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名勝コミュの旧堀田正倫庭園

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 千葉県佐倉市鏑木町274

 1997年03月26日、佐倉市が名勝に指定。
 2001年03月31日、千葉県が名勝に指定。
 2006年07月05日、旧堀田家住宅が重要文化財に指定。
 2015年03月10日、文化庁が名勝に指定。
 2016年04月25日、「北総四都市江戸紀行・江戸を感じる北総の町並み」の一角として日本遺産に指定。

 https://www.google.com/maps/place/%E6%97%A7%E5%A0%80%E7%94%B0%E9%82%B8(%E3%81%95%E3%81%8F%E3%82%89%E5%BA%AD%E5%9C%92)/@35.7139984,140.2363536,18z/data=!4m5!3m4!1s0x60228ec4df9d0533:0x9e2f9c39e623f50f!8m2!3d35.7140338!4d140.2359587

 佐倉藩の最後の藩主であった堀田正倫(ホッタマサトモ)伯爵が、旧大名の東京居住令緩和を受けて明治23(1890)年に居宅として建築した物です。敷地面積は30000坪もありました。
 座敷棟・居間棟・書斎棟・玄関棟・門番所・土蔵等から成り、明治30(1897)年には士族授産事業の一環として庭園の一部に農事試験所が設けられています。
 明治44(1911)年1月の正倫伯死去により、婿養子の堀田正恒(マサツネ)伯爵が相続しました。同年5月の皇太子嘉仁(ヨシヒト)親王行啓(ギョウケイ)に際し、湯殿が新築されています。農事試験場は大正15(1926)年に廃止され、跡地は昭和17(1942)年から日産財閥の結核対策機関「佐倉日産厚生園」が借地していましたが、昭和26(1951)年の正恒死去に伴い、翌年、息子の正久(後に第3代佐倉市長)が邸宅・庭園全体を相続税対策で佐倉日産厚生園へ全面売却しました。
 昭和37(1962)年には一般病院となりましたが、市民のレクリエーションの場としても利用されていました。昭和50(1975)年に売却計画が持ち上がったため、佐倉市商工会や観光協会が中心となって昭和57(1982)年に保存を求める署名運動が興り、市民の三分の一である約40000人の署名が集まりました。これを受けて佐倉市は国庫補助を受けて買収に乗り出し、一部は昭和63(1988)年に日本老福祉事業団による老人ホーム「佐倉ゆうゆうの里」用地として売却されたものの、庭園部分は「さくら庭園」と改称され、建物部分は「佐倉緑の銀行」(1984年設立の千葉県最初の緑の公益法人)が買収、その後、寄贈されて佐倉市の所有となりました。
 「つば造り」や「火打ち貫」といった伝統的な和風建築の工法と、ボルトやナットを使用した西洋建築の工法が混在しており、明治初期の過渡期の様子が窺い知れます。現存する明治時代の旧大名家の屋敷として貴重な建造物となっており、日本遺産「北総四都市江戸紀行」の構成物件の一つです。
 庭園は、明治時代のの有名庭師だった東京巣鴨珍珠園の伊藤彦右衛門(イトウヒコエモン)の設計で、建築の周りを垣で囲って和風の庭園としての地割を行い、その外側に広い芝生地を設け、対岸の台地などを借景とする地形を活かした独特な景観を呈しています。
 現在では、斜面林の樹木の生長により借景が臨めなくなっており、正倫伯時代の庭園の一部は失われていますが、残る庭園部分は造園当初の意匠・構成が良好な状態で維持されています。
 大名庭園は池泉回遊(チセンカイユウ)式が普通なので、芝生ばかりの庭園は非常に斬新でした。

コメント(7)

左;堀田伯爵邸
中;堀田家農事試験場
右;跡見花蹊画 地袋

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