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戦史研究室コミュの第一次世界大戦

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少し広くなりますが、ここを第一次世界大戦を語るトピックとします。


11月11日は第一次世界大戦終戦記念日で、カナダでは「リメンバランス・デー」の祝日です。「カナダの歴史と政治」コミュニティではこの日に合わせ、「カナダの第一次世界大戦」特集を連載しています。軍事に関連する内容もありますので、皆さんもどうぞご参加下さい。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?page=1&comm_id=1611536&id=24213862
・フランダースの野で
・第二次イープルの戦い
・ソンムの戦い:20世紀最大の愚行
・ビミーリッジの戦い:カナダ軍健闘す
・連合内閣と徴兵制:ボーデン対ローリエの両雄対決
・第一次大戦と日系カナダ人
・第一次大戦とインディアン
・ハリファックス大爆発
・ヒュー・マクレナン著「気圧計上昇」
・最後の戦死者

コメント(122)

地中海に派遣された第2特務艦隊の活躍はよく知られているところですが、わかりやすく面白く書かれたサイトがあります。

「やる夫が地中海で、ドイツ潜水艦と戦うようです」
http://ex14.vip2ch.com/part4vip/kako/1232/12322/1232206740.html

2chですが、とても面白いですよ。
いぎし ちじ さんの日記で知りました。
皆さんにお勧めします。
「やる夫が地中海で、ドイツ潜水艦と戦うようです」Part2はこちら。
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/part4vip/1241362478/
せっかくですので、まとめて頂いているサイトがありますので、そちらも紹介させて頂きます。(2chはいずれ消えます・・・)

「それにつけても金のほしさよ」
http://snudge.blog38.fc2.com/

これでカウンターが増えれば、載せていただいた恩返しにもなりますので(^_^;)
本当に素晴らしいできですよね

「拍手」ボタンを押しておきました-
いぎし ちじさん作、第一次大戦における日本海軍、第2特務艦隊の地中海派遣を描いた「やる夫が地中海で、ドイツ潜水艦と戦うようです」(http://snudge.blog38.fc2.com/blog-category-5.html)については、すでに紹介させていただきましたが、第一次大戦全般を描いたやる夫シリーズがありますので、紹介させていただきます。

「やる夫で学ぶ第一次世界大戦」
http://oyoguyaruo.blog72.fc2.com/blog-category-98.html

ヨーロッパ、小アジア、中東を巻き込んだ第一次大戦は経過が複雑で、日本の本格的参戦がなかったこともあり、全貌を理解するのがきついです。さらに、この大戦の意義を理解するのはもっと難しいのですが、上記の2編を見ると、その辺りがよく理解できます。
「マンガ 日本の歴史」で日本史の概略を理解したという人もいると思いますが、それと同じ感じで接するといいと思います。入門編としてお勧めです。

もっと、お硬く、第一次大戦を知りたい方には、以下のサイトは如何でしょうか?
「第一次大戦」
http://ww1.m78.com/

やる夫の歴史・戦史系は傑作が多く、「文献資料・史資料・データベース」(http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=3122995&comm_id=396416)にまとめて記載したいと思います。メンバーの方でお気に入りがありましたら、 「文献資料・史資料・データベース」へ書き込みしてください。

上記のサイトを見ても、第一次世界大戦に関する疑問がいくつか想定できます。

・日露戦争の南山、旅順攻撃の前例があるのに、なぜ、歩兵の集団突撃が主流だったのか?

・日露戦争の旅順港閉塞作戦の前例があるのに、なぜ、ダータネス海峡突破作戦は実行されたのか?

・フランス軍の突撃精神は無残な結果となったのに、なぜ、日本軍はその後、ますます突撃精神を重視するようになったのか?

・大戦勃発直後(BEFの大陸派遣直後くらいに)、もし日本陸軍がヨーロッパ戦線に1個軍(3〜4個師団)を派遣できたら、戦局に何らかの影響を与えたであろうか?影響がなくとも、その後の陸軍戦略、編制に影響があっただろうか?

・日本海軍が戦艦部隊を派遣していたら、その後の国際政治に何らかの影響があっただろうか?(たとえば、対中21箇条約やシベリア派遣への国際世論など)

その他にもたくさんあると思いますが、メンバーの方の意見は如何でしょうか?
紹介いただいていたのに、レスが遅れて申し訳ありません。
仕事が忙しく、気合が尽きておりました。

疑問に対して専門的に答えられる立場ではありませんが、私見を述べさせていただきます。


>・日露戦争の南山、旅順攻撃の前例があるのに、なぜ、歩兵の集団突撃が主流だったのか?

第一には欧州の戦争でない事。極東の小規模・短期間戦争やアメリカという「特殊条件」をもって軍事ドクトリンを変更させるには、既に出来上がったシステム改変を行うだけの説得力を持ち得なかったのではないでしょうか。
第二に、攻勢をとるための手法として砲撃と歩兵突撃以外の手法が存在しなかった事が挙げられると思います。
また、塹壕システムは防御的なものであれ、攻城戦における攻勢的なものであれ既に取り入れられており、初期の機動戦においてはまさにイメージどおりの歩兵突撃が行われ、戦線が膠着した瞬間から各国は教範に従って塹壕を構築します。
この瞬間から、機動戦から攻城戦への切り替えが行われ、接近壕の掘削・支援射撃・そして攻城戦における歩兵突撃が行われる事となります。
これは日本も変わりなく、日露戦争の歩兵突撃は、南山においては機動戦の延長としての歩兵突撃、第一次旅順攻撃以降の歩兵突撃は攻城戦としての歩兵突撃が行われたと考えられないでしょうか。


>・日露戦争の旅順港閉塞作戦の前例があるのに、
>なぜ、ダータネス海峡突破作戦は実行されたのか?

ひと言で言えば、相手を侮っていたとしか言いようがありません。
もっとも直前のトルコの実態を見ていれば、英国が侮っても仕方なかったと言えますし、彼らには旅順砲撃とは比較にならない数の艦艇があり、15インチ砲まで用意したのですから、彼らの自信も理解できます。
また、トルコが撃退に成功したのにはかなりの幸運(英国側の作戦ミス、機雷敷設がたまたま成功した)があり、実際には機雷のストックは無くなっており、弾薬補充にも苦しんでいた状況を考えると、海峡突破作戦だけ評価するならば成功した可能性がかなりあったと考えます。(ガリポリ上陸はまた別議論になるかと思います)


>・フランス軍の突撃精神は無残な結果となったのに、なぜ、日本軍はその後、
>ますます突撃精神を重視するようになったのか?

末期の島嶼戦における突撃は、純粋に補給不足により火力が足りないという理由だと考えます。
日本軍の突撃はむしろ第一次世界大戦末期の浸透戦術から発展したもので、小規模火力を重視する事により局所的な火力優位を確保し、歩兵突撃によって敵の防御線を突破するものだと考えます。
戦車とかはまぁ・・・お金がない国ですから・・・


>・大戦勃発直後(BEFの大陸派遣直後くらいに)、もし日本陸軍がヨーロッパ戦線に1個軍
>(3〜4個師団)を派遣できたら、戦局に何らかの影響を与えたであろうか?影響がなくとも、
>その後の陸軍戦略、編制に影響があっただろうか?

>・日本海軍が戦艦部隊を派遣していたら、その後の国際政治に何らかの影響があっただろうか?
>(たとえば、対中21箇条約やシベリア派遣への国際世論など)


ヨーロッパ戦線ならばほとんど影響は与えられないと考えます。当時の参謀本部内では10個軍団(20個師団)を投入しなければ戦線に影響を与えられないとしています。
ただし、西部戦線に日本が投入されたなら1916年以降になるでしょうから、配置位置は英仏軍との間か、海岸部になるでしょう。(英仏それぞれの戦線を分断すると、彼らの指揮にとって不都合)
海岸部はベルギーのイープルを守るために政治的に重要視されていましたから、英仏軍の間が最有力です。そうすると1917年以降に、下手すると日本軍壊滅というイベントが待っていそうな・・・

いずれにせよ、戦後国際関係に大きな影響を与えるためには、アメリカの参戦する1917年までに現地に兵力を派遣する必要があります。アメリカ参戦と同時やそれ以降だと、たとえ血を流したとしても史実とは大きな変化はないと思われます。第二特務艦隊は「かろうじて間に合った」と言えますし、だからこそヴェルサイユ講和会議にて英仏は日本の南洋諸島獲得に賛成したと言えます。
逆に大規模兵力をアメリカ参戦以前に派遣し(そして英仏と同じような部隊壊滅を経験していれば)、日本の得た信用と利益は、南洋諸島獲得なんて霞むほど大きなものがあったのではないかと夢想したりしますw
・・・まぁ夢想ですけどね。
>88 いぎし ちじさん

戦史に学ぶというのは実に難しいのですね。
前の戦争を十分に研究し、戦訓を得たつもりでも、新しい戦争では前提条件が全然違っているということはよくありますし。

欧州戦線の日本陸軍派遣は、もし全滅したとしても、そこで名を残し、戦後交渉や後世にいい影響を与えればなどと妄想することがあります。
某氏のことを笑うことは出来ませんね。
>90

シベリア出兵でロシア革命の影響を受けた文書や思想が日本に持ち込まれたという意見は、何かの本で読んだ記憶があります。

ロシア革命や大正デモクラシー、軍縮ムードは実際に陸海軍に大きな影響を与えたようです。特に徴兵制を主とした陸軍は無視できないほどの影響を与えたようです。
そのあたりは、「日本の近代9 逆説の軍隊」(戸部良一著 中央公論社)でも記述されています。そのために、大正末期から昭和初期にかけて、軍部の反動的な運動の源となり、行き過ぎた国粋主義につながったようです。

欧州戦線に大量の兵士を送り込んだら、メリットよりもデメリットの方が大きかったかもしれません。それに大量の将兵を死なせれば、政治問題になりますし、補償も大変です。
日本が第1次大戦に深い入りしたくなかったのも、常識的に考えれば当然のことなんですよね。
>>88 nagao_eiji様

私の専門である英国船団護衛の実施においても、責任のある人たちほど新システムの実行には抵抗していましたし、その実施は政治家が強く実施を命令した事によって初めて可能になりました。
しかし、もし政治家が命令、すなわち責任を取る事を行わなければ、船団護衛の実施は行われなかったか、ずっと遅れた可能性が高いです。後世の我々が英国海軍責任者を批難するのは容易ですが、彼らの立場を考えると私は何も言えなくなってしまいます(^_^;)(このあたりはやる夫の次々回で扱いますw)
事実を知れば知るほど、安易な批難が出来なくなるのが、歴史なんですかねぇ・・・

欧州派遣に関しては、部隊全滅の可能性がリアル見えていましたから、当時の政治家や陸軍関係者の及び腰が行間から見え見えですw。責任の無い佐官クラスまでなら賛成したのでしょうが、それ以上となるとちょっと・・・賛成する人がいたとしたら・・・天才か愚か者のどっちか・・・・


>柳先生様

うーん、持ち帰る人はいるとは思いますが、日本革命運動史に影響を与えるほど多数の人間が発生するかと言えば、難しいと思うんですよ。
当時の一般的な考え方として、革命勢力はロシアやドイツの主君を殺害・追放した「叛徒」ですから、革命の影響を受ける人は一部のインテリ士官に限られると思うんですよ。(米軍もそうでしたし・・・)
また革命思想を浸透させるためには「教育」が必要ですが、軍隊内にいたらそれは困難かと考えます。

むしろ、「英仏の兵士は休暇中に浮かれ騒ぐ惰弱な連中だ、大和魂が無い」「自由思想などと言って国家に逆らう連中がいる退廃した国家」などと欧米を蔑視する風潮が強まりそうな・・・(第二特務艦隊参加士官の日記とか)
太平洋戦争時に大本営作戦参謀(後、連合艦隊参謀兼務)であった瀬島龍三氏は晩年、第1次大戦時に日本が陸軍師団を派遣しなかった理由について、以下の推測意見を述べられております。

●陸軍兵力輸送の困難性 ・・・ 現実性・技術上の問題
・1〜2個師団の海上輸送は、当時すぐに出来るものではなかったこと。
・対独海軍の観点から、陸軍輸送に連合艦隊を付ける必要があったこと。
●陸軍派兵問題の時期はベルダンの死闘の時期であり、あまりにも危険。
ちょうど資料を作成している最中なので、一部抜粋。

欧州派兵要請については、早くは開戦直後8月31日には、ロシア外相サゾーノフから駐露大使に対して陸軍三個軍団の派兵要請にはじまり
1914.09.02:英国から日本軍艦の地中海派遣要請
1914.11.04:英国から青島攻略後にダーダネルスへの陸軍派遣要請。(or14日)
1914.11.04:英国よりバルチック海侵攻作戦(!)への艦艇派遣要請
1914.11.07:英国から西部戦線への陸軍派遣要請
1914.11.15:英国からダーダネルスへの一艦隊派遣要請
1916.02.04:英国より地中海への駆逐隊派遣要請
1916.02.09:英国より地中海に代えてシンガポールへの駆逐隊派遣要請 → 応諾
1917.01.11:英国より地中海への駆逐隊派遣要請 → 応諾(第二特務艦隊)
1917.05.01:英国より地中海への追加駆逐隊派遣要請 → 応諾
「日英外交史10」より
他に、1917年にはフランス、ベルギーから西部戦線への陸軍派兵要請。フランス・セルビアからサロニカへの派兵要請が来ています。
あ、1917.10.20の、ルーマニアとイタリアからのロシア戦線(白軍?)への陸軍派遣要請、10.30のアメリカからのイタリア戦線への陸軍派遣要請を忘れてた。
>95 いぎしさん

>1914.11.07:英国から西部戦線への陸軍派遣要請

成程!ということは、<94>の瀬島さんの見解は、事実誤認なのでしょうね。
瀬島さんは晩年、欧州旅行の途中にベルダンに立ち寄り、大変な衝撃を受けられたようです。印象があまりに強かったが故、斯様な誤解をされたのかもしれませんね。

情報ありがとうございます。
>99 柳先生 さん

海のかなたのヨーロッパでも、愛国主義的な立場で歴史を見る右寄りの人々と、階級闘争的な立場で歴史を見る左寄りの人々との間で、やっぱり大きな意見の隔たりがあるみたいですね。
不毛な歴史論争を繰り広げているのは日本だけではないと知って、ホッとしつつも暗然としてしまいます。


上記記事の中にあった、「第一次大戦は近代の英国を形作った最も重要な出来事だ。だからこそ、それを理解し、思い起こすことが必要なのだ」というの含蓄のある言葉に、敬服します。
第二次世界大戦期のことをあれこれと調べていくと、この時期の激動は、その発端が第一次世界大戦期生じた激動の「余波」みたいに感じられる面が多々あるものですから。
>100 えぐちさん
>第二次世界大戦期のことをあれこれと調べていくと、この時期の激動は、その発端が第一次世界大戦期生じた激動の「余波」みたいに感じられる面が多々ある


片山杜秀著『未完のファシズム』(新潮選書)をお薦めします。
>>[101]
未完のファシズム、自分も読みました。
>101 かず色さん
>102 マッシャーさん

私も読みました。
個人的に、ここ1年くらいの間に読んだ本の中でトップ5に入れられるくらい、新鮮な驚きと知的好奇心を満たしてくれた本です。

本書の中で語られた「持てる国・持たざる国」という現実にどう対処するかという問題設定に関しての皇道派と統制派の見解の相違や、国家権力を統合する「核」の不在が引き起こす「未完のファシズム」という事態などは、自分が漠然と考えていた考え方に、極めてわかりやすい明確なアウトラインを与えてくれました。

ここしばらく、大正期から昭和初期にかけての時期の、政党政治の潮流や官僚制度の動き(組織の変遷や人脈の形成など)に興味をもってあれこれと本を読んでいるのも、この本から受けた示唆を自分なりに掘り下げていこうという考えからだったりします。
歴史認識の問題は百年前の第一次世界大戦だけでなく、150年前の米南北戦争は勿論のこと、200
年以上も前のフランス革命の意義についても論争がありました。いずれも決着はついておりませんが、
「定説」を変更させるものではありません。
 以前のそれに対して、第一次世界大戦は現在の世界情勢の形勢と動向に影響を与え続けている
「大事件」です。その発生の起源についても、新たな視点による研究がいくつも出てくるでしょう。それと
その「中途半端な決着と強引な幕引き」が戦間期と第2次世界大戦、さらに現在まで続く影響などと
「偏見の少ない見方」が出てくるのはいつになるのでしょうか。(某半島の半国の妄想大統領の発言から
すると「十字軍」や「チンギスハーン」の昔になるまで無理となりますが、その時に人類がいるのか気に
なるところです。
NHKBS「世界のドキュメンタリー」が、第一次世界大戦のドキュメンタリーを連続放映しています。

ZDFのグイド・グノップがプロデューサーで、第1回は中々見ごたえがありました。欧州の歴史家・軍事史家も多数出演しており、参考になります。
>105 リトルーEさん
>半島の半国の妄想大統領の発言


彼女の父親が帝国陸軍を志願する際、「血書」を認めて天皇に忠誠を誓った話は、真偽は別として、韓国知識人の間では有名です。

当時の時代状況等に鑑み、そうした行為を肯定的に評価する向きも、保守派を中心に多数あるようですが(中央日報等)。ただ、左派韓国メディアや左派知識人等からすれば、そうした行為は「親日≒民族の裏切者」なのでしょう。従って、朴大統領も「常軌を逸した」反日的言動を取らざるを得ない。

ただ、こうした異常な反日姿勢は、韓国社会の成熟化とともに解消されていくようにも感じます。韓国内の「ニューライト運動」等にその萌芽を感じます。

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