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青森県立八戸東高校コミュの28年度東京支部総会と制服の変遷

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 平成28年5月25日に松友会東京支部の平成28年度総会が開かれました。出席者は58人、最多は13人の高校27回生でした。来賓は東京青森県人会の葛西孝彦副会長、在京八戸高等学校同窓会の上斗米正子副会長、八戸工大一高星雲同窓会の窪田豊関東支部支部長、八戸市東京事務所の鈴木伸尚所長、デーリー東北新聞社東京支社の上野貴裕記者、八戸東高等学校の福井武久校長、中道哲教頭、横野憲一渉外部主任、松友会の茂木典子会長(18回)、高橋真理子(21回)、油川育子(31回)、西澤美香子(42回)の3副会長の11人でした。
 福井校長のあいさつは「三本木高校からきた。東校で定年を迎えることになる。三本木は男子は55%位いるが、東は30%という違いがある。生徒の80%は市内、15%が三戸郡、残りが岩手、上北だ。バス通が35%、自転車と列車が15%で同じ位だ。毎年100人前後が進学している」ということでしたが「東高校の沿革など相当勉強してきたつもりだったが、松友会の会歌があるとは知りませんでした」と笑わせました。
 中道先生は「弘前高に6年いた。東高で初めての教頭と初めての単身赴任をしている。慣れるので大変だった。歴史の重みをひしひしと感じるが、かつていた五所川原高は前身が衛生看護科もあった女子高だったので、東高には親近感がある」、横野先生は「東高には8年いて転勤し、平成24年に戻ってきた。通算すると13年目になる。50歳だ。ここにきておられる茂木先生(松友会会長)にはお世話になった。すっかり共学校になっていたが、女子の強さだけは変わっていない」とそれぞれあいさつしました。
 懇談の終わりに差しかかったところで、毎回いろいろアッピールをする活溌な吉岡リサさん(30回生)がテーブルごとにチラシを配りました。5月31日に大田区アプリコ小ホールでリサイタルを開くという内容でした。吉岡さんはさらに壇上に立って話したのですが、浜辺のイベントで喉をやられたとかハスキーで小生には聞き取れませんでした。ただチラシには八戸出身の噺家桂小文治が出るとありました。
 南部弁の落語をやるわけでもないでしょうが、福井出身の立川志の輔がいるし、かつてのNHKアナ高橋圭三は花巻出身だから、ありうると検索したら小文治としてのホームベジがあり、本名古田繁昌、昭和32年生まれ。長者小→長者中→八高→専修大と進んだとき桂文治に入門とありました。留年なしに卒業、平成21年に真打となり二代目桂小文治を襲名したとわかりました。
 昔的には余興ということですが、次いでピアニスト篠崎満千子さん(17回生)が出て、会場備え付けのピアノで「小犬のワルツ」「ノクターン」「幻想即興曲」を演奏しました。そこで熱烈なるアンコールの声が起こり、篠崎さんはシューベルトの「楽興の時」でこたえました。
 次いでソプラノ歌手の内田智子さん(59回生で一番若いOG)が紹介されました。内田さんは今月2日に深川江戸資料館で催された昔話喜歌劇「絵姿女房」に主役として出演したばかりで、リクエストにこたえて無伴奏で1曲歌ってくれました。曲名は「私のお父さん」といったように思いますが、聞き間違いかも知れません。
 校歌と「ふるさと」を歌い、支部全役員が壇上に並んで紹介され、司会者がどっとなんとかと言って終わりました。聞き取れなかったので同期のHさんに尋ねたら「ドットハライ」といい昔話の終わりなどにいう言葉だと聞かされました。なにしろ小生は満洲育ちで南部煎餅の研究はしたけれど、南部弁は第一外国語で聞いたことがありませんでした。

 総会で頂いたいくつかの資料のなかに「桜ヶ丘だより」54号(去年の9月発行)がありました。7ページに制服と体操着の変遷を紹介していたので、その制服分を小分けにして紹介します。あなたが通っていた時代はどれですか。説明文は原文の通りです。
 1トピックに写真は3枚しかつけられないので、8枚を3枚、3枚、2枚と分け写真の並び順に合わせて説明を書き込みます。、

明治39年から袴に白線が入り、裾から5寸上に3分の白テープを入れた。これは大正末洋服の制服ができるまで続いた。


大正15年制定された冬服。襟・胸当ての線はエンジ色、ネクタイは黒で全員が制服を着たのは昭和4年ころである。


冬服と同じく制定された夏服。襟、胸当て、ネクタイの色は黒であった。


コメント(5)

服装の変遷の続きですが、追加ではどうしても縦に並べられないので、左からの順です。

終戦後昭和23年ころの服装。制服はなく、セーラー服あり、背広型あり、戦争中の国民服(白襟、バンド付)ありで、多くの者はモンペをはいていた。靴もズックが多く革靴は殆んどなく下駄が多かった。校内履きも多数の者はズック靴ではなく草履が一般的であった。


昭和25年9月制定の冬制服で、夏の制服はブラウスであった。(以下は非原文 小生はこのとき在学していたのですが、そんな制服制定なんてまったく知りませんでした。野郎は旧制高校生のスタイルを真似て学生服をだらっと着て冬でも足駄を履き、腰の手拭いもだらりと下げていました。帽章ができる前は女子用の櫻のバッジかやや大型だったので、それを白線二本の学生帽に付けていた者もいましたね)


昭和32年6月制定の夏制服で、半そで略制服は昭和42年6月から定められた。

服装の変遷の続きの3番目です。モデルは同じ生徒で左から夏服、冬服です。


2015年現在
 男子/明戸大



2015年現在
 女子/沼畑幸樹
 ミクシイ日記と同じく拡大できると思って、トリムしたのですが、できないことがわかりました。3番目の人名はまずかったかな、ご迷惑ならメールを下さい。

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