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性と聖コミュの聖(性)なる儀式

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自分で調べてもいないのですが、詳しい方は教えてください。

聖なる宗教儀式には、「食べる行為」や「性行為」が
象徴的にサインとして残っていて、そのサインを解き明かすと
一般には知らされていない事実を知ることが出来たりするんでしょうか?


天皇が即位するときも、食べ物の供え物とともに、1人で寝て
深夜に神と交わる(セックスする)事を象徴する儀式を行うと
聴いたことがあります。

古代ギリシャやローマ、またその時代の宗教で、神殿娼婦(娼夫)という
存在があって、宗教儀式として、娼婦たちとセックスをすることが
神への捧げ者、賛美となっていた。

オリエントやアジアの古代遺跡や神殿・寺院の彫刻には
セックスをする姿をモチーフにしたものが数多くある。

ヨガやダンスや麻薬の恍惚感、トランス状態のようなものや
禅、瞑想、黙想は、これらを通して
神を見る、あるいは神と一体になることを連想させられますが
セックスも、宗教儀式の中に組み込まれていた(いる)のでしょうか。


捧げ物、犠牲として、体をセックスを通して、神に捧げる。
神に食べてもらうことによって、神と一つになる。
神の体を食べることにより、神と一体になる、清められる。
と似たような考え方で、神とセックスをする、あるいは
神の前で、他のヒトとセックスをする。

実は、下記の文章を読んで、直感的に、性と聖が深く関係していると
思ってしまい、このトピをたてました。

http://c-cross.cside2.com/html/a00ho001.htm

【上記の部分抜粋】
その意味するところは、もうひとつのエピソードから察せられるだろう。その数カ月後、著者は、カトリックとゲイの深い結びつきを明言するもうひとりの人物に出会う。カトリックの環境で成長したこの男性は、初めてペニスをくわえたときの体験は聖体拝領そのものだったという。 彼によれば、カトリックの聖体拝領とは、プロテスタントのような象徴的な絆ではなく、文字通り神の肉を食べ、神と一体になることであり、ペニスを食べるということは、肉体の衝動から魂を切り離し、自我を捨て去って一体となることを発見するある種の深遠な方法だというのだ。 これはお固いカトリック信者や司祭が耳にしたら血管が切れそうな話だが、著者は、その後の取材でセックスと神の密接な結びつきが見えてきたと書いている。


まとまりが無くてすみません。
隠された《聖と性の関係》をご存知の方、ぜひ、教えてください。

コメント(3)

グノーシス系の初期キリスト教では「常」に在った事実です。

グノーシス系の経典には、ドッサリ出て来ます。

ヨハネの福音書でも、男の子ちゃんのヨハネが初めてキリストと出会って、一緒に泊まったと書かれています。何が在ったかは書かれていないけど…。

もともと、古代宗教では「性と聖は一体」。

例えばユダヤ教では、父親が自分の息子に遺言を残す儀式を行なう際に息子の手を父親の睾丸に「直に」当てて誓いの儀式を行ないます。

旧約のモーセ五書に出て来る「腿の下に手を入れて…」と書き換えられたのは比喩でして実際には睾丸に手を当てるのです。
付け加えて…。

現代の人達は、考え方に蒙昧な部分が在り…少し乱暴な言い方かもしれませんが…。

古い時代は「メディア」なる物は存在しませんので、
極普通に「近所付き合い」が一般人の知識上での世界。

考古学上、これはキーポイントとして常に忘れる事の出来無い事実。


自らの「経験」で「奇跡的」な肉体上の「感受」…。

或る意味「普遍」なのです。

キリスト教がユダヤからギリシャに移る辺りも、
『性と聖』の「繋がり」故なのですが…、
日本には伝わり様が無かった屈曲……。

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