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サッカー動画集!コミュの名古屋グランパスエイト

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名古屋グランパスエイト 原語表記 名古屋グランパスエイト
愛称 グランパス
クラブカラー 赤、黄
創設年 1939年
所属リーグ Jリーグ
所属ディビジョン ディビジョン1
ホームタウン 愛知県名古屋市
ホームスタジアム 名古屋市瑞穂公園陸上競技場
収容人数 27,000人
代表者 池渕浩介
監督 セフ・フェルホーセン

公式サイト
http://www.so-net.ne.jp/grampus/

Jリーグ年度別成績
年度 リーグ J1/J2 順位 成績
1993年 サントリー J1 9位 7勝11敗
1993年 ニコス J1 8位 5勝13敗
1994年 サントリー J1 8位 9勝13敗
1994年 ニコス J1 12位 6勝16敗
1995年 サントリー J1 4位 15勝11敗
1995年 ニコス J1 2位 17勝9敗
1996年 年間 J1 2位 21勝9敗
1997年 1st J1 12位 6勝10敗
1997年 2nd J1 5位 10勝6敗
1998年 1st J1 3位 12勝5敗
1998年 2nd J1 6位 11勝6敗
1999年 1st J1 8位 7勝7敗1分
1999年 2nd J1 2位 11勝3敗1分
2000年 1st J1 12位 7勝7敗1分
2000年 2nd J1 7位 7勝7敗1分
2001年 1st J1 3位 10勝3敗2分
2001年 2nd J1 6位 7勝7敗1分
2002年 1st J1 3位 10勝5敗0分
2002年 2nd J1 13位 5勝9敗1分
2003年 1st J1 7位 5勝2敗8分
2003年 2nd J1 8位 6勝5敗4分
2004年 1st J1 8位 5勝5敗5分
2004年 2nd J1 5位 7勝5敗3分
2005年 年間 J1 14位 10勝15敗9分

獲得タイトル
1995年 天皇杯
1996年 ゼロックス・スーパーカップ
1996年 サントリーカップ・96チャンピオンズファイナル優勝
1997年 サンワバンクカップ優勝
1999年 天皇杯
2000年 第五回東海チャンピオンシップ優勝

クラブの概要・歴史
前身はトヨタ自動車工業サッカー部で1939年に創部。日本サッカーリーグにも参戦した中京の強豪だった。1991年にJリーグ加盟したのに伴い、プロ主体のトップチームを愛知県を拠点としたグランパスエイトに、またグランパスエイトに参加せずに社業に残留する選手は静岡県裾野市にある「トヨタ東富士FC」(1993年度旧JFL・J2参加も1年で撤退)に選手を区分けした。

ホームタウンは愛知県名古屋市。ホームスタジアムは名古屋市瑞穂公園陸上競技場と隣接する球技場、および豊田市の球技場・豊田スタジアムも併用する。(2001年までは岐阜・長良川陸上競技場も準本拠としていたが、豊田スタジアム完成に伴い撤退)練習会場は豊田市のトヨタスポーツセンター。チーム名は「グランパス(Grampus)」が英語の鯱(名古屋城の金鯱)、「エイト」は数字の八(名古屋市の記章)の英語訳を合わせたもの。

Jリーグ創設時からの加盟チームのひとつ。当初はワールドカップ得点王のゲーリー・リネカーを擁して臨んだが下位に低迷。94年にユーゴスラビア代表主将ドラガン・ストイコビッチ、95年にアーセン・ベンゲル監督を迎え、96年の天皇杯で優勝する。最初の黄金時代を築いた。

Jリーグでのリーグ戦タイトルこそまだないが、1996年は1シーズン制だったのでチャンピオンシップは開催されず、その代わりとして「サントリーカップ・96チャンピオンズファイナル」 と題する大会が開催される。

その時はリーグ戦・ナビスコカップの上位2チームが進出し、名古屋グランパスがリーグ戦2位で出場権を獲得。準決勝ではナビスコ王者の清水エスパルスをPK戦の末[3-1]で勝利。決勝戦ではその年のJリーグチャンピオンの鹿島アントラーズと対戦し、ストイコビッチの延長Vゴールにより[1-0]で下して優勝。Jリーグの初栄冠に輝き、1996年の事実上のJリーグ総合王者となる。翌1997年には前年までJリーグの年間総合優勝クラブが出場したサンワバンクカップの出場権が与えられた。 しかし96年の半ばにアーセン・ベンゲル監督がイングランドのアーセナルへ引き抜かれ、それ以降はチームは徐々に弱体化する。

00年には小宮好雄副社長のトップダウン人事でチームの顔であった平野孝、望月重良、大岩剛をシーズン途中に突如解雇する。 小宮氏によると「3人は高い能力を持ちながら、怠慢プレーに加え、秩序や規律を乱す存在だった」と解雇の理由を説明したが、未だにこの決断はファンの間に物議を醸している。

2001年の1stステージでは、8年の長きに渡り、ファンタジーあふれるプレーで、チームを支えてきたストイコビッチが現役を引退。チームは新たな過渡期を迎える。

2002年シーズンに、前ジェフユナイテッド市原監督のズデンコ・ベルデニック監督が就任し、チームの潜在能力を引き出した。

2003年の2ndステージでは、勝ちきれない体質を改善するため、ネルシーニョ監督を招へいした。チームは8位に終わったが、ウェズレイがJ1得点王を獲得した。

2004年は、1stステージは8位だったが、2ndステージは5位。

2005年シーズンは、序盤戦では2位に乗るなど幸先良いスタートを切ったが、マルケスが退団するとチームの勢いは失速した。元ブラジル代表FWルイゾンを補強したが、成績不振でネルシーニョ監督が解任されるとルイゾンも退団し、J2への降格すら現実味を帯びるほど不振をきわめた。しかし、11月20日の首位ガンバ大阪戦を2-1で勝利すると、つづく23日の東京ヴェルディ1969戦を0-0で引き分けJ1残留を果たした。

2006年シーズンは、オランダ人監督のセフ・フェルホーセン氏が就任。さらに、日本代表FW玉田圭司を柏レイソルより完全移籍で獲得すると共に、韓国代表MF金正友らを補強するなど、巻き返しを計っているが、波に乗り切れていない。しかし、ノルウェー代表FWフローデ・ヨンセンを補強し、上昇気流に乗りたいところだ。

また天皇杯では1995年度と1999年度の2回に渡って優勝している。

1993年5月2日ラツィオ戦に浅野、リネカーのゴールで2-1と勝ち日本のクラブで初めてセリエAのチームを破った。

スポーツニュースでは「グランパス」と省略して呼ばれる。

コメント(5)

●ピクシー(多分、TVの特集?)
http://www.youtube.com/watch?v=4ApbtIL7iFo

●グランパスでもっと見たい人はコチラで!
http://www.youtube.com/results?search_type=search_videos&search_query=%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%B9&search_sort=relevance&search_category=0&page=2
ありがとうです!!w

すっごく丁寧なご説明、涙、涙の感謝感激です〜!☆

これから観させていただきます〜!
老婆心ですが、Wikiから丸ごとコピペするならWikiにもリンクを張るべきだと思いますよ。
おーこのテレビ特番観てましたおれっww なつかしー☆
中山の髪さわったあと、怒る中山相手にごまかすピクシーがたまらんっすw

それにしても、ピクシーのキックフェイントのうまいこと・・・
こんな人を相手に守ってたらたまらないっすねw
こけまくりですww

今思えば、ベンゲルのグランパスは

ピクシーがアンリだったりベルカンプの役割をして、
片割れのFW(福田健二etc)がゴール前に、、
左の平野がリュンベリで・・・右の望月がフレブ。
デュリックスがセスクかなぁ。ジウベウト役は・・・浅野さんか・・・w
キャラは小ぶりになっちゃいますが、やってるサッカーはアーセナルと一緒ですねぇ。ほんと小ぶりですけどw
ピクシーがボール持ったら安心して前に飛び出せるもんなぁ。
やっぱうめーっす。 うんうん。いい動画ありがとうです〜☆
なつかしかった・・・
>のりお☆エアロさん
はい。その通りです!すみません。リンクってどれを載せればいいっすかね〜?

あと、あれって勝手に編集したりしていいんすか?よかったらアドバイスお願いします!

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