ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

かさこワールドコミュのかさこ講演録前半

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
2008.11.18に東京スクールオブビジネスの
マスコミ・広報学科の生徒約30名の前で
「サラ金からカメライターに転身した私の方法」
の講演内容を掲載いたします。
(前半部分)

※後半は下記より
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=37154642&comm_id=3681092

<序>
みなさん、こんにちは。
編集、ライター、カメラマンの仕事をしております、
「かさこ」と申します。
現在、33才ですが、
編集プロダクションで正社員として働いているかたわら、
個人でもライター・カメラマン活動を行っておりまして、
文章の本が4冊、写真集4冊、
計8冊の著書を出版しています。

今、会社でやっている編集の仕事も、
個人でやっているライター、カメラマンの仕事も、
どちらも楽しくやっていてとても幸せです。

今でこそ、編集業界で楽しく働き、
個人としても本を出すこともできましたが、
今から約10年前、
みなさんとほぼ同じぐらいの20才ぐらいの時は、
やりたいことなんかまったくなくて、
今の自分の姿をまったく想像できませんでした。

そして何を血迷ったのか、
やりたいことがなくて進路に困ってしまい、
大学卒業後はサラ金のアイフルに就職しました。

やりたいこともなくて適当に就職してしまうような、
どこにでもいる、普通の人間が、
なぜこんな風に本を出せるようになったのか。
なぜ今、希望の編集業界で楽しく働くことができているのか、
私のこれまでの約10年の足どりをお話したいと思います。

今、進路に悩んでいたり、
就職は決まったもののこの先に不安があったり、
将来の夢は実現できるのか、
疑問に思っていたりする人も多いと思うので、
私の話がみなさんの参考になればと思います。

1:20〜22才:やりたいことなく、サラ金に就職
私が大学3年生、ちょうど20才過ぎぐらいの頃のこと。
そろそろ就職を考えなくてはいけないと思ってみたものの、
本当に困ってしまったんです。
だって、やりたいことがない。

そもそもサラリーマンになって、
やりたいことなんてできるわけないし、
サラリーマンになるメリットって、
仕事で自己実現するとかじゃなく、
安定した給料をもらえて、
そこそこ休みがもらえることなんじゃないかって。
そんな風な悲観的というか現実的な見方をしていました。

だからほんと、どこでも良かった。
ただやりたくないこととはいっぱいあるので、
ノルマが厳しい会社とかはのぞき、
嫌な業界や企業は消去法で消していって、
残った業界の企業に手当たり次第、
就職活動することにしました。

ただ私が就職活動していた頃は、
今の時期とすごく似ていて、
就職氷河期のはじまりだったんですね。
銀行がおかしなことをして、不景気になり、
新卒採用を絞るみたいな。
だから、一応、それなりに、
自己分析とか志望動機は考えなきゃいけないと思って、
やりたい仕事って何だろう、
自分の好きなことって何だろうって考えました。

まず浮かんだのが旅行。
自分の好きなことは海外旅行だったんで、
旅行関係はどうだろうかと。
でも旅行を趣味にするのと仕事にするのは大違いだろうし、
人の旅行の世話なんかしても楽しくないと思いました。
それに旅行業界は給料安いし、
土日とかも休めそうにないので、
就職先として旅行業界はやめました。

次に浮かんだのがマスコミ。
漠然と新聞記者とか出版社の編集者とかいいなと。
でもそれもすぐにあきらめました。
就職氷河期で採用人数が少ないから、
人気の高いマスコミ業界なんか受かるわけないとか、
出版社にはコネがなければ、
就職できないんじゃないかとか。

それにマスコミは、土日もなく、
徹夜れんちゃんで働かなきゃいけないみたいな、
そんなイメージがあって、
いまどき、そんな前時代的な、
自分の時間もなく家庭を犠牲にしてまで、
会社人間にはなりたくないと。

そうやって自分の興味のあることに、
言い訳つけて、どんどん蓋をして、
自分の道を閉ざしていったんですね。

そんな私を見かねて、うちの父親はこう言いました。
「公務員になれ」と。
私には専門知識もなければ特殊技能もない。
ただ今までちょっと勉強ができるぐらいしか能がなかった。

公務員は自分では向いているなと思いました。
安定した地位と給料があって、
休みもそこそことれる。
でも、受験勉強してやっと大学に合格し、
今さらまた試験勉強なんかしたくない。
せっかくの楽しい大学生活を、
別になりたくもない公務員のために、
試験勉強で潰されてしまうのはもったいないなと思い、
公務員もやめました。

それで面接を受けたのは40社ぐらい。
通信会社、クレジットカード会社、サラ金会社、システム会社とか。
今のようにネット系のITベンチャーみたいなものは、
まだなかったんで、そういう選択肢もなかった。

消去法で選んだ業界の中で
唯一、行きたいなと思ったのは鉄道会社。
そういえば子供の頃、鉄道好きだったなと思って。
鉄道は旅行に関連が深いし。
なかでもJR東日本が結構いいところまで進んで、
ここだったらサラリーマンだとしても、
旅行が好きな私にはきっとやりがいがあるし、
大企業で安定もあるし給料もいいし、
いいんじゃないかと思ったけど、ダメだった。

旅行と鉄道の融合なんて、
とってつけたような志望動機を言ったところ、
面接官から、「たとえばJR東日本内の場所でどこが好きですか?」
と聞かれたんです。

国内でいいなと真っ先に浮かんだのは、北海道、沖縄、京都。
でもどれもJR東日本の地域外だからマズイよなと思った。
海外旅行ばかりしていた私は、
国内で行きたい旅行地がまったく思い浮かばず、
何も答えられないのはマズイと思い、あわてて、
「国内ではないですけど・・・、
昨年行ったイギリスのエディンバラというところがすごいよくて・・・」
なんて答えたもんだから、面接官は変な顔をして、
その後は、連絡がありませんでした。

それできっと落とされたんだろうなと。
国内旅行地に興味がないこと、それほど研究してないことが、
あっさりバレちゃったんです。

クレジットカード会社も旅行とはわりと密接な関係はあったけど、
どうしてもカード会社に勤めたいわけじゃないから、
そこそこの段階まで行ってすべて落とされた。
そして私が受かったのはサラ金ばかり。
私は中央大学の法学部なんですけど、
中大の法科という学歴が、
就職氷河期には何の役にも立たないことを、
この時、思い知らされました。
サラ金に就職が決まった時、
私は人生の敗北みたいに思いました。

たいした志望動機もないのに、
サラ金には受かったのは、
就職氷河期にもかかわらず、
300人も新卒採用していたから。

当時、サラ金は、銀行が貸し渋りする中、
融資にはすごく積極的で、
無人機が登場した頃で、すごく羽振りがよく、
ユニークなCMで社会のイメージもよくなり、
東証1部上場を控えた、
不況の中の数少ない成長業界だったんですね。

だからサラ金になりたい志望動機なんか適当でも、
内定できたんでしょう。
こうして私はサラ金に入社することになりました。


2:22〜24才:サラ金職場は最高!でも会社を辞めて旅に出ることに
サラ金って社会的評価はよくないし、
お客さんにとっては高金利で金を貸す、
必要悪みたいな存在だけど、
働く立場になってみると結構いい会社だと思った。
土日は休みで、給料は高い。
3000人を超える大企業だけど、
若手もどんどん実力次第で昇進できる。
人生の敗北みたいに思っていたサラ金就職も、
まんざら悪くないなと思い始めていました。

実際、サラ金に入ってから仕事はラクだった。
新人の頃は仕事が覚えられなくって、
すごく大変だったけど、
先輩社員がみんなふまじめなせいか、
私だけ新人だから、
早く仕事を覚えなきゃと、
一生懸命まじめにやってたら、
店で融資営業のトップになっちゃった。

働いていた2年間、店だけでなく部でもトップの成績。
でもすごい仕事はラクだった。
私は毎日のように定時で帰っていて、
どの正社員よりも勤務時間が少ない。
店で仲良くなった悪い先輩と意気投合してしまい、
勤務中に昼間カラオケに行ったり、
先輩の家でゲームしたりして遊んでた。

9時ぐらいに会社に来て、1時間ぐらい仕事して、
「営業行ってきます」といって、
昼間、家に帰って寝て、
17時ぐらいに会社に帰ってきて、
1時間仕事をして帰るなんてことも、
しょっちゅうしていた。

それでも要領がよかったせいか、営業成績はトップ。
上司の評価も高かったので、
夏休みも冬休みも1週間とらせてもらい、
好きな海外旅行にも行けて、
こんないい職場はないと思っていた。
就職活動で苦労したけど、
サラ金に入って良かったと思って直していました。

でもどこかでマスコミとか旅行のことがひっかかっていて、
1年目のボーナス使って100万円出して、
新風舎という自費出版会社から、
「エジプト旅行記」を出版したんですね。

今から考えると恥ずかしいんですけど、
自分では最高傑作が書けたなんて思って、
この本が売れて作家デビューしちゃったらどうしようかとか、
10万部売れたらいくら印税が入るだろうかとか計算していました。

でも本屋に行っても自分の本は置いてないわけです。
素晴らしい傑作なのに書店になければ売れないじゃないかと思い、
自分で「旅行作家」なんて名刺を勝手につくって、
書店に自費出版した本を持って置いてもらうよう、
直接、書店に営業に行ったりもした。
もちろん置いてもらえませんよ。当たり前ですけど。

まあでも自費とはいえ、自分の本があるという満足感は買えたので、
本は記念としてはいいかなという気持ちになり、
毎日のラクで楽しいサラ金営業マン生活が、
生活の中心となっていきました。

ただ思わぬ転機がやってきた。
会社に入って2年目、24才の頃のこと。
年末年始に休みをとってインドに行こうと思っていた。
ところが12月、金を借りたいお客さんがいっぱいいて、
とにかく忙しくって、風邪ひいて熱がありながらも、
仕事せざるを得なくって、その時ばかりはさぼってもいられなかった。

もちろんそのおかげで、
すごい営業成績を上げることはできたんだけど、
結局、仕事の無理がたたって、高熱続きで、
もうこんな状態じゃインドなんか行けないということで、
旅行をキャンセルした。
年末年始の休暇中もほとんど寝て過ごしていました。

せっかくの休みを病気で寝込んでいると、
いろいろ悪いこと考えちゃうわけです。
仕事のせいで旅行に行けなかったみたいな、
恨みみたいなものがどんどん積もっていくです。

その時、ふと思ったんです。
この仕事をこのまま続けていいんだろうか。
仕事のせいで旅行に行けないなんて本末転倒じゃないか。
自分が今、一番やりたいことって何だろう。
その時に思ったのは、
沢木耕太郎さんの書いた「深夜特急」という、
長期でアジアやヨーロッパを旅するバックパッカー本を、
以前に読んだことを思い出して、
自分が今、一番やりたいことは、
深夜特急のような長期で旅行することなんじゃないかと。

やるんだったら今しかない。
今だったらまだ若いし取り返しがつく。
サラ金業界は楽しいけど、
やっぱり一生続ける仕事じゃない。

そんな風に思ったら急に元気になって、
インドに行けなかった悶々としていた気持ちが晴れて、
この頃から退職計画と旅行計画を立て始めた。
7月のボーナスもらったら退職し、
チベットとかインドとか、
中国のシルクロードの遺跡とか、
自分が行きたいところ全部行こうと。

会社を辞めて旅に出る。
かっこいいように思えるかもしれないし、
今の時代だったらそんなの誰だってできると思うかもしれないけど、
実際に自分がやるとなったらやっぱり大変だった。
親からはお前はバカじゃないかとあきれられるし、
学生時代から6年間つきあっていた彼女に、
その話をした途端、別れると言われるし、
(幸いにしてよりが戻って今の妻なのですが)
もちろん会社からも反対された。

この頃、私は店の売上げの4割を占めていた。
だから上司の店長は説得に必死になった。
そこで店長から思わぬ提案が出た。
旅行に行っている間、長期休暇にして、
旅行が終わったら会社に戻ってきてくれないかと。

この提案にはすごく揺れました。
だって長期で好きなだけ旅行に行った挙句、
その後、この居心地のよい職場が保証されているなんて、
どんなにか素晴らしい提案だろうと。
でもそれをやったら一生、この会社に仕えなきゃならなくなるし、
この頃から旅行を機会に、サラ金業界から足を洗い、
自分が本当にやりたかったトラベルライターになろうと思っていた。

幸か不幸か、この店長の提案は人事部で認められなかった。
ちょっと残念だったけど、これでスッキリして、
新しい人生をはじめられるなと思った。

それから4ヵ月、韓国、中国、モンゴル、チベット、
ネパール、インド、ウズベキスタン、トルコを旅行して帰ってきた。
よく「長い旅行をして価値観変わりましたか?」って聞かれるけど、
私の場合、会社を辞めて旅に出ると決めた時点で、
常識の価値観が変わっちゃってるから、
旅に行って価値観が変わってことはあんまりないんです。
ただ旅行はすごい楽しかったです。

講演後半につづく
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=37154642&comm_id=3681092

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

かさこワールド 更新情報

かさこワールドのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング