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いじめの加害者たちコミュの煉獄は、 殺された七人と、 その家族の方々のことではないのか。

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 この違和感は何だろう。
 「秋葉原通り魔 弟の告白」(二〇〇八年六月二八日・七月五日号『週刊現代』)を読んで感じたのは、「なに」か、「どこ」か変だと思う「違和感」だった。
 家族を代表しての「贖罪」の気持ちくらいは伝えられるのかと思ったが、そうではなかった。
 「沈黙は金」の反対をいく、「饒舌の傲慢」だった。と書く「カツオ先生」のこの言説も、その「傲慢」の一つであるかも知れないと思いつつ、やはり一言、物申しておきたい。

 ところが「違和感」は「疑問」にかわった。「手記」で足りなくて、「日記」というのだから驚かされた。「独占走スクープ 加藤家は事件後どう生きているのか 通り魔 弟の煉獄日記」(二〇〇八年七月十二日号『週刊現代』)はもう、秋葉原・男「家族」の「居直り」とも思えるものだった。
 「煉獄」は殺された七人と、その家族の方々のこと、ここまで「堂々」と世間に「物申す」のなら「弟」よ、おまえも顔を出して語れといいたい。

 そのうち、そうなるかもしれないが、そこまで「加害者(とその家族)」にとっては、「居心地」のいい社会になってしまったということだろうか。

 一方で、殺されて「死人に口なし」にされてしまった七人と家族が沈黙を強いられて、憤りも悔しさも飲み込んで世間から身を隠すしかないとしたら、「攻・守」が逆になってしまったことになるが、それは「いじめ自殺」させられた子どもの家族と、いじめの加害者親子の関係そのままである。加害者親子が「堂々」と生きている。

 週刊誌が「手記」の次に「日記」と、どこまでも食い下がって「材料」を欲しがるのは、報道も「商売」のマスメディアの当然のやり方だが、そこに乗ったか、乗せられたかして、「秋葉原・男」の「弟」がやったことは、自分たち家族が生きる「地盤」を確保するための「開き直り」、あまりに姑息な「新しい方法」のように思えてしまうのは、外野席のひがみだろうか。

 弟の「手記」も「日記」も兄の「動機」解明に役立つようなものは何もない。本人が犯行前にネットに書き込んだもので十分だし、「秋葉原・男」としての言質の方がはるかにストレートに伝わってわかりやすい。

 日記はとても「日記」とは思えない。兄の犯行を知って同時進行で記録された「日記」というよりは、「手記」を完成させた後に「構成」された「作文・感想文」のような気がする。中に「事実」を織り交ぜれば、「日記」スタイルにはなるけれど。

 「貴重なスクープ手記をものにした『週刊現代』を評価したい」(二〇〇八年七月二日付北海道新聞夕刊「秋葉原事件・弟の手記 動機解明の手がかりに」 月間「創」編集長・篠田博之)という「評価」もあるけれど、これは「スクープ」というよりは、新しい「物語」の立ち上げとでもいうべき別な「出来事」なのではないだろうか。

 何をやろうと「先に口を開いたほうが勝ち」「たくさんしゃべった方が勝ち」、大手を振って世間を渡って行くのは、どんな性質の物事であれ、「饒舌」である者だけという新しい「物語」、別な「出来事」であった「手記」と「日記」とはいえないか。

 手記によれば、弟は、事件後に「父の勤務先」を知ったことが「わが家」の「異常」だったとする。
 授業開始のチャイムが鳴る前に全員が着席していることが義務づけられていたことが「中学校」の「異常」だったとする。

 しかし、チャイムの前に席に着いているようにというのは、全国の小中学校に一つの例外もない「きまり」といっていい。その指導ができなくて、小学校(!!)に学級崩壊や対教師暴力が多発しているというのが、21世紀の日本の教育現場の事情というものである。全国の小中高、私立国立校に12万件の「いじめ」があって(二〇〇六年度)、半数の6万件が小学校に起っているというのも、小学生相手にさえ「畏怖」させるものが教師になくて、大人である教師が、たかが小学生の「ガキ」になめられている図としかいいようがない。
 そんな中、兄弟が通った中学校は、教師が頑張って、学校・学級の秩序をよく保っていた、そのことを「弟」は「異常」と見ていたと「手記」は語っているようなものである。

 そしてまた、今時、父親の勤務先を知らない中学生が珍しくないのだ。それが「成人後」まで続いていたとしても、弟よ、君の問題ではあっても、それが「家庭」の「異常」というのは少し違うのではないか。

 君達兄弟の両親をかばう気など全然ない。
 とんでもない親だったよな、と何回でもくり返しいいたいくらいだ。
 しかし、「この親にして、この子あり」ということ以上のことにはならない。
 「手記」と「日記」が動機解明の手がかりになるとしたら、改めて、「子どもは親を超えることができない」ということくらいで、「スクープ」は「親子」のあり方について考え直すきっかけくらいは与えてくれたのかもしれない。

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