった戦史研究家、大岡次郎さん(80)=大阪市阿倍野区=が、関係者の証言などをもとにした著書「正説レイテ沖の栗田艦隊」(新風書房刊)が完成した。同海戦の評価をめぐっては諸説あるが、戦後65年の節目に大岡さんは「歴史を見つめ直すきっかけになれば」と話している。

 栗田氏は、連合艦隊の戦隊司令官としてミッドウェー海戦(昭和17年)やガダルカナル・ヘンダーソン基地砲撃(同)などに参加。艦隊司令長官としてレイテ沖海戦に加わった後、20年1月から終戦まで、最後の海軍兵学校校長を務めた。

 レイテ沖海戦は、劣勢に立った日本の起死回生策として企図され、本土から南下した空母部隊が米軍の正規空母部隊を北へ誘い出したすきに、栗田艦隊がレイテ湾に突入する作戦だった。ところが、栗田艦隊はレイテ湾近くまで南進したものの、突入せず北へ反転。このことが戦後“謎のUターン”と呼ばれ、「敵前逃亡だった」などと激しい批判を浴びた。

 反転の根拠となったのは、南進中の栗田艦隊に飛び込んだ「北約100キロに敵空母部隊がいる」という内容の電報だったとされる。だが、この内容は虚報だったことが戦後判明。打電元はわからないままで、「退却のために栗田艦隊司令部が電報をでっち上げた」とも非難された。

 栗田氏を敬う大岡さんは、栗田氏が昭和42年、東京から関西へ移り住んだのを機に、兵学校の同期生とともに以降数十回にわたり自宅を訪問。無口で有名で、兵学校入校の日に「弁解はするな」と海軍軍人の鉄則をしつけた栗田氏から、訥々(とつとつ)と話を聞き出すとともに、海戦に参加した十数人の将校からも証言を取った。
著書では、栗田氏がレイテ出撃にあたり、「敵主力部隊撃滅の好機あれば、乾坤一擲(けんこんいってき)の決戦を断行する」と訓示していたことを紹介。“謎のUターン”についても、栗田氏自身から「強い敵のいるほうへ行くのは当たり前だ」と聞いたことなどにふれ、「Uターンは強敵である空母部隊(敵の正規部隊)を求めての行動で、謎でも何でもない。栗田中将の考えは、最初から一貫して変わらなかった」と結論づけている。

 大岡さんらは生前の栗田氏から「ほかの誰にも許さないが、お前たちだけには許す」と自身の伝記を書くように言われ、以来約40年間にわたり、構想を温めてきた。“謎のUターン”の評価については諸説あるが、大岡さんは「私がいなくなったら、真実が誰にも知られなくなってしまう。戦争を知らない若い人たちにもぜひ読んでもらいたい」と話している。

 「正説レイテ沖の栗田艦隊」は、大岡さんの海軍兵学校入校からちょうど65年となる4月3日に発売される。四六判422ページで税別2千円。問い合わせは新風書房((電)06・6768・4600)へ。

      ◇

 【用語解説】レイテ沖海戦

 昭和19年10月23〜26日にフィリピン・レイテ島周辺海域で繰り広げられた日米両軍の大規模海戦。米側はフィリピン上陸と奪還、日本側はその阻止と、南方からの戦略物資の輸送経路確保を目指した。日本海軍の連合艦隊が総力を挙げて戦ったが、空母をすべて失うなど壊滅的打撃を受けた。神風特別攻撃隊が初めて出撃した戦闘としても知られる。

コメント(309)

幾つかの皆さんのコメントに触発されて、私も…。

米内光政海軍大将の言葉、「私の命が国に役立つなら、いつでも捧げる」(再度の、聖上からのご希望で現役復帰、海軍大臣時代に)と、「一億総特攻のさきがけとして」(草鹿聯合艦隊参謀長)、「我々は死に所を得た」(伊藤第二艦隊長官)というやり取り、これらに共感します。

南雲長官の「皆、陛下の赤子ではないか」(ミッドウェー海戦にて)という言葉、比島決戦での落伍艦艇への駆逐艦護衛命令(栗田長官)等を前にしますと、これらがごく一部の側面と承知の上で、やはり誇るべき「天皇の軍隊」、日本の、我が国の民族を感じます。

失礼しました。
 >266補足
 山口多聞艦長は、初級士官教育に熱心で、(中略)ある時、「今仮に、駐在武官である諸君が欧州方面より日本商船で帰国の途中、たまたま日米開戦となり、インド洋上で米艦から停戦命令を受け、臨検されることになったとする。諸君はその時、私服を着ていたが、船客名簿や個室の軍装などから海軍士官とわかることは明白である。臨検の内火艇が近づいてくる。A候補生、君ならその場合どうするか。B候補生、君は」・・・という具合である。
 (中略)
 山口艦長は、候補生たちの意見を、終始だまって頷きながら聞いていた。一人一人の意見にはいっさい論評を加えず、ただ、「諸君は今後、どんな場面に遭遇するかも知れない。潔く死ぬべき場合もあり、また、生き残るのが当然の場合もあるだろう。しかし、死すべきか生き抜くべきか、迷った場合には死を選ぶべきである。潔く死ねば武人として間違いはない」と結んだ。
 「私としては、この問題に正解が与えられず、拍子抜けの気がしないでもなかったが、同時に何かすっきり回答を得たような気がして、それがわずか数ヶ月、身近に仕えた私の山口艦長に対するもっとも強い思い出になった」と、武田茂樹は記している。

 以上、「零戦隊長」より。

 >268 nagao eiji様

 仰るとうりだと思います。死ね!と教育するのが軍隊なのでしょう。
 私がこれを取り上げたのは、山口多聞が言行一致していたことに、感じるものがあったからです。なかなかできることではありません。

 阿部俊雄は、本当に状況が違います。
 印象論ですが、山口少将が攻撃隊を出し切って、飛龍が燃えて、やることやったし、じゃあ死ぬか。みたいなさっぱりした感じがあるのに比べて、阿部大佐は、もともと信濃回航には反対だった上、信濃を守るためにとった行動が、すべて裏目に出て、沈没が確実となったとき、思考停止していた感があります。
 「信濃!」では飛龍雷撃処分時に「自分ならその時どうするだろうか」という記述があるのですが、信濃沈没時の心情にはまったく触れていません。

 状況、思考、まちまちですが艦喪失時の例としてあげてみました。
 ここから、じゃあレイテの栗田健男はどうだったんだ?とつなげていくつもりなのですが・・・現在資料照会中です。また後ほど。

 >269柳先生様

 本当に十人十色で難しいです。同時代人でもまちまちな上に、時間がたってますからね。
 統一するための軍規、軍法があっても、士官にはそれに則った上で、行動を決定する自由が与えられていることになっているので、一概に決め付けることはできません。

 アンケートのアップ、楽しみにしております。

 長文、失礼いたしました。
 貴重なアンケートのアップ、有難うございます。
 こういうものを語り継いでゆくのも、大事なことだと思います。
 
 大変に理不尽な環境ゆえ、鍛えられ、その後の人生に大きく影響した。というような意見が多いですね。

 個人的には、山口瞳氏の意見が印象的でした。
 イラク戦争の後のTV報道で「家庭が貧しく、職も無いので志願した」米軍兵士が多かった。というのを思い出しました。
 このようなアンケートに答える機会のなかった人には、また違った立場の意見があるのでしょうね。
>柳先生

 アンケートのアップ、大変興味深く読ませて頂きました。

 私も、先生の仰られる、

>これら作家やジャーナリストの意見は、農村出身者の多かった日本の兵隊や、皇軍精神に満ちた職業軍人達の代表的なそれだとはとても言えないでしょうね。

 と言うのは、強く感じるところです。

 例えば「きけ、わだつみのこえ」のように、学徒動員で不本意ながら従軍した所謂インテリ層の若者の感性は、現代の我々に近いものがあり、軍隊生活が理不尽で、意に沿わないものであると言う感じ方は現代に生きる我々の想像に近しいものであり、大変受け入れやすい感じ方です。
 それだけに、小説でも映画でも、主人公として取り上げやすく、共感も得てきました。

 でも、例えば昭和恐慌下で飢餓状態にあった地方の農村では、農家の次男坊三男坊が競って軍隊に入隊したがったと言う側面もあり、その軍隊おいて初めて自分の存在価値を見つけ、勉学の機会なども含め、農村では絶対に見いだせなかった自己の可能性に目覚めて活躍した人が多数いた事実は、柳先生の紹介されたアンケート中、作家山口瞳の回想の通りだと思います。

 そもそも昭和陸軍を嫌い抜いていた司馬遼太郎にしても、エリート集団である関東軍で、さらに決戦部隊である戦車旅団で小隊長を務めているわけですし、終戦時には内地に温存されていたことから見ても、実は陸軍では将来有望な士官であると優遇されていたのではないかと思います。

 しかし、戦後になって陸軍のことを批判する文章を残している人とは、すなわち文章を発表できるだけの「学」のある人に限られ、そうした「学」の無い、陸軍そのものを支えた大部分の兵や下士官の声はなかなか現代まで届かないのではないかと・・・もちろん想像にすぎませんが、思わないではいられません。
 司馬遼太郎のように、陸軍が陸軍式にどれだけ優遇しても、思想的に合わなければ、ただ批判的な文章だけが残されることになります。その中で帝国陸軍での生活が良かったとは、なかなか言えないと言うのは想像に難くありません。

 「兵隊やくざ」など、かなり兵隊の実相を表していると言いますし、戦前戦中の軍隊だからと言って、我々のような現代の日本人から大きく飛躍した、まったく違った「生き物」ではないのですよね。
 やたらと「英霊」と言う言葉をつかい、戦時下の日本人を特別視しすぎるのも、むしろ失礼な話だと思わされたりします。
>柳先生

 ご紹介いただきありがとうございます。「真空地帯」「神聖喜劇」は、是非読んでみたいと思います。

 特に「神聖喜劇」は、以前から友人が熱烈に薦められていたりしますし。

 しかし、「真空地帯」に対して書かれたのが「神聖喜劇」だと言うことでしたら、先に「真空地帯」でしょうか。

 とりあえず「あらすじ」を見てみましたが、「真空地帯」は「内務班」こそが苛烈な軍隊生活の頂点であるとの視点で描かれているとのこと。

 「内務班」と言うと私の親しい友人で、陸自にいた者が酒の席でポツリと漏らした言葉を思い出します。
 自衛隊の中で事故死のニュースについての話題で、ポツリとその人が漏らしたのが「内務教育のやりすぎだよな・・・」と言う一言でした。

 その人は、教育を担当した部下を亡くしたことがあるとのことで、それが理由で自衛隊を除隊しています。詳しくは聞けませんでしたが、どうやらその手の話だったみたいですね。

 本だけで追体験はできませんが、想像の一助にはなるかと思いますので、近々の内に読んでみたいと思います。

 ただ、その前に・・・・・

 本トピックスの主題となっている「正説レイテ沖の栗田艦隊」を読もうと出版元に注文してあったのが、二週間たっても届かないもので、今日になって確認したところ注文が上がっていないとの返答でした。
 明日発送の宅急便で送っていただけるとのことでしたので、まずそちらから読もうかと思っています。

 お薦めいただいた本も読んだら、また感想などを書きたいと思いますが・・・さすがにそれは違うトピックスの方がいいでしょうね( ;^^)ヘ..
 「正説 レイテ沖の栗田艦隊」
 今更ですが、ようやく読む機会を得ました。
 著者が海軍兵学校出身のためか、海軍関係者に同情的な記述が多いですが、その立場ゆえか、著者の人柄か、多くの元海軍将校から、胸襟を開いた聞き取りを得ている点で、貴重な内容だと思いました。
 この本を読むきっかけを作ってくださったトピ主様に、感謝いたします。
最近まで本当に知らなかったのですが「激闘!ソロモン海戦史DX」の追加仮想シナリオにレイテを扱ったものがあったようです。知らなかったので失礼しました。これではゲ−ムヲタクを名乗れないな・・・

とはいえこれはゲ−ムなので根拠足りえませんし、そもそもゲ−ム名を提示していただくのは向こう様の責任なのではございますが・・・

でもこれ古いゲ−ムなので装甲の垂直面と水平面の違いなども考慮されていませんし今の目で見ると少し物足りなくはありますがもともとソロモンの近距離戦メインのゲ−ムなのでそれはそれでよいのかも・・・この方向性でフライトシムみたいにもっと詳細な新しい3Dシムがでてきてくれたらすごく嬉しいんですけどでないんだろうなぁ・・・

http://ameblo.jp/metalgear-rainbow/entry-10787803054.html

http://ameblo.jp/metalgear-rainbow/theme-10032208919.html
こりゃまた懐かしいトピですね。そういや「激闘!ソロモン海戦史DX」の文庫版を手に入れてました。もちろんシナリオ「栗田艦隊の突入」と「第34任務部隊」がありますよ!人も少ないようですしちょっと遊んでプレイレポでも書いてみようかな?wでも今は2歳児の相手をしなきゃいけないので大変なんで無理かも・・・ここで議論してた当時は気楽でよかったんですけどねぇ
>>[293]
そうですね趣味を一緒に楽しめたらよいのですが、政治が絡んだりすると面倒でもありますし、どういう風にアクセスしていくのがいいのか思案のしどころでもあります。業の深い趣味ですしねぇ・・・女の子と話が合わなくなったらかわいそうですし、この趣味に引き込むならケアしてあげないといけないところもあるのではないかとか色々考えてしまいます。まだまだ先の話なのですけれど・・・
>>[295]
祭は第一次編成は豊橋ですが日中戦争の辺りからの第二次は51連隊と60連隊が京都で67連隊は敦賀ですんで京都の師団ですよ。静岡の人はよほどの事情がなければインパールにはいかないと思います

余談ですが、こないだ京都の某墓地で墓石に第15師団(祭兵団)でビルマで戦病死した人の記述があって興味を持ったので墓石の記述を元に調べて所属大隊までは特定したんですけれど、それ以上はわからなかったです。ちなみに反対側には彼のお兄さんの名前が書いてあってお兄さんの方は京都第16師団(垣兵団)の野砲兵連として(野砲兵第22連隊)レイテ島での斬り込みで戦死を遂げたと書かれておりました。
さらに余談ですがインパールのとき第15師団(祭)はむだぐっちゃんの第15軍からインパール作戦準備のために20日分の食糧を用意しとくようにいわれるんですがタイに駐屯してたのを作戦の為に移動してきたものだから11日分しか用意できなかったんですよね。で、チャーチル給与とかもあったんで最初は何とかなったんですが作戦開始1ヵ月後の4月中旬あたりにはどうしようもなくなって再三にわたって食糧と弾薬の補給要請をするのですが送られてきたのは食塩500kgがようやく送られてきただけだったそうでNHKの証言アーカイブ見てても草しか食うものがなくなったとか言ってるのは本当にそうなんだろうなと思いましたです。
>298は修正のため削除

まぁ墓石に刻まれたビルマで戦病死した人は記述から推測するとインパール作戦初期に病気にかかって後送されて作戦終了後の9月に戦病死してるっぽいので白骨街道を下がってきたわけでは無さそうなのが救いなんですけれども、しかし、できる限り最後の状況を調べた上でこの兄弟の墓を立てたであろうと思われるご両親のお気持ちを考えるといたたまれないものがありますよねぇ
静岡だったら第34連隊とかなら中国ですし
http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/search/shozoku.cgi?cat=sbnp&kw=%E9%9D%99%E5%B2%A1%E3%83%BB%E6%AD%A9%E5%85%B5%E7%AC%AC%EF%BC%93%EF%BC%94%E9%80%A3%E9%9A%8A
静岡は当時名古屋師管のはずだからフィリピンやサイパン・グアムあたりもあるのかな?

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http://www.nhk.or.jp/shizuoka/shogen/
太平洋戦争時、静岡県には軍に関連した施設が多かったほか、静岡市は陸軍の郷土連隊の編成地でした。静岡県出身の兵士で編成された連隊の多くは、中国戦線や南方で激戦を戦い、多くの犠牲者を出しました。そのうち、34連隊は日中戦争を終戦まで8年間戦い続けたほか、サイパンで玉砕した118連隊、レイテで全滅した13連隊、香港攻略戦などに参加したのちガダルカナルで多数の戦病死者を出した230連隊などがあります。
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>>[301]
時間がないので簡単ですいませんが・・・
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E6%A9%8B%E9%80%A3%E9%9A%8A%E5%8C%BA
1925年5月1日、陸軍管区表の改正(大正14年4月6日軍令陸第2号)に伴い浜松連隊区・飯田連隊区が廃止され、旧飯田連隊区から愛知県北設楽郡・東加茂郡・西加茂郡を、旧浜松連隊区から静岡県区域を編入した。変更後の管轄区域は以下のとおり。
愛知県
豊橋市・岡崎市・渥美郡・宝飯郡・八名郡・北設楽郡・南設楽郡・東加茂郡・西加茂郡・額田郡・碧海郡・幡豆郡
静岡県
浜松市・浜名郡・引佐郡・磐田郡・榛原郡・小笠郡・周智郡
1941年(昭和16年)4月1日、管轄の静岡県区域を静岡連隊区に移管した[8]。
1941年11月1日、豊橋連隊区が廃止され、旧管轄区域は名古屋連隊区に編入された[5]。
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なので太平洋戦争では静岡県全体は名古屋の師団のところの静岡の連隊がどうなったのか探すのが早いはず

で、このリストから名古屋の師団を選んで所属の静岡の連隊をみてけばおおよそのところがつかめるはずです
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E9%99%B8%E8%BB%8D%E5%B8%AB%E5%9B%A3%E4%B8%80%E8%A6%A7
失礼しました。18連隊は豊橋のままですね。という事は静岡ではなくやはりおっしゃるように豊橋で探さないといけないのか。私も勉強になりました。この連隊はグアムですね
>>[304]
証言を得られたんですね。よかったです
私が紹介したのはあくまであたりをつけるといいますか目星をつけるための方法ですから地域性とか詳細はわかっていないという状態で有効な方法をご紹介したのですべてわかっているわけではありません。

ですので、スマホで念のためチェックしていると18連隊が豊橋のままなので整合性も考慮することなくあわてて書き込んだ次第。お恥ずかしい話です。

ちなみに先に紹介したビルマで戦病死した人の墓石には敦賀連隊入営とかかれておりまして、それで大隊まで特定できたのですが(インパール作戦初期から参加した敦賀連隊は1個大隊)、この弟だけ福井県に完全移住した可能性がないとはいえないものの人数調整で京都の連隊ではなく敦賀の連隊なのかなぁと思いました。しかし裏が取ってないのでまた本を読む中で調べていきたいと思っています。このあたりの事情を書いた本があればいいのですが・・・
>>[306] 118連隊は義父の叔父が所属していたので一昨年にサイパンに墓参しました。
豊橋で18連隊の後備部隊として編成されましたが、中部軍から師団所属に変更された際に、豊橋から静岡に移動したのはご存知の通りです。

慰霊碑が静岡と豊橋両方にあるのですが、復員省の資料でサイパンから生還したのが数十名か十数名という有様で、サイパンには118連隊の慰霊碑が無いのが残念です。
>>[307]
そうでしたか・・・不謹慎かもしれませんが潜水艦のゲームで日時は架空シナリオですが条件が第118連隊を扱ったものがあってそれを思い出しました。それを思うととても悲惨な経験をされたと思います。

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http://www.4gamer.net/weekly/silenthunter4/003/silenthunter4_003.shtml
潜水艦シム「Silent Hunter 4: Wolves of the Pacific」で,米軍潜水艦に乗っては著名な戦場にお邪魔するこの連載,今回は少し趣向を変えて(?)潜水艦戦の本領である船団襲撃に挑む。MISSION 7「TOKYO-SAIPAN CONVOY,1944」がその舞台だ。

 1944年3月12日,サイパン島の守備に就く陸軍第43師団を載せた輸送船団が,東京湾を出発した。未知の軽巡洋艦を旗艦とする護衛艦群と合流したというこの船団を,伊豆諸島近海で襲撃するのが今回の任務だ。

 ええと,なんだか設定の内訳を語るのが恒例化してきた気もするが,この船団自体は架空のものである。サイパン島の守備を命じられた第43師団の輸送は二次にわたって行われ,その出発はいずれも1944年5月。そもそも第43師団への動員下令が4月7日であるから,3月12日に動かすことは初めから不可能だ。まあ細部はともかく,史実のシチュエーションにおおむね沿ったシナリオということなのである。

 話を史実に戻すと,師団主力を載せた第一次輸送隊はほぼ無事にサイパンに到着したのに対して,第二次輸送隊は大きな損害を出した。第43師団所属の第118連隊を載せて5月30日に館山を出発した第二次輸送隊は,米潜水艦「ピンタード」に襲撃され,7隻の輸送船のうち5隻が沈没,1隻が脱落して,サイパンに到着したのはわずか1隻。4000名あまりの人員のうち,上陸できたのが約1000名,うち負傷者が約600名という状況だった。……要するに,その再演が求められているわけだ。
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