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戦史研究室コミュの戦艦=大艦巨砲主義?

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「戦艦=大艦巨砲主義」という認識がありますが、これは正しいのでしょうか?

また、太平洋戦争において日本海軍を批判する理由として「大艦巨砲主義」があげられることがしばしばありますが、実際はどうだったのでしょう?

確かに日本海軍は戦艦「大和」「武蔵」を建造し、海軍の象徴として戦争後半まで温存してきました。しかし、その一方で航空母艦の開発にも力を注いでいました。そして、米英仏独伊といった世界の海軍は、第1次世界大戦後はもちろん、第2次世界大戦が始まっても戦艦の開発、建造を行っています。むしろ、日本以外の世界の海軍の方が熱心に戦艦を開発しているようにも思えます。

なぜ、世界の海軍は競って戦艦開発を行ったのでしょう。
戦艦の存在意義とは一体何だったのでしょう?

このトピックでは、第1次世界大戦後の戦艦の歴史を議論したいと思います。

キーワードは、
「世界の戦艦史」
「戦艦の存在意義」
「戦艦の建造技術」
「戦艦の運用・活用法」
「戦艦の戦術」
「大艦巨砲主義」
「艦隊決戦」

などです。

コメント(373)

つまり318でおっしゃっておられる予備が提供できないというのはこのMk40補助方位盤のことをさしていると推定されておられるのですね

ご指摘ありがとうございました。勉強になります

しかしMk37のデ−タまで主砲に回せるなんてドンだけタフネスな設計なんだ・・・普通、メインと後部艦橋の予備方位盤が損傷している段階で戦闘能力が残っているなんて考えないですよね・・・
サススダゴタの予備電源は射撃指揮装置とは関係なくかなり広範囲に電源が落ちたようですからMk38の欠陥とは関係なさそうな感じです

しかし予備方位盤を搭載しまくったタフな設計でも肝心なところでブレ−カ−が落ちたらただの船・・・予備電源があったとはいえ人為的な切り替えミスはどうしようもなかったということでしょうか
>IKKI(ASDIC) さま

 いえ私も米海軍の砲術用語はわからない部分が多いので妄想レベルですからそこのところお忘れにならないよう願います。この分野、私は詳しくは無いのです。
 妄想では以下のように考えています。

 Mk34はstand-by source (予備のソース)を提供できる。Mk38はそれが出来ない或いはしない。又はauxiliary or back modeでデータを提供できない。或いはしない。
 よって、Mk38は故障や損傷を生じた場合に予備方位盤を別に搭載しているのでそちらに機能を委任するが、Mk34は予備方位盤を搭載していない艦艇に使用されるので云々を行うと妄想しているわけです。
 「云々」は用語の意味するところが正確にわからないので何とも言えませんが、Mk34は一部機能が故障した方位盤に対してデータを提供するのか、或いはその機能を代行する。Mk38は思い切り良く予備方位盤に委任しちゃうとか?
 どなたか解き明かしてくれると嬉しいのですが。

 因みにMk34を最初に装備したのは重巡はヴィンセンス、軽巡はブルックリンと手元資料には記述があります。
>336 ミト王子さん

とても納得のできる推定ですね
絶対的といいますか確定的ではないものの私の質問に対して十分すぎるお答えをいただきましてありがとうございます。

少なくとも私の知るかぎり日本語の本には載っていない事柄なのでご労力をかけてしまいましてすいませんでした。
しかし、とても勉強になりましたし、なおかつ楽しかったです

またミト王子さんと楽しく語り合えたらいいなと思っています

りんごさんやリトル-Eさんをはじめとして他の方も私の質問に労力を割いていただいて本当にありがとうございました

また新事実が明らかになりましたら書き込んでいただければうれしいですけれども、ひとまずお礼を述べさせていただきます
>IKKI(ASDIC)さまはじめ参加者の皆様

 こちらこそありがとうございました。ただ米海軍の方位盤に関する私の妄想は話し1/5位に聞いておくのが吉です。私は語学力にちと(本当はものすごーく)欠けますので。
 今後、スリガオなり第三次ソロモンなりといった話題でご一緒できれば幸いです。
この辺りの話は「アメリカの戦艦」で砲術に関して書かれている堤氏のお話を伺いたいところなんですが、お忙しいようなので年内にお会いできるかどうか判かりませんが、機会があれば「第三次ソロモン海戦」も含めて「スリガオ海峡海戦」などを聞いてみたいです。そのときは改めてアップするつもりですが、先方のご都合が優先するので、いつになるのか判りませんので悪しからず。


 タリー氏の新著も早く出て欲しいです。「ミッドウェー」でも「なぜ南雲は敵艦隊発見の報がはいっても即応できなかったのか?」という謎を「海軍空母戦策」や空母の構造、搭載機との兼ね合いによる運用上の問題など多角的に考察しています。スリガオ戦についても徹底した考察が期待できそうです。
このトピックにぴたりの記事があったので・・


”大艦巨砲主義”のまぼろし
http://bylines.news.yahoo.co.jp/dragoner/20150414-00044779/

わお。こんなトピがあったのですね。

比較的に礼儀正しいやりとりがなされていて、直近の1画面分のコメントですら勉強になります。

3年半前(震災の年)の方が、レベルが高い。
WEBでの論議は、かくありたいものですねぇ。

>>[341]
私もその記事読んでました。
で、このトピ見たときデジャビュかなと。
>>[341]
まぁ私も細かいミスはよくやるので人の事はいえないですがそれを棚に上げた辛口の論評になるのですが、この記事は色々細かい間違いがある上にパナマ運河とかの考察もまるっと忘れられていますし、大艦巨砲主義を扱うなら黛とかの主張も検討されるべきですし、劣勢海軍である日本海軍の海軍航空の発展史も触れられていない(観測機の制空権確保から艦載機の発達による空母集中による打撃力の位置づけ)なども書いてないですし、私はちょっと浅い考察だなぁという感じがしましたです。
説明不足ぎみなのでちょっと補足

この記事のなにが浅いかっていうと、この記事の大艦巨砲主義の論評の対象って素人の宗教家とかマスコミが主体だよね。でも本当は海軍内部の劣勢海軍における個艦優越主義の戦艦主兵主義者だったりとか、技術の発達によって打撃力を増してきた航空戦力を戦艦の戦力といかに統合運用の方向に向かっていったのか?とかの考察がメインじゃないと本来の意味で大艦巨砲主義を考察した事にはならないよね

このあたりに触れてないので筆者が入門者向けに書いてるのだとしてもこのあたりの区別が筆者にはできているのか私にはよくわからないわけで私個人の論評としては(私の普段の書き込みは棚に上げたえらそうな論評にはなりますが)辛口になってしまい、(初心者向けなら当然ですがそうじゃないとしたらなおさら)ちょっと浅い考察だなぁという感想となりました。
>>IKKI(ASDIC) さん

私は海軍に関してはまったく知識が不足しているので、当該記事に関するご批判の内容についてかれこれ申すことはできないのですが、この記事のもっとも核心的な主張は以下の部分にあるのではないでしょうか?

「対アメリカを想定して戦争準備してきたのに、アメリカに戦争を挑んだ事自体が敗因だとすると、大艦巨砲主義・航空主兵思想以前の問題です。 」

「大和建造が間違いだったのではなく、日本人が選んだ道である対アメリカ戦争そのものが間違っていたという結論は、日本人にとって、残酷で不都合な真実でもありました。敗戦の理由を知りたがっていた日本人にとって、「航空戦力を軽んじた大艦巨砲主義」というのは、自分が傷つかない心地よい敗因だったのです」


・実際に日本海軍は大鑑巨砲主義だったのだろうか?
・実は航空主兵主義に転換していたのではなかったか?
・他国の海軍も大鑑巨砲主義を採用していたのではなかったか?

「歴史学的に、あるいは軍事史的な考察のもと、これらの設問の正誤がどうであったか」といったこととは全く別の問題として、「戦後の日本人が大鑑巨砲主義だったから負けた」という主張に強く惹きつけられたのは、見たくない現実から目を逸らすための自己防衛本能が働いた結果なのではなかったか、という主張が当該記事の書き手の意図なのではないかと思います。

IKKIさんの批判は、その部分に対しては向かっていかないのではないでしょうか。
当該記事は、日本海軍が大鑑巨砲主義を取っていたか否かという政治史や軍事史方面の議論とは別の方面で問いを立てているように思えます。
「なぜ日本人は、大鑑巨砲主義だったから負けた、という言説を採用したのか?」という問いは、むしろ精神分析とか民俗学的なアプローチに近いのではないかと感じます。
>>[346]
そうです。おっしゃるようにこの記事は「戦後のマスコミは何故、大艦巨砲主義という用語を誤用したのか?」という主題なのであって大艦巨砲主義そのものを扱っているわけではないのです。ですがそのことが明示されておらず著者自身もそれが区別ついているのか不明瞭な点があるという指摘です。

>軍事史方面の議論とは別の方面で問いを立てているように思えます

ところが、この人の肩書きは軍事ブロガ−なので、そうであればその旨なんらかの形で明示をすべきだったのではないかなぁと思うわけです。ですから考察が浅いなぁという感想につながってしまうわけで別の肩書きだったらそうは思わなかったかもしれませんね。
あっちなみに別に111号艦やイリノイ・ケンタッキ−などの建造中止艦をリストに入れておきながらライオン級戦艦のライオン・テメレ−アをリストから漏らしてやがるとは英国戦艦ファンをバカにしているのか-!ちゃんと1939ねんに起工してるんだぞぅ-うわぁ-ん!

こうなったらもっともらしい理屈をつけて難癖つけてやるぅ-とかそんなメンドクサイこと全、全然っ思ってませんからw

いやほんのちょっと思いましたが一応冗談です。念のためw
>>[348]
多分この記事の違和感は「信長は敵の大将の居場所を掴み、迂回奇襲して敵の本陣を奇襲して桶狭間の戦いで勝利した。中世の戦いから、近代への扉を開いた信長は情報重視という新しい戦略を実践した時代の先駆者なのである。」てな文章を「歴史研究家」が書いたのを読んだ時のむず痒い感覚と同じなのではないでしょうか?
>>[349]
確かにそういう感覚がありますね・・・おいおいとおもわず言ってしまいたくなるというか・・・
>>[347]
>肩書きは軍事ブロガ−なので、そうであればその旨なんらかの形で明示を

なるほど。
確かに、軍事面での考察や検証が甘めな点は気にかかるところではありますね。
私はそっち方面の知識が薄いものですから、記事を読むときにあまり気にしないで済んだというところはあるような気がします。


あと、最近私が何十年かぶりに岸田秀の「ものぐさ精神分析」とかを図書館から借り出してきて読んでいるところなものですから、細かな資料やデータを積み上げて結論を出すタイプの論考よりも、大まかな見取り図を作成するタイプの言説の持つ、ある種の判り易さやそれがゆえの有用性というものを重視したい気分になっているのかもしれません。

少なくとも、「敗戦という認めたくない現実から逃げるために、受け入れやすい敗因を設定することで精神的安定を取り戻そうとした精神のありよう」というのは、それなりに説得的で理解しやすい考え方であり、歴史事象を理解するうえでは有用な補助線となりうる主張であるように思います。
>>[348]

ハチクロとはこれまた、微妙に懐かしい作品を…。
どのキャラにも愛着があるけど、私は青春スーツを着込んでいた真山が好きでした。声優も杉田智和だったし。
>>[351]
でも、彼の主題がそれだとすればプロセスが間違ってます。航空主兵にしてもアメリカには勝てないんだから大艦巨砲は間違っているよねという論旨にはなってないんですよね。大艦巨砲じゃなかったから間違いといってます。でもパナマ運河の検討をしていないなど穴がありまくりです。技術論としては大和はコンパクトですが用兵としてはパナマ運河を通過できない大きな船体ででかい大砲を積んで劣勢を質で補おうとしていますから間違いなく大艦巨砲です。それと同時に航空も充実させて劣勢を補おうとしてたんですよね。ミッドウェーからは変わりますがそれまでは両立してたとみるべきでしょうね。
>>[352]
ハチクロをご存知で良かったです。真山は人気ありますよねぇ。実際いたら森田さんより面倒な性格なんじゃないかと思うんですが、カッコいいですしね。私は竹本やしゅうちゃんがいいやつすぎては微笑ましかったです。

航空主兵にしたとしてもアメリカには勝てないんだから大艦巨砲主義を敗因にするのは間違っているよねという論旨にはなっていないんですよね

ですね。スマホからだとうまくかけないです。
>>355 IKKI(ASDIC) さん

やっぱりよくわかりません。

記事の作者が、「日本海軍は大艦巨砲主義のように凝り固まった思想で大和を建造したのではなく、むしろ航空戦力への投資に重点を置きつつ、それなりの妥当性を持って大和の建造に臨んだ事がご理解頂けたと思います」と書いているように、航空の充実にも目を配っていたし、大和という巨砲を積んだ大鑑を建造したことにも妥当性がある、という具合に軍事的な史実にもそれなりに目配りをしているように感じます。

そして、そのうえで「日本海軍は大鑑巨砲主義に凝り固まっていたから負けた」という言説がなぜ力を持って戦後社会において流布したのか? という点を問題にしているのだと思います。

そこでは「航空主兵」とか「大鑑巨砲」とかいう言葉にはもはやさほどの意味が付与されておらず、「物量で負けた」という開戦前からわかっていた単純な事実に目をつぶって戦争を始めた自国の愚かさから目を逸らすことが出来る「都合の良い敗因」が設定できればそれでよかったのだ、というミもフタもない実相が提示されているだけです。
>>[356]
ん?そんなことはないでよ。大和の件だけではなく改装後の長門などは有力な戦艦ですが新戦艦には対抗できないとか扶桑や伊勢が最初から航空化を想定されたような書き方などあたかも大艦巨砲主義がなくなっていたかのようなバランスを欠いた書き方になっているんですよ。
>>[357]
そんなことはないですよ

ですね。
>>[357]

>扶桑や伊勢が最初から航空化を想定されたような書き方など

扶桑や伊勢に言及しているのは当該記事の下記の部分ですね。

「ここまでは軍縮条約失効以降の新戦艦建造を見てきましたが、今度は従来から保有していた旧式戦艦の扱いを見てみましょう。
太平洋戦争開戦時、日本は戦艦を10隻保有していましたが(大和型2隻は戦中に就役)、いずれも軍縮条約以前に建造された戦艦で、最も新しい戦艦陸奥でも就役から20年が経過していました。中でも低速で威力の劣る35.6センチ(14インチ)砲搭載の扶桑型・伊勢型の4隻は、戦艦戦力として期待されておらず、伊勢型2隻は航空機を搭載する航空戦艦に改装され、扶桑型2隻は航空戦艦あるいは空母への改装が計画されるほどでした。」

「扶桑や伊勢が最初から航空化を想定された」という風には私には読めませんでしたが・・・


>あたかも大艦巨砲主義がなくなっていたかのようなバランスを欠いた書き方になっている

「大鑑巨砲主義が無くなっていた」と記述しているのではなく、「大艦巨砲主義のように凝り固まった思想」ではなかったと述べているのだと思います。大艦巨砲へのこだわりが無くなった訳ではなく、航空戦備の重要性にも目覚めてはいたという書き方だと感じました。

それは澄川2佐のこの言葉を引用していることからも受け取れます。

「演習や実験においていかに航空攻撃力がその可能性を見いだしたとしても、実戦においてその威力を示すまではどのような用兵者もその価値を信じ切るには至らないというのが本当のところだと考える。戦艦無用論がいかに強く提唱されても国の命運を賭けてまで、戦艦の砲戦力を全廃することなど到底採りうる方策ではなかったというのが現実である。」

大鑑巨砲への拘りにも相応の理由や妥当性があった、という見方を提示していることからも、大鑑巨砲主義が無くなっていたという主張ではないように思えます。
>>[354]
>実際いたら森田さんより面倒な性格なんじゃないかと思うんですが、カッコいいですし

真山についてはあんまり「カッコいい」という印象は無かったかなぁ。
ストーカー気質だったり理花さんになかなか振り向いてもらえなかったりの、むしろカッコ悪い姿の方が印象に残っています。
いってみれば「不憫萌え」みたいな感じで眺めておりました。
>>[359]
いやいや、四隻は戦艦戦力として期待されておらず航空戦艦への改装がーとあるでしょ。でもあれはミッドウェー後の間に合わせとして計画されたのであって戦艦戦力として期待できないからじゃないんですよ。そして航空戦力は開戦前には第2艦隊と同等の戦力だと考えられるところまできている。まぁいぎしさんが指摘されたように知識があれば違和感がでるのですがスマホでは説明が難しいですね
>>[360]
ええ、見た目カッコいいけど面倒なやつという印象ですね。
あー第2艦隊と同じ立ち位置というのは劣性海軍における漸減作戦における位置付けですよ。あくまで主力は戦艦部隊です
>>[361]
>四隻は戦艦戦力として期待されておらず航空戦艦への改装がーとあるでしょ。

なるほど。

その辺のこまかな史実理解の深浅によって生じるニュアンス・機微の違いや、当時の軍事事情への理解の粗雑さといった事柄については、私の側の知識の無さゆえに理解できていなかったみたいですね。

このあたりは、正確な知識を持っている人が不正確な知識を基盤にして自説を展開する人に対して抱いてしまう違和感を重視するという立場か、多少大雑把な理解を元にしていても大筋での行論に説得力や妥当性があればそれでいいじゃんという門外漢ゆえの気楽な立場を取るか、という違いが出てしまっているのでしょうか。
>>[362]
>見た目カッコいいけど面倒なやつ

そうなんですよ。
私の場合、そういうダメダメな部分を持ったキャラクターに強く惹かれるタチものなので、真山の空回りしっぱなしでなかなか前に進んでいかない様子が大変に愛おしいものに感じられたものでした。

「三月とライオン」の主人公も、その意味で真山に近いものを感じていて大のお気に入りです。
>>[364]
まぁ細かい知識が無くてもですね。

新戦艦の建造数が少なかったから大艦巨砲主義に傾倒してはいなかったんやで!とかいわれても、いやその数が少ないからこそ質での優位を保とうとしたのでその数少ない戦艦は各国の新戦艦の中で最も大きい艦体で最も大きい砲を積んでたんやけどなぁ・・・ってそれって大艦巨砲いうんとちゃうのん?というつっこみというか違和感というか・・・

>大艦巨砲主義の日本は、きっとどこよりも大量に建造している事でしょう。
>こうして各国の戦艦建造実績を比較すると、日本が戦艦に偏重していた訳ではない事が分かります
>大和型建造が大艦巨砲主義によるものではないとしても

このへんは詳細な知識がなくてもなんかおかしい違和感のある話のような気もいたしますが・・・

そもそも敗戦を大艦巨砲のせいにしてたのってどのくらいいてたんだろうっていう疑問もありますしね。
そりゃ航空関係者はそういうだろうけど一部マスコミの話が

>国民が望んだ大艦巨砲主義敗北論

ここまでおおげさなものなのかなー?前から物量に負けたという話のほうがメジャ−でなかったか?と・・・


>>[365]
う-ん桐山君は顔は似ていてもおしゃれなイメ−ジはないし性格も全然別のような気もするんですけど空回りが共通ですか・・・個人的には桐山君の空回りはちょっと質が違うような気もしますがどうなんだろう?そんな風に考えた事はありませんでしたから・・・面白い考察ですね
>>[366]
>そもそも敗戦を大艦巨砲のせいにしてたのってどのくらいいてたんだろうっていう疑問も

私は軍事関係には疎い方だったので、あんまり実感をもってどうのこうのとは言えませんが、「日本が負けたのは戦い方が悪かったからだ」「ゼロ戦や大和などの素晴らしい飛行機や戦艦を作る技術力があったのだから大鑑巨砲に拘ったり艦隊決戦思想の捕らわれないで手持ちの兵器を活用していたら勝てた筈だ」みたいな妄想をこじらせた人というのは相応にいたように思います。

90年代あたりに大人気だった架空戦記とかを喜んで受容していた層の人々には、上記のような思考回路を持っていた人たちが結構多かったのではないでしょうか。

>前から物量に負けたという話のほうがメジャ−でなかったか?と・・・

冷静に「物量差で負けた」というのを認識している人は結構多かったと思います。

むしろ「大鑑巨砲に拘らなかったなら」 みたいなことを言い出す人は、近年になってから増えてきたのではないかとも感じています。
「輝かしい大日本帝国が負けたのは戦い方が悪かったからだ」みたいなフィクションの需要っていうのは、むしろ近年になってからの方が増してきているように思いますし。

南京事件否定派が、近年になってからの方が勢いを増しているのと、ある意味でパラレルな現象なのではないだろうかいう気がしています。
>>[367]
>桐山君は顔は似ていてもおしゃれなイメ−ジはないし

顔とかおしゃれとかによって生じる「カッコよさ」とは違いますが、将棋を題材にした漫画において「プロ棋士」という存在は問答無用の「カッコよさ」を体現した存在だと思います。

私は将棋についてはコマの動かし方を知っているってレベルの全くの門外漢ですが、囲碁に関しては学生時代以来30年近い棋歴があるので、「棋士」という存在に対する憧れや畏敬の念というのを相応に抱いていますから、桐山君に対しても大変強烈に「カッコいい!」という風に見る部分を持っております。

不器用だったり空まわったりの情けない姿を作中でさんざん見せつけられつつも、彼がプロ棋士として将棋界の一線に立って戦い続けている姿に対しては惜しみない賞賛の声をかけてあげたいとも思っていますし、そうした感情があるからこそ、いきなり「結婚」とか「婚約者」とか言い出したりするトンチンカンな部分を愛おしく眺める感情が湧いてきたりもするんですよね。
>>[368]
それはいたでしょうね、ただ単純化されているのはむしろ珍しくて複合的な要因の一つに上げられる程度で根底には物量に負けたという意識があるほうが普通なのではないかと思います。そこもこの記事に感じる違和感の一つなんですよね

逆に消耗戦になるのがわかりきってる航空戦なんか挑むから負けたんだ。命中率は連合艦隊の方が上なんだから艦隊決戦やれば勝てたんだみたいな黛さんみたいな話もありますしね。まぁ米海軍はどちらかといえば1発1発の命中率よりも投射量を重視していたための錯覚でこれも物量の話につながるのかもしれませんが・・・

個人的には南京は政治がらみですしちょっと違うと思っています
>>[369]
なるほど-そういうことでしたかカッコよさのベクトルが違うので容易にイメ−ジを結びつける事ができませんでしたから説明していただきありがとうございました。私はどちらかといえば桐山の不器用さは竹本の不器用さに通じるものがあると思っていたので・・・社会経験の乏しさという意味において・・・まぁ竹本のほうがまだ社会経験があるかな。竹本はいきなり結婚とかは言い出さない程度の社会経験は持っているわけですし、それでこそ自分探しができたんでしょうから。そういう意味では桐山にとって川本家というのは貴重な社会経験を積む事ができる場所でもあるのかなぁとか思っていましたので、それなりに世知にたけている真山とは結びつける事ができなかったのです。

いや、これ以上はトピずれすぎるな。すいません
>>[370]
>複合的な要因の一つに上げられる程度で根底には物量に負けたという意識があるほうが普通

その通りです。
だからこそ、「大鑑巨砲主義だったから負けた」という言説がもつ特殊性というものが、元記事では言及の対象となっているのだと思います。

また、元記事でも「戦後、大鑑巨砲主義が太平洋戦争の絶対的な敗因として広く流布してきた」というスタンスはとられていません。

あくまで、「そういう見方をする人もいる、そういう見方がなされる場合もあるようだ」という態度のような気がします。

「毎日新聞の記事では、宗教家の言葉を引く形で「大艦巨砲主義の誇大妄想」とそれが生んだ「浮沈戦艦への信仰」と、批判的・否定的なトーンで伝えています。NHKでも過去に歴史ドキュメンタリー番組「その時歴史が動いた」で『戦艦大和沈没 大艦巨砲主義の悲劇』を放映していましたし、ざっと例を挙げられるだけでも、戦艦大和を大艦巨砲主義の象徴として批判的に扱うメディアは多いようです。

このように、「第二次大戦では強力な戦艦を主力とする大艦巨砲主義を空母機動部隊を中心とする航空主兵思想が真珠湾攻撃、マレー沖海戦で打ち破ったが、初戦の勝利に囚われた日本は大艦巨砲主義に固執し、逆に初戦の失敗から学んだアメリカは航空戦力で盛り返した」のような説明をする本や人はよく見られますね。」

記事の作者自身は「日本では大鑑巨砲主義で負けたという理解が戦後一貫して主流だった」とは言っていないようです。
>>[372]
なるほど結論が気に入っているのでそれが正しいかどうかやプロセスが間違っていてもどうでもよいというところまで読みました。慰安婦問題についてのあなたの態度と同じである意味一貫しているとは思いますが率直に申しまして歴史を勉強する態度としてはあまり感心はできるようなものではないと思います。それでは歴史修正主義者と違いはありませんからねぇ。

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