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大地の子コミュの大地の子が命がけで伝えたかったもの

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<ボクサー>試合後に意識不明…病院で死亡 残留孤児の孫
5月19日15時1分配信 毎日新聞


 中国残留孤児の孫で、兵庫県明石市のプロボクサー、張飛(ちょうひ)選手(22)=日本名・竹内幹雄、中国籍=が18日夜、入院中の東京都内の病院で亡くなった。今月3日の試合後、急性硬膜下血腫で意識不明の状態だった。

 張選手は6歳で家族と来日。定時制高校の時にボクシングを始め05年4月、プロデビュー。韓国系企業の支援も受け、「ボクシングを通じて日中韓の橋渡しをしたい」と話していたが、今月3日、東京でのスーパーライト級の試合でTKO負けした。

 長男が小学校からの親友だった明石市の山口雅子さん(47)は「巡り合ったボクシングに青春を燃やし、こんな結果なんて、あまりにかわいそう」と声を詰まらせた。支援していた大阪府吹田市の会社経営者(36)は「不器用だが素直で一生懸命な選手。いつも家族の話をしていた」と肩を落とした。【津島史人】





http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080519-00000050-mai-soci
彼は日本人の血を引いているのであるが、まぎれもなく大地の子であることを。。。
三国を統一しようと桃園の誓いを立てた張飛が志半ばに倒れてしまったが、
現代の彼も倒れるとは、本当に残念だ。
彼が、命がけで伝えたかったことを私たちも理解する必要があるだろう。

同じ黄色人種として互いに憎しみあうことがどんなにちっぽけなことであるかをだ。
白人からみたらどこの国のアジア人だって区別できないさ。
区別できないものが、差別しあっている現実。。

同じ根を持つもの同士、相互理解して仲良くやることは、大切なことだと思う。



http://mainichi.jp/kansai/archive/news/2008/05/02/20080502ddf041050026000c.html

ボクシング:三国結ぶ張飛、あす日本ランカーに挑む 残留孤児の孫、明石の22歳

練習に励む張飛選手=明石市の明石ボクシングクラブで4月28日午後6時45分、津島史人撮影 ◇故郷・中国、育った日本、支援者の韓国
 中国残留孤児の孫のプロボクサー、張飛(ちょうひ)選手(22)=兵庫県明石市、中国籍=が3日、東京でスーパーライト級の日本ランカーに初挑戦する。トランクスには、故郷の中国、育った日本、そして支援を受ける韓国系企業の3カ国の国旗をあしらった。来日後、両親が離婚し、定時制高校に通いながら働いた張選手。「強くなり、良い試合をして『アジアみんな仲良く』とリングで訴えたい」と意気込みを語っている。

 後楽園ホールで、日本ランキング11位の選手と対戦する。勝てば、日本王者に挑戦する資格を得る。

 張選手は、祖母の竹内ヨシノさん(82)=神戸市垂水区=が戦時中、長野県から旧満州に渡り、終戦時に取り残された。竹内さんは現地の中国人と結婚し、約20年前に残留孤児として帰国。張選手も6歳の時、家族と祖母を頼って来日した。

 日本語が分からずからかわれたこともあったが、定時制高校の時、アルバイト先の友人に触発され、ボクシングと出合った。05年4月、デビュー。昨年4月、リングネームを本名(張師)の一字を含む三国志の英雄の名に変えてから頭角を現し西日本新人王を獲得。切れのある左フックが武器だ。

 練習の合間にゴルフ場のキャディーを務める。試合後のはれた顔で韓国系企業の関係者を担当したことがきっかけで、支援を受ける幸運にも恵まれた。「お互いを知ろうとすれば分かり合えるはず。ボクシングを通じて、日中韓の橋渡しをしたい」と話す。竹内さんも孫の姿を「頼もしい」と見つめている。【津島史人】





http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%9C%B0%E3%81%AE%E5%AD%90
あらすじ
信濃郷満州開拓団の子・松本勝男は、日本の敗戦後、ソ連軍の攻撃などにより祖父と母を失い、妹とも生き別れになってしまう。

過酷な体験のあまり、自分の身分や言葉など、全ての記憶を失った勝男は、放浪中に人買いに捕まり、中国人農家に売られて酷使される日々を送ることになる。度重なる虐待に耐えかねて逃げ出したものの、再び人買いの手にかかり売られそうになった勝男を助けたのは、小学校教師の陸徳志であった。子供のない陸徳志夫妻は勝男に一心という名を与え、貧しいながらも実の子のように愛情をこめて育てる。

優秀な青年に育った一心は、日本人であるがゆえに差別を受けながらも、中国の発展のため尽くそうと決心する。しかし、彼の背後には文化大革命の嵐が押し寄せつつあった。やがて一心は、日本人であるという理由で槍玉に挙げられ、囚人として労働改造所に送られるが、そこで日本語を知るある男と知り合い、母国語である日本語を習得する。5年後、徳志の命がけの嘆願と、共産党幹部となった親友の奔走の甲斐あり釈放された一心は、労働改造所時代の命の恩人である看護師・江月梅と結婚、日中共同の一大プロジェクトである製鉄所建設チームの一員として働くことになる。

一方、中国に協力を要請された日本の東洋製鉄では、一心(勝男)の実父である松本耕次を上海事務所長に派遣する。松本はかつて自分の徴兵中に満州で消息を絶った妻子の行方を今でも求め続けていた。苦労の末、ようやく一心の妹であるあつ子(中国名:張玉花)を見つけ出した松本だが、寒村の農家に嫁がされた彼女は過労の果てに病を得て、すでに死の床にあった。同じ頃、一心もまた唯一の肉親である妹を探し、村にたどりついていた。

あつ子の死を契機に、間近にいながら親子とは気づかなかった一心と松本は、ここで初めて互いの身分を知り、数十年に及ぶ確執を越えて再会を喜び合い、満州開拓団として満州に渡ってから初めて日本の土を踏み、松本の住む社宅を訪れる。しかし、ほどなくして一心は、以前から彼を快く思っていなかった同僚の策略により産業スパイとして告発され、プロジェクトから外された上に、内蒙古の製鉄所へ左遷させられてしまう。

時を経て、誤解が解けた一心は再びプロジェクトに復帰、7年がかりで完成した製鉄所の高炉に火が入り、日中の参画者の心は一つになる。

プロジェクト終了後、一心は徳志の勧めで松本と父子水入らずの長江下りの旅行に出かける。雄大な長江を下る船の上で、松本は一心に日本へ来て一緒に暮らさないかと持ちかける。日本の父と、中国の父。二人の父への愛情に一心の心は揺れ動くが、彼は苦悩の末、涙ながらに「私はこの大地の子です。」と答え、中国に残ることを決意するのであった。そして自ら、内蒙古の製鉄所への転職願いを提出する。






張飛のライバルだった曹操の息子が、こんなことを言ってました。
http://www.h2.dion.ne.jp/~konoha/sitouta/sousyoku3.html
七歩の詩 曹植



曹丕と曹植が後継ぎを争っていたが曹丕が勝ち抜いた。
やがて曹丕は文帝となり、曹植は東阿王となって一介の王になった。
曹丕は今までの恨みと自分を追い詰めそうな曹丕を処分しようとした。
ただ処分するだけでは面子があるので一つ難問を出した。
曹植は日頃自分が話せば詩になると吹いていたので、実際にやってみせてできなければ今まで世間を欺いていた罪で処刑しようとした。
曹丕は2人は兄弟であるので兄弟という詩で「兄弟」という字を使わないで作ってみせよとお題を出す。
これはそのやり取りの一文です。



文帝 嘗(かつ)て東阿王をして七歩の中に詩を作らしめ

成らずんば大法を行はんとす。

声に応じて便(すなわ)ち詩を為(つく)りて曰く

豆を煮て持って羹(あつもの)を作り

[豆支](し)を漉(こ)して以って汁と為す

まめがらは釜下に在りて燃え

豆は釜中(ふちゅう)に在りて泣く

本、同根自(よ)り生ず

相(あ)ひ煎(に)ること何ぞ太(はなは)だ急なると

帝は深く慙(は)ずる色有り



文帝は東阿王に七歩歩くうちに詩を作らせ

もしできなかったら重刑に処そうとした

東阿王はその言いつけに従ってすぐさま詩を作り詠った

豆を煮て吸い物を作り

味噌を漉して汁物を作る

豆がらは釜の下で燃え

豆は釜の中で泣いている

もともと同じ根から生まれた物なのに

どうしてこんなにまで煮て、ひどく苦しめるのですか

これを聞いて文帝は深く恥じ入った面持ちであった



曹植は見事その難問に答え、危機を逃れた。
詩文という芸で自分自身の身を助けたのである。
同じ根(両親)から生まれた物なのに豆がら(兄)はなぜ豆(弟)をそんなに熱く煮る(辛く当たる)のですかと。
また違う話ではこのように書かれています。



豆を煮るに豆がらを燃やす

豆は釜の中に在りて泣く

本是れ同根に生ぜしに

相煎(に)ることなんぞ太(はなは)だ急なる



豆を煮るのに豆がらを燃やす

豆は釜の中にあって泣いている

本々は同じ根から生まれた物なのに

どうしてこんなにまで煮て、ひどく苦しめるのですか

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