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人と自然コミュの下流志向

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内田樹「下流志向」講談社 \1400

 消費主体、労働主体という言葉で若者たちの、特に教育現場での姿勢を説明します。現代の子供たちは早くから「消費主体」として社会への関わりを開始しているところに学校現場の混乱があると言うのです。学校を「教育サービス」を受けられる場と設定して、小学生が「ひらがなを習って何の役に立つんですか」と幼い判断力しかない消費者が購入する価値があるかどうかを問うているわけです。それは対価に見合う価値がなければ消費購入しないわけですから筋が通っている。しかし、最初の判断がおかしいのです。「日本語を覚えてなんになるんですか」などと日本人は誰も言わないうちに日本語を覚えて不自由のない日常にしているんです。だから、こんな基本的な質問に教師は答えられないんです。
 そう言えば「どうして人を殺してはいけないんですか」という問いもありました。これはたぶんオウム信者の発言だったと思うんだけど、世界中を見渡せば、ろくに教育を受けることが出来ない子供たちはいくらでもいるし、戦禍の中で命の危険にさらされている子供たちもまた数知れない。平和の中で「殺される危険がまずない」社会、「教育を受ける権利を100%保証されている」社会であるのに、その権利の行使から逃げようとしている。
 著者はこれを「学習・労働からの逃亡」と呼んでいる。無気力で授業・講義を受けないというのでなく、私語や携帯、歩き回り、読書などで意図的に授業を否定している。このような逃亡が、そのまま下流階層に向かってしまうと説明している。なぜなら、学力がつかないからだ。小中学校で「個性の尊重」教育を著者は否定している。まず、基本的な学力を全体が身につけること(つけさせること)が大前提であると。
 こうして、四則計算ができない大学生が出てきたり、「自分探し」幻想で会社を短期でやめてしまう若者が増えている。現在の「自分」に合わない仕事など最初から見向きもしない。消費行動としては合理的でも、それは長いタイムスパン後の評価に耐えられる行動でない、と大人ならわかるだろう。「自分が変わること」も否定しているのだから。しかし果たしてどのように「我慢する」ことを覚えさせればよいのだろうか。ライブドアのホリエモンが若者に受けたのは「最小の努力で最大の利益」をあげたことに共感したのだとの分析はうまいな。
 今や、大学全入の時代になって、大学経営上からも学生に甘くなってしまっていて、学力のないまま大学生になっているケースも多いようだ。
こういう若者は、下流へ直行することは間違いないだろうね。
 本書には質疑応答の項もあるのだけれど、じゃどうしたらいいのか、との答えは見つからなかった。少し考えてみよう。

コメント(4)

等価交換を原則として物事を考えると、こうならざるを得ないのでしょうね。

この世代の親を教育する事はすでに不可能。教育が必要と思われる大人などは本も読まないでしょうし。そうすると、やはり本人を何とかするしかないと思うが、はて、どうしたらいいのでしょうかね…。一見無駄で金にもならないことにも実は意味があるのだ、と思えるには経験と時間が必要だから、若い人に理解させることも難しいでしょう。若いからこそくだらない無駄な事が思う存分出来たりするんですけどね。

『ニート』とマスコミが呼ぶ人達が生きていく事が可能なこの日本という社会は、高度に成長した社会である事の証明で、文明病と言えるのでしょうね。

でも実際問題『下流志向』で取り上げられているような人って、割合としては30%を越えるほども存在はしてないと思うのですが、そのへんはどうなんでしょう? 給食費未納だって割合は1%です。前例があると右へならえとなられてしまう可能性があって困るので問題視するのでしょうけど。

人だ、教育だ、社会だと言って、部分的に捉えても解決は不可能で、それぞれが有機的に連携した上での日本社会を考えていかないと、解決はかなり難しいでしょう。
この前の「出来婚」「シングルマザー」の文章の中で、母子家庭の平均年間収入をあげましたが、かなり低いのです。
で、単独親家庭は、那覇市では16%に達しています。全国平均で3%とされています。
 また、下流の代名詞でもある不正規雇用(パート、アルバイトなど)は男性で3人に1人、女性で半分です。
 調べれば、下層が増えていることはすぐわかります。
 以前は下層(貧乏)であることが学習・労働のモチベーションになりましたが、今は逆で、希望が持てないのでモチベーションにならない。上中流である方がモチベーションが高い、という変な国です。ハングリーであることが逆にやる気を失わせているという格差社会なんだということを頭に入れておく必要があるでしょう。つまり、子供の時からのほほんとしていると、下層に落ちてしまいかねないことを親は知っておくべきなのでしょうけれども。

 
子供の人格が劣化しているのは、親の品格が落ちている事の原因が大きいということもあるでしょう。
僕が問いたかったのは『ひらがなを覚えて何の役にたつんですか?』と問うような小学生は学級の何%くらいいて、公立小学校と私立小学校(これは3大都市圏以外では無関係のことでしょうが)で差異はあるのか、地域差はどうなのかなどです。これは本の中では触れられていないんですよね。やはり都市圏の方に多いのかなぁ??
『自己決定こそ価値のある行為である』という風潮が進んでおり、決定事項の内容には無関係に『自己決定した』という行為に誇りを持ってしまうというのも大きな要因になっていると思いますね。
例えば、40人学級で、1人授業放棄する児童がいると、2.5%。二人なら5%ということになりますね。ただ、数値よりも、このような新しい傾向が出てきた、ということじゃないでしょうか。

公立と私立では、はっきりしています。私立(小・中)には「授業放棄」は起こりません。家庭が上中流であること、その上に、学校に退学制度があるからです(公立への転校のこと)。

地域差については、お話のように都市圏に多いでしょう。地方では、まだ地域(共同体)と学校に関係が残っている(ような)ので、それが歯止めになっているのでしょうね。あるいは競争感覚がゆるやかなのかも。

 自己責任って、時にはつらいですよね。そもそも生まれてこの世に(現在ここに)いることは自己責任ではありえません。さまざまな要素や人間関係で、こうなっているので自分だけの努力や責任でそうなっているとは思えません。そこに思いが至るとかなり違うでしょう。
 しかし、努力してもどうにもならない場面もあるので、それが階層の原因なら、その構造は問題にしていかなければならないと思います。

 それはともかく、内田樹氏のような論客が注目されていることは、いいですよ。護憲派でもあるし。

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