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名勝コミュの常栄寺庭園

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 山口県山口市宮野下2001

 1926年02月24日、史跡・名勝に指定。
 1962年11月10日、周辺山林を指定エリアに編入。

 現在地の常栄寺の地は周防守護大内教弘(1420〜65)が康正元(1455)年に創建した曹洞宗妙喜寺があった場所で、その子政弘(1446〜95)の別邸としても用いられた。1486(文明18)年頃、政弘は当時山口に滞在していた雪舟等楊(1420〜1506)に対して妙喜寺庭園の造営を依頼し、雪舟は寺の北側に枯山水も用いた池泉回遊式庭園を造営したと伝えられている。
 この所謂「雪舟庭」は本堂の北面の約30aの広さを占め、東・西・北の三方が山林となっている。庭に使用されている石材はこの近くの山から運搬したものと言われる輝岩で、庭は北側に滝を掛け、中央には無染池(心字池)を設けて、その周囲には庭石を豊かに配している。石は室町時代の特色となっている立石が多い。
 庭の上方に小高い丘陵がありそこに四明池と弁天池の水源がある。弁天池の水は一つは潜竜池に流れ入って洗耳渓から無染池に注ぎ、また一つは坐禅石の脇を通って池に入る。北側の滝は下部を五渡渓、上部を揚雲渓と称しているが、四明池はその上にある。この滝は現在水が流れず、枯滝と称しているが、本来は水が流れていたと推定されている。
 池中には四仙島と称される四つの島が浮かび、東池畔には仏石と呼ばれる霊象石と投形石を組み合わせた大石があり、西北側には十六羅漢と名付けられている岩組や、坐禅石と呼ばれる石がある。南方の本堂正面には中央に日本を象徴した富嶽と称する石を置き、前方には終南山・五台山・廬山・華山・衡山・百丈山等と呼ばれる中国大陸の三山五嶽に擬えた石組みがあり、これは雪舟が中国大陸の風景から得た構想と伝えられている。
 大内氏の没落後、毛利輝元はここを山口出身であった母の尾崎局(大内義隆養女;1527〜72;妙寿大姉)の菩提寺とし、寺名も妙寿寺と改名した。
 一方、臨済宗東福寺派香山常栄寺は、元は安芸国吉田(現;広島県安芸高田市)にあり、永禄6(1563)年に毛利元就が長男隆元の急逝を嘆き、その菩提を弔うために竺雲恵心を開山として創建された。隆元の死は京都にも伝わり、翌年正親町天皇から勅額を与えられている。関ヶ原合戦の後、隆元と尾崎局の子の輝元が長州藩に移封させられると、山口にあった国清寺(大内盛見の菩提寺)を接収して常栄寺とした。
 江戸時代初期に雲谷等益(1591〜1644)が描いた絹本墨画淡彩雪舟等楊像〔山口県指定文化財〕が寺宝として伝来している。
 その後、文久3(1863)年に長州藩が萩城から山口政事堂に移転した際に、萩にあった洞春寺(元就の菩提寺;こちらも元は安芸国吉田にあった)を常栄寺の地に移転させ、常栄寺は妙寿寺の地に移された。この間、雪舟庭はそのまま維持されていた、。
 現在の常栄寺の堂宇は大正の火災後に昭和6(1931)年に再建されたものである。
 明治18(1885)年7月に明治天皇が山口市を行幸した際に宿泊された「明治天皇宿泊の間」が、昭和42(1967)年に当山に移築されて現存している。

◎城下町山口
 https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=194642&id=89434373
+常栄寺のモリアオガエル繁殖地
 https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=320240&id=90415707

コメント(12)

左;富士山・五台山等の枯山水
中;奥は心字池と岩島
右;手前が船石、右奥が蓬莱石
左;聴松軒
中;左が船石、右が鶴島
右;本堂
左;書院跡
中;手前の池に浮かぶのが鯉魚石、その手前が五渡渓
右;鶴島
 常栄寺モリアオガエル棲息地〔山口県指定天然記念物〕四明池
左;三堂由緒
中;大師堂
右;木造弘法大師坐像
左;ゼンマイ
中;薬師堂
右;薬師如来坐像
左;毘沙門堂
中;毘沙門天立像
右;毘沙門堂からの眺望
左;龍門之滝
中;江戸彼岸
右;心字池と本堂
左;左から、鶴島・船石・亀島・岩島
中;坐禅石
右;潜龍池
左;左端が明治天皇宿泊間
中;雪舟胸像
右;常栄寺全景

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