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トーキョー コーリング 1989コミュの1・眠れぬ夜

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 四谷駅に着いた織田一政は、駅前のコーヒースタンドに入るとブレンドを注文して非喫煙席についた。
 1杯157円のそれをすすりながら、鞄の中からノートパソコンを引っ張り出す。業務日報を作成するためだ。
 「Yahoo!」のトップページを睨め付けながら、お気に入りの4番目。「mixi」の4文字をクリックすると、オレンジ色の既に見慣れたデザインが現れた。
 e-mailとパスワードを入力してマイページにログインする。毎回、自動的にログイン出来るようにした方が作業は楽なのだが、仕事でパソコンを持ち歩いている関係上、万が一手違いでパソコンを紛失してしまったときの情報流出の危機を考えると、面倒でも毎回手打ちでパスワードを入力するようにしていた。

 コミュニティ一覧から「R編集部」コミュニティ内の「織田一政の1日」トピックを開く。もう既に慣れた日常の一部になっていた。

「これは仕事に使えるよ」
 沢村編集長がmixiについて、少し興奮気味に社内で話し始めたのは、半年くらい前の話だった。
 今年で49歳になるR文芸誌の沢村編集長には、25歳年下の妻がいる。いわゆる出来婚というヤツで1年前に二人が入籍した時は、犯罪じゃねーか!とひとしきり陰で騒がれたりしたものだった。
そんな昼下がりの団地妻にも「ママ友」とやらがいるらしく、ママ友繋がりで招待されたらしいmixiで最初は育児日記をちまちまと書いていたらしいのだが、自分のマイミクとして夫を招待したことから、この編集部にもmixiというソーシャルネットワーキングの文化がもたらされたのだった。

 沢村編集長はその日のうちに部員全員にmixiの招待メールを送ると共に、自らが管理人のコミュニティ「R編集部」を開設した。承認制で、非公開。編集長は、仕事でmixiを使うにあたってのひとつの制約を掲げた以外は、各自の好きに使って良い。仕事中、いつでもログインしてくれてかまわない。と言い切った。

「夕方5時の段階での業務進行状況を、R編集部コミュニティ内にある自分の名前の入ったトピックに業務進捗報告の書き込みをしてくれれば、何をしても構わない」

 それが、沢村編集長が編集部員に出した、たったひとつの制約だった。

コメント(8)

 要はこれまで電子メールで編集長あてに報告していた日報を、mixi内で行うようになっただけなのだが、コミュニティを介して報告を上げることでのメリットが意外にも多いことが始めてみてわかった。
 編集部内の、他の社員の仕事進捗状況が、コミュニティにアクセスすれば判ってしまう。現状でどこまで自分の仕事が進んでいるのかいないのかを、判断する目安になってしまうのだ。時として焦ることもあるし、余裕を持てることもあった。ともあれ仕事に対する自分のペースを掴みやすくなったのは事実だった。

『寺田潮雄先生から、文字稿をいただいてきました。凹印刷の秋原さんに渡してあります。二次校正は明後日になる予定。田中亘先生の原稿は予定の半分が脱稿。先週からの風邪が悪化しており、〆切を少し伸ばすことになるかもしれません。今晩、赤を入れてから明日朝イチで凹印刷の篠塚さん宛に文字打ち依頼予定です。』

 簡単に内容をまとめて、書き込みボタンをクリックした。画面が一瞬フッと白くなり「書き込まれました」の画面が現れる。
 直行直帰が多い部署なだけに、これまで個々の状況を把握しづらかった編集長が、業を煮やした結果に導入されたSNSとも言えたが、実際活用してみると社内の人間の別の顔も浮き彫りになってきたのも確かだった。

 例えば、同僚の高橋俊介。自他共に認める女好きなのは織田も知っていた。新卒3年目の彼と同じフロアで机を並べるようになってから、彼の机の上には風俗やキャバクラの情報誌やメッセージカードが四六時中放置されている。
「今日はありがとうございますv とても気持ちよくて楽しかったですv またキカイがあったらあそびに来てねv 今度はもっと長くイチャイチャしようねv また会える日を楽しみにしていますvvv 阿藤みるき【週4.5日(不定休)18時〜25時】」
 事務担当の神崎さんが、半ば呆れた様子で床に落ちていた風俗嬢の営業名刺を読み上げたときは、不覚にも笑ってしまった。そんな高橋俊介のmixi上の日記は、やれキャバクラFの○○ちゃんが可愛いだの××ちゃんが最高だの、というかなりお約束な風俗日記が書き連ねられていたが、その一方で真面目に付き合っている恋人の存在がいるらしいことにはかなり驚いた。
「イヤまあね?ソレはソレ、コレはコレですよー」
 織田さんも今度一緒に行きましょうよ、いちごあいすの絢乃ちゃんってばマジでカワイイんですよー。
 はたして本命彼女殿は、こんな彼の本性を知ってるのだろうか。なんにしても若いよなあ、と思う。自分も高橋と同じ年齢の頃が20年近く前にあったはずだが、こんな弾けかたはしてなかった。
 ギターを弾いていればそれだけで満足で、本気でプロのミュージシャンを目指すつもりだったはずなのに、何故か音楽雑誌を発行してるこの出版社でライター記事を書くようになり、編集をするようになり、いつのまにか社員として居ついてしまった。しかも4年前の人事異動で、何故か現在は畑違いな文芸誌の編集部に移ってきてしまっている。
「お前を見てると、何事においても、やらないで後悔するよりはやってみて後悔したほうが正解なのかも、と思えるから不思議だよ」
 あっけらかんと自分の欲望に誠実な高橋を苦笑してやりすごしながら、イチゴなんとかは他の奴と行ってこいよ。俺はそういうのはあんまり楽しめそうにないし。
 …そこで、会話を終了させたつもりだった。
「織田さん、枯れてるなあ」
 心底、同情した様子で高橋は言った。
「駄目っすよ。今どきバツイチなんて男の勲章みたいなもんじゃないっすかー。女の子なんて、逆にバツがついてる男性の方が安心するうー!なんて言ってる子もいるんですよ?一度は女性とお付き合いしたことがあって、一回は失敗してるってことは女の扱い方を心得てるだろうから安心だって。織田さん、もったいないですよ」
 何がもったいないだばかやろう。
 俺は、ただ一人俺が選んだ女と一緒に、生涯添い遂げる事が出来たらそれで満足だったんだよ。二人で子供を育て上げていきたかったんだよ。けれど玲子は、納得できる理由すら説明できずに俺から離れていってしまったんだから、これからも俺は一人で生きていくしかないんだよ。

 コーヒーはすっかり冷めてしまっていた。
 mixiの業務日報を送信後、織田はそのまま田中先生の原稿に赤を入れる作業に没頭した。明日朝イチで印刷所に渡すためには、今晩中に形にしておかなければならない。
 19時まで1杯のコーヒーで粘って、コーヒースタンドを出た。業務日報をアップしてから2時間が経過しても、会社から携帯に何も連絡がないということは、特にトラブルも起こっていないということなのだろう。直帰の連絡を会社に入れて、今日はとっとと帰ろう。そう思って取り出した携帯の画面表示に、織田は一瞬凍り付いた。

「メール1件 元妻」
 半ば自虐の意味も込めて、織田は自分の携帯アドレスにある別れた妻・玲子の登録名を「元妻」にしてあった。「元」妻だから読み仮名もそのまま「モトツマ」。離婚してからも玲子はよくこうして自分宛にメールを送ってきていた。
 どうせ、ろくな用じゃないんだろうな。
 自分から一方的に離婚を突きつけてきたくせに、どうやらモトツマは自分の周りで起こる理不尽な出来事は、全て妻である自分のことを理解してくれなかった夫のせいだと思いこんでる節があった。どうせまた、わけのわからない愚痴でも聞かされるのかもしれない。
 ちいさく溜息をついて、織田はモトツマの携帯メールを開いた。


件名:穂花のことで

穂花のことで相談があります。
会って話せないでしょうか。


 しかしメール文を読んだ途端、反射的に織田はモトツマの玲子に電話をかけていた。
 一人娘の穂花は今年で14歳になる。玲子のことは正直言ってどうでもいいが、目に入れても痛くない娘のことは話が別だ。コール3回で、玲子は電話に出た。
「もしもし」
「俺。メール、見たんだけど」
「ああ、うん」
「穂花、どうかしたの?」
 携帯の向こうで一呼吸の沈黙があった。
「お父さん、今どこ?」
「四谷駅。仕事が今、終わったところだ」
「じゃあ、これからちょっと外で会えないかしら」
「穂花を家に一人で置いて出てくる気なのかよ。もう夜遅いのに。不用心じゃないのか」
「別に大丈夫だと思うけど」
 何が大丈夫なんだよ、年頃の女の子じゃないかと言いかけた織田に、玲子は畳みかけるように言ってのけた。
「だってあの子、ここ1ヶ月くらいあれこれ理由をつけて学校に行ってない」
「…へっ?」
 織田は一瞬、息を呑んだ。





「あの子、今、ずーっと家に引きこもってる。不登校なのよ」
「不登校って…穂花は中学を登校拒否してるって、そういうことなのか」
「登校拒否なんて…そんな言い方、今はしないわよ」
「でも、学校に行ってないんだろ?」
「そうよ。なんだかんだと理由を見つけちゃあ、朝、起きてこようとしないの。頭が痛いとか、熱があるみたいとか、身体がだるいからとか…私も仕事があるし、まさか中学生の娘の具合が悪いからなんて理由でしょっちゅう会社を休めないから、穂花一人で留守番させてるんだけど」
 織田は玲子の台詞を聞きながら、次第に後頭部がわんわんと大きな耳鳴りしている感覚に陥っていた。一人娘の穂花が、登校拒否をしている。理由は判らないが学校に行きたくない状態だという。
 大輪の花を咲かせて、実りの多い人生を送って欲しい。そんな意味を込めて、娘の名前は「穂花」と名付けた。玲子は玲子で考えていた名前があったらしいが、最終的にこの名前に決めたのは織田本人だった。我ながら、生まれてきた我が子に良い名前を贈ったと思っていた。

 その穂花が、現在引きこもり状態でいると玲子はいう。
「何か、思い当たる原因とかないのか。片親なのを学校でいじめられたとか」
「そんなのわかんないわよ。穂花ったら何も話してくれないし」
「お前が何か傷つくようなことを、穂花に言ったんじゃないのか?」
「何よ、あの子が引きこもりになったのは、私のせいだとか言いたいの?」
「そうは言ってないだろうが」
「言ってるじゃない!」
 携帯の向こうで、玲子が鼻をすする音が聞こえた。
「昔っからそうよね。都合の悪いことは、なんでも…あ、あた、あたしのせいなのよね。母親なんて、ほ…本当に損な役回りよね。子育ての失敗の責任は全部、女親にしわ寄せが来るんだからっ」
 離婚を切り出したのはお前だし、親権だって渡さないと断言したのはお前だろうが。しかも離婚調停では「子供のためを思ったら、やっぱり子育ての主導は母親に任せた方がいいでしょう?あなたも仕事があるでしょうし」なんて言葉で調停人に言いくるめられて、毎月の養育費を払っているのはこの俺なんだが。
 …などと言い返しでもしたら、火に油を注ぐことになるのは目に見えていたので、とりあえず織田は黙って、しゃくりあげながら悪態をつく玲子の言葉を聞いていた。

今日はこんな嫌なことがあった、今日は会社の人からこんな嫌なこと言われた、それというのもあなたと離婚して母子家庭として穂花を一人で育てていかなくてはならないからだ。こんな辛い目に私が遭ってるのは、私のことを理解してくれなかったあなたのせいだ。あなたのせいだあなたのせいだあなたのせいだ。
「とりあえず、今日はもう遅いからさ。また日を改めてゆっくり話を聞かせてくれないかな」
 心底げんなりした織田が、そのときたった一つ提案できたのは「引きこもり」という問題を先送りにすることだけだった。




恋人として付き合っていた時代から、礼子はムラッ気のある面倒くさい女だった。惚れた女ということもあってか、そんな彼女の我儘で自分勝手な部分も可愛いと思っていた。俺にしか見せられない部分を俺にだけ見せてくれているのだと思うと、薄暗い独占欲も沸いた。

思い返してみると、礼子は穂花が生まれて専業主婦という立場になって、子育てに専念することになってから理不尽な文句が多くなった気がする。
穂花が小学校高学年になった頃だった。
「私も働いて、穂花の塾代くらい稼ぎたいわ」
そう言って、礼子は社会復帰を果たした。派遣登録をして、あちこちの職場を短期で転々としながら働きだしたかと思うと、何社目かの派遣先で、服飾販売の社員として採用されてしまった。

織田が礼子と離婚したのは、それから一年後だった。
いきなり「離婚して欲しい」と礼子から切り出されたときは、なんてタチの悪い冗談なんだと思った。
けれど礼子は本気だった。いわく、全く子育てに協力してくれない夫とこれからもやっていける自信がない。家庭を省みない夫に愛想が尽きてしまった。そんな男と毎日顔をつきあわせているのが苦痛だから、夫の存在自体が苛々するから、だから別れて欲しいのだという。

出版編集者という仕事の性格上、会社に泊まり込みして最後の追い込みをかけることだって多い。プライベートな時間を家庭に割くことは難しいのは、礼子だって結婚したときに判っていたはずだ。
それもこれも、礼子と穂花を養っていくためだったのに。礼子と穂花を路頭に迷わせないために、俺は頑張っていたのに。


 愛娘が不登校らしいという事実は、自分でも驚くぐらい織田の心を打ちのめしていた。
 たとえ一緒に暮らすことができなくても、「穂花」という存在自体が、織田の心の支えだった。
 穂花が毎日、笑って幸せに暮らしてくれているのなら、養育費だって払う価値がある。仕事でトラブルに見舞われて、働くことが嫌になったときも「穂花」がいたから頑張ることができた。「穂花」が心の支えだった。
 その穂花が、現在不登校だという。学校に通っていないという。
 学校で嫌なことがあったのだろうか。いじめられたりしたんだろうか。
 悩み事を相談する相手すらいなくて、一人、部屋の中で泣いているんだろうか。

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