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かさこワールドコミュのかさこ講演録後半

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2008.11.18に東京スクールオブビジネスの
マスコミ・広報学科の生徒約30名の前で
「サラ金からカメライターに転身した私の方法」
の講演内容を掲載いたします。
(後半部分)

※前半は下記より
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=37154669&comm_id=3681092


3:25才:「3年でフリーになる」と宣言し、編集プロダクションに転職成功
存分に旅行を楽しんで、もう当面、旅行はいいやってぐらいになったし、
あとは一人暮らししていて、
お金も尽きてきたので、転職活動をはじめました。
これを機にライターに転職しようと。

大学時代に編集プロダクションの存在を知らなかったんだけど、
旅先で出会った人が、ライターになりたいんだったら、
編プロに就職するのが一番早いと知り、
編プロを数十社、手当たり次第、受けまくりました。
当時はまだリクナビとかネット転職サイトがなかったから、
履歴書書いてわざわざ郵送しなきゃならなかったんだけど、
ほとんど書類で落とされました。

まあそりゃそうでしょう。
今までサラ金に2年間勤めてた人間を、
なんでわざわざ編プロがとるのか・・・。
運よく書類審査を通って面接で呼ばれるのはエロ雑誌ぐらい。
さすがにそれは勘弁したいと。

あまりに落ちまくるので、もうこの年でかつこの経歴で、
編プロに転職するなんて無理じゃないかとあきらめかけていた。
もう編プロはあきらめて、
どこか別のサラ金大手に転職しようかとも真剣に考えた。
サラ金ならトップセールスという輝かしい成績を、
いくらでも好評価してくれるだろうし。

そんな時、面接に呼ばれた編プロへの就職が決まったんです。
クレジットカードの情報誌とか通販カタログ、
リクルート関連の雑誌などをやっている、
30人ぐらいいる大きな編プロだった。

ただ編集とはいえ仕事の内容は私に興味のないものばかり。
でも一度、編プロにもぐりこんでそのスキルを身に付ければ、
自分が希望する旅行書編集とかに転職できるはずと思い、
面接でこう言ったんです。

「3年でフリーになります」

この会社に転職が決まった後に社員に聞いたですけど、
この発言で私を採用するか賛否両論あったらしい。
3年で辞める人間を雇うのかという否定的な意見が多かったみたい。
ただ面接をした方がこの発言を高く評価してくれて、
「3年でフリーになるぐらい懸命に働くっていう、
意気込みのあるやつの方が会社にとってもいい」
と推してくれたおかげで、採用が決まったそうなんです。

人生ってたった一言で運命が変わることもあるんだなと。
後から思えばヒヤヒヤな出来事です。
もしかしたらフリー宣言したせいで採用されなかったかもしれない。
いや、この宣言がなかったら、
未経験者で印象に残らなかったかもしれない。
こうして25才にしてサラ金から編プロにもぐりこむことができました。

4:25〜27才:突如寝たきりになり退職&トラベルライターへ
未経験でサラ金からこの編プロに入れたことはほんと大きかった。
編集・ライターの基礎知識だけでなく、
パソコンの使い方から教えてくれたし。
ただ仕事はつまらなかった。
私が担当したのはカード会社のDM。
毎月、カードの明細書と一緒に送られてくる、
お店の紹介とかツアーの案内とかのDMです。

編集といっても企画を考えるわけでもなく、
クライアントが入れたい広告をただ載せるだけ。
記事を書くといっても、お店に取材に行くわけでもなく、
パンフレットを渡されて、100字ぐらいの紹介文を書く。
あとは旅行ツアー情報のただひたすら文字入力という単純作業。

しかも私にいろいろ教えてくれた先輩が辞めちゃって、
私がこの仕事を引き継ぐことに。
こんな仕事していても、編集・ライターの技術なんか身につかないし、
やりたい仕事でもないしと、
すごく不満を持ちながら仕事をしてました。

そして2年働いて大きな転機がきた。
カードの仕事だけでは自分のスキルは向上しないと思い、
社内の人から他の仕事をもらってしていたせいで、
すごく忙しくなってしまった。
特に一時期はほんと、ひどくって、
始発で家に帰ってシャワー浴びて1〜2時間寝て、
9時に出社するみたいな毎日を、
1〜2週間ぐらい続けてたんですね。

そしたら、ある日、突然、腰が痛くなんたんです。
それが日に日にひどくなって、
しまいには起き上がれなくなり、
完全寝たきり状態になってしまったんです。
今まで腰痛なんかしたこともない私が。

でも仕事は誰も変わってくれない。
だから自宅で寝たきりになりながら、
パソコンとファックス使って1ヵ月ぐらい仕事をしていた。
さすがにこのままじゃどうしようもないと思って、松葉杖を買ってきた。
杖を買ったら腰痛でも歩けるようになった。
杖をついて会社に行って仕事をしていたら、
なぜかまた普通に歩けるようになったんですね。

でもまた2ヵ月たって歩けなくなった。
もうどうしようもないと思い、切開手術し、入院することにした。
入院は1カ月かかるので、仕事は変わってもらい、
会社を辞めることを決意した。
自分の体がボロボロになってまでやりたい仕事じゃないと。
もうここで学べることはないし、
1年早かったけどフリーになるつもりだったから、
これを機にフリーになろうと。

手術のおかげで椎間板ヘルニアは無事に治った。
さあフリーライターだ、どうしとうかと思っていた時に、
会社にいた人が旅行ガイドブックをやっている編プロを紹介してくれた。
この時、結婚もしていたので、
フリーより社員の方がいいとも思って、
就職できないかといったんだけど、
フリーなら仕事はあるといわれて。

幸運にも、フリーで早速、中国取材の仕事をもらうことができた。
この時は自分ってすげえ!とか思った。
腰痛になって会社辞めたけど、そのおかげで念願のフリーライターに、
しかも旅行を仕事にできるトラベルライターになれたと。

でもその取材が終わってしまうと当面仕事がない。
フリーって待ってるだけじゃ仕事は来ない。
営業して仕事とってこなくちゃいけないんだってことに気づいた。
でもその時あんまりいい仕事がなかった。
フリーペーパーのお店取材記事で1件3000円とか。
交通費出したら手取り2000円にしかならない。
取材で1時間、移動で1時間、原稿で1時間。
時給換算したら700円にも満たない。
これだったらまだバイトした方がマシなんじゃないかと。
フリーライターってまさにフリーターだなと。

妻からはフリーライター(というかフリーター)なんてやめて、
早く就職しろと言われた。
はじめはフリーになるという夢を実現したと思っていた私も、
こりゃまずいなと思い始めた。

そこで旅行誌の編プロに転職しようと思ったんだけど、なかなか募集がない。
そこでマスコミ読本というのを買ってきて、
編プロが100社ぐらい載っているので、
その中から旅行関係をやっているところに電話をかけまくって、
雇ってくれって電話した。

何社か面接に行ったんだけど、2社で露骨にこう言われた。
「あんた結婚してんの?じゃあ無理だよ。
うちの仕事はキツイし、大変だし。
結婚しているあんたなんかに務まらない」って。
やっぱり旅行誌編プロは難しいのかと思っていたけど、
運良く、旅行ガイドブックをやっている編プロが、
私のことを気に入ってくれて社員になることができたんです。

前の編プロより規模も小さく、
社会保険も厚生年金ない。
手取りの給料は下がってしまったけど、
念願のトラベルライターになれた。

入社してすぐラスベガス取材に行くことができ、
その後も、アメリカ、ヨーロッパに取材に何度も行けた。
6人ぐらいしかいないこじんまりした編プロで、
私は、60歳の社長の片腕みたいな立場になった。
給料は高くはなかったけど、すごい楽しかった。
ここでは学研の仕事もしていて、
一般書籍の編集にも携わることができた。
今までやってきた広告系の編プロと違って、
自分で企画を立て、構成を考え、
取材して記事を書くっておもしろい仕事ができた。

5:27才〜現在(33才)
25才で編プロに転職してから、
旅行に行った体験記とか写真とかのホームページがあって、
毎日更新してたんですけど、
ちょうどその頃、ホームページで連載していたサラ金話が、
ある出版社の目にとまり、ぜひ出版化したいという話が来たんです。

私は舞い上がりました。
念願の自分の本が出せると。
まだ連載は書きかけだったので、
仕事の合間をぬって書き上げた。

ところが出版社の事情で本が出せなくなってしまったという。
すごいショックだった。
ホームページでも本が出るみたいなことを公言しちゃっていたし。
落ち込んでいたんだけど、20万字も書いた原稿を、
そのまま腐らせるのはもったいないと思い、
あちこちの出版社に打診しました。

でもほとんどが電話で「持ち込みはやってない」とか、
「新規のライターの人は受け付けない」とか、
「本を出していない人の本は出せない」とか。
企画書を見てくれても、
「うちはちょっとそのジャンルでは」と断られまくった。

また落ち込んでしまった。
でもなんとか本にしたい。
そう思って、聞いたこともない出版社も調べていろいろとあたってみた。
すると1社、サラ金関係の本を出している花伝社という小さな出版社が、
これはおもしろいといってくれて、念願の本を出せることになった。
そしてついにはじめての著書「サラ金トップセールスマン」が、
出版されることになったのです。

この時、思いました。
数うちゃあたる。
サラ金の営業で私がトップだったのも、
誰よりも数多くの会社に営業に行ったからだったんですね。
サラ金から編プロに転職できたのも、
あきらめず数をあたったから。

30才になって旅行誌編プロから金融系編プロに転職した。
給料面で厳しかったからと、
ガイドブック取材の旅行はある程度経験できたし、
もういいかなと。

旅行誌編プロから転職したので、
海外に行く機会は減るだろうから、
何か国内でテーマを見つけなきゃと思い、
猫とか工場の写真を撮るようになっていた。

本の次は写真集を出すぞと、
海外子供写真集を売り込みに、
グラフィック社という出版社に電話した。
そこで海外子供写真集を2冊も出していたから。
でも断られてしまった。
「その子供写真集の売れ行きがわからないので、
今、同種の企画を出せる段階にはない」と。
そこで私は「お墓に住むノラ猫撮ってるんですがどうでしょう」といったら、
一度、写真だけは見てくれるという話になった。

しかし猫写真は企画は通らなかった。
海外子供もダメ、猫写真もダメ・・・。
行き詰ってしまったと思いながら、
私は「あの、まだ撮りためしている最中なんですけど、
工場写真とかどうですか」
といってiPodに入れている工場写真を見せたです。
するとこの編集者がぴんときて、
「これはいい!」という話になったんですね。
それで工場写真集を出せるようになったんです。

しかもシリーズで企画が通ったので、
工場だけでなく、団地・路地裏・商店街、
学校、洋館などの写真も担当することになり、
そんなわけでこのグラフィック社との出会いで、
写真集が4冊も出せることになったんです。

今は編集プロダクションに勤めるかたわら、
写真集や本を出したり、
猫雑誌で猫写真の連載したり、
Webサイトで世界遺産の連載や工場写真の連載をやったりして、
マスコミ業界で楽しく働いてます。

以上が、私のこれまでの足どりです。
みなさんはきっと私の10年前より、
スタートラインとしてははるかにいいと思うんです。
やりたいこと、やりたい業界を考えて、
そのためにこうして専門学校に通い、
マスコミの勉強をしているわけですから。

マスコミのようなクリエイティブな業界にいると、
「私には才能がない」といって途中で挫折してしまう人も結構多い。
でも私が出会った言葉ですごく感動したものがあるんです。

「才能とは持続する情熱である」

この言葉を知って、世の中、これだなと思いました。
才能って持って生まれた能力なんかじゃなく、
どれだけ継続してあきらめずやり続けることができるか。
それが力になるのだと。

寝るのも食べるのも忘れて自分が熱中してしまうような、
楽しいことをずっと続けていけることが、
きっとそれが力になっていくんだろうなと。

私は文章書くのは大好きだし、写真撮るのも大好き。
本になろうがなるまいが、
金になろうがなるまいが、
私はずっとこれからも、
書き続けるだろうし、撮り続けると思うんです。
ホームページで8年間、毎日更新し続けてきたように。

それが少しずつ形になり、仕事になり、お金になってるんです。
若いとすぐに結果を求めがちだけど、
好きなことをやったからといって、
すぐに形になったり、仕事に結びつくかはわからない。
それでも好きなことをやり続ける情熱を持つことができれば、
いつかそれが仕事になったりするかもしれないんです。

今はしかもネットがある。
ネットで誰もが情報発信できる。
私もホームページに8年間、
文章やら写真やらいっぱいコンテンツがあるので、
ネット経由で仕事が入ってくる。
だから編プロで正社員しながらでも、
ホームページ経由で仕事の話が入ってくるので、
個人の活動ができるんだなと。

みなさんもそういう意味で、
非常に環境的にはチャンスに恵まれた時代にいると思います。
自分に言い訳せず、
自分が寝る間も惜しんでやってしまうような、
楽しいことは何かを考えて、
それを何年もやり続ければ、
きっと楽しい人生が送れると思います。

以上で、私の話を終わりにします。

※上記の講演内容は、講演用に作った台本のため、
実際に講演で話した内容を、
完璧に再録したものではありませんが、ご了承ください。

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