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清澄さんコミュの桜道より(習作)

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ttp://www.youtube.com/watch?v=UNaLDnyK-FY&feature=related




 
 
「桜……実はあんまり、好きじゃないんだよね」
 手持ち無沙汰にマドラーを回しながら、彼女はぷい、と呟いた。
 思わず郁乃(いくの)もテーブルから目を外して、彼女の表情をじっと見やってしまう。対面に座る彼女――野崎沙穂(のざきさほ)は、ほんの少しだけ口の端を弛ませて、窓の外を眺めていた。
 ほんの数十秒前の二人なら、卒業旅行の行き先を何処にしようか、と花盛りに笑い声を重ねあっていた筈である。桜はおろか、肝心要の催しさえ話題に上がっていなかった、のに。
「どしたの突然?」
 沙穂の視線を追いかけつつ、郁乃は驚くままに質問した。
 窓の外には、雨の商店街。
 きらきら濡れたアスファルト。
 ガラスに弾けた涓滴《けんてき》が橙《だいだい》色の水銀灯をまるでプリズムのように滲ませている。
 傘の用意を忘れたのか、行き交う人々の多くは早足で、店内の自動ドアもやはり開閉作業に忙しい。気象予報士でも計算出来なかったということは、おそらく通り雨なのだろう。テーブルに着く顔は一様に苦々しくて、天からの恵みと喜べるのは、せいぜいこの喫茶店の経営者ぐらいかも知れない。
 ――桜色の色彩は何処にも見当たらず。
 首を傾げた郁乃にちらり、沙穂は瞳を向けて、苦笑する。
「……ごめん、やっぱ何でもない」
 とは言うものの、その横顔は明らかに何かを含んでいた。少なくとも郁乃にはそう見えた。
 十八年の内の三年間。数字だけで考えればまだまだ浅い付き合いなのかも知れないが、それでも一際思い出に彩られた三年間でもある。一年、一日の重みがそもそも違う。中でも一番べったりくっつき合っていた親友なのだ。例えお節介だと詰られようとも、郁乃は呟きに秘められた沙穂の感情を探らずにはいられない。
「何よ、恋のお悩みかい? 別れた男でも思い出すのかぁ?」
 にやにや笑みを浮かべ、郁乃は軽やかにスプーンをくるくる回す。「何でも言ってごらん?」と、沙穂に対してならば、小さい胸でも得意気に張れてしまうというもの。
 確かに、卒業式をあと数週間後に控えた身としては、得体の知れない感傷に価値観を揺さぶられることもあるだろう。あえて主題を明言せずに、連想を誘う言葉から話題に入ることだってあるかも知れない。
 桜と言えば、出会いと別れの季節を栞《しおり》した象徴のようでもあり、年頃の乙女からすれば、やっぱり思い浮かべてしまうのは恋心。新生活の忙しなさでやがて忘れられる淡い記憶は、ふわりと咲いて、瞬く間に散りゆく桜の花弁にも例えられよう。
 何より、この野崎沙穂という女、その見目麗しさと涼しげな性格から言い寄る男子がめっぽう多いのだ。現に今だって、この席は男性客の衆目を集めている、
 だが、相好をくずした郁乃に対して、沙穂が見せたのは実に素っ気ない反応だった。
「まさか」
 ぼそりと言えば、沙穂は再び窓を眺めてしまう。それはとても、つまらなそうに。
 絵になる姿ではあるけれど、妄想を一笑されたみたいで郁乃としては面白くない。
「だったら、ちゃんと理由を教えなさいってば。気になるじゃん」
 そう言って、郁乃は身を乗り出すと、沙穂の肩をぎゅっと掴み、ぶーたれるように、ぐいぐい右手を揺すった。加減ない力で栗色の長い髪がひらひら踊る。意固地なその手付きに息を吐きつつも、沙穂はゆっくりと郁乃の方へ向き直し、
「……だよね。変なこと言っちゃったなって、今後悔してる」
 その表情で、郁乃はぴたりと動きを止めた。
「別に……変ではないと思うけどなぁ」
 郁乃はそっと腰を椅子に戻し、退屈そうに頬杖をついた。光沢のある綺麗な唇をぴったり噤み、髪を耳に掛けるその仕草は、沙穂にとっての黙秘の姿勢だ。こうなってしまうと追及はよりいっそう困難になる。むしろ、口を割ってくれた事の方が少ない。これまでの経験が裏付けているのだから、間違いない。
 虜になった男子達は挙《こぞ》ってこの神秘性をべた褒めするが――郁乃にとっては後味の悪い沈黙でしかない。いっきにざわめきが大きくなった気にさえなるのだ。
 話題を元に戻そうと、郁乃はテーブル上の旅行雑誌へ視線も戻し、
「桜って何色だと思う?」
 それは突然の質問だった。
「はい?」
「……だよね。やっぱ、そんな顔するよね」
 郁乃は反射的に声を上げ、もう一度沙穂の顔をじっと見つめた。可憐に細めた瞳はそのままだが、ほんの少し寄った眉根が気にかかる。これが、憂いを帯びた表情と言うのだろうか。
 どうにも様子がおかしい。
「え。あっ、ごめん。でも、桜は桜色じゃないのかな?」
「桜色って、何色?」
 すかさず重ねられた質問に、郁乃は視線を天井の方へ上げると、
「薄いピンクとか、薄紅とか……淡白い桃色とかっ?」
「そっか」
 せっかくの回答に溜め息を吐かれてしまい、郁乃は顔をしかめた。
「そっかって、何よ?」
 怪訝さをたっぷり含んだ物言いから、数秒。
 コーヒーカップに軽く口づけた後で、沙穂は呟いた。
「……白なんだよね、あたしにはさ」
 どうにもちぐはぐな言動だった。まるで間の抜けたコントを見ているような気にさえなって、郁乃はくるりと陽気さを露にする。うってつけの知識をこの前仕入れたばかりでもあったのだ。
「別に変じゃないでしょ。白い桜だって見た事あるよ? ソメイヨシノなんて今でこそ一般的な桜だけど、歴史的には全然浅いってこの前TVで――」
「違うの、郁乃。白にしか見えないのよ。あたしの目だとね」
 そう言って、沙穂はカップを置くと、びしっと自分の瞼を指で指し示す。
 大袈裟な動きとは裏腹に、彼女の表情は真剣で。
 郁乃は頬杖をくずすと、徐に背筋をも正していた。
 違う――というのは、つまり。
「……うん? 野崎って、もしかして」
 遠慮がちに声を小さくする郁乃へ、「うん」、と菜穂は垂直に頷きつつ、
「少数派色覚って呼ぶらしいけど、そう。くだいて言っちゃえば、色盲らしいんだ」
 ――少数派色覚、色盲。
 あまり親しみのない言葉だが、凡その概要なら多分、高校生にも汲み取れるだろう。
 要するに、色に対する盲状態、ということ。
 世間一般の常識を用いらずとも、その状態が本人にとって喜ばしいものではないという事ぐらいはすぐに理解出来る。そもそも盲という言葉自体が、その人を傷つける表現である筈なのだから、郁乃自身も口にした記憶は全くで良い程、ない。というか、なかった。
 触れてしまうには繊細すぎる問題で、触れてしまえばどうすれば良いか分からなくなってしまう。例えその相手が誰よりも気が置けない沙穂だったとしても、郁乃には同じだった。
 さっきまでの陽気さは一瞬で罪悪感へと反転し、重くなった頭がテーブルに突っ伏してしまいそうになる。
 しかし、項垂れるよりも早く、沙穂は「ふふっ」と鼻を鳴らした。
「いきなり言葉に困らないでよ。気にしないで。別に病気って訳でもないんだし」
 そう言って、彼女はひらひら片手を振る。見えない煙を払うような、軽快なリズムだった。
 絶対に謝ったりするな、という意味も込めているのかも知れない。そんな気がして、郁乃は素直な照れ笑いを選んだ。
「そうなんだ」
「隠してた訳じゃないんだけどね」
 応えるように、ちらり。真白な歯を覗かせてから、沙穂はティーカップを手に取った。郁乃の方へカップを少し傾けると、
「このミルクティーとかが、まさにそうなんだけどさ。彩度って言うのかな……ベージュとか、パステルブルーとか、ああいう淡い色彩ってよく判別出来ないんだ。全部、白に見えちゃうの。ほら? あたしの服装って結構モノトーン多いじゃん。微妙な色の重ね方ってどうも苦手でね」
 言われて郁乃は、従順にカップから沙穂の制服へと視線を移した。
 着せ替え人形を眺める気分で、瞼の奥、黒のブレザーをこれまでの私服に挿げ替えてみる。
 思い返せば、確かに沙穂のコーディネートは色の遊びが少ない。
 だが、思い返さなければ気付けないのだ。そのくらい彼女の服装は、その感性を羨むくらい統一感と気品に溢れている。フレンチストライプのカットソーも、ドット柄のワンピースも、どれもこれも写真に収めたくなる程の着こなしをするのだ。
 気にするなと言われれば、郁乃はもう従順に従うのみ。ぱっと顔を上げると、
「大丈夫だよ。野崎のセンスはすごく良いと思う!」
 そう言って、ぐっと親指を立てて微笑んだ。
 決して沙穂が誉め言葉などを求めていないと分かっていても、郁乃は親友の自慢を我慢出来なかった。何しろ、この高校生活で巡り合えた最高の宝物である。飾る衣服がモノトーン尽くしであろうが、結局その輝きには何ら遜色などないのだ。
 もちろん、涼しげな性格だけあって、沙穂が返す反応は素っ気ないものが多い。
 いつものように詰られると思いきや、
「……ありがと」
 頷く沙穂の顔には、すっと朱が滲んでいた。
 普段は涼しげな顔をしているくせに、本心からの喜びに対しては、まるで林檎みたいに赤くなってしまうのが野崎沙穂だ。男子達が目にする機会は殆どないだろうが、偶像化のごとき神秘性よりも、年相応なこの表情の方が郁乃には遥に魅力的に見える。
 恥ずかしげに頭を振って、沙穂は大人しげな上目遣いをすると、
「あのさ、鈴代崇(すずしろすう)……って、覚えてる?」
「鈴代? って、スズ君のこと?」
 即座に思い出した名前に、沙穂は「うん」と答えた。
 昨年の五月に九州へと転校してしまったせいか、鈴代崇の印象は一際強く残っている。
 ほっそりとしたしなやかな身体に、まるで少女のような愛らしい顔立ち。人見知りを思わせる気弱な素振りと良い、女よりも楚々とした男は、少なからずこの世界に存在するという事実を知らしめる好例でもあった。多くの仲間に好かれた人気者だった事には違いない。
 女装で皆を驚かせた文化祭を振り返りながら、郁乃はスプーンをぺろりと舐め、
「あたしゃあんまり仲良くなかったけど、野崎は結構よく話してたよね。そう言えば部活も一緒だったし」
「ていうか、まぁ……告白されたしね」
「何ですと!?」
 弾けるようにスプーンを振り回す郁乃だ。
「ごめんね、これも隠してた訳じゃないんだけどさ。それに断ったし」
「多すぎです!」
 子犬のように吠えた後で、「あ……なーるほろ」と、郁乃は気付く。
「つまり、スズ君の事を思い出したのか」
「思い出したっていうか、まぁ……うん」
 認める沙穂の反応は、しかしどちらかと言えば素っ気なかった。郁乃の不審を他所に、彼女は窓を伝う雨粒を一瞥しつつ、
「あいつには、打ち明けたんだ」
「目のこと?」
 こくん、と沙穂は目を伏せて、
「……一度さ、桜を見に行こうって誘われたんだよね。だけど、桜はあまり好きじゃないから嫌だって答えたんだ」
「素っ気ない言い方するなぁ」
 勇気を奮ってデートに誘う少年に対して、怜悧な返事を突き返す少女。
 少年の姿を鈴代崇に据えると中々意外な結末なのかも知れないが、少女の姿を沙穂に据えてしまえば、すぐさま想像に難くない光景に変わってしまう。もしもこの場に他の友人が居れば、間違いなく皆「勿体ない!」と目くじらを立てるだろう。
 神妙な顔をする郁乃に気付いてか、沙穂はカップを置くと、ばつが悪そうに目を逸らした。
「だから。ちゃんと打ち明けたんだよ、桜が好きじゃない理由」
「ごめんごめん。それで?」
 慌てて手を旗めかしつつ、郁乃は話の続きを促す。
 逸らした筈の沙穂の瞳は、やはり窓の外へと向けられていた。
「……あいつさ、あたしが淡い色彩が分かんないって打ち明けたらさ……家の近所に公園あるじゃん? あそこの桜の木、一晩かけてカラースプレーで塗りたくって……ものっすごいピンクにしちゃったんだよ。突然、早朝に呼び出されてその公園に行ったらさ、もうびっくり。まっピンクの桜の下で、あいつ得意気な笑みしてんの。『野崎さんに桜を見て欲しかったんだ』とか言っちゃって」
 思わず郁乃は「へぇ」と声を弾ませた。
 道徳的な問題は多々あれど、勇気と情熱があってこその行動ではある。郁乃が感じる印象とはあまりにも似つかわしくない、あの鈴代崇にしては非常に大胆な振る舞いだったと思えた。
 少なくとも、郁乃は心を揺さぶれてしまうだろう。
 だが、語る沙穂の声は抑揚《よくよう》もなく、実に淡々としていて。
「嬉しくなかったの?」
「喜べる訳ないじゃん。すっごい怒った。『馬鹿にしてんの!?』って」
 そう言って、沙穂は横目で郁乃を睨みつけた。怯んだりはしないものの、郁乃は掛ける言葉を見失ってしまった。
 彼女からすれば、それはきっと余計な世話焼きだったのかも知れない。
 何故なら、沙穂が知りたかったのは――
「だって、人の手で染めちゃったら、それはもう自然の桜じゃないよ。近所の人にも迷惑だし、何より桜が可哀想でしょ? 枝にまで塗料がかかっちゃってたんだから」
 胸の内をなぞる言葉に、郁乃は苦笑しか浮かべられなかった。
 沙穂は再び、窓ガラスを見やり、
「……結局それが切欠で、あんまり話す事も少なくなって、そのままあいつ、転校しちゃった。まぁ、失礼かも知れないけど、馬鹿な奴だったと思う」
「反応に困る話ですねぇ……」
「でもね、今はちょっと反省してるんだ」
 そう言って、沙穂は目を閉じた。
「多分あいつは、あいつなりにあたしの事想ってくれたんだよね。いや、別に今更嬉しいとか感じてる訳じゃないんだけど……何だろ。やっぱあたしも、桜を好きになりたかったと言うか……別にあのまっピンクが大嫌いだった訳じゃないというか……ごめん、上手く言えないや」
 不思議と。
 郁乃は、沙穂が言えず終いだった継句を、するりと想像してしまった。
 想像してしまったからには、にんまり口の端が吊り上がるのを止められない。
「……乙女め」
 からかうような呟きに、沙穂が振り向くよりも素早く。
 郁乃は喉に力を込め、続けた。
「桜が白に見えるなら、別にそれでも良いんじゃない? 何色が正しいとか、関係ないよ。だけどね、野崎。その白は……桜の白は、やさしい白なんだよ」
「やさしい白?」
「皆、桜を見ると、色んなことを思い出して、その思い出を今の自分にまた重ねるの。そりゃ悲しいこととか嫌なこととかもあっただろうけど、桜を眺めているその自分は、そーゆう思い出を乗り越えた、今の自分だと思うから……スズ君は、きっと、色彩とかじゃなく、単純に桜を好きになって欲しかったんだよ。季節の標って言うのかな。誰か優しさを思い出す、白。ピンクにも染まれる、不思議な白…………色なんて、それで良いんじゃないかな?」
 郁乃は沙穂を見つめてみる。
 沙穂のおおきな黒目が、きらり揺れた。
「……同情かも知れないのに?」
「うん。でも、あたしは優しさだと思えるよ。てか、そう思うようにする! もしも同情だと思うならそこは笑い飛ばしちゃえっ! 良いこと取りよ、良いこと取り」
 そう言って、郁乃は笑い、
「……ははっ、やっぱ、郁乃らしいね」
 呆けた間を僅かに挟んで、釣られたように沙穂も微笑んだ。
 その八重歯で応えたまま。
 郁乃はどん、とテーブルに手を乗せると、
「という事で、卒業旅行は、桜の名所巡りに決定です!」
「やさしい白でも見に行きますか」
「おうよ!」
 気付けば、窓の外。
 通り雨は水溜りを残し、もう過ぎ去って。
 自動ドアから忍び込む風は、温かくて。
 窓ガラスの涓滴を、ふわり揺らして。
 ――それはまるで、花弁のようで。
「……春だねぇ」
 誰かの呟きに、二人はもう一度笑みを交わして。







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