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俳句で心の旅をしよう!コミュの夢の旅 俳句、川柳、短歌 ツアー

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参加者も少し増えてきましたので、 冒頭に記載していました、 心の旅を具現化したトピを立ち上げました。

〔内容説明〕
全員参加型で、各都道府県を一応北海道から、半月滞在し、順次南下して行きますが(リクエストに応じます。)
参加者は、その県の探索を自由行動で行って下さい。
具体的に、どのように進むのかと、申しますとパソコンを駆使して、日本列島を縦断し、半月間ゆっくり時間を掛けて検索して周り、次の県に移動します。
勿論、外国にも行きます。

記載内容は、パソコンを見て、好きな所の写真をコピーして、貼り付けを行って下さい。
詩は、その写真を採用して考えて下さい。
特に俳句に関しては、背景に合して季語を決定お願いします。  

現時点の季節は関係ありません。
また、自分の得意な分野の、俳句、川柳、短歌で表現してください。
(携帯から、又は、適当な写真が無い場合は、詩のみで、お願いします)

〔目的は〕  
知らない土地でも、パソコンを駆使し旅を楽しみながら、ワイワイ、ガヤガヤ、
俳句、川柳、短歌を詠んで旅情に更けたいとおもいます。

取りあえず、八っちゃんが運転する(少し危ないですが) 大型バスに乗り、移動します。

出発は、北海道から〜〜〜〜〜。 
北海道は、いろんな面白い所が多いので、観光しながら、詩を楽しみましょう。では、半月後の集合場所は、函館港に集合して下さい。


コメント(341)

もう 一箇所照会したいと思います。

長谷寺です別名 花の御寺と言って とても花の奇麗なところですよ。




     『 長谷寺をめぐるボタンのささやきが 風に吹かれて胸に咲かすや 』




                     ボタンて奇麗ですね。
八っちゃんさん、みなさん、ご無沙汰しています。

長い間、放浪してしまい、すみませんでした。

古都・奈良・・・

歴史ロマンあふれる同県は、洗練された京都とは違い、ほがらかでのんびりとしていますよね。

何者も受け入れてくれるような、ふところの広さとスケールを感じます。

さて、最初は奈良公園周辺を放浪。鹿がちょっぴりこわいです。

大仏さまは、ついつい口をぽかんと開けて拝見してしまいますね。

それから、少し離れた所にある新薬師寺へ。

ここのご本尊は、全国でも珍しい目の大きな薬師如来さま。

よくよくお参り。

さらに、このお寺は、別名萩の寺。季節柄、キレイに咲いていました。


『群れで咲く白き萩らは助け合ふ人と人との縁によく似る』


空を見上げれば、なんとも言えない秋晴れ。


『あをによし奈良の美空は高かりてとんぼも山ものびのびとせり』


さてさて、その後は斑鳩の方へと足を伸ばしました。

広々とした田園地帯に、ぽつんぽつんとお寺があり、これぞ日本の原風景ですね。


『まんじゅしゃげ燃ゆる道へと踏み入らば時間旅行へいざなはるるや』


斑鳩の里の中心、世界最古の木造建築・法隆寺は本当に感慨深いです。

五重の塔などは、千五百年も昔によく建てたなぁと、あんぐりです。


『斑鳩の塔はしづかにもの言わずけふも迎ふや秋の落日』


あちらこちらを放浪した後、平城宮跡へ。

ここではどんなロマンがあったのかな、などと思い巡らしながら、少し歩いて、薬師寺へ。

でかいなぁ。


『大らかな建物並ぶ薬師寺は昔も今も凪模様なり』


金堂・西等・東等が立ち並ぶ様子は圧巻で、まったく動揺のない、、重厚感ある佇まい。心に静けさを与えてくれます。


そして次に、すぐ近くの唐招提寺へ。

ここの雰囲気は不思議。他の寺社に比べ、緑の量が多い。


『蓮の葉のひとつひとつにゆらゆらと木漏れ日うつる天の恵みよ』


深呼吸が気持ちいいです。


他にも、色々と放浪しましたが、奈良県、やっぱりいいですね。

すでにバスは出発してしまったかと思っていましたが、みなさんお優しく、待っていてくださったんですね。

ありがとうございました。

それでは、再びバスに乗り込みます。

次はどこかな。
(花ぼんぼりさん)

(奈良公園周辺)
を放浪。鹿がちょっぴりこわいです。 大仏さまは、ついつい口をぽかんと開けて拝見してしまいますね。

(新薬師寺へ)
ここのご本尊は、全国でも珍しい目の大きな薬師如来さま、よくよくお参り。
別名萩の寺。季節柄、キレイに咲いていました。

(斑鳩の方へ)
広々とした田園地帯に、ぽつんぽつんとお寺があり、これぞ日本の原風景ですね。

(平城宮跡へ)
ここではどんなロマンがあったのかな、などと思い巡らしながら、

(薬師寺へ)
金堂・西等・東等が立ち並ぶ様子は圧巻で、まったく動揺のない、、重厚感ある佇まい。心に静けさを与えてくれます。

(唐招提寺へ)
ここの雰囲気は不思議。他の寺社に比べ、緑の量が多い。

色々と放浪しましたが、奈良県、やっぱりいいですね。


(小次郎さん)
確かに鹿は恐いですね。

僕も小学校の修学旅行の時に鹿せんべいをやろうとして、鹿に取り囲まれて固まりました。
(>_<。)

友達に救出されたけれど、よく考えたら取り囲んで餌をくれるのをジッと待っているだけなので危険はないですね。


(八っちゃん)
 小学校のよき思い出ですね、 
私も小学5年のとき奈良遠足で鹿をみましたが、それほどのインパクトは、ありませんでした。
 ですから、反対にうらやましい感じがします。

花ぼんぼりさん さすが色々探索したのですね、詩もとても奈良の匂いがして万葉の世界を感じました。




小次郎さん 花ぼんぼりさん ぼちぼち奈良県を出発します。
今日は天気も良いので、大台ケ原を廻って紅葉を見ながらの、お弁当なんか如何ですか?
いいですね。(代弁)。

○ バスは快調に飛ばしています。
伯母谷を伯母谷峠まで上がります。
峠をあがりきった所から大峰の山々が見えます。
大普賢岳がどっしりとかっこ良く見えました。
みせん、八経岳が見えます。
到着しました。

○ 登山者であふれていますね。
みんな紅葉を求めてもハイキングですかね?
しばらく行くと石段ののぼりになります。

○(コンニチワいいお天気ですね)
このあたりから紅葉がはじまっています。
オレンジがきれいでしょう。
隣の山はまっかです。

○ この辺りは、立ち枯れの木たちです。
ここらへんの登山道もすべて木道になっていますね。
山を歩いているというよりも、公園を歩いている感じです、
風が気持ちいいですね。


では、お弁当 お弁当。
紅葉を楽しみながらの お弁当は最高ですね。



       『 紅葉の風に包まれ箸凍る 』



少し寒いですね がまん顔

さぁ〜次は、いよいよ和歌山県に入ります、 
皆さんで、こやみさん宅でもお邪魔しまするんるん
 驚きますかね目








                    【10月16日〜11月15日】












                          【 和歌山県 】






とうとう和歌山県にバスは入りましたね〜バス

皆さんで我が家とチャボ邸を訪問していただけるとのことるんるん
どうぞどうぞ お越し下さいませ^^
狭い庭で柴犬のクウと共にお出迎えいたします^^

八っちゃんさんも(たぶんあせあせ)私も
半世紀以上住み続けている和歌山県
さあ八っちゃんさん どこから巡りましょうか。

と言いながら
まずは我が故郷である 田辺市龍神村へご一緒して下さい^^

龍神村は和歌山県の中央部に位置しているものの、
古くから林業が代表的な産業であり
要するに和歌山県 いや日本の僻地であります。
それで当然のことながら龍神村の魅力としましては
大自然がいっぱいで、
緑の濃い山々と美しい水の流れる日高川と
観光では1300年の歴史ある秘湯で
日本三美人の湯で有名な「龍神温泉」があります。

この温泉は美肌効果が高く
お風呂上がりはお肌がツルツルとしてしっとり感があり
よく温まり 特に冷え性 神経痛 肩こりに効くと言われています。

やっと秋らしくなり足腰が冷えて参りましたので
今日は皆さまでこの龍神温泉でゆっくり温まりましょういい気分(温泉)

    ○秋の日や山々山の露天風呂 


それでは次の観光地へと
八っちゃんさんにバトンお渡ししま〜す。

こんな感じでいいのでしょうか・・・あせあせ(飛び散る汗)
バトン受け取りました。


小次郎さん 疲れに湯治は最高ですね! 
肩こり治りましたか。

こやみさん 美人の湯 私も三回入りましたいい気分(温泉)
あちこち温泉も入りまいたが。
私のランクでは、三本の指に入ります。

他府県の方が、和歌山に来ましたら、やはり照会したいのは高野山です。
高野山を一番にした理由は、お墓の数です。

そのお墓ですが、2キロほど続いており 現在までの偉人の方々の大きな、お墓が杉の木立の中に並んでいます、 その先に奥の院があります。




               『 奥の院落ち葉にけむる歴史顔 』





照会してみます。

 高野山は、遣唐使として唐へ渡った空海(弘法大師)が開いた真言密教の根本道場である。高野山は和歌山県伊都郡高野町に
あり、町全体は山に囲まれている。国道24号線から高野山道路を登っていくと、大門に始まり金剛峰寺を経て空海の眠る奥
の院御廟まで、道路の両側に寺院が建ち並ぶ。標高800メートル、周囲を深山に囲まれ東西5.5キロ、南北 2.3キロの山上盆地
だ。弘法大師・空海は 20歳で出家し、31歳の延暦23年(804年)、唐に渡り、都・長安で恵果和尚より正統密教をきわめ、
8人目の阿闍梨遍照金剛の称号を得、大同元年( 806)に帰国してから、真言密教を全国各地に広めた。日本のあちこちに弘
法大師逸話が残っている。嵯峨天皇より高野山を賜り弘仁7年(816)開山、これが高野山金剛峯寺の初めと言われている。
それから20年後、大師は62歳の承和2年(835)3月21日に入定し即身成仏となり、今も奥の院御廟に葬られている。
空海の死後も、高野山自体は勢力を伸ばし、戦国時代には相当の所領(約16万石)を有した寺領権力となった為、織田信長
はこれを焼こうとしたが果たさずに本能寺で果てた。高野山は豊臣秀吉に屈し、所領2万石33万坪を安堵されて生き延びる。
徳川時代も幕府の庇護の元に、諸大名達の墓所として栄え今日に到っている。



            
高野山 

杉巨木の立ち並ぶ参道には無数の供養塔や墓標が並び
奥の院には広大な墓地
とにかく高野の歴史を感じる観光地 高野山は
多数の観光客でいっぱいでしたね〜バス


さて高野山から和歌山市内へ向かって
40分くらい車を走らせ
紀の川市にある「華岡青洲の里」に着きました。


和歌山県紀の川市は、「華岡青洲」生誕地として知られており、
「春林軒」「フラワーヒルミュージアム」の施設と
「ハーブフラワーパーク」等、みどり豊かな丘陵の地を総称して
「青洲の里」と呼んでいます。
華岡青洲は、1804年に母と妻の献身的な協力の下、
マンダラゲを主成分とする麻酔薬「通仙散」を用いて世界で初めて、
全身麻酔により乳癌の摘出手術を成功されました。
「春林軒」は、青洲の住宅兼診療所で医学校でもあった建物群で、
発掘調査資料に基づいて忠実に再現され、
かつての待合室・診察室・奥の間や馬屋・
青洲が初めて麻酔を使用した手術風景を始め、
麻酔実験等が人形と音声を使ってリアルに再現されています。
また、歩いて数分のところに「フワラーヒルミュージアム」があり、
青洲が使っていた手術器具や愛用のメガネ、
治療に関する資料や標本、杉田玄白等との交流書簡等が展示されています。

和歌山が生んだ日本の小説家「有吉佐和子」による小説で
「華岡青洲の妻」は映画やテレビドラマで放映され 
又舞台公演などで医学関係者だけでなく
華岡青洲の名前は多くの人に知られることになりました。


さて 次はどこを観光しましょうか。
八っちゃんさん お願いしま〜すわーい(嬉しい顔)

了解しました。 
照会は観光地と言うよりも地理の勉強になりました あせあせ(飛び散る汗)

有吉佐和子の小説紀ノ川 良いですね。 (私も紀ノ川の川原では、よく遊びましたクローバー



         『 紀ノ川の水に漂う笹舟の涙運びて波に消えるや 』



 紀の川(きのかわ)は、奈良県から和歌山県へと流れ紀伊水道に注ぐ一級水系の本流。河川法上の名称は「紀の川」であるが、国土地理院の25,000分の1地形図では「の」が小さなカタカナで「紀ノ川」と記載されている。

奈良県内では奈良県南部の地名「吉野」に因み「吉野川(よしのがわ)」と呼ばれるが、河川名を案内する標識などには水系名である「紀ノ川(きのかわ)」が併記される(例:「よしのがわ(きのかわ)」)。地図や橋の銘板には吉野川と記される
「青洲の里」をあとにして、
紀ノ川に沿って下ること40分
和歌山市内に到着しましたバス

和歌山市と言えばやはり「和歌山城」です。

緑茂る虎伏山に和歌山城天守閣がそびえ、
天守閣に登れば、和歌山市街が一望に見渡せ、
紀ノ川がゆったり流れているのがよくわかります。

和歌山城は、天正13年(1585)に紀州を平定した
豊臣秀吉が弟の秀長に築城させたのが始まりです。
その後関が原の戦いで功績のあった
浅野幸長が慶長5年(1600年)に入城しました。
元和5年(1619年)徳川頼宣が入城してからは水戸尾張と並び
徳川御三家の居城となりました。
八代将軍となった徳川吉宗は33歳まで藩主として活躍し、
享保の改革を行ったのはあまりにも有名です。

そんな歴史ある和歌山城の公園の
玄関口である一の橋からスタートして、
お城、動物園、つつじ、茶室で一服、御橋廊下を通り一の橋への
お散歩をお楽しみ下さいませ^^

桜が満開の時は桜祭りが開かれ沢山の花見客が訪れます。

来年こそは小次郎さん
お花見にお越し下さい桜


速攻に俳句が思い浮かばずすみませんm(__)m



和歌山市から阪和高速道に乗って南へ1時間
西牟婁郡白浜町にある
海と温泉のリゾート地 南紀白浜へやって来ました。
日本有数の温泉観光地として発展し、
現在も1年中 多数の観光客が訪れています。

万葉集にもうたわれた白浜温泉は熱海、別府と並ぶ
日本屈指の温泉郷。海沿いには大自然が造った千畳敷や三段壁、
円月島などの景勝地が点在し、
その周辺にはアドベンチャーワールドに代表される
大型アミューズメント施設が豊富。
温暖な気候の下、5月から海水浴も楽しめ、
マリンスポーツなどのレジャー拠点としても人気が高く
和歌山県の観光地としては通り過ぎるわけにはいきません。

10月29日
かねてより予定していた 動物園、水族館、遊園地が一体になった
テーマパークである南紀白浜アドベンチャーワールドに
二人の孫を連れて主人と4人で行って来ました車(セダン)

ここは、マリンライブ&アシカライブをはじめ
たくさんの芸達者な動物達が居て
全部を見て回るにはとても一日では足りません。

大自然の中で過ごしている ライオンやトラ クマやチーター
その他多数の肉食動物のそばを私達はケニア号に乗って
探索しました。

パンダランドにはパンダがたくさん居て
パンダだらけでした。

他にわんわんガーデンやペンギン王国
怪獣館 ふれあい広場 と見たい所がいっぱいなのに
孫達は有料の乗り物ばかりに乗りたがります冷や汗

ちょっと目を離したすきに
6才がどっかへ行ってしまい迷子にげっそり
見つけるまでの2 30分は
まるで何時間にも感じました。

帰る頃には4才は半分寝ながらフラフラ歩くので
仕方なくおんぶして・・冷や汗

やっと広い駐車場で我が車を見つけて乗り込んで 
気が付いたら我が家近くまで帰って来ていましたあせあせ


  今 風邪気味ですあせあせ(飛び散る汗)
  やはりちょっと頑張り過ぎましたあせあせ




八っちゃんさ〜ん 次 お願いしま〜すわーい(嬉しい顔)


こやみさ〜ん 了解しました。

それでは、白浜を後にしまして国道42号線を南下します。 
 高速道路は白浜まで げっそり 少し寂しい紀伊半島。

海岸線に沿ってS字カーブが多く運転は、少し疲れます。
串本まで約90分 そこは本州最南端です。

串本町は、紀伊山地を背に潮岬が雄大な太平洋に突き出した本州最南端の町です。(面積135.78km2)本州最南端の地、潮岬は北緯33度26分、東経135度46分。これは、東京の八丈島とほぼ同緯度に位置します。茫々たる太平洋に面し、

東西に長く延びた海岸線はこの地方の特色であるリアス式海岸で、串本から大島に向かい、約850mの列を成して大小40余りの岩柱がそそり立っています。

海の浸食により岩の硬い部分だけが残り、あたかも橋の杭だけが立っているように見えるこの奇岩には、その昔、弘法大師と天の邪鬼が賭をして、一夜にして立てたという伝説も伝わっています。吉野熊野国立公園地域にあり、国の天然記念物に指定されています。





               『  行く秋の海も冷たし橋杭岩  』






                                また寒くなりますね。



 こやみさん あせあせ 句 イマイチでした。。。   
いつも単独行動ですみません。

和歌山の旅も、あちらこちらをフラフラしておりました。

以前から行きたかった那智の滝へ行きました。

滝っ不思議ですね。


『色のなき清水は滝へ流るれば真白き色になりて散るなり』

『爆音のとどろく森に静寂の時は満ちたり 那智の大滝』


次に白浜のアドベンチャーワールドへ。

なんと言ってもパンダですね。

かわいくて、ずっと見ていました。


『笹食めるパンダの顔も腹までもまるまるとせり さらに食みゆく』


見ているだけで、しあわせな気分になります。


そして高野山へ。

山の上に町があるんですね。驚きました。

でも、やっぱり奥に入っていくと、空気が違いますね。


『どこまでも天を目指して伸びにける高野檜は高野にぞ在る』


すべてのものが神聖で、誇りに満ちていますね。


和歌山ではとともいい気分転換ができたように思います。いいところでした。

そして、またまた期限を切ってしまい、申し訳ないです。間に合ったでしょうか。

おはよう御座います、
皆さん 和歌山県を楽しんで頂きましたか?

 花ぼんぼりさん、期限はいいですよ、それより和歌山を知っていただきまして有り難う御座います。

また、こやみさん 小次郎さん  掲載有り難う御座いました。

最後になりましたが、旧の熊野本宮大社跡地を照会したいと思います。
熊野古道とは、主に以下の5つの道を指します。
• 紀伊路(渡辺津-田辺)
• 小辺路(高野山-熊野三山、約70km)
• 中辺路(田辺-熊野三山)
• 大辺路(田辺-串本-熊野三山、約120km)
• 伊勢路(伊勢神宮-熊野三山、約160km)
これらの多くは、2000年に「熊野参詣道」として国の史跡に指定され、2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部としてユネスコの世界遺産(文化遺産における「遺跡および文化的景観」)として登録された。


○ 熊野古道意外に私が思っていることがあります。
  なぜ、熊野が昔の人に人気があったのですかね?

それは、八っちゃんが少し気功を勉強した時のことをお話しします。(ほんの少しですよ)

○ 7年位前の事ですが、本宮町に仕事でよく行きました。 
  休憩時間が長いので、散歩お楽しみつつ旧社地に行き、旧社地で静かに座っていました(30分程度の座禅) そしたら【とても気持がいいのです】 その直後に感じたのですが、(本当の話)宇宙のエネルギーを身体に感じました。(宇宙のエネルギーと言いましても、凄い風圧とか原爆みたいな凄いものではありません、直感的な感じですね)

最終回の楽しみ方としてまして、前回までは、掲載者の方々と 食事 や 温泉を楽しみましたが、今回は神秘的な企画としまして大斎原で(写真を見てください)座禅を楽しみましょう。






           『 心中に響く神秘の心地よさ大斎原や神楽の敷地 』






ホームページに載っていましたので、貼り付けました。

熊野本宮大社がもともとあった場所。大斎原(おおゆのはら)。
 現在は2基の石祠が祀られているのみですが、【とても気持ちのよい場所です】。
 本宮大社前のバス停からですと500mほど離れていますが、近年、旧社地近くに日本一の大鳥居(高さ33.9m、横42m)が建てられましたので、場所はすぐにわかると思います。歩いて5分ほどです。
 明治22年(1889年)8月の水害時まで熊野本宮大社は熊野川・音無川・岩田川の3つの熊野川と音無川に挟まれ、さながら大河に浮かぶ小島のようであったといわれるかつての本宮大社。熊野川は別名、尼連禅河といい、音無川は別名、密河といい、2つの川の間の中洲は新島ともいったそうです。
 江戸時代まで音無川には橋が架けられず、参詣者は音無川を草鞋を濡らして徒渉しなければなりませんでした。これを「濡藁沓(ぬれわらうつ)の入堂」といい、参詣者は音無川の流れに足を踏み入れ、冷たい水に身と心を清めてからでなければ、本宮の神域に入ることはできませんでした。




森羅万象に命や神霊が宿るとする、古神道の一つである神奈備(かむなび)や磐座(いわくら)という山岳信仰と仏教が習合し、さらには道教、陰陽道などの要素も加味されて確立した日本独特の宗教である[1]。
日本各地の霊山を修行の場とし、深山幽谷に分け入り厳しい修行を行うことによって超自然的な能力「験力」を得て、衆生の救済を目指す実践的な宗教でもある[1]。この山岳修行者のことを「修行して迷妄を払い験徳を得る」ことから修験者、または山に伏して修行する姿から山伏と呼ぶ。


少し難しいですね、
でも現代人より、昔の人は内面の宇宙神秘の探求は進んでいた様な気がします。


それでは、皆さんバスに乗ってください、これから大阪に向かいたいと思います。










                    【11月19日〜12月31日】














                          【 大阪府 】






和歌山県では あと熊野本宮大社と那智の滝へ行きたかったのですが、
思いのほか 風邪引きが長引き パソコンに集中出来ず涙
そうこうしているうちに 花ぼんぼりさんが行って下さりるんるん
私は失礼をしてしまいましたあせあせ(飛び散る汗)


さて 今度は大阪府。
大阪のシンボルと言えばやはり大阪城ですね〜^^

私も今回単独行動でm(__)m

先日 大阪市在住の元マイミクさんと初めて待ち合わせをして会いました。
そして大阪城へ行って来ました。

大河ドラマの「江」でおなじみの大阪城は
どこもかしこも中国か韓国の団体の観光客でいっぱいでした。

天守閣の8階からは大阪市内を一望出来
大阪城公園の紅葉はやっと色づき始めた感じでした。

各階の展示室には
豊臣秀吉の生涯や大坂夏の陣図屏風の世界 
金の鯱の原寸大のレプリカの展示などなど。
 
一日かけてゆっくり見て回りたいと思いましたが、
この日は意気投合した元マイミクさんと喋ってばかりで
想像通りのきれいでおしゃれで聡明で
そんな彼女に同性ながら見惚れてばかりいました^^


すみませんあせあせ(飛び散る汗)
又 俳句作れなくて載せることができませんm(__)m


ユニバーサルスタジオジャパンを楽しんできました。
((o(^-^)o))

小次郎さん 良いですね私は、まだ一度も行ってませんの げっそり

来年は絶対に孫と行くぞ !!


少し古い話ですが、
やはり大阪のテーマパークと言えば、日本万国博覧会。 
私の青春時代 18歳のときです。
結構 テンションが上がりましたよ、  5〜6回行きました。

会期 1970年3月15日(日)〜9月13日(日) 183日間
日本万国博覧会は、77カ国の参加のもと6400万人を超える入場者により好評のうちにその幕を閉じました。
当時を懐かしむ方、70年大阪万博を知らない世代の方など、それぞれの見方、思いは異なりますが、開催から35年経過しても当時のパビリオン、展示内容は、現代においても見劣りしません。

テーマ館の太陽の塔は、地上、地下、空中の3層にわたる展示空間で、博覧会のテーマである「人類の進歩と調和」を最も表現する場でした。テーマ館の中心「太陽の塔」は、博覧会会場のシンボルとして人間の尊厳と無限の発展を表現したもので、約70mの高さで大屋根を貫いてそびえ立ち左右に腕を広げて会場を訪れた人々を迎えました。

アメリカ館は凄い人気でしたが、私、アポロ船長の椅子に座りました。
硬いプラスチックの椅子でしたが、 とても快適な構造でした。


   目  早いもので、41年前  えええ〜〜〜〜 そんなに時間が過ぎたの カチンコ





          『 万博も遠い昔の枯れ木立 』





          まったく私も枯木立です最近手に染みが多くなりました。
大阪と言えば最近は維新の会、橋下市長が超有名ですが、その根源は吉本です。


貼り付けします。
吉本興業株式会社(よしもとこうぎょう、英: Yoshimoto Kogyo Co., Ltd.)は日本の企業。
大阪府大阪市中央区と東京都新宿区に本社[1](登記上本店は大阪)を置く、マネジメント、プロモーター、テレビ・ラジオ番組製作、演芸の興行等をグループで行う吉本興業グループの持株会社。通称:「吉本」、「よしもと」。
1912年(明治45年)4月1日の創業以来、2007年(平成19年)9月30日までは日本の芸能プロダクションで、95年半の最も古い歴史を持っていたが、2007年(平成19年)10月1日から持株会社制へ移行し、同社の事業部門は、よしもとクリエイティブ・エージェンシー、よしもとデベロップメンツ、よしもとアドミニストレーションにそれぞれ分社化され、「吉本(よしもと)」を名乗る芸能プロの歴史は、よしもとクリエイティブ・エージェンシーに引き継がれた。




       『 笑い声手の音一つ実千両 』




              維新の会もやはり国政に打って出ますか?
小次郎さん 
万博は小学生でしたか、でもあの時代、世界各国の人々が溢れ感動したでしょうね。
今回は、大阪の心臓部を照会したいと思います。
はい、御堂筋が血管の役目をしています。

大阪府では、大阪のシンボルである御堂筋のイチョウをイルミネーションで装飾すること により、世界に類を見ない景観を創出し、美しい光のまちとして、人々をひきつける賑わい をつくり、大阪全体の活性化を図るため、御堂筋イルミネーションを実施しています。

また、本町南ガーデンシティ前のイチョウは、東日本大震災からの復興を願い、みんなの共通の想いを表したデザインとメッセージサインです。


   チャペル 今日はクリスマスイブ





                  『 御堂筋祈り光にイブの夜 』





              世界が安全に暮らせますように。
    
八っちゃん みなさま こんにちは。


大阪万博懐かしいですね。
当時4才でした。何日間かけてパビリオンを周りました。

ものすごい人ごみでした…それがすべて活気で希望でもありましたぴかぴか(新しい)

父も母も若かったぴかぴか(新しい)

懐かしくイイ時代
(されど欲望や無い物ねだり時代の幕開けでもありました)
とにかく楽しかった♪
ミニスカートはやっていましたよねグッド(上向き矢印)グッド(上向き矢印)

春光や母の太もミルク味

母の二の腕とか太もも好きだったな
大阪万博というと母の太もも思い出します(笑)



懐かしい&大阪もうひとつ

やっさんがメガネ落として風光る

やすきよ漫才も大好き揺れるハート


覚えているのは断片的な景色です。

エキスポランドの入り口、駐車場、母の太もも、肩車から見た人混み、カラフルなモスラのような建物、父は井上陽水みたいなサングラスしていました(笑)

ジェットコースターに乗れなかったことも覚えています。
父母の服装からして行ったのは夏だと思います。
小乃は1965年11月生まれですので4才半くらいのときかなぁ♪
(こやみさん)
さて 今度は大阪府。
大阪のシンボルと言えばやはり大阪城ですね〜^^

(小次郎さん)
ユニバーサルスタジオジャパンを楽しんできました。
((o(^-^)o))

初めてのテーマパークです。
3Dなるものを初体験しました。
( ̄◇ ̄;)

 (小乃さん)
大阪万博懐かしいですね。
当時4才でした。何日間かけてパビリオンを周りました。



皆さんの思い出有り難う御座いました。
小次郎さんも言っていましたが、4歳の時の記憶て素晴らしいですね。


今回は、長く大阪で滞在いたしましたが、ボチボチ兵庫県に行きましょう。

私がイメージする大阪は、やはり通天閣ですね、

そこで通天閣の真下にあたる新世界にある、元祖串かつ だるま屋さんに行きますか。
串カツ(1本): 105円〜
野菜: 各105円
カキ(冬)、ハモ(夏): 210円
エビ、ホタテ、鶏唐揚げ: 210円
どて焼き: 350円
キムチ: 210円

(テレビとかでよく見るこの光景の近くやっぱりいわゆる大阪の串かつ行かないとねもちろんソース二度漬け禁止ですウー)

皆さん 
じゃんじゃん飲んでください。検問があっても、気にしなくてもmixiの中ですから安心です。

通天閣と言えば、やはり将棋ですょね。

その中でも、坂田三吉と小春の生涯はいつまでも心に残ります。
通天閣下の坂田三吉の王将碑


阪田 三吉(さかた さんきち、1870年7月1日(明治3年6月3日) - 1946年(昭和21年)7月23日)は、明治から昭和初期の将棋棋士
被差別部落出身とされる[2][3]。生業の草履表づくりを手伝いながら、将棋を覚える。1886年(明治19年)ごろ、日本橋の履き物問屋に丁稚奉公、町角の縁台将棋によく顔を出し大人を負かせるなど早熟の天才振りを見せていた。だが、将棋に夢中になるあまり背負っていた奉公先の子供を負傷させ、暇を出されたといわれている。

その後は実家に帰り家業を手伝いながら賭け将棋で腕を磨き、素人(アマチュア)の将棋指しとして大阪で有名になる。1899年(明治32年)頃、関根金次郎と堺で初対決し、惨敗したことでプロの道を決意したと言われている。この対局は両者とも賭け将棋を否定しているが、賭け将棋であるとの意見もある(岡本嗣郎「9四歩の謎 孤高の棋士・坂田三吉伝」より)。関根とは1906年(明治39年)4月22日大阪阿弥陀池で二度目の対局(関根の香落ち)をする。双方互角の勝負であったが、終盤坂田が千日手を打開してペースが狂い惜敗する。坂田にとって「私を本物の将棋指しにしてくれた」一戦であった。以後坂田は打倒関根を目標として貧困や自身の眼病などの危機を乗り越えていく。さらに自身の才能を見出す後援者にも恵まれ、1908年(明治41年)大阪朝日新聞嘱託となる。こうして生活も少しずつ安定し同時に技術人格ともに成長していく。1910年(明治43年)7月、阪田三吉七段を盟主とする関西将棋研究会が設立される。

また 坂田三吉は字が読めなかった。
文字を知らないための奇行があったことは、実際に親しく将棋を教えられた升田幸三も認めており、食堂のメニューが読めなかった。





   『 読めずとも一途の人生板の上 小春と過ごし駒駆けるやら 』



         『 新世界二人のいぬのふぐりかな 』



                    

  勇気と希望ありがとう御座いました。


 それでは、皆さんこれから湾岸線を通行しまして神戸に向かい南京町で解散します。





                    【3月18日〜4月30日】












                          【 兵庫県 】








兵庫県といえば、今の時期と言えば甲子園ですよね。

私個人は、野球を見るのは好きですが、
プレーはとても下手なので、子供のときからあまりしませんでした。

高校野球て、 
考えてみますと一つの音楽ですね、心の中に響く七連符 鼓動をたたく音
旋律は激しく 燃えて 走って 見ている人の心に熱いものを届ける。
春が来たて感じですね。



          『 甲子園幾万人の汗を吸う  』
こんばんは。ご無沙汰しております。
久しぶりに合流させていただきます♪
やはり神戸では神戸ビーフをいただきたいもの!


神戸牛夢みて待ちぬ賞与かな

冬はすき焼きもイイですね。やっぱり神戸牛ステーキかなぁ…。

結局、賞与は待ちきれず。
神戸ビーフのステーキをペロリといただきました。あぁ幸せ♪
お腹も満足したので夜の散策を…♪
冬の神戸といえばルミナリエ。

神戸から希望灯せしルミナリエ

こんにちは。
神戸から約3時間列車に揺られて城崎温泉にやってきました。
外湯が七つもあるそうですよ。
七つ全部入りたいと思いますo(^-^)oのぼせないよう気をつけようっと♪


丹前の外湯巡りや下駄の音


 ご無沙汰しています。
  写真は、 小乃さんですか?
 七つ全部入ったのですか、

  私は、13年前に一の湯、柳湯 鴻の湯 に入りました。
 中々いいお湯で、  それどれ特徴がありましたょ。
  街並みも昭和を感じました。
     私も下駄で、周りました。


    『 湯煙の味わう道の下駄寒し 』

あははっ。
写真は通りすがりのモデルさんです。綺麗なかたですね。
お湯は七つ全部入りましたよ♪
(なんたって夢の旅ですから)

了解しましたでも、
私の勝手なイメージでは、やっぱり小乃さんです。

イメージを膨らませて•••••
下駄の句を合わせてみました。

[ 湯上りの絡む下駄音息白し ]

良い温泉でしたね。

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