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勝海舟の父、勝小吉コミュの小吉の生涯

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夢酔独言より

「旗本男谷平蔵の三男(妾腹)として生まれる。文化5年(1808年)、数えで7歳の時、勝甚三郎の養子となるが、喧嘩好きで学問を嫌い、たびたび問題を起こす。

文化12年(1815年)、江戸を出奔。上方を目指す。護摩の灰(旅人を騙して金品を奪う盗賊)に路銀と服を奪われ無一文になり、乞食をしながらとりあえず伊勢参りをする。旅の途中で病気になるが、乞食仲間や賭場の親分に助けられ、江戸へ帰る。

野宿をしていたとき崖から落ちて、金玉を片方つぶし、2年ばかり直らなかったという。ちなみに息子の海舟も子供の頃に野犬に襲われ、金玉を片方を食いちぎられている。

文政2年(1819年)、数えで18のとき所帯を持つ。しかし文政5年(1822年)5月、再び江戸を出奔。道中「水戸の家来だ」と身分を偽り宿屋や人足をだまして旅を続けた。遠州の知り合いの処にしばらく逗留していたが、江戸から甥が迎えに来て、懇願されて7月に江戸へ帰る。

江戸へ帰ると父親に座敷牢に入れられ、そこで21歳から24歳まで過ごしたという。その間、長男の麟太郎(後の海舟)が生まれる。麟太郎が生まれたのが文政6年(1823年)の1月だから、計算すると出奔したとき妻はすでに身重になっていたと推定される。

「隠居して3歳になる息子に家督を譲りたい」と願うが、父に「少しは働け」と言われ、就職活動をする。しかし、日頃の行いのせいか役を得る事はできなかった。

その後は喧嘩と道場破りをしながら、刀剣の売買や町の顔役のような事をして過ごす。あるとき、あまりの不行跡ゆえに長兄の男谷彦四郎に檻へ押し込められそうになった。小吉も檻に入ったら食を断って死のうと思っていたが、兄嫁や甥の男谷信友が彦四郎を説得してくれて難を逃れた。

天保9年(1838年)、37歳の春に隠居。麟太郎へ家督を譲る。
天保14年(1843年)、中風発作の後遺症もあったため鶯谷に庵を結び、いぜんより静かな生活となる。『平子龍先生遺事』と『夢酔独言』を書く。『夢酔独言』は子孫に自分のようにはなるなと伝える目的で記したもので、「けして俺のまねをするな」と書いている。

嘉永3年(1850年)、49歳で死去。

コメント(7)

1について、ぺんぺんさんのいうとおりかと思います。

2は『風雲児たち』かな

マンガですが、自分は勝小吉を知るきっかけになったですよ。
自分も司馬遼太郎の歴史小説はよく読みましたね。
 明日、自分では買えませんでしたが、『夢酔独言総索引』を図書館で読んできます。
貸し出し禁止ですが、他の図書館より取り寄せて貰って読むことが出来るのです。
麟太郎さんの苦学を思えば、便利な時代となりましたね。ほっとした顔
夢酔独言本、読んでみたいですわーい(嬉しい顔)

書店にはないですかね冷や汗

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