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mixi印社コミュの巨匠の添削

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大学の時、西川寧先生が亡くなり、その蔵書の一部が、私が所属する大学のコースに寄贈された。大半は展覧会図録で、同じものが何冊もあったので、そうしたものは一冊を残して学生に配布されることになった。その中に、現代書道二十人展の図録が何年間分もあり、私も十冊ほどもらってきて、書棚に並べておいた。

ある時何の気なしにその図録をめくっていると、作品の図版のコピーがひらりと落ちた。西川先生の作品のものばかりである。作品の図版の横には、鉛筆や万年筆でちょっとしたメモ書きが入っている。そう、これは西川先生が現代書道二十人展に出品した作品について整理されるために図版をコピーにとり、メモを書き込んだものなのである。「昭61 廿人 出」「園中莫種樹」「S59 1984 甲子作」「1986 61年書 旧作」といった文字が見られる。何気ない文字であるけれど、この文字は西川先生のものに間違いない。事実、西川寧著作集や、西川寧展図録等に掲載された西川先生のペン字と比較してみると確かに同じである。

図録を見て、もう一つのことに気付いた。小林斗庵(本来は今酉皿を上から並べた文字)先生の作品もその図録に掲載されているのであるが、その中に「一月廿九日酔」という朱文の印がある。この作品にうっすらと鉛筆の書き入れがあるのである。それは「九」の字の最終部分の画の曲がりの角度が、小林先生の刻では約90°に曲げられているのが、鉛筆の書き入れでは、食い込みを深くし、角度を約45°に直している。そして、2,3回上からなぞった形跡も見られる。

当時すでに篆刻界の泰斗であった小林先生の作品に対してこんなことができるのは西川先生以外にいない。小林先生は、師・河井筌廬亡き後、西川先生に師事した。つまり、この鉛筆の書き入れは、西川先生が弟子の作品に対して行った添削なのである。

もちろん西川先生のこの添削のことは、小林先生は知る由もない。そしてそれ以上に、そうした資料が巡り巡って我が書架に収まっているのは、何とも言えない運命のいたずらに思えるのである。


コメント(9)

ぽるのとぼさん。はじめまして。
自分が大学のとき青山先生が亡くなりました。焼香をしてきました。
青山先生はすでにお弟子さんを取らない時期でしたので
お会いすることもままならず、入院。そして…といった感じでした。

だもんで西川寧(青闇)先生には、なおさら。
お会いしたことすらなかったので貴重なトピックありがとうございました。
そして、毎年忙しくて行けない20人展にも来年は久々に
行ってみようと思います。

運命ですかぁ。
もっと深く、もっといろんなことを知りたいと思います。
今は社中からは離れてしまった身なのでなおさらです。
再びありがとうございました。
ぽるとのぼさん、いいお話をありがとうございます。
重要資料ですね!うらやましい☆

私は猗園展の西川先生→生井先生への印稿添削号を繰り返し
見ています。
すごいですよ、この往復印稿は。
是非お願いします!
歴史的な重要資料です!
画像ありがとうございます。
ムツカシイですね。
丸いからそれに合わせて九の文字を作っているのが小林先生。
それに対してさみしさを感じたのが西川先生。
師匠はいつまでも師匠なのですね。
親がいつまでも親のように(感涙)。
すごいものが見つかってたんですね。

なるほど添削後の方が下に溜まった感じが減って余白の呼応とラインのつながりが明らかに良いですね。濃淡の粗密の感じがちょっと仮名の技法っぽいですけど。
(素人がすみません)
画像ありがとうざいました。
中途半端な転折にメリハリを付けたような添削ですね。
しかし小林氏の感覚の方が私には親しみがあります。
(自然と言うか)
これは篆刻家の感覚ですねー。
すごすぎますね。こんな話きけるなんて、、
ほんとうに、すごい。   そして欲しいです。

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