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EU AMO O BRASIL!!!コミュのサルヴァドール・デ・バイーア歴史地区

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サルヴァドール・デ・バイーア歴史地区(1985年 文化遺産に登録)

 ブラジル北東部に位置するバイーア州の州都、サルヴァドール。国内主要貿易港として発展したこの街は、1549年にブラジル最初の首都となり、以後200年以上もの長きにわたり国の中心地として輝きを放ちました。国内で最もアフリカ系住民の割合が高いこの街では、真っ青な海を背景にカラフルな家々が立ち並ぶ街の中を、白い民族衣装を身にまとったアフリカ系の女性たちが闊歩する姿をよく目にします。アフロ色が際立ちながらもヨーロッパや原住民の文化的要素も混ざったこの地の文化は、バイーア州そしてサルヴァドールの街の象徴ともなっており、ブラジル国内でも独自の地位を占めています。しかしこの独特の文化は、強制的にアフリカからこの地に連れてこられた人々の悲しみと適応の歴史を代弁するものでもあります。
サトウキビやたばこプランテーションが国の経済の基盤であった時代、その初期に農業労働に従事させられていたのは先住民たちでした。しかし生産量の増加とともにその担い手が不足してくると、アフリカから奴隷を「輸入」することで労働力不足を補い始めたのです。これこそが「奴隷貿易」であり、この悲しい歴史が始まった場所こそ、ここサルヴァドールでした。ブラジル最初の首都はいっぽうで、新世界最初の奴隷市場が開催された地でもあったのです。
一般的に奴隷の導入が開始された時期は1538年とされていることが多いですが、最初の明確な資料としては、1549年の国王勅許があります。これによりブラジル北東部の砂糖農場への奴隷の輸入が許可され、翌1550年に奴隷の一団がサルヴァドールに到着しています。16世紀の後半から奴隷は大規模に導入されるようになり、1585年には5万7000人の総人口のうち、1万4000人が黒人奴隷であったと言われています。奴隷貿易が廃止された1850年までの間にブラジルに輸入された奴隷は、少なくとも300万人はいたとみられています(備考1)。しかし、悪名高い奴隷貿易についての歴史を抹消すべく、国がこれに関するすべての資料を貿易廃止後に処分してしまったため、正確な数字はわかっていません。
こういった歴史的背景が生み出した、ブラジルの中のアフリカ、サルヴァドール。世界遺産に指定されている歴史地区は、高低差が約73メートルもある上町(cidade alta)と下町(cidade baixa)から構成されています。特に上町は、ブラジル国内でもバロック建築がまとまって建っている最も大きな地域です。石畳の旧市街には、ペロウリーニョ広場、サン・フランシスコ教会をはじめとする多数の教会、リオブランコ宮殿、パステル調の色鮮やかなコロニアル建築物が残っています。下町は、港湾地区と商業地区となっています。
またサルヴァドールで驚くのは、その教会の多さ。「1年の日数と同じ数だけの教会がある」という誇張した話も耳にするくらい、市内ではそこここで教会を目にすることができます。歴史のある有名な教会だけでも166もあります。

(備考1)金七紀男他著「ブラジル研究入門」2000参照

ライター:Mika Naito

ぴかぴか(新しい) Contents Station.NETホームページより抜粋
http://www.contents-station.net/

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