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ニュース資料集コミュの【日本】NHK「JAPANデビュー」 メイントピック

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※トピック番号4-12の下記トピックとの重複部分については、後ほど調整することにします。
■目次TOP
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★【日本】NHKSPシリーズ「JAPANデビュー」_目次
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=41548672&comm_id=3344585

■関連コミュ
『NHKスペシャル』
NHKスペシャル「アジアの“一等国”」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=41409365&comm_id=6530

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■プロジェクトJAPANホームページ
http://www.nhk.or.jp/japan/about/index.html

2009年 プロジェクトJAPAN、はじまる。
2009年は「横浜開港50年」、2010年は「韓国併合から100年」、2011年は「太平洋戦争開戦70年」、「サンフランシスコ講和条約60年」。

近現代史の大きな節目を迎えるこの3年間に、スペシャルドラマ「坂の上の雲」、NHKスペシャルなど、プロジェクト関連番組を多角的に展開し、これからの日本を考える大いなるヒントを探りたい

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■NHKスペシャル シリーズ「JAPANデビュー」
150年前世界にデビューした日本は、ひたすら“坂の上”をめざし、第一次大戦後には五大国のひとつになる。日本が明治以来、欧米列強に伍していこうとする時に命運を握った4つのテーマ、「アジア」、「天皇と憲法」、「貿易」、「軍事」に焦点をあて、いったんは世界の“一等国”になった日本がなぜ国際社会の中で孤立し、焼け野に立つことになったのかを、世界史的な視点から検証する。

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・第1回「アジアの“一等国”」
http://www.nhk.or.jp/japan/program/prg_090405_2.html
NHKスペシャル シリーズ「JAPANデビュー」 第1回「アジアの“一等国”」

総合 2009年4月5日(日)午後9時〜10時13分
1895(明治28)年、日清戦争に勝利した日本は、台湾を割譲され、初の植民地統治を始める。英のインド統治やフランスのアルジェリア統治にならい、植民地をもつことで“一等国”をめざした日本。1910年、ロンドンで開かれた日英博覧会では、台湾のパイワン族を“展示”し、統治の成功を世界に誇示する。日本は「格差と同化」という矛盾した台湾統治を続け、1930年代後半からは「皇民化運動」で日本文化を強制する。

半世紀におよぶ統治はどのように変遷していったのか。2万6千冊におよぶ『台湾総督府文書』、近年発見されたフィルム、欧米に埋もれていた文書などを手がかりに近代日本とアジアの関わりの原点を探っていく。

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・第2回「天皇と憲法」(仮)
http://www.nhk.or.jp/japan/program/prg_090503_2.html
シリーズ「JAPANデビュー」  第2回「天皇と憲法」(仮)

総合 2009年5月3日(日) 午後9時〜10時13分
日本が国家の骨格ともいうべき憲法を初めて定めてから120年。大日本帝国憲法は「立憲君主制」を採り、当時の世界からも評価されていた。しかし、19世紀帝国主義から第一次世界大戦を経てうねる時代の流れの中で、日本はその運用を誤り、帝国憲法体制は瓦解する。その要因と過程を国内外に残された資料からつぶさに分析し、新しい日本国憲法誕生までの道程を検証する。

2009年5月3日(日) 午後9時00分〜10時13分
総合テレビ
シリーズ JAPANデビュー
第2回 天皇と憲法
http://www.nhk.or.jp/special/onair/090503.html
日本が近代国家の骨格ともいうべき憲法を初めて定めてから120年。大日本帝国憲法は、プロイセン憲法などを参考に「立憲君主制」を採り、当時の世界からも評価されていた。しかし、19世紀帝国主義から第一次世界大戦を経てうねる時代の流れの中で、日本はその運用を誤り、立憲体制を瓦解させてしまう。一つは、議会を担う政党が党利党略に走って政策や理念を忘れ、軍部の肥大化を助長したことに原因がある。さらには、天皇を絶対視する思想が先鋭化し、統帥権を盾に取った軍部が政治を主導していったことが挙げられる。

國學院大學には、憲法起草者の法制官僚井上毅(いのうえ・こわし)が残した 6000点を超える資料が保存されている。ドイツなど諸外国に残された資料も掘り起こし、どのように大日本帝国憲法が制定されたかを分析。さらに、政党政治の自滅と天皇絶対主義の国体論の激流を、これまで紹介されていない資料によって描き、大日本帝国憲法下の政治体制がどのように崩壊したかを検証していく。番組には、京都大学の山室信一教授、東京大学先端科学技術研究センターの御厨貴教授、評論家の立花隆さん、の3人の論客が出演。

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・第3回「貿易で立つ国家」(仮)
・第4回「軍事強国」(仮)

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■「戦争と平和の150年」
3年間に放送する様々な番組に通底するテーマ「戦争と平和の150年」。
日本は、いかにこの150年の水脈をたどってきたのか。
世界に船出した日本が直面したのは、戦争に次ぐ戦争の時代であったが、一方で世界は「平和」構築の試みも始めた。2回にわたるハーグ世界平和会議で「戦争のルール化」が図られたが、第一次大戦の勃発で時代は「ルール化」から「違法化」へと舵をきる。しかし、第二次大戦は防げなかった。
戦後、「冷戦」、「冷戦後」、「9・11後」と大きく時代はうねり、今や「新しい戦争」の時代を迎えている。日本は世界の平和構築にたいしてどのような貢献ができるのか。歴史から教訓を探る。

http://www.nhk.or.jp/japan/program/prg_090404_1.html
プロジェクトJAPAN プロローグ 戦争と平和の150年

総合 2009年4月4日(土)午後7時30分〜8時45分/9時〜9時59分
3年間に放送する様々な番組に通底するテーマ「戦争と平和の150年」。
日本は、いかにこの150年の水脈をたどってきたのか。

世界に船出した日本が直面したのは、戦争に次ぐ戦争の時代であったが、一方で世界は「平和」構築の試みも始めた。2回にわたるハーグ世界平和会議で「戦争のルール化」が図られたが、第一次大戦の勃発で時代は「ルール化」から「違法化」へと舵をきる。しかし、第二次大戦は防げなかった。

戦後、「冷戦」、「冷戦後」、「9・11後」と大きく時代はうねり、今や「新しい戦争」の時代を迎えている。日本は世界の平和構築にたいしてどのような貢献ができるのか。歴史から教訓を探る。

キャスター 五十嵐公利(解説委員)


【国際アンケート調査】
世界の人々から日本はどう見えているのか。日本は国際社会の中でどのような役割を期待されているのか。北米、中南米、アジア、中東、アフリカ、欧州など世界52カ国、53600人を対象に「JAPAN」をテーマにした大規模な国際アンケート調査をギャラップ社の協力のもと行った(2008年12月〜2009年1月実施)。
「ボイス・オブ・ザ・ピープル」、世界の人々ははたして日本をどのように見ているのだろうか。プロローグではこの調査も活用する。

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http://www.nhk.or.jp/japan/program/prg_090426_3.html
■ETV50年関連番組。
古代から海を越えて密接に結びついてきた日本と朝鮮半島。仏教伝来、渡来人、朝鮮通信使など知られざる交流を古代から近世まで、10回シリーズで描く。韓流ドラマで歴史に関心をもった方にもわかりやすく魅力的に見てもらうシリーズである。

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・第1回 太古 人々は海峡を越えた」(仮)
http://www.nhk.or.jp/japan/program/prg_090426_3.html
ETV特集 シリーズ「日本と朝鮮半島2000年」
第1回 太古 人々は海峡を越えた(仮)

教育 2009年4月26日(日)午後10時〜11時29分
韓流ブーム以後、民間交流が進んだ日本と韓国だが、いまなお歴史認識は大きな溝となっている。その溝を埋めようと、2002年以来、日韓両政府が主体となり、歴史共同研究プロジェクトが進められている。また、民間レベルでも歴史共通教材が次々と発表され、歴史を共有しようという努力が続けられている。朝鮮半島と日本はどのような関係を築いてきたのか。最新の学術的成果をもとに、古代から現代まで2000年の交流史を2年がかりで通覧する大型シリーズ。第1回は、その源流をたどる。

ぺ・ヨンジュン扮(ふん)するタムドク(高句麗・広開土王)が騎馬軍を率いて朝鮮半島を疾走する。ドラマ「太王四神記」で描かれた古代の朝鮮半島には、東西南北にいる神たちが、4つの方角から人々を守るという世界観があった。ドラマにも登場した架空の神獣「白虎」「青龍」「玄武」「朱雀」の「四神」たちである。

時空を超え、2009年の日本。国宝・高松塚古墳壁画の修復作業が国を挙げて進められている。7世紀に描かれたと考えられている極彩色の女性像、飛鳥美人。その絵の側にもまた、「四神」が描かれている。描いた絵師は、朝鮮半島を経てやって来た人と見られている。その一方で、日本列島から海を渡った人々もいた。彼らが、風俗や文化だけでなく、双方の古代国家形成にも深く関わっていたことは、意外と知られていない。しかも、その関わり方を巡って、今様々(さまざま)な議論が日韓双方で繰り広げられている。日本が朝鮮南部に置いたとされる“任那日本府”とは、いったい何だったのか。仏教伝来の真相とは。「四神」の絵を道しるべに、海を越えた人々の旅路をたどりながら、日本と朝鮮半島の交流の実相に迫る。

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・第2回「“任那日本府“の謎」(仮)
・第3回「仏教伝来 渡来人たちの旅路」(仮)
・第4回「白村江 敗戦ショックが生んだ‘日本’」(仮)
・第5回「環日本海 もう一つの道」(仮)
・第6回「モンゴルの衝撃」(仮)
・第7回「東シナ海 倭寇の真実」(仮)
・第8回「秀吉の侵攻はこうして行われた」(仮)
・第9回「朝鮮通信使 和解のために」(仮)
・第10回「江華島条約 韓国併合への道」(仮)

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■「世界と出会った日本人」
幕末から明治半ば、近代国家のビジョンを求めて、多くの使節団や留学生が欧米へと渡った。彼らはそこで何に出会い、何を持ち帰ったのか……。産業革命からおよそ100年、欧米列強が植民政策を本格化させる時代のなかで、日本の先人たちは彼我の差に圧倒されながらも、驚くべき観察眼と学習能力を発揮する。近代日本の国家建設や経済・社会などに多大な貢献をした日本人たちが、近代文明の本質と出会ったその瞬間を描く。

福沢諭吉、高橋是清、渋沢栄一、大久保利通、大山捨松、辰野金吾、伊藤博文、南方熊楠、津田梅子、陸奥宗光、北里柴三郎、新渡戸稲造、片山潜、夏目漱石など、25回シリーズ。

http://www.nhk.or.jp/japan/program/prg_090405_1.html
プロジェクトJAPAN 関連ミニ番組「世界と出会った日本人」
第1回 自主自立を説いた啓蒙思想家 中村正直

総合 2009年4月5日(日)午後11時20分〜11時25分
自主自立の精神を説いた『西国立志編』。明治4年、スマイルズ著『セルフ・ヘルプ』を中村が翻訳し大ベストセラーとなった。初版本には「フリーランド」の署名が印刷されている。このフリーランドこそ、イギリスから帰国する中村に『セルプ・ヘルプ』を贈った人物。二人の交流から、明治の若者を奮起させる時代精神が生み出された。
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■これまでの放送

2009年4月5日(日)午後11時20分〜11時25分
プロジェクトJAPAN 関連ミニ番組「世界と出会った日本人」
第1回 自主自立を説いた啓蒙思想家 中村正直

総合 2009年4月5日(日)午後9時〜10時13分
NHKスペシャル シリーズ「JAPANデビュー」 第1回「アジアの“一等国”」

総合 2009年4月4日(土)午後7時30分〜8時45分/9時〜9時59分
プロジェクトJAPAN プロローグ 戦争と平和の150年

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■放送予定

総合 2009年4月19日(日)午後10時45分〜10時50分
プロジェクトJAPAN 関連ミニ番組「世界と出会った日本人」
第2回 近代日本経済の基礎を築いた 渋沢栄一(仮)

教育 2009年4月26日(日)午後10時〜11時29分
ETV特集 シリーズ「日本と朝鮮半島2000年」
第1回 太古 人々は海峡を越えた(仮)
古代から、海峡を越えて、日本と朝鮮半島には深いつながりがあった。高松塚古墳の壁画や、韓国で見つかった日本固有の古墳などをもとに、日本と朝鮮半島の関係の源流に迫る。

総合 2009年4月26日(日)午後10時45分〜10時50分
プロジェクトJAPAN 関連ミニ番組「世界と出会った日本人」
第3回 女性の社会活動の道を開いた 大山捨松(仮)

総合 2009年5月3日(日) 午後9時〜10時13分
シリーズ「JAPANデビュー」  第2回「天皇と憲法」(仮)
日本が初めて憲法を定めてから120年。当時世界から評価された大日本帝国憲法は、その後運用を誤り、帝国憲法体制は瓦解する。要因を分析し、日本国憲法誕生までを検証する。

総合 2009年5月3日(日)午後10時45分〜10時50分
プロジェクトJAPAN 関連ミニ番組「世界と出会った日本人」
第4回 一身独立して一国独立す 福沢諭吉(仮)

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コメント(101)

Curing the Opium Habit.

Even the opium habit has in so far been respected that the natives are not punished for consuming opium, though opium smoking and dealing in opium is a crime for which Japanese citizens in Japan and in Formosa as well are punished with penal servitude of varying degrees. But in order to gradually diminish the amount of opium consumed, on the same principle on which a drunkard may gradually be weaned from his drink, the Japanese Government has made the opium trade a monopoly, which it judiciously uses for at the same time permitting and discouraging opium smoking.

Only confirmed smokers are able to obtain opium, and they can secure the drug only under the strictest serveillance. The Government controlling the supply of opium doles it out through licensed agents to licensed smokers, and the police watch with the greatest vigilance that the circle of opium smokers does not enlarged.

At the same time moral pressure is brought to bear. All doctors have constantly to point out the evils of opium smoking to the grown-up, and all school teachers have to warn the children against the injurious and demoralizing effects of the opium habit.

The population of the island amounts to present roughly to 3,000,000, of whom in September, 1900, 169,064 were opium smokers. By the end of March, 1902, only 152,044 were registered and licensed as opium smokers, the decrease of 17,020 having been caused by death or by the discontinuance of the opium habit, and this number will no doubt rapidly be further reduced by the wise policy that is being pursued.

It is significant that the opium imported, which represented in 1900 a value of 3,392,602 yes, amounted in 1903 to the value of 1,121,455 yen only. From a revenue point of view the policy restricting the use of opium in Formosa is no doubt unfavorable, for it means the State a serious loss of income on the one sides, and increased expenses for administration and the surveillance of opium smokers on the other side.

While the Japanese Government has in no way tried to hurt the susceptibilities of the natives by meddling with their religion and their customs, it has given them tangible proof of the benefit of Japanese rule by improving in every respect the conditions of the people. In the first place, the law-abiding tollers are no longer terrorized and tyrannized over by robber bands, and enjoy freedom under a just Government. In the second place much has been done for their bodily welfare.

The country used to suffer much from epidemic diseases, which ere largely caused by the wretchedly bad water which the natives obtained from stagnant pools and contaminated streams. Consequently the Japanese set about to provide a supply of pure water.

The total number of artesian wells that have bored in Formosa is not available, but in the Tajhoku district alone, where about one-tenth of the population is living, more than 800 wells have been sunk.

Fine System of Schools Started.

Education being the basis and starting point of all progress, Japan has introduced her splendid education system in Formosa. There are schools for the Japanese, with 60 teachers and 2,000 pupils, and there are 130 elementary schools for the natives with a teaching staff of 521 teachers, who are educating 18,149 children and transforming them into civilized beings.

However, Japan is not satisfied with providing elementary education for the natives, for it is her ambition to give to Formosa the best she has to give. Consequently Japan has established for the use of the natives a medical school, a Japanese language school, and a school for training school teachers.

The medical school in Formosa has the grand distinction that it is the only school in the Far East which gives a regular course of the modern science and practice of medicine to students of Chinese origin. It is domiciled in Taihoku, and at the present moment about 150 students are studying medicine there under the guidance of competent Japanese professors.

The Japanese language school serves two objects. Its purpose is to spread the Japanese language among the natives, and at the same time to furnish opportunities to the Japanese to learn the native languages, and thus to prepare them to act as teachers and interpreters iin the interior.

The happiness of the individual depends not only on his security, his freedom from tyranny, and on his bodily wellbeings, but also on his prosperity. Consequently Japan has made it her aim to increase the prosperity of her new colony.

Making Network of Railways.

When Japan took over Formosa there were no roads in existence, but strange to say there was a short piece of railway which was almost useless, so badly was it built and so wretchedly was it managed. Railway fares and freights were changed almost daily, and trains were run “when convenient.”

Understanding the fundamental requirements of Formosa, the Japanese started methodically upon road making in many parts of the island, and according to a recent report of the United States Consul more than 1,000 miles of road have already been built. At the same time the Japanese Government mapped out a comprehensive scheme or railways, on which it proposes to spend 28,8000,000 yen, or almost £ 3,000,000, an amount which for a country like Japan sounds almost fabulous.

The piece of railway which the Japanese found in existence has already been thoroughly reconstructed, and a new line from Shinhiku to Takao was commence simultaneously from both termini with the greatest energy. Between 1897 and 1903, 95 miles of railway were laid, 37 stations were built, and 210 freight cars and passenger wagons and 20 engines introduced.

During this period the number of passengers carried has grown fourfold and the quantity of good transported tenfold. Besides, light railways were introduced, of which 125 miles were laid within a few months. A further 52 mildes of light railroad are about to be built.

The post, telegraph, and telephones have also been introduced with the greatest success. Between 1896 and 1902 eigthy-seven Post Offices were opened for the public throughout the island, which, in 1902, handled 13,285,105 letters and post cards and 114,779 parcels, and issued 336,207 domestic money orders. The length of telegraph wire has grown from 900 miles in 1896 to 2,600 miles in 1902, and 1350 miles of telephone wire have been laid, over which in 1902 3,690,228 messages were sent.

The native industries which were carried on n Formosa when the Japanese arrived were pursued in a very unsatisfactory fashion. Scientific cultivation, and even thorough cultivation, of the fruitful ground was unknown; the natives relies chiefly on the bounty of Nature unaided, and though the Formosa farmer did obtain two, and even three, crops of rice a year, his harvest was not proportionate to his toil and his income was totally inadequate.

Through the improved methods which have been introduced by the Japanese, the production of rice has increased by 10 percent between 1896 and 1902. The production of tea has grown fivefold between the same years, and the other agricultural staple products, such as sugar, sweet potatoes, cane, ramie, jute, turmetric, &c., all show a very large increase.

The enormous forests also were insufficiently utilized, and the wastefulness of the natives was such that, for instance, camphor oil was treated as waste by the native refiners, who extracted camphor from the wood. The consequence of the reforms which have been introduced by the Japanese has been that the production of camphor has steadily increased from 1,534,596 kin in 1897 to 3,588,814 kin in 1903, and the output of camphor oil has risen from 638,603 kin in 1897 to 2,670,561 kin in 1903.

Mining likewise was carried on in the most superficial and improvident fashion and consequently the maximum of labor yielded but a minimum of result.

By patient tuition and gentle insistence the Japanese have succeeded in introducing improved methods in all industries. The farms yield better harvests, the forests are scientifically exploited, and millions of young camphor trees have been planted in suitable places, and the mining industry has made an enormous progress in the last few years.

Bank and Currency System.

The improvement in trade and industries of Formosa naturally made apparent the need of improved banking organs and an improved currency system. Consequently, the Formosan Bank was established as the central baning organ in the island, and private banking offices were opened in the more important centres.

Post Office savings banks have also been opened, and have had a highly gratifying success. The number of depositors has increased from 5,847 in 1896 to 41,145 in 1902, and the amount deposited from 228,487 yen in 1806 to 763,575 yen in 1902.

The currency of Formosa also had to be reformed. Formosa used to be a country where the medium of exchange was bullion, not coin, exactly as in China, and the bulky copper coinage used to make commercial transactions of any magnitude wellnigh an impossibility. This antediluvian monetary system has now been replaced by the up-to-date monetary system of Japan.

Japan has poured money like water into Formosa. She has established factories for making brown sugar, white sugar, glass, pager, &c.; she has sent out many of her ablest men as administrators, and she will no doubt in due time receive her reward for her enlightened policy.

Only a few years have elapsed since the island has been completely pacified. Nevertheless, the economic ordinary progress which has already been made is very striking. The increased prosperity of the inhabitants may be seen from the fact that the general revenue, which is principally derived from Government works and undertakings, the opium monopoly, customs, and various taxes has expanded from 2,711,822 yen in 1896 to 12,738,587 yen in 1903, having grown almost tenfold.

The ordinary local revenue, which is chiefly composed of taxes on land, houses, businesses, &c., has risen from 747,850 yen in 1898, to 1,952,220 yen in 1902, having almost been trebled in four years. In the collection of the general and local taxes, no undue hardship has been exercised in order to obtain these magnificent results.

It is, therefore only natural that the population of Formosa has rapidly increased parl passu with the development of its resources. In 1897, the population of Formosa amounted to 2,455,357, but in 1903 it had risen to 3,082,404.

<原文 終了>


『台湾の声』 http://www.emaga.com/info/3407.html
■左 橋下大阪府知事にサービス残業で抗議した女性職員
■中 中核派の集会で演説している女性職員
■右 一番右が鎌倉英也氏
http://www.waseda.jp/jp/news08/081107.html
第8回早稲田ジャーナリズム大賞贈呈式開催
(左から、朝日新聞:藤森研氏・植村隆氏、南日本放送:山縣由美子氏、白井総長、南日本放送:有山貴史氏、NHK:寺井友秀氏・鎌倉英也氏)


 ◇


★NHKのディレクターが左翼団体で、『右翼の圧力の実態』について演説(1/5)


少々古いニュースですが、掲載しておきます。
現在広く非難を浴びているNHKのシリーズ「プロジェクトJAPAN」でディレクターを務める鎌倉英也氏が、中核派と関係のある左翼団体で講演をすることが判明しました。

  http://www.wdic.org/w/POL/中核派
  中核派系の団体
  マスコミ等によって報道された公知のものを、一覧にする。
  ・都政を革新する会 (都革新)
  ・「つくる会」の教科書採択に反対する杉並親の会
  ・立川自衛隊監視テント村 (革マル派とも繋がっているらしい)
  ・レイバーネット日本
  一部に「9条ネット」が中核派とする論があるが、この団体は「新社会党」系であり、
  中核派ではない。

なお、タイトルでは鎌倉氏を「JAPANデビュー」のディレクターとしているが、正確には『プロジェクトJAPAN プロローグ「戦争と平和の150年」』(2009年4月4日放送)のディレクターである模様。ただし、今後の放送でディレクターを担当しているのかもしれません。

  つれづれなるままに、気のおもむくままに、まっすぐに
  http://blogs.yahoo.co.jp/gemini1939/archive/2009/05/07
  NHKが反日集会で右翼語る・『プロジェクトJAPAN』の鎌倉英也ディレクターが
  反日左翼団体「レイバーネット」の会に出席し「右翼の圧力の実態」??について語る
  ・(゜Д゜)ハァ?・いい加減にしろ!犬HK!

5月初頭から話題になっていたのですが、内容の真偽が分からず言及を控えていました。
しかし、鎌倉氏が左翼団体の集会で演説をするという記事が突然削除されたため、ここにキャッシュを掲載します。

少なくとも以下の記事を読む限り、NHKのディレクター鎌倉英也氏は、現在のNHK偏向報道に対する視聴者の抗議を「右翼の圧力だ」と社外に説明しているのは間違いないようです。(4/21女性差別撤廃条約に関する外交部会での、あべ俊子議員の「右の人たち」発言を思い出します)

同時に左翼団体がNHK擁護に動いていることも判明し、NHKの同シリーズがこうした左翼団体が支援したがる内容であることも類推されます。

また、NHKは左翼団体に自社の映像を、しかも「未公開」⇒「ハイビジョン版(120分)」を貸与していることも分かり、NHKが左翼団体を優遇しているのではないかという疑問も生じます。

そして、説明部分の「かろうじて外部で受賞しているので生き残っていますが」という文章から、国内の一般視聴者の抗議が、NHKにちゃんと一定の効果を与えていることが伺えます。
★NHKのディレクターが左翼団体で、『右翼の圧力の実態』について演説(2/5)


<記事本文>
==========
レイバーネット
■キャッシュ
http://72.14.235.132/search?q=cache:S2QFaeR0jOoJ:www.labornetjp.org/news/2009/1241393329405staff01
「JAPANデビュー」のディレクターが語る右翼の圧力の実態

みなさま
森広@市民メディアセンターです。
前回のご案内の修正も含めて、再度のご案内です。

修正は前回、NHKの鎌倉さんの回を「未公開」としたところを、
NHKスペシャル版(74分)ではなく「未公開」⇒「ハイビジョ
ン版(120分)」を使うということに訂正いたします。

それと、2回目の鎌倉さんの回は、討議の主要テーマに、日本その
ものの「歴史」に踏み込んだ番組に対して執拗に寄せられる「偏向」
「反日」という番組批判の状況について討議することが入っていま
す。今回の『戦争と平和の150年』と同様、一昨年に鎌倉さんが
作った『日中戦争〜なぜ戦争は拡大したか〜』(文化庁芸術祭大賞)、
昨年放送された『記憶の遺産〜アウシュビッツ・ヒロシマからのメ
ッセージ〜』(石橋湛山記念ジャーナリズム大賞)でも全く今回と
同じことが起きています。かろうじて外部で受賞しているので生き
残っていますが、これらの右翼からの圧力が制作現場にどのように
影響しているのか、NHK内で何が起きているのか、についても報
告を受けて、討議する予定です。貴重な機会ですので、是非、ご参
加願います。単発受講可能です。(5月3日)


********(ここから・転送歓迎)********


講座名: 制作者との対話〜TVドキュメンタリーを通して社会を考える

優れたドキュメンター番組を見ながら制作者(ディレクター)との
討論を通してメディアリテラシーの養成をめざす。通説の検証し、
事実を掘り下げて伝えるために右翼などの圧力で制作しずらくなっ
てきる現場からの声も交えて報告、討議する企画です。


申し込み締切り: 5月8日(金)
講座回数: 4回
日程:

5月10日(日)〜8月9日(日) 毎月1回 日曜15時〜18時

受講料:
一般          8,000円(単発2,000円)
MediR・APC会員 6,000円(単発1,500円)

※受講料をお振込みいただいた方の順番に受付させていただきます。


お申込はコチラから
http://medir.jp/applyform_2009first?cn=8

※MediRのサーバーダウンが続いていますので、HP経由
の申し込み手続きができない場合は、森広まで一報願います。
E-mail:QYF15211@nifty.ne.jp


―――――――――――――――――――――――――――――
●8.作者との対話〜TVドキュメンタリーを通して社会を考える
―――――――――――――――――――――――――――――

単発受講料 : 2000円(APC・MediR会員1500円)
定員:先着20名
      
 ※2部構成になります。
    第1部 番組鑑賞(無料)
    第2部 制作者とのティーチイン(受講料の対象)

優れたドキュメンタリー番組を見ながら制作者(ディレクター)との
討論を通してマスメディアによる情報操作や視聴者の先入観が及ぼす
影響について検証し、メディアリテラシーの養成をめざします。制作
者側の着眼点やメディア状況なども踏まえた解説を受け、参加者との
実践的な討議を行います。

★こちらもよろしく。
    ↓
[1] 5月10日(日)15時〜18時
「証言でつづる現代史・アフガン侵攻はこうして決定された」(2006年放送)
ゲスト:馬場朝子さん(NHKディレクター)

 マスメディアによって侵略だと大々的に宣伝されたソ連によるアフ
ガニスタン侵攻が、実際にはアフガニスタン政府による派兵要請を断
り続けた末に、ある出来事を契機に決定されたことをロシア国立公文
書館で公開されたソ連共産党中央委員会での秘密討議記録から再現し
話題を呼んだ番組。今日のアフガニスタン情勢混迷の一因をひもとく
重要な記録でもある。馬場さんは「プーチンのロシア」など旧ソ連と
ロシアに関する多くの番組を手がけた気鋭のディレクターです。


[2] 6月21日(日)15時〜18時
「ロシア 小さき人々の記録」(2000年放送)

ゲスト:鎌倉英也さん(NHKディレクター)

20世紀のユートピアを目指したソ連邦の崩壊は、人々に過酷な運命
を強いた。アフガン、チェルノブイリ、チェチェンで生きた名もない
「小さき人々」への眼差しを通して、現代政治と歴史の非常さを浮き
立たせる。当日は、日中戦争など日本との関係で歴史や戦争を描いた
番組を制作した場合に起きているメディア状況なども踏まえて、どこ
まで映像は現実を伝えることができるのか、踏み込んだ議論も予定し
ています。

==========
★NHKのディレクターが左翼団体で、『右翼の圧力の実態』について演説(3/5)


上記記事を新しく書き直したと思われるのが、こちらの記事です。
「右翼」という言葉が消え、鎌倉英也氏の回([2] 6月21日(日))の説明文から、

  「当日は、日中戦争など日本との関係で歴史や戦争を描いた
   番組を制作した場合に起きているメディア状況なども踏まえて、どこ
   まで映像は現実を伝えることができるのか、踏み込んだ議論も予定し
   ています。」

という文章が削除されています。

余談ですが、[4] 8月9日(日)の「満蒙開拓団〜ある家族の軌跡」の説明文にこうあります。

  「日本の敗戦で棄民として見捨てられた日本人と土地を奪わ
   れた中国人の間に横たわる重い歳月を描いた番組。」

類似した内容の番組に『その時 歴史が動いた ソ連参戦の衝撃 満蒙開拓民はなぜ取り残された』(2005年8月3日(水)放送)がありますが、この番組では資料の恣意的な編集、いわゆる「つまみ食い」と呼ばれる偏向報道の手法が使用されたことが、中村粲(あきら)・獨協大学名誉教授の検証によって判明しています。

  NHKのインチキ画像
  http://www.nicovideo.jp/watch/sm4524113


  http://archives.nhk.or.jp/chronicle/B10002200090508040030128/
  その時 歴史が動いた
  ソ連参戦の衝撃 満蒙開拓民はなぜ取り残された
  http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2005_08.html#01
  その時 歴史が動いた 公式HP
  第230回
  シリーズ終戦60年
  ソ連参戦の衝撃 
  〜満蒙開拓民はなぜ取り残された〜
  ※参考文献に『河辺虎四郎日記』が書かれていないことに注意。

中村名誉教授によると、NHKはこうした歪曲報道の常習犯とのこと。

中村教授は『正論』(産経新聞社)にNHKの歪曲・変更・問題報道を告発する「NHKウォッチング」という長期連載を持っており、今月号(6月号)はNHK「JAPANデビュー」告発のため増ページで同番組を検証しています。

他の連載も一斉にNHK「JAPANデビュー」問題を取り上げており、興味のある方には一読をお奨めします。
※NHKのインチキ画像 書き起こし

<タグ>
中村粲あきら教授 チャンネル桜 満蒙開拓団 河辺虎四郎中将 日ソ不可侵条約 矜持をかけて=名誉をかけて

<書き起こし>
発言者:「NHK報道を考える会」代表 中村粲(あきら)教授

こういうふうに映像を一部だけつまみ食いする、つまみ食いするって言うんですね、こういうのね。それからね、これ去年のね、夏のNHKスペシャルなんですが、「ソ連軍参戦の衝撃」というの、ね、「満蒙開拓民はなぜ取り残されたか」と。その中で見てましてもね、こういうの出てきたんですよ。ソ連が参戦した時にの本のね、参謀、参謀次長。これはね河辺虎四郎(中将)という人だったんですけれど、河辺さんがですね、河辺さんの日記にこう書いてある。日記はね、画面に出るわけですね。その日記になんて書いてあるかって言うとね、どういう、どういうふうに書いてあるか?

『ソ、ついに立ちたり』 「ソ」はソ連ですね。
『余の判断は外れたり』 こう書いてある。

『ソ、ついに立ちたり』 ソ連がついに立った。
『余の判断は外れたり』 そこで切ってあるわけです。

すると「なんてバカな参謀次長だ。こ〜んな呑気な参謀次長、『余の判断は外れたり』? そんなこと言ってる段階じゃねえだろう」と思うでしょ? 「こんなバカな参謀次長がいるから、だらしのねえ参謀次長がいるから日本は負けるんだ。ほれ見ろ」という。ところがね、これは、その、河辺虎四郎さんの日記を見ればそうじゃないんです。日記はその下に続いてるんです。



『余の判断は外れたり【 と 言 え ど も 】』と続いてるんです!



(会場笑い)

『(余の判断は)外れたりと言えども、今さら和平を顧みるにあらず、民族の矜持をかけて戦いあるのみ。その決意を固めた。』 こう書いてある。(注:聞き取りのため、正確な表記は不明)『余(の判断は)外れたりと言えども』。「たり」と、「り」と「と」の間をきれいに切ってしまって、そこから上だけをね、画面に出しているわけですよ。その下は出さないんですよ。「外れたりといえども、断固として日本民族の名誉にかけて、矜持にかけて戦うぞ」と、こう言ってるわけですよ。決してね、いい加減なね、「外れてしまったー」嘆いているわけでも何でもないんですよ。NHKはね、そういうふうなことをやるんです。汚いと思いませんか、これは?

(会場拍手)


■参考
その時歴史が動いた
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2005_08.html#01
第230回 シリーズ終戦60年 ソ連参戦の衝撃 〜満蒙開拓民はなぜ取り残された〜
平成17年8月3日(水) 21:15〜21:58  総合 全国

この回はゲスト、つまり「専門家」がなぜか同席していない。前後数か月の放送で、ゲストがいないのはこの回と、9月7日の「特集番組 歴史 日本の謎 〜平家はなぜ滅亡したのか〜」ぐらい。

参考文献に、河辺虎四郎に関する以下のような資料が挙げられていない。(ただし、他の資料に引用されていたものを孫引きした可能性も考えられる)
http://ja.wikipedia.org/wiki/河辺虎四郎 より
・『市ヶ谷台から市ヶ谷台へ 最後の参謀次長の回想録』(時事通信社、1962年)
のちに『河辺虎四郎回想録 市ヶ谷台から市ヶ谷台へ』(毎日新聞社、1979年)に改題して再刊。
・河邊虎四郎文書研究会 編『承詔必謹 陸軍ハ飽マデ御聖断ニ従テ行動ス』(国書刊行会、2005年)
・防衛研究所所蔵の河辺日記

反面、「第335回 シリーズ 日本降伏 後編 帝国最大屈辱ノ日ナリ 〜9月2日・降伏文書調印〜」の<番組内容や番組中に出てきた言葉など><おもな参考文献>には、きちんと「河辺虎四郎回想録 市ヶ谷台から市ヶ谷台へ」の名前が繰り返し書きこまれている。
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2008_09.html
★NHKのディレクターが左翼団体で、『右翼の圧力の実態』について演説(4/5)


<書きなおし記事本文>
==========
レイバーネット
http://www.labornetjp.org/news/2009/1240025472795staff01
MediR講座『制作者との対話〜TVドキュメンタリーを通して社会を考える』


みなさま

森広@市民メディアセンターMediRです。

市民メディアセンターMediRとアジア記者クラブ(APC)の共
同企画講座が5月から始まります。出色の講座の中から毎月1回(計
4回)、番組制作の現場で活躍されているTVディレクターの方をお
招きしてドキュメンタリー番組を見た上で、制作意図から取材過程、
表現したかったこと、制作動機や課題も含めて制作者の視点で説明し
ていただきます。それを受けて参加者と討論する企画です。必要な資
料は事前に配布します。ドキュメンタリー番組を制作したいという方
に限らず、視聴者の立場からも参加していただき、メディアリテラシ
ーを養っていただく講座です。

優れた番組を見る時間を確保する関係上、日曜日に設定されています。
現役の最も活躍されているディレクターの方々との貴重な交流の場に
もなりますので、映像を見る目を養い方にはお薦めです。有料講座で
恐縮ですが、宜しくお願い致します。


********(ここから・転送歓迎)********


講座名: 制作者との対話〜TVドキュメンタリーを通して社会を考える
申し込み締切り: 5月3日(日)
講座回数: 4回
日程:

5月10日(日)〜8月9日(日) 毎月1回 日曜15時〜18時

3,4回の講座については講師の都合で後日、日程を変更する場合が
あります。基本的には日曜日の開催を考えていますが、主催者から
の連絡に注意願います。

受講料:
一般 8,000円 単発なし
会員 6,000円


優れたドキュメンター番組を見ながら制作者(ディレクター)との討論を
通してメディアリテラシーの養成をめざす。通説の検証し、事実を掘り
下げて伝えるために現場で格闘してきた制作者の声を紹介できれば
と思います。

お申込はコチラから
http://medir.jp/applyform_2009first?cn=8


[1] 5月10日(日)15時〜18時
「証言でつづる現代史・アフガン侵攻はこうして決定された」(2006年放送)

講師:馬場朝子(NHKディレクター)

マスメディアによって侵略だと大々的に宣伝されたソ連によるアフガニスタ
ン侵攻が、実際にはアフガニスタン政府による派兵要請を断り続けた末に、
ある出来事を契機に決定されたことをロシア国立公文書館で公開されたソ
連共産党中央委員会での秘密討議記録から再現し話題を呼んだ番組。今
日のアフガニスタン情勢混迷の一因をひもとく重要な記録である。

[2] 6月21日(日)15時〜18時
「ロシア 小さき人々の記録」(2000年放送)

ゲスト:鎌倉英也(NHKディレクター)

20世紀のユートピアを目指したソ連の崩壊は、人々に過酷な運命を強いた。
アフガン、チェルノブイリ、チェチェンで生きた名もない「小さき人々」の愛と悲
しみを現代ロシアの記録文学者スベトラーナ・アレクシエービッチの目を通し
て伝えた番組。

[3] 7月12日(日)15時〜18時
BSドキュメンタリー「韓国・シルミド部隊の真実」(2006年放送)

ゲスト:奥野守彦(駿ディレクター)

北朝鮮の金日成(キム・イルソン)主席暗殺のために組織された韓国シルミド
部隊。しかし、計画は実行されることなく部隊は自爆し、生き残った者は処刑
された。映画と違い、名誉回復を求める遺族、元教官、部隊を創設した元将軍
など関係者の証言が生々しい。韓国で始まった真相究明の動きをもとに歴史
の謎に迫った番組。

[4] 8月9日(日)15時〜18時
BSドキュメンタリー「満蒙開拓団〜ある家族の軌跡」(2006年放送)

ゲスト:後藤和子(パオネットワーク・ディレクター)

戦前、国策として旧満州に満蒙開拓団として渡ったある家族の姿を、当時から
現在まで見つめ、日本の敗戦で棄民として見捨てられた日本人と土地を奪わ
れた中国人の間に横たわる重い歳月を描いた番組。

※ 3,4回の講座については講師の都合で後日、日程を変更する場合があり
ます。基本的には日曜日の開催を考えていますが、主催者からの連絡に注
意願います。


市民メディアセンター
http://medir.jp

講座全体のプログラム
http://medir.jp/course_2009first

●問い合わせは、森広まで。
Created bystaff01. Last modified on 2009-04-18 12:31:13

==========
★NHKのディレクターが左翼団体で、『右翼の圧力の実態』について演説(5/5)


中核派と聞いて思い出すのは、2008年3月13日、大阪府庁朝礼で橋下徹・大阪府知事に「あなたねー、どんだけサービス残業してると思うんですか」「労働者同士分断して、大阪府職員と府民を分断してるばっかりじゃないですか」などと詰問した女性職員が、実は残業を全くしておらず、なおかつ中核派の集会で演説をしていることが後に判明した事件です。

  探偵ファイル ニュースウォッチ
  http://www.tanteifile.com/newswatch/2008/03/16_01/index.html
  サービス残業とは無縁?橋下知事批判の女性の「正体」
  http://www.tanteifile.com/newswatch/2008/03/17_01/index.html
  橋下知事に反論の府職員女性・中核派のデモに参加?

加えて、
・彼女一人だけ作業服
・しかもその作業服が非常にきれい
・一番上の端の席
・彼女一人だけ、名札を胸ポケットに隠している
・NHKと朝日だけ、2班体制で取材
・NHKと朝日だけ、朝礼後も女性職員に取材
・朝日だけ、女性職員の「それ(サービス残業)は私はしていません」発言をカットした
ことなどから、この中核派に関係すると思われる女性職員の発言自体が、NHK・朝日の共謀ではないのかという疑問も提示され、同時に、府の職員が上司である府知事に「あなたねー」という無礼な言動を取ったことにも非難が集中しました。

  http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1103438.html
  橋下知事に楯突いた女職員の正体は“中核派のプロ市民”?…ネットで話題に
  http://plaza.rakuten.co.jp/struts/diary/200803150001/
  大阪府職員に中核派がいる問題、ひょっとして橋本知事のマスコミを利用した釣り?
  http://www.youtube.com/watch?v=4gdwBFw4QaE
  私はしていません
  http://www.youtube.com/watch?v=oqVYFt6rjAI
  橋下VS女性職員の後のコメント

このときも今回の鎌倉英也氏の場合と同じく、この女性職員と中核派との関係を示すようなブログや記事が削除されており、この2つの”事件”の共通点と言えます。


<削除された記事>
==========
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/news/1205476036/
   関西合同労働組合泉州支部サンボー分会

 今日、大阪府知事の橋下の反論した女性職員も3・16集会に来ますよ!

 本日の若手府職員を対象にした「朝礼」で、府知事の橋下に反論した女性職員の決起が、
 各局のテレビニュースで大きく取り上げられていました。彼女の怒りは当たり前!
 「財政再建のための意識改革」というけれど、巨額の赤字を作ったのは政治家や資本家連中の責任。
 職員だって労働者。生活のために働いているんや。怒りのデモを16日にやろう。

 ちなみに府職員の彼女も来ます。
http://blogs.yahoo.co.jp/bkdtm710/41474357.html

==========
★NHKへの全面抗議広告が産経新聞に掲載


本日の産経新聞 東京版に、NHKの偏向への抗議が全面広告で掲載されたとのこと。
明日の産経新聞 大阪版にも掲載されるそうです。

NHKへの抗議デモもニュースで報道された模様。


 ◇


東京(関東)の方は今日の産経に注目。明日は大阪版で、NHKの偏向報道に対する全面広告掲載!
http://ameblo.jp/dol-souraku/entry-10263273383.html

<本文抜粋>

 NHKの大罪

 今朝の産経新聞(東京版、13面)に「NHKの大罪」と大書したNHK「JAPANデビュー」に抗議する全面意見広告が掲載されています。
 
 この意見広告を打ったのは、草莽全国地方議員の会、「NHK『JAPANデビュー』」を考える国民の会、日本李登輝友の会、台湾研究フォーラム、在日台湾同郷会、メールマガジン「台湾の声」、日本文化チャンネル桜二千人委員会、月刊「WiLL」。
 
 なお、この意見広告は東京版が本日、大阪版は明日19日に掲載されるそうです。上記の内容はある方のブログに掲載されたものを一部抜粋させていただきました。
 
 私は実際に意見広告を見ましたが迫力がありました。

 以上。
★NHKへの全面抗議広告が産経新聞に掲載


本日の産経新聞 東京版に、NHKの偏向への抗議が全面広告で掲載されたとのこと。
明日の産経新聞 大阪版にも掲載されるそうです。

NHKへの抗議デモもニュースで報道された模様。


 ◇


東京(関東)の方は今日の産経に注目。明日は大阪版で、NHKの偏向報道に対する全面広告掲載!
http://ameblo.jp/dol-souraku/entry-10263273383.html

<本文抜粋>

 NHKの大罪

 今朝の産経新聞(東京版、13面)に「NHKの大罪」と大書したNHK「JAPANデビュー」に抗議する全面意見広告が掲載されています。
 
 この意見広告を打ったのは、草莽全国地方議員の会、「NHK『JAPANデビュー』」を考える国民の会、日本李登輝友の会、台湾研究フォーラム、在日台湾同郷会、メールマガジン「台湾の声」、日本文化チャンネル桜二千人委員会、月刊「WiLL」。
 
 なお、この意見広告は東京版が本日、大阪版は明日19日に掲載されるそうです。上記の内容はある方のブログに掲載されたものを一部抜粋させていただきました。
 
 私は実際に意見広告を見ましたが迫力がありました。

 以上。
NHKはなぜ中国におもねるのか
2009/05/19 01:30

NHKへの抗議が続いています。

直接の契機はNHKが最近、放映した台湾についての番組で、日本の統治を台湾の人たちが「悪」として語っているというイメージだけを伝え、日本の統治へのポジティブな反応を報じなかった、という点にあるようです。

台湾の人たちが「日本の統治はよい点も多々あった」「悪くなかった」と前向きに語るのを私自身もこの10年ほど何回もの台湾への訪問で数え切れないほど聞きました。「日本の統治はよかった」とはっきり語る人たちにも李登輝元総統をはじめとして多数、会いました。

この現実をNHKはなぜよじ曲げるのか。
理由はいろいろあるのでしょうが、その一つは確実にNHKの年来の中国に対する異様なほどのおもねり、遠慮、追従であるように思われます。

NHKと中国政府当局との密着には歴史があります。
私自身が中国総局長として北京に駐在していたころ、その点について記事を書きました。現在の論議の参照として、その記事を再現します。

その前に、いま続けられているNHKへの抗議活動の一端を知らせる記事や写真を関係ブログから拝借してコピーしました。

全国でNHKJAPANデビューに抗議する国民大行動、偏向・捏造報道を糾弾

  NHK「JAPANデビュー」に抗議する国民大行動が16日、東京、青森、名古屋、福岡、台北で一斉に行われ、東京ではNHKに抗議する「緑の風船デモ行進」に1.100人が参加するなど、空前の盛り上がりと熱気を見せた。

    http://www.iza.ne.jp/images/user/20090516/492121.jpg
    中村粲教授とお馴染みの地方議員各氏がプラカードの先頭に立ったデモ行進です。  

 日本を代表するメディアのNHKにこれだけの人が「NHKの偏向、捏造報道を許さないぞ!」、「NHKを解体せよ!」などと約一時間半にわたってシュプレヒコールを繰り返しながら、一般の良識ある市民がデモ行進したのは初めて。渋谷やNHK周辺にいた数多くの道行く人々は「何事?」と驚いた様子で見守っていた。

   http://www.iza.ne.jp/images/user/20090516/492125.jpg
   NHK前のデモ行進、左奥まで延々と続いているのが判りますか?

このイベントを主催したのは草莽全国地方議員の会、「NHK『JAPANデビュー』」を考える国民の会、日本李登輝友の会、台湾研究フォーラム、NHK報道を考へる会など民間の15の市民団体。
                ======

さて以下が古森の記事です。

古い記事ですが、NHKと中国当局との間にはこうした制度的なつながりの歴史があるという例証です。


【日中再考】似て非なる隣人(18)NHKの異様な事業 国営放送との合弁で密着
2000年11月14日 産経新聞 東京朝刊 総合・内政面


 朱鎔基首相の十月の訪日ではTBSのテレビ市民対話番組が話題を呼んだ。

 番組の収録で歯切れよくユーモア交じりに語り続けた首相は、自分の日本への対応が「軟弱」として中国国内で批判されていることをも率直に述べた。

 だがこの部分は実際の放送ではすっぽり削られていた。

 朝日新聞十月十七日付の記事はこの削除は「収録後に中国政府高官がTBSに残り、この部分について放送しないよう要請した」結果のようだと報じていた。

 もし日本をも含めて他の国の政府高官が日本のテレビ局にどの部分を削れとか削るなという要請をし、そのとおりになったなら朝日新聞はどう報じるだろうか。

 「言論抑圧」として激しく批判するのではないか。

 TBS側も米国や韓国の政府高官の番組内容の変更要求をあっさり受け入れるだろうか。

 日本のマスコミはこと中国が相手となると、ふだんとは違うスタンスをとるのではないか。

 この種の疑問をとくに強く感じさせられるのはNHKの中国関連番組である。

 北京の外国人専用マンションのテレビにはNHKの衛星放送、一般国際放送、ハイビジョン試験放送などが映り、日本国内とほとんど同じ番組がみられる。

 そのNHKテレビ各チャンネルでは中国に関する番組の量の多さは驚くほどである。しかも特定の傾向が顕著なのだ。

 昨年十二月二十七日には有名なシルクロード紀行の再放送があり、新疆のウイグル族の楽しそうな結婚式が延々と映された。

 ウイグル族といえば積年、中国の統治に反抗して民族独立を主張し、中国当局から弾圧され、毎週のように反乱罪などで活動家たちの死刑が発表されている。

 だがNHKの番組は新疆のそんな現実はつゆほども伝えない。

 八月二十四日夜、米国CNNテレビは中国の気功集団のリーダーが米国に政治亡命を求めたというニュースを報じた。

 さらに同夜の別項目のニュースでは中国当局が天安門事件の犠牲者名をインターネットのウェブに載せた中国人青年を国家転覆罪で逮捕したことをも報道した。

 だが同じ夜のNHKの中国関連ニュースは対照的に北京で日中書道展が開かれ、友好がうたわれたという報道だけだった。

 九月二十三日には戦前の軍閥の張学良氏を再評価するNHK番組で作家の浅田次郎氏が北京などを歩き、「中国はぼくらのお母さんみたい、生活に疲れたときに中国にくると疲れは吹っ飛ぶ」と結んでいた。

 中国への評価はもちろん自由だが、北京在住の日本人たちはこの礼賛に困惑していた。

 要するにNHKの中国関連番組は中国をいつも好ましく、前向きに紹介する内容ばかりのようなのだ。

 あるいは、あたりさわりのない興味本位のテーマが多い。

 チベットの薬草のふしぎな効用、四川省でおいしい麻婆豆腐をつくる家族の人間模様、広西地区山奥の白ザルの生態、各地で演技する子供曲芸団の旅日記、といった中身の番組がほとんどなのだ。

 いま中国社会を揺るがす失業、汚職、あるいは宗教や民主主義の抑圧、日本企業への投資環境の悪さ、さらには人民解放軍の軍備増強の実態など、日本側が強い関心や懸念を向けるテーマ、中国当局がおそらくいやがるだろうテーマにはまず触れないようなのである。

 NHKはこれではどうも中国の国営中央テレビ(CCTV)とあまり変わらないではないかと感じていたら、実際にこの両者は異様なほど緊密な一体関係にあることを知った。

 「異様」というのはNHKとCCTVが北京にホテルやマンションを経営する合弁企業をつくっているからである。

 「メディアセンター」(梅地亜電視中心)と呼ばれるこの合弁会社は厳密にはNHKエンタープライズが西武百貨店、東芝、松下電器などの協力を得て一九九〇年に資本金六億八千万円で東京に設立した「日中メディア交流センター」という会社とCCTVの子会社の「中国国際電視総公司」との合弁という形をとっている。

北京市内西部にあり、十数階の白亜のビルは外観も内部も一般のホテルと変わりない。

 「メディアセンター」の一角には中国でのテレビ取材や映像の伝送、生中継を引き受ける放送部門というのがある。

 この部門の主体はCCTV組織の延長だが、NHKからも常時、プロデューサー格の職員二人が送られ、NHKの中国関連番組の作成のために中枢の役割を果たしているという。

 つまりCCTVの組織内に入り、その全面的な協力や指導を受けているわけだ。CCTVの映像をそのまま使う場合も多いという。

 「メディアセンター」の業務の本体は二百六十室のホテル、五十室のマンション、三店のレストラン、貸オフィスなど、放送とは無関係のサービス業となっている。

 九七年には従業員は合計七百九十七人だったが、うちテレビ関係の放送部門はわずか四十一人だった。

 ホテル部門のトップにもNHK関連の日本人要員が派遣されてきたという。

 CCTVは中国の国家機関であり、共産党の支配下にある。

 一方、いくら特殊法人とはいえ政治的には国家や政党から離れたNHKが独立を公共性の柱にしながら外国の国家機関とこれほど密着するというのはどうみても奇異である。

 放送と無縁のホテル業にまで参入するのはさらに異様といえよう。

 この裏では当然、NHKからCCTVへの出資金の流れがあるのだろうが、その動機がたとえ中国という特殊な国での取材の便宜を得ることであっても、結果は相手との密着による種々の政治的な制約のようなのである。

 (北京 古森義久)

<了>
上記記事のURLです。

古森義久ブログ『ステージ風発』
http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/1042892/
NHKはなぜ中国におもねるのか
同上ブログ コメント欄より。
一昨日と言うから5月17日ですね。
記事を見つけましたので、次のトピックに掲載します。

以前のデモの時は、このmixiでも、台湾の方の「台湾万歳! 自由万歳!」という悲痛な叫びがつづられた日記を拝見しました。

タイのデモをあれほど執拗に報道したのに、NHKがこれを報道しないのはやはり異常です。
しかも、ついこの間台湾を取り上げた「アジアの”一等国”」を制作・放映したばかりなのに。

写真はデモの様子。
60万人は、さすがに凄まじい迫力ですね。

 ◇

Commented by sierramaestra さん 2009/05/19 18:18
古森様

台湾に住む身としては、中国の動向というのは常に関心を持たずにはいられないのですが、中国のネガティブな面を黙殺するNHKの対中報道が全く当てにならないという点に大いに同感です。

一昨日、台北と高雄で60万人以上を集めた反政府、反中国のデモがありました。これを日本の人口比に換算すれば、1億2千万の日本国民のうち、約300万人が政治デモに参加した計算ですが、NHKの国際放送ではベタ記事以下の扱いでした。

確かに、デモの背景にまできちんと報道をすれば、中国が日本の脅威であるという事実を否が応でも浮き上がらせることになるでしょう。とはいえ、それを避けるために、日本の隣国で現に起きている大変な出来事を無視するNHKをはじめとする日本の大多数の報道機関のありようは、到底許されることではありません。報道の自由を許された日本で、それを享受する報道機関がこのような行為に及ぶことは、報道の自殺とすら思えてきます。

このように、ここ2,3日、そうした日本の報道機関のやり方に憤りを覚えていたところなので、このエントリはよくぞ言ってくれたという思いで読ませていただきました。
大紀元時報
http://jp.epochtimes.com/jp/2009/05/html/d30749.html

台湾野党60万人デモ、現政権の親中国融和政策を非難

 【大紀元日本5月19日】馬英九・国民党政権発足1周年を前に、台湾の野党・民進党は5月17日、60万人の抗議デモを召集、馬英九政権の親中国融和政策を非難し、台湾の民主と主権を犠牲にしているなどと警鐘を鳴らした。

 デモ参加者は同日午後6時ごろ、中国当局寄りの動きに反対するという意味の「反傾中」が書かれたタスキや横断幕を掲げ、「中国との市場統合に反対」「台湾の主権を守れ」などのスローガンを叫びながら、市内4カ所から総統府に向かって行進した。

 終着点では、民進党の蔡英文・党首を含め、党内の主要幹部らが壇上に上がり、デモに参加した各方面の代表が演説を行った。






デモ行進の様子(中央社)


  同党の蔡英文・党首は演説で、馬英九政権が発足してから、中国当局と3回ほど会談を行なったが、台湾の主権を犠牲にして目先の経済利益を得ようしていると指摘、同政権の親中国融和政策を非難して、「台湾に1千基以上のミサイルを向けている中国当局に譲歩する馬政権を許してはならない」などと述べた。

 デモに参加した「台湾青年反共救国団」の代表、政治評論家の林保華さんは演説を行い、「中国国内で数十年間生活をし、後に台湾に移住した中国系台湾人は、『中国共産党は確かに変わった。しかし、もっと卑劣になっただけである』と述べている。中国当局による台湾への経済支援は、台湾の主権を略奪するためであり、現在の中国共産党は台湾の指導者を思うままに操ろうとしている」と指摘し、警鐘を鳴らした。

 また、同氏は、台湾の与野党を対立させるのは、中国共産党の罠であると指摘、与党の国民党はもっと野党の民進党との連携を重要視すべきであり、自由・民主を堅持することは、台湾の主権を守る唯一の保障であることを主張した。

 台湾に移住した、中国の故・胡耀邦元総書記の側近・阮銘氏も今回のデモに参加した。同氏は、馬英九政権は国民党の民主の道に背き、中国当局の「一国両制度」の政策に丸め込まれていることを指摘、ビジネスには台湾の主権を犠牲する必要はないことを示した。

(記者・呉涔渓、耿豫仙、翻訳編集・叶子)


(09/05/19 04:07)
NHKニュース
http://www.nhk.or.jp/news/k10013030251000.html

5月18日0時4分

中国との協調路線を掲げて去年政権交代した台湾の馬英九総統が就任して1年を迎えるのを前に、政権を批判する野党の支持者らによる大規模なデモが行われました。

このデモは、野党・民進党や台湾独立派の団体が、馬英九総統の就任から今月20日で1年を迎えるのを前に、17日、台北と南部の高雄で行ったもので、このうち台北のデモには、主催者側の発表で、野党支持者らおよそ60万人が参加しました。参加者は、台北市内の4か所から総統府に向かって行進しながら、世界的な不況などの影響で失業率が過去最悪になるなか、政権が進める中国との関係強化で競争にさらされて、さらに仕事が少なくなると訴えました。民進党トップの蔡英文主席は「馬英九総統は台湾の命運や未来を中国の手に委ねてしまったが、そんなことは認められない」と演説し、民意が反映されないまま、中国との関係強化が進められていると批判しました。一方、馬英九総統は、台湾のメディアに対して「経済状況が厳しいため、人々に不満があることは理解でき、改善に努めたい」と述べ、理解を求めました。台湾では、ことし12月に統一地方選挙を控えており、野党の民進党は、今回のデモをきっかけに攻勢に転じたい考えです。
ノート:人間動物園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E4%BA%BA%E9%96%93%E5%8B%95%E7%89%A9%E5%9C%92

「セントルイス、ロンドンともに欧米人からのアイヌに対する評価は高く、高額な報酬が支払われた。」について・・・・筆者の方にお願いします。セントルイスではどうだったか資料をみていませんが、ロンドンでは「高額な報酬が支払われた」というよりも「観客からかなりのチップが集まった」ということではないかと思います。「黄色い仮面のオイディプス:アイヌと日英博覧会」に当ってみてください。--onogawa_u 2009年5月14日 (木) 10:19 (UTC)

宮武のセントルイス博論文に具体的な数字があげられています。観客からの民芸品などの代価と合わせて一人当たり最終的には1000円程持ち帰ったようですね。いつの間にやらオイディプス論文が削られているので追加し、具体的な数字に置き換えます。--Kulukulu 2009年5月15日 (金) 09:35 (UTC)

Kulukuluさん、ありがとうございました。お金の問題はのちのち妄想が膨らみがちですから、少し長文になっても詳しいほうがいいですね。ただし日英博の「台湾生蕃」の方の待遇は、文献がまだ掘り起こされていないようなので残念です。台湾生蕃は本人達との契約ではなくて台湾総督府との契約でロンドンに行ったこと、また、2つの「社」から24人の「生蕃」が警部と巡査の引率で参加したことなどが、「博覧会 事務報告」に書いてあるそうですね(宮武「オイディプス」)。「博覧会 事務報告」は国会図書館にフィルムがあるそうですが。--onogawa_u 2009年5月15日 (金) 12:16 (UTC)


日本は人間動物園を行っていたのか? [編集]

出典要請の部分。これらが「人間動物園」と呼ばれているという出典を求む。仮にそう呼ばれている出典があるならば、しっかりと「〜が人間動物園と呼んだ」と主語を書くように求めます。民族を紹介することが「人間動物園」という表現になるのか激しく疑問です。NHKですら「英国の『人間動物園』を真似た」という表現だったと思いますが、この記事では日本が行った民族紹介が「人間動物園」なる表現に確定してしまっています。これはどういうことでしょう?現在の状態では一つ一つの文章はそれなりに成り立っていますが、それが「人間動物園」と呼ぶのかどうかが不明であり、Wikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成の状態になっています。一週間お待ちしますので、出典と正確な表現の記載をよろしくお願いします。できない場合、除去させていただきます。--PSIA 2009年5月20日 (水) 04:31 (UTC)--PSIA 2009年5月20日 (水) 05:05 (UTC)

民族紹介を人間動物園とすることに違和感があると書かれていますが、現在でも一般的に行われている生人形や民具などを利用した博物館などの民族紹介は、誰もそれを人間動物園とは言っていないので、ここでは取り上げていません。あくまでen:Human zooの冒頭にある、<Human zoos (also called "ethnological expositions" or "Negro Villages") >を参考に、「進化主義や植民地主義のもと」「伝統的家屋を展示会場に復元し、そこに住み込ませて展示した」民族学的展示・村落展示、ヒトの展示と称されたものをすべて含めてまとめて記述しています。『人間動物園』が基本的にポスコロ的分析用語であることは明記しています。日本においてこの用語を輸入しているのは吉見俊哉(1992)ですが、同じ対象を分析している他の研究者は「ヒトの展示」「人間の展示」という表現であるケースが多いので、節のタイトルとしては人間動物園ではなく「人間の展示」としています。なお博覧会における日本の人間の展示と欧米の展示にとくに違いがないということは、引用文献・参考文献であげている様々な研究者が指摘しています。ご確認ください。引用されている文献に目を通した上で、著者の意図をねじ曲げていると感じる場所があればご指摘ください。--Kulukulu 2009年5月20日 (水) 07:41 (UTC)

んー、こちらは「人間動物園」という記事ですので、日本が行った民族紹介が人間動物園であったと表現している文献がないのならば、載せるべきではないと思います。「定義と似ているから・同じだから」という編集者の独自判断で、こちらの記事に入れてしまうのは独自研究にあたるものだと思いますが、いかがでしょう。「人間の展示」という文献が複数あるのならば、その表現の記事を新たに作成すべきでしょう。個人的にはそれぞれの博覧会の記事に、日本はこういう展示をしたと載せればよいだけに思えますけどね。とにかく日本がおこなった民族紹介は「Human zoos」やら、まして日本語で「人間動物園」などと、どんな百科事典を見ても載ってませんし、お止めになったほうがよろしいかと思います。完全に独自研究に該当してしまっておりますので、私が指摘しました部分の改良ができないようであれば、除去することになってしまいます。他の部分(博覧会などの)へ該当箇所を移動させるか、独自研究にならないあらたな記事を作成するか考えていただきたい--PSIA 2009年5月20日 (水) 07:54 (UTC)

人間動物園(にんげんどうぶつえん、「民族学的展示」「人間の展示」とも)という記事です。私自身の判断ではなく吉見の、「(欧米の博覧会で行われた人間の展示)が人間動物園である。同様の人間の展示は日本も行った。」というような記載を元に、そこで取り上げられた個別の博覧会における実態を各論文に当たっています。独自研究とおっしゃりますが、(1)実際に吉見がHuman zooを人間動物園と翻訳している。(2)国内及び海外の展示における各研究者の名称を尊重している(3)あくまで人間動物園(Human zoo)を使っているのは欧米の研究者中心であることを明記している(4)欧米によるHuman zooとされている展示について検討している論文に基づいている(5)Human zooが差別的であるという議論の対立議論についても言及している(6)日本の人間の展示が人間動物園であるとは書いていない。これらのことから、中立性と検証可能性について配慮できていると考えます。
定義が似ているからというのは独自研究かもしれませんが、定義が同じだからまとめることが独自研究だというのは理解できません。まとめが批判されるのは、その結論の出典が不明なときであるはずです。
しかしながら翻訳が誰によってなされたのかが焦点のようですので、それに関しては記載を充実させることにします。--Kulukulu 2009年5月20日 (水) 09:08 (UTC)
吉見の文献にまだ当たってないので、わからないのですが、吉見が「日本が行った民族の紹介」を「人間動物園」と称しているのですか?--PSIA 2009年5月20日 (水) 09:15 (UTC)

該当個所を引用しておきます。

七八年のパリ万博が莫大な赤字を出したことから、大衆動員に直接結びつくような博覧会の「目玉」を求めていた八九年万博の主催者たちが、この「人間動物園」の人気に目を付けないはずはなかった。彼らは、ジャルダンの展示方式をそれこそ国家的規模に拡張し、博覧会展示の新しいジャンルを創出していったのである。 (中略)こうして八九年のパリ万博では、会場内に植民地集落が再現され、連れてこられた原住民たちが展示させられていった。(中略)こうしてヨーロッパ人の側から見るなら、その植民地主義的な視線に適合するような「人種」の「劣等生」が、眼前の民族学的「実物展示」により「発見」されていくこととなった。 (中略) 実際、この東洋の帝国主義国家は、日露戦争のあたりから、これまで欧米の万国博で見たのと同様の植民地主義的な展示方式を、積極的に国内の博覧会に導入していくようになる。 (中略)内国博の会場には、すでに日本の植民地となって九年を経ていた台湾の「風俗文化産業の真相を内外人に示し、大に管内諸般の発達を図らむ」と、極彩色の楼門と翼廊をもつ台湾館が建設され、農業及び園芸から土俗、蕃俗に至る一五部門の展示が行われていく。しかもこの博覧会では、学術人類館と呼ばれる展示館が登場するが、これは、「(中略)」という、パリ万博やアメリカの博覧会における原住民集落と同様の差別主義的なまなざしの装置であった。 (中略)海外の博覧会に目を転じるなら、前述のように、一九一〇年の日英博では、会場の「二箇所は、『アイヌ』村落(約九〇〇坪)及台湾村落(約一三〇〇坪)にして、一は『アイヌ』部落より齎し来りたる数個の茅屋を以て部落を構え、『アイヌ』人之に分居して其の日常の生活を営むが如く設備し、一は蕃社に模して生蕃の住家を造り、蕃社の状況に模し生蕃此の処に生活し、時に相集まりて舞踏したり」という記録が公式報告書に見られ、日本国内や植民地の少数民族の展示が公然と海外に向けて行われていたことが察せられる。

つまり吉見はジャルダン・ダクリマシオンの方式の展示を人間動物園と呼び、その博覧会版が日本に導入された(事例として内国博覧会・日英博覧会)と主張していることは明白です。--Kulukulu 2009年5月20日 (水) 09:56 (UTC)

うーん、原典に当たってないので何ともですが、引用していただけた文のままならば、やはり「人間動物園」とは言っていませんね。確かに吉見はジャルダン・ダクリマシオン方式が「人間動物園」と称しています。そしてその方式が日本に導入されたと主張しているようですが、その「日本の民族紹介」を「人間動物園」とは誰も呼んでいませんし、そう呼ばれていたとする内容も書かれていませんよね。呼び・呼ばれていないことを記事にしてしまうのはいかがなものでしょうか?(確か日英博覧会では日本人力士も紹介に行っていると聞いた事がありますが、なぜそれが入ってないのかも疑問ですし。)まあ、少なくとも、これは一研究者の「主張」なだけであり、書くにしても主張は主張として記載すべきであり、現在の状況では、まるで日本がおこなった民俗紹介が「人間動物園」と呼び・呼ばれていたかのような勘違いを読者に与えます。そんな事実は今のところ見当たらない。ですから、なんとか書くとしても「人間動物園と称されていたジャルダンの展示スタイルを日本が導入したと吉見は主張している。その理由として〜」という書き方以外は無理でしょう。「日本の民族紹介」が「人間動物園」と呼ばれていた事実がない中で、「日本の民俗紹介」を「人間動物園」の記事内で、「日本の民俗紹介」について色々な研究者の見解を書き連ねる現在の状態はWikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成に触れるものであり、訂正を求めます。--PSIA 2009年5月20日 (水) 10:37 (UTC)

現状の記載は「主に英仏のカルチュラル・スタディーズの中で利用されるようになったものであり、日本では吉見(1992)が『博物館の政治学』において初めて使用した」とあり、国内ではなく海外で主に使われている用語であることと、当時の政府によるラベリングではないことを明示しています。吉見もまた、あくまで人間動物園のバリエーションとして記載しています。そして再度強調しますが、節のタイトルを人間の展示としていることを注意してください。要約による引用の要件を満たしていると考えています。
確認したいのですが、人間動物園・民族学的展示・村落展示・人間の展示というのはひとつにまとめられない現象であり、まとめるというのなら独自研究に相当するので、分割すべきという主張なのでしょうか?--Kulukulu 2009年5月20日 (水) 11:59 (UTC)

Kulukulu氏の仰っていることは理解しました。まあ、とりあえず応急処置というか、「日本による人間の展示」にまとめて、呼ばれてもいない「人間動物園」とは少しでも離す手法を取りました。また、「人類館事件」関係の部は重複してましたんで、一つにまとめました。以上、よろしくお願いします。--PSIA 2009年5月20日 (水) 12:04 (UTC)
「日本の博覧会」として対象部分は分割してまとめられると思いますけどね。いくらでも方法があると思いますが、なにも呼ばれてもいない「人間動物園」に日本の博覧会の出来事を入れる必要もないのでは、と。しかし、Kulukulu氏の仰っていることも理解はでき、現在の状況(日本の件は分けて記載)であれば、現状で譲歩するつもりはあります。--PSIA 2009年5月20日 (水) 12:32 (UTC)

<了>
上記(81)〜(85)で議論されたwikipedia「人間動物園」の該当部分です。


=====
日本による人間の展示 [編集]

    この記事の正確さについては疑問が提出されているか、あるいは議論中です。
    詳しくはノート(※上記)を参照してください。

ヨーロッパ同様に日本にも見世物小屋において、奇形を売り物にする歴史があった。しかし、生活を紹介する展示というのは近代の中で現れてきたものである。

国際博覧会における日本の展示は当初、欧米人に対して自らエキゾチズム、ジャポニズムを前面に出すことから始まった。最初に参加した1867年のパリ万博において伝統的な工芸・美術品の出品と同時に日本茶屋において、清水卯三郎に連れられた柳橋芸者が三人参加し、工芸品同様大きな人気を博した。こうした展示は数々の博覧会で好評を博し、特にゲイシャガールの人気はパリ万国博覧会 (1900年)会場近くの劇場で私的に公演されていた川上音二郎・川上貞奴の人気からも伺える。

社会進化論や進化主義に影響された人間の展示は、1903年の大阪内国勧業博覧会に作られた「学術人類館」「台湾館」と、翌年のセントルイス万国博覧会のアイヌ村をまつ必要があった。

台湾総督府民政長官の後藤新平は理蕃政策の成果を見せようと、「風俗文化産業の真相を内外人に示し、大に管内諸般の発達を図らむ」と、農業・園芸から台湾原住民や漢民族習俗に至る一五部門の展示を行った。学術人類館では

内地に近き異人種を集め、其風俗、器具、生活の模様等を実地に示さんとの趣向にて、北海道のアイヌ五名、台湾生蕃四名、琉球二名、朝鮮二名、支那三名、印度三名、同キリン人種七名、ジャワ三名、バルガリー一名、トルコ一名、アフリカ一名、都合三十二名の男女が、各其国の住所に模したる一定の区域内に団欒しつつ、日常の起居動作を見する

と欧米で行われていた人間の展示を模したものを行う予定であった。実際には沖縄人と清朝からの留学生が、自分たちの同胞をアイヌなどの生蕃と同列に展示されることについて異議が唱えられ、この二民族を除いた展示が行われた。これは後に人類館事件と呼ばれたが、当時既にアジアにおいて人間の展示が、洗練と野蛮を展示するものであると理解されていたことがわかる。

アイヌ民族資料の万博展示は1873年のウィーン万国博覧会にまでその起源を遡ることができる。アイヌ=コーカソイド同祖説を類推していた地質学者ライマンは、1876年のフィラデルフィア万国博覧会にアイヌの参加を打診していた。しかし実現においては、1904年のセントルイスを待たなくてはならなかった。

1903年11 月、セントルイス博の人類学部門責任者であるマクギーはワシントン日本大使館にアイヌの展示協力を詳細な計画書とともに依頼した。選定にはシカゴ大学の人類学教授のフレデリック・スターとアイヌ研究者であるジョン・バチュラーが協力し、9人のアイヌが旅券に北海道平民として記載され渡米した。9人は7ヶ月の長期滞在の間1日1円の報酬と民芸品の売上を獲得した。そのうち数名は日本語ができなかったと考えられている。文化程度の低い民族として選ばれたアイヌであったが、信仰心や勤勉さ、礼節について見学者が高く評価された[5]。また同時に開催されたセントルイスオリンピックの「人類学の日(Antropological day)」にもアイヌは参加した。このとき西欧社会にとって既に文明化されていた日本、清、東インド、セイロンの参加も予定されていたが、実際にはこれらの人々は参加しなかった。[20]。

1910年、ロンドンで催された日英博覧会の余興ゾーンにおいてアイヌと台湾原住民のパイワン族[21]の生活住居が作られ、住み込みの人間の展示が行われた。この展示は正規パビリオンで行われるような人類学的な展示や植民地の正当化を目的としたものではなく、余興として企画されたものであった。資料から、日本政府が自ら企画したのではなく、演出をまかされた英国人シンジケートの発案であったことが推測されている。一方で、The Daily News誌によって「アイヌは世界でもっとも礼儀正しい人種である」しかし「台湾人とアイヌを混同視してはならない。台湾土人は礼儀正しくない」と報道されたり、前述の人類学者フレデリック・スターが「コーカソイドであるアイヌの民族的なサルベージ」を訴えた。選出に際しても熟練した日本語話者が選ばれ、アイヌに出された旅券はセントルイスの時と異なり、平民ではなく「空欄」であったりと、差別的な眼差しも存在した。半年間の開催期間には多数の客が訪れ盛況であったために、参加者は報酬とチップを合わせると帰国後一年間働かなくてもよい収入があった程羽振りがよかったようだと、近隣のものが述懐する程であった[22]。

国内での人間の展示は続き、1912年の東京上野での拓殖博覧会[23]では、「オロッコ、ギリヤック、樺太アイヌ、北海道アイヌ、台湾土人、台湾蕃人の諸種族男女長幼総数18人」が会期中に自分たちの伝統的住居をつくり、そこで寝泊まりした。 1914年の東京大正博覧会では、これまでの博覧会同様にアイヌや台湾人と同時に、南洋諸島や東南アジアのベンガリ人・クリン人・マレー人・ジャワ人・サカイ人を集めた南洋館が作られた。[24]

一般的にこれら日本がおこなった民俗紹介の展示は「人間動物園」と呼ばれることはないが、吉見俊哉は『博物館の政治学』[25]において、上述したジャルダン・ダクリマタシオンの学芸員アルベルト・ジョフロア・ド・サンヒレアがヌビア人とイヌイットを紹介した二つの民族学的な展示を「人間動物園」と称し、それを日本が内国勧業博覧会や日英博覧会で導入したと主張している。

<了>
プロジェクトJAPAN
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%AF%E3%83%88JAPAN#cite_note-.E5.8F.8B.E3.81.AE.E4.BC.9A-3

 ↑

wikipediaに「プロジェクトJAPAN」のページができました。
未だ改造中ですが、この問題の概要が良くまとまっていると思います。

現在、「アジアの”一等国”」に関する内容を別項目に分けるべきではないかという提案が出ています。
よって、今後は同シリーズの各回ごとに項目ができる可能性があります。

上記(81)〜(85)の5月20日に行われたwikipedia「人間動物園」での「日本の展示」に関する議論からもわかるとおり、5月の下旬に入って急にwikipediaで同番組関係の項目での書き換えが活発化しています。

NHKは先日5月16日(土)に東京渋谷で行われたNHK抗議デモ(5.16 JAPANデビューに抗議する国民大行動)が1,100人もの規模になったことに内心危惧を抱き、鎮静化を図りだした可能性もあるかと思われます。
産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/090530/tnr0905301813013-n1.htm
日台友好団体がNHKに抗議デモ
2009.5.30 18:11

 NHKスペシャル「JAPANデビュー アジアの“一等国”」に出演した台湾人や日台友好団体から放送の内容が「一面的だ」と批判が相次いでいる問題で、草莽(そうもう)全国地方議員の会など15団体は30日、東京、大阪などのNHK施設周辺で抗議デモを行った。

 NHK放送センターがある東京・渋谷で行われたデモには約1100人が参加。「放送内容を訂正せよ」などと訴えた。台湾人から寄せられた「言うべきことを言わず、好む所を選んで曲解した。人をばかにした、自尊心のない行為だ」などとのメッセージが流れると、通りすがりの家族連れも耳を傾けていた。

 番組は日本の台湾統治を特集。先住民の写真に「人間動物園」の字幕をつけて“見せ物”にしたと紹介するなど、事実との相違が各方面から指摘されている。

 この問題では、台湾日本人会と日本企業などで構成する台北市日本工商会が「日台交流に支障をきたすおそれがある」と、懸念を表明する意見書をNHKに送っている。
1/5【総点検】「JAPANデビュー」はいかに捏造歪曲したのかPart1[H21/5/28]
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7181740
2/5【総点検】「JAPANデビュー」はいかに捏造歪曲したのかPart1[H21/5/28]
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7181815
3/5【総点検】「JAPANデビュー」はいかに捏造歪曲したのかPart1[H21/5/28]
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7181950
4/5【総点検】「JAPANデビュー」はいかに捏造歪曲したのかPart1[H21/5/28]
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7182023
5/5【総点検】「JAPANデビュー」はいかに捏造歪曲したのかPart1[H21/5/28]
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7182070

「JAPANデビュー」はいかに捏造歪曲したのか−Part2(1/2)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7190601
「JAPANデビュー」はいかに捏造歪曲したのか−Part2(2/2)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7190828
1/5【総点検】「JAPANデビュー」はいかに捏造歪曲したのかPart1[H21/5/28]
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7181740

2/5【総点検】「JAPANデビュー」はいかに捏造歪曲したのかPart1[H21/5/28]
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7181815

3/5【総点検】「JAPANデビュー」はいかに捏造歪曲したのかPart1[H21/5/28]
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7181950

★重要! 恣意的編集の証言

4/5【総点検】「JAPANデビュー」はいかに捏造歪曲したのかPart1[H21/5/28]
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7182023

5/5【総点検】「JAPANデビュー」はいかに捏造歪曲したのかPart1[H21/5/28]
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7182070

「JAPANデビュー」はいかに捏造歪曲したのか−Part2(1/2)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7190601

「JAPANデビュー」はいかに捏造歪曲したのか−Part2(2/2)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7190828

上記レス(97)
「JAPANデビュー」はいかに捏造歪曲したのか−Part2(1/2)



この動画で、NHKの偏向取材の方法が一つ、判明しました。
NHK「JAPANデビュー」に出演した蒋松輝 氏の証言。
 ↓
10分20秒頃から。
「NHKはいろいろ話してきた。(日本がやった)良い方はね、良い方はみな分かってるから、良い方は言わなくてもみな分かってるから(それ以外のことを言ってくれ)」



これが事実なら、明らかな誘導尋問です。
つまり、出演者はNHKの「良いこと以外を話してください」という依頼があったので、わざわざ日本の悪い部分ばかりを言うように努力していたわけです。

しかし、NHKがその依頼をする部分をカットしてしまえば、画面上では出演者が自分の意思で「日本にこんなひどい仕打ちを受けた」と言っているようにしか見えないわけです。
★修正

上記レス(98)に、私の事実誤認があったと思われるので修正します。
蒋松輝氏の証言は「アジアの”一等国”」が放映された後のNHKの発言であり、NHKの取材時のものではありません。
この点、水島聡氏も誤解しているのではないかと思われます。

 ◇

「JAPANデビュー」はいかに捏造歪曲したのか−Part2(1/2)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7190601

NHK「JAPANデビュー」に出演した蒋松輝 氏の証言。
=====
上記動画 10分20秒頃から。
井上和彦氏
「あの番組の後、大変いろんなね、まあいろんな反響があったと思うんですけど、何かNHKから何か連絡ってありました?」
蒋松輝氏
「NHKはいろいろ話してきた。(日本がやった事の)いい方はね、いい方はみな分かってるから、いい方は言わなくてもみな分かってるから」
=====
NHKは、蒋松輝氏に「番組は日本統治の悪いことだけを報道しましたが、日本が台湾にいいことをしたのは皆が知っていますから(あるいは、全部把握しているから)、問題ありません。抗議など来ていませんから」と伝えて、NHKへの疑問や抗議を事前に封じ込めようとしたのでしょうか。

NHKの濱崎PDが柯徳三氏に、「番組が好評だった」というポジティブな内容だけをFAXで送ってきたのと同じ ”アリバイ作り” だったのではないかと思えます。

そして、もしも取材時にこういう質問の仕方をしたら、明らかな誘導尋問です。
NHKが質問をする部分をカットしてしまえば、画面上では出演者が自分の意思で「日本にこんなひどい仕打ちを受けた」と言っているようにしか見えません。
NHK「アジアの”一等国”」検証サイトです。
番組全文書き起こしを使用し、時系列順にサイド バイ サイドで検証していて、分かりやすいものになっています。

http://www.geocities.jp/sada5ro/inu_acchiK.html
以前から噂になっていたチャンネル桜のNHK集団訴訟が、ついに始まったようです。

 ◇

http://www.ch-sakura.jp/topix/1054.html
【原告募集!】 NHK集団訴訟 「訴訟委任状」提出のお願い 6/8 up!

「NHKスペシャル シリーズ『JAPANデビュー』第1回『アジアの“一等国”』」をはじめ、番組製作・放送において著しい偏向報道や歪曲、捏造、印象操作等を行いながら、国民からの抗議や批判にも不誠実な対応を改めようとしない NHK に対し、公共放送としてあるまじき道義的責任を問うべく、集団訴訟 を提起いたします。
つきましては、本訴訟に 原告 としてご賛同いただける方は、下記の要領にて 「訴訟委任状」 をお送りください!

―――――――――――――――――――――――――――――――――

【1】 「訴訟委任状」用紙をダウンロードし、必要事項 (日付、郵便番号、住所、氏名) を明記の上、必ず 捺印 をして、「訴訟委任状」を作成してください( 「訴訟委任状」サンプル をご参照ください )。

・ 「訴訟委任状」用紙 Word版 : 氏名等の必要事項を直接入力し、印刷の上、捺印願います。
                          ※ 用紙にある [  ] 部分を、氏名等の必要事項と差し替えてください。
                            “[捺印]” 表示も削除の上、押印願います。

・ 「訴訟委任状」用紙 PDF版 : 印刷して、氏名等の必要事項を記入の上、捺印願います。
                          ※ 「訴訟委任状」サンプル をご参考に、ご記入・捺印 をお願いいたします。

【2】 完成した「訴訟委任状」を、下記まで ご郵送 願います。

     〒150-0002
     東京都渋谷区渋谷1-1-16 若草ビル1階
       日本文化チャンネル桜 二千人委員会 事務局
       「NHK集団訴訟 委任状」係

【締切り】
平成21年6月22日(月) 必着

【注意事項】
・ 必ず 捺印 をしてくださいますよう、お願いいたします。捺印のないものは無効になります。
・ FAX や メール添付にて送られた「委任状」は無効です。必ず、オリジナル(本紙)をご郵送願います。

【お問い合わせ】
TEL 03-6419-3900  MAIL info@ch-sakura.jp
※ 「訴訟委任状」用紙をダウンロード・印刷出来ない方は、ご連絡いただければ、用紙とサンプルを郵送いたします。

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