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軍事・戦争コミュのしりとり その4

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引き続き、好評のしりとり第四弾!
いっぺんやってみたかった!という訳で、ルールを守ってしりとりいきましょう。

《ルール》

1.お題は軍事、戦争に関係あるもの(人物、兵器名、事件、地名など)。
if戦記など架空のものは、適度に自重。

2.次の人へ最後の言葉を書いてバトンタッチ。

3.「ん」で終わる場合は一文字前からスタート。例えば戦艦→艦長な具合に。
インターセプターなど「ー」の発音記号が最後の場合は最後の字(この場合はた)で。

4.簡単な説明を書いておくと好印象間違いなし!

5.投稿が重複した場合は、先に書いた人の早い者勝ち。修正してもらうと助かります。

6.前回出たネタでも気にしない。

ちなみに、これまでのしりとりはこちらを参照。(しりとりその1〜3)

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=49306652&comment_count=1000&comm_id=35238&guid=ON&mhome=1

では金星の「い」から、インターセプター。英語で迎撃。という訳で、「た」。

コメント(1000)

イオシフ(ヨシフ)・スターリン(1878.12/8〜1953.3/5)。
言わずと知れたソ連最高指導者。スターリンはペンネームで、ロシア語で「鋼鉄の人」の意味で本名、イオシフ(ヨシフ)・ヴィサリオノヴィッチ・ジュガシビリ。
ヨシフと表記されるが発音ではイオシフが正しいようである。

元々はグルジアの靴屋の息子として生まれ、神学校に入学した青年期の頃、レーニンの共産主義に傾倒するようになる。
共産党に入党、その後は指導者としての頭角をめきめきと出すよう(スターリンと名乗るようになったのもこの頃から)になるが、一方でライバルであるトロッキーとの血生臭い権利闘争に勝ち、レーニン死後の後継者として強大な権力を築き上げる。

第二次大戦中は、ナチスドイツの侵略からソ連を護り、殖産興業や農地改革などを齎した英雄的指導者として、その前のトハチェフスキーなど有能な人物を次々と不当に逮捕、処刑した大粛清を強行し、ソ連に政治、経済、文化などに混乱を齎した冷酷非情な独裁者と、よくも悪くもその評価は二つに分かれてしまう。

第二次大戦後もソ連の最高指導者として、冷戦勃発のきっかけを作るなどその影響力は大きかったが、1953年脳内出血のため逝去。

次、り。
リンガエン湾

 フィリピンのルソン島西部にある湾。

日米で奪い合った。1941〜1945

→わん
湾岸戦争症候群

湾岸戦争の帰還兵に見られる一連の疾病およびその子息に見られる先天性障害
化学兵器、生物兵器、劣化ウラン弾の放射線、それらの対抗策として取られた薬品など様々な原因が挙げられているが、因果関係ははっきりとしない

「くん・ぐん」

#そろそろ次のトピ立ての時期ですが、次を立てる人は239,244,245あたりで出てきた(それ以前からちょくちょく行われていたけど)追加ルール
「○○砲,○○銃,○○作戦,○○の乱など、軍事用語によく見られる単語で終わる場合は、適宜その単語を省略しても良い」
を冒頭のルールに付け加えていただけると、ありがたくあります
訓練

→れ


 >964のご意見に賛成です。
ボイシ (SSN-764 Boise)

ロサンゼルス級原子力潜水艦のフライト?の14番艦(ロサンゼルス級
全体では53番艦)にあたり、艦名はアイダホ州ボイシにちなむ。
同名としては2代目。

ロサンゼルス級原子力潜水艦は、アメリカ海軍の攻撃型原子力潜水艦で、
1976年より配備が進められ、改同型艦を含めると62隻が建造された。
原潜史上、単一のクラスとして最大の配備数および最長の建造期間の記録。

ボイシの属するフライト?は、改ロサンゼルス級とも呼ばれ、排水量が
13%増加している。(6,927t→7,147t)
また、フライト?からの変更点として、下記が挙げられる。

・潜舵の移設(セイル側面から艦首引込み式に変更)
・ミサイル発射システムの変更(艦首にVLSを装備し、トマホークおよび
 サブハープーン発射可能となる。)
・電子装備の近代化改修

→次は”シ”。
とね

海上自衛隊のあぶくま型護衛艦の6番艦。(DE-234)

艦名は利根川に由来し、この名を受け継いだ日本の艦艇としては、
旧海軍の「利根」、利根型重巡洋艦「利根」に続き3代目。

今では数少ないDE(地方隊用護衛艦)にあたり、排水量2,000tの、
現在では小型艦になっている。

装備は、主力護衛艦とさほど遜色無い程に充実しているが、
航続距離の問題から、日本沿岸のEEZ線内での活動を主任務にしている。

最近ではDEの護衛艦を建造していない事から、このあぶくま型が
DEの最終型になるのではと言われている。

→次は、”ね”。
ネーベルヴェルファー。ナチスドイツが第二次大戦で投入した、多連装ロケットランチャー。口径や発射数により様々なバリエーションがある。

第一次大戦後、ドイツはベルサイユ条約により軍備の開発、配備を禁止されたが、その陰で極秘に開発を行っていた。
ネーベルヴェルファーはその一つで、大砲に比べ構造がシンプルで低コスト、命中率が悪いものの広範囲にわたる攻撃範囲の広さが大きな魅力だった。これに目をつけたドイツは開発を積極的に行った。

本来の意味は「煙幕発射機」だが、開発当初予定していた毒ガスなど、化学兵器も発射可能としていたため(実際には使われることはなかった)、最後までこの秘匿名称を使っていた。
ソ連の有名なカチューシャに比べると威力、命中率が高い反面、射程距離が短い、ロケットランチャーの宿命である発射の際の煙が目立つため、大戦中盤〜後半はマウルティアなど自走タイプのものが作られた。

次、あ。
赤とんぼ
 旧日本陸海軍が使用していた複葉練習機を指す愛称。
九五初練や九五中練(陸軍)、九三中練(海軍)が代表的である。
機体が橙色に塗装されていたためこの名が付いたが、
大戦末期になって本土上空の制空権までが危うくなると
練習機も濃緑色などに塗装されてしまった。

次 ぼ
ボーファイター

ブリストル ボーファイターは、第二次世界大戦でイギリス空軍が
使用した双発の重戦闘機 。

本来は、長距離昼間戦闘機として開発されたが、当初から性能不足
であったため、夜間戦闘機、戦闘雷撃機に転用され、終戦まで活躍した。
結果的には、戦闘機というよりは、多目的双発機としての勇名を手に
した事になる。

元々は、ブリストル社の同一設計局が開発したボーフォートと同じ
原形設計ということになる。ボーフォートは、双発の高速爆撃機
として開発されていたから、結局の所、こういう結果を迎えたとも
言えるかも知れない。

エンジンは、同じブリストル社の開発した、ハーキュリーズ 14気筒
レシプロエンジン(1,600 hp)× 2 。

→次は、”た”もしくは”ター”。

那珂(なか)

1925〜1944、日本海軍の軽巡洋艦。川内型軽巡洋艦の3番艦。

トラック島西方にて沈没。

→か
厳島(2代敷設艦)

「厳島」(2代) 「厳島」=景勝地による名称。

1929年12月26日 浦賀船渠に竣工

1944年10月17日 ジャワ海にて曳航中に蘭潜水艦の雷撃を受け沈没

→ま
マジック・カーペット(作戦)Magic Carpet

1945年5月から実施された米軍の欧州戦線からの撤兵作戦の暗号名。

欧州戦線が45年5月の独降伏により収束すると世論は欧州戦線に
従軍した兵士を故郷に戻せという主張が大きくなり、軍はそれを無視
するわけにいかず、リバティーシップや輸送機では足らず戦艦や爆撃機
まで動員して約600万人が14ヶ月掛けて帰国の途に就いた。

「これの何処が復員だ。大敗走じゃないか!」と吐き捨てたのは後の
国務長官となる当時の陸軍総参謀長ジョージ・カトレット・マーシャル
元帥である。

お次はトで。
残り20カウント、カキコミありがとうございます。
ルールに関してはがんじがらめでなく、ある程度は柔軟で楽しめるように、引き継ぎお願いします。
屠龍。川崎キ45改二式復座戦闘機。太平洋戦争初期〜中期に活躍した双発戦闘機。
復座と表示されるのは、同じ時期に採用された二式戦闘機鐘馗との区別をつけるため。

第二次大戦前、欧米の間で双発多目的戦闘機開発が流行していた。
高速、長距離飛行可能で、武装の交換により制空、爆撃、偵察、迎撃を可能とし、特に長距離は爆撃機の護衛にと期待感が持たれ、各国で開発された。
代表的なものにフランスのポテーズ、イギリスのワールウインド、ドイツのMe110、アメリカのP-38ライトニング(当初は迎撃用)、日本の月光などがある。

日本陸軍もこの流行を取り入れ、川崎に開発を命じ完成したがキ45として完成したものの、エンジン出力不足やナセルストール(エンジン廻りからの失速)などトラブルが続出、土井武夫技師が改善を手掛けキ45改として採用された。
しかし、採用された時にはMe110のバトルオブブリテンの凋落のように、「いくら速度が速くても、単発の運動性には敵わない」ことがわかり、南方進出の頃には対地上、船舶攻撃に使われた。

その後は昭和17年頃から、北九州を爆撃に向かったB-29迎撃に活躍、樫出勇大尉などのエースが活躍したが高度10000mを飛行するB-29には、レーダーを使った組織的迎撃体制がなく、十分な高高度な装備のなかった屠龍はかなり苦戦(防弾装備などを外してまでの涙ぐましい努力を行った)したが、それでも本土防空に活躍している。
次、う。
グナイゼナウ

第一次世界大戦後にドイツ海軍が建造したシャルンホルスト級巡洋戦艦の
2番艦。艦名はアウグスト・フォン・グナイゼナウに由来する。

彼はナポレオンの占領支配から独立するため、プロイセンの軍制改革に
力を注いだシャルンホルストに協力した陸軍元帥である。
本級はドイツ海軍では戦艦に分類され、イギリス海軍ではグナイゼナウを
ネームシップとする巡洋戦艦に分類した。

→次は、”う”。
軍艦マーチ

帝国海軍を湛えたマーチ

→ち




【超ド級】(ちょうどきゅう)
戦艦とその運用の概念に革命をもたらしたドレッドノート型戦艦にちなみ、
同等のクラスをド級、
それを超えるものを超ド級と呼ぶようになった。
"ド"に"弩"との当て字の場合もあり。

第一次世界大戦以降、超ド級の戦艦が常識になったため、
本来のドレッドノート級以上という意味を超えて大型の戦艦を指すようになった。

ただし現在では上記の意味は薄れ、ただ単に「度を超して凄いもの」という意味に使われることが多い。

(出典:ウェブリオ 航空軍事用語辞典++ )

次は う
スヴェルドロフ

ソビエト・ロシア海軍のスヴェルドロフ級巡洋艦のネームシップ。
ソ連の政治家ヤーコフ・スヴェルドロフに由来している。

ソ連海軍の計画名は68-bis型巡洋艦。

本級は、砲熕兵器のみを搭載した最後の巡洋艦であったため、
ミサイル兵装を重視したニキータ・フルシチョフにより当初の
建造計画は見直され、初期計画で予定された30隻のうち、
完成が14隻、建造途中での解体が7隻、計画ナンバーの付与のみ
が3隻で、残りは計画中止になった。

→次は、”フ”。

<ファーストエイド・ポーチ>
米陸軍救急キット。
ガーゼ、包帯、消毒剤、軟膏、体温計などが入っており、重量785g。
1943年頃から支給されたジャングル戦用のものには
次硝酸ビスマス、軟膏、浄化剤、殺菌パッドなどが入っていた。
参考:コンバット・バイブル2、ミリタリー・イラストレイテッド17
(出典:軍事大辞典:ふ−ほの頁)

次は ち
ちはや

海上自衛隊の潜水艦救難艦。(ASR-403)
艦名は千早城に由来し、この名を受け継いだ日本の艦艇としては4代目。
先代のちはやも潜水艦救難艦として活躍した。

老朽化していた「ASR-402 ふしみ」の代替艦として計画され、
ちよだ型潜水艦救難母艦の拡大改良型として設計された。

艦容は「AS-405 ちよだ」とほぼ同じで、潜水救難装置を
艦の動揺が少ない中央部に集め暴露していた格納品を艦内に納め、
DSRVの発進方向を艦尾へ変更し、センターウェルに油圧式開閉扉が
採用されている。喫水線下の艦体部位にはバルバス・バウと
サイドスラスターが前後に2基設けられている。
艦の後部にはヘリコプター甲板を有する。

この種の救難艦としては、世界でも有数の性能を誇る。

→次は、”や”。
や、とくればやはり・・

【大和】(やまと)
・三等巡洋艦「大和」。
葛城級二番艦として1887年に竣工した。
当時すでに最新鋭艦ではなく、日清戦争では第二線に退き、1912年に二等海防艦に変更される。そして日露戦争では戦闘艦として使用されなかった。
1922年に測量艦になって以降日本近海の測量を行い、日本海中心部付近に海底丘陵を発見。艦名にちなみ「大和堆」と名付けられた。
1935年に除籍後、司法省(現在の法務省)へ移管されて神奈川県・浦賀港に繋留され、1945年まで少年刑務所の宿泊船として用いられた。
終戦直後の1945年9月、台風により鶴見川の河口付近で沈没着底、1950年に浮揚・解体された。


・超ド級戦艦「大和」。
1930年代、日本で建造された史上最大の超ド級戦艦。
同型艦に「武蔵」「信濃」「(仮称)111号艦」があったが、戦艦として就役できたのはネームシップの「大和」と2番艦の「武蔵」だけであった。
(「信濃」は建造途中で空母に艦種変更されて就役。111号艦は起工後まもなく、船台を組んだところで建造中止が決定され、スクラップとして処分された。)

1934年末に開始された新戦艦建造計画で「A-140」として計画を開始された。
当初はディーゼルエンジンと蒸気タービンの併用が計画されていたが、大型艦用のディーゼル機関の開発が思うように進まず、タービン機関のみで建造が開始された。

「豊かな物量に物を言わせ数で押してくる米陸海軍に対し、少数艦の圧倒的戦力で撃滅する」という思想が設計の根源にあり、そのため、パナマ運河を通らなくてはならないと言う制約のため40センチ砲までしか搭載できないアメリカ戦艦に対し、46センチ砲を搭載した。
当然パナマ運河の通行は不可能だが、現実問題そのようなことは考えるだけばからしかっただろう。
その衝撃に耐えるため艦幅を広くし、さらに重要区画は対応防御の思想に基づいて自らの主砲にも耐えられる防御能力を有している。
もっとも艦全体にそのような装甲を施すととんでもない重量になるため、極端な集中防御策が施されている。
その軽量化の工夫は主砲塔にも見られ、主砲を日本戦艦初の三連装砲にしているのは軽量化のためといわれている。
この46センチ砲用に開発された九一式徹甲弾は、命中せず着水した場合でも水中を直進し、喫水線下に損害を与えることができた。
速度も27ノットと当時の列強各国の新鋭戦艦と比べれば遅い部類に入るが、日本の戦艦の中では最速(当初巡洋戦艦として建造された金剛型は除く)となっている。

結果的に1941年の1番艦竣工と同時に大和型は基準排水量64000tと世界最大の戦艦になり、その後用兵思想が航空主兵主義に移り変わっために今日にいたるまで大和型を退ける戦艦は現れていない。

旗艦設備を備えていたこともあり、内装はかなり豪華だったようである。
水兵の寝床がハンモックでなくベッド、冷暖房にエレベーター完備であり、それに加えて(就役後すぐに「連合艦隊旗艦」とされたため)柱島やトラック諸島から中々動かなかったことから、将兵達に「大和ホテル」「武蔵御殿」などと揶揄されることもあった。
もっとも、冷房に関しては本来、火薬庫内の過熱による装薬の自然発火を防ぐ為のものであると同時に、主砲塔内や射撃指揮装置のあった発令所内の、文字通り灼熱地獄から兵員を守るためのものであり、ベッドに関しては過酷な戦艦勤務での乗員の疲労回復を目指したものであって、司令部要員の為の贅沢装備というわけではない。
エレベーターについても、艦があまりにも大きすぎるが故に必要とされたのは言うまでもない。
逆にその巨体であるがため甲板掃除は過酷であり、「大和坂」「武蔵坂」と名付けられるほどであった。

大和型は予算を含めてその存在は極秘とされ、圧倒的な火力と防御力から大きな期待がかけられていたが、前述のように大艦巨砲主義から航空主兵主義に用兵思想が変わってしまったため、実戦では特筆すべき活躍はできなかった。

続く
続き

1944年10月のレイテ沖海戦では、大和、武蔵が揃って参戦したが、米艦載機の集中攻撃で武蔵が撃沈された。
残された大和は、1945年4月7日に実施された沖縄水上特攻作戦「菊水一号作戦」に参戦するが、航行途中、艦上戦闘機F6Fヘルキャット、艦上戦闘爆撃機F4Uコルセア、艦上爆撃機SB2Cヘルダイバー、艦上攻撃機TBF/TBMアベンジャー?、述べ400機で構成された米艦載機部隊に襲撃され、左舷を中心に合計魚雷10本・爆弾5発が命中し爆発、炎上、14時23分に沈没した。*1
現在もその巨体を海底に横たえていることが海底調査で明らかになり、その際、数回の誘爆をおこして船体が二つに破断、バラバラに沈没したことも明らかになった。

なお、本艦は当時の情報秘匿面では稀な成功例であり、米軍は敗戦までその詳細を掴んでおらず、有名なところでは主砲口径を最後まで16インチ(40.6cm)と信じていた。
(大和型の主砲は46センチ砲であることが知られているが、機密保持のため、主砲の正式名称は「九四式四〇センチ砲」となっていた。このことが米軍を混乱させた。)
徹底した情報秘匿により、地元民ですら「巨大な軍艦を作ってはいる」程度しか知らなかったという。
一般国民に至ってはその存在すら知らず、広く知られるようになるのは敗戦後のことであった。
そのため、当時国民の間で広く認知されていた艦は、連合艦隊旗艦も勤めた長門であった。

余談ではあるが、本艦は冷蔵庫を備えており、特に生鮮食料品は鮮度が良かったという。曰く「大和の飯は美味かった」とのこと。

1937年11月4日 呉工廠にて起工
1940年8月8日 進水
1941年12月16日 竣工
1942年2月12日 太平洋戦線へ投入、連合艦隊旗艦となる
5月29日〜 ミッドウェイ作戦に参加
1943年2月11日 連合艦隊旗艦を「武蔵」に移す
1944年6月15日〜 マリアナ沖海戦に参加
10月22日〜 レイテ沖海戦に参加
1945年4月6日〜 沖縄特攻作戦に参加
4月7日 九州南西沖にて米軍機の攻撃を受け沈没
8月31日 除籍

(出典:ウェブリオ 航空軍事用語辞典++ )

全くの余談ですが、
私の出身地の人達は誰も何も言っていなかったので、
大和の最後の艦長と武蔵の何代目かの艦長が私の出身高校の先輩で実家の隣町の方々だったということをずっと知らず、つい最近知って物凄くびっくりしました。

次は と

軍法会議。

軍隊の、司法機関。次は、き、ぎ。
ついに残り3カウント、ありがとうございます。
うでウルトラ。第二次大戦中のイギリスの対エニグマ解読に活躍した特務機関。

エニグマはドイツが開発、導入した暗号装置。
当時としては画期的な暗号入力・解読装置で、その名「謎」の通りナチスドイツは、「解読不可能」の自信を持ってUボートへの作戦指令などにエニグマを投入していた。

イギリスをはじめ連合国にとって、ナチスドイツのエニグマを使った暗号解読は、対Uボート作戦にも重要で、そのエピソードは映画「U571」でも描かれている。
このウルトラは一大国家プロジェクトとして結成、著名な数学者などを集め、エニグマ特有の難解な暗号解読に成功、対Uボート作戦に陰ながら貢献した。

次、ら。
ライヘナウ(Walter von Reichenau)1884-1942

第二次大戦中の独陸軍将軍。最終階級は陸軍元帥。

貴族出身の独軍人では珍しいガチガチのナチで知られる。ナチ党に入党したのも
珍しい。旧体制派の政治家によるナチ引き降ろし工作を事前にヒムラーに知らせて
とめたり、ブロンベルグ国防相の失脚に積極的に関わった。そのためフリッチュの
失脚後に陸軍総司令官就任の話があったが、ゲルト・フォン・ルントシュテットの妨
害があり、お流れに。

その後東部戦線ではユダヤ人の虐殺を積極的に進め、ヒトラーの信任を得る。

しかし42年脳卒中に倒れ、航空機による緊急搬送が為されるも、途中で航空機
事故が発生し、回復することなく死亡。もし戦後生き延びれば間違いなく絞首刑に
処せられたであろう軍人である。

お次はウで。

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