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清輝花田コミュの<06-2>1ディ×1フレーズ

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「きりとりなさい。さっさと、きりとりなさい。わたしには、武田泰淳や石川淳が、司馬遷にくらべると、ひどく見劣りするのは、いまだにかれらが、恥ずかしげもなく、余計なものをブラブラさせているためであるような気がしてならないのだ。西洋でもカトリックの寺院では、聖歌隊の少年の歌い手たちが、声変りしないようにきりとった。洋の東西を問わず、すぐれた芸術をうみだすためには、断固として、きりとる必要があるのだ。日本の文学者たちが、ことごとく第三の性になってしまったなら、日本文学のレベルもまた、急速に上昇するのではなかろうか。決断のときである。」

〜「第三の性のすすめ」1968年『群像』匿名コラム。『花田清輝全集』第14巻所収。

 花田らしくない、なんだか間の抜けたタイトルだなと思ったら、全集収録に際して付けられたものでした。武田泰淳や石川淳がヤリ玉にあげられていますが、例えば武田泰淳は、司馬遷について次のように書いているそうです。
「口惜しい、残念至極、情けなや、進退きわまった、と知りながら、おめおめと生きていた。…そして執念深く『史記』を書いていた。『史記』を書くのは恥ずかしさを消すためではあるが、書くにつれ、かえって恥ずかしさは増していたと思われる。」
 これに対して、匿名花田は「当時、宦官になるということは、名をすてて実をとり、位、人臣をきわめることではなかったか。おもうに、『史記』に大文章のおもかげがあるのは、司馬遷が、ケチな身分意識にこだわらず、恥も外聞もない心境で書き続けたためではあるまいか」と書いています。司馬遷は宮刑を受けたので、志願しての宦官とは明らかに違うのですが、作家たちの男性意識を皮肉っているのでしょう。
「男根のりゅうりゅうたるやつは、参議院選挙にでも立候補するがよろしい。あんなやつは、親孝行かもしれないが、最初から文学者としては失格しているのだ」
 というのは、石原慎太郎を指しています。

コメント(22)

ミズリンさん、こんばんわ。(といっても、パリとの時差は何時間でしたっけ?)。多分ご存知だと思うんですが、司馬遷は「お偉方の奥方とねんごろ」になったわけじゃないです。中島敦の『李陵』は読んだことがありますか? ぼくは最高の文章だと思っているのですが、その中で確か、匈奴軍の捕虜になった李稜を、皇帝の意に逆らって、弁護したため、宮刑に処されたと覚えています。
 もっとも、宮刑自体は、ミズリンさんの言われるように、もともと「姦通罪に対する反映刑として出発したものであって、男子の根(こん)をたち、女子の陰(いん)を鎖す刑罰にほかならなかった」そうです。女性にも、宮刑はあったのですね。さすが中国はエグイ。
 一方、宦官については、花田が同じ文章で、次のように書いています。

「ヒエラルキーの厳として存在する中国の社会では、宦官として、後宮の支配者になり、皇帝とならんで家来どもに君臨することだけが、庶民に開かれた、唯一の立身出世の道だったので、張三や李四のともがらが、われもわれもと、第三の性を志願した。そして、たびたびの禁令にもかかわらず、宦官の立候補者は、巷にあふれるにいたった。たとえば、明の末期の天啓三年に宦官の欠員三千人を募集したところ、さっそく、きりとって応募したやつが、二万人以上にのぼったので、政府はほとほと困惑した。これではまるで当節の一流大学の入学試験とえらぶところがないのではないか。はたしてしからば、大学もまた、愚にもつかない学科試験など全廃して、まず、きりとったやつや縫いあわせたやつだけを、優先的に入学させたら如何なものであろう。すくなくとも学生騒動が下火になることだけは受け合いである。去勢された連中が、いくらかおとなしくなることは、動物で、すでに実験ずみであるし。」

〜「第三の性のすすめ」1968年『群像』匿名コラム。『花田清輝全集』第14巻所収。

 この中で「張三や李四のともがら」というのが、どんな仲間たちであるのか、調べてみましたが、分りませんでした。中国の古典に「張三や李四」が出てくるのでしょうか。ご存知の方があったら、ご教示ください。
 なお、言葉の話題で、先ほど読んだasahi.comのニュースには笑いました。

「ヒューザーが18自治体を相手に約139億円の損害賠償を求め提訴したことについて、横浜市の中田宏市長は「盗っ人たけだけしい。コペルニクス的ばか者だ」と発言した。」

「コペルニクス的ばか者」って、しかし、これは天文学者コペルニクスに悪いのではないでしょうか。あんな会社に訴えられて、激怒する気持ちは分るが、多分「コペルニクス的転回」を「天地が引っくり返る、超ど級の転回」と受け止め、これ以上はない「ばか者」と言いたかったのでしょう。あるいは、訴える側と訴えられる側が、逆だという意味で「コペ転」を連想したのでしょうか。爆笑モノではありますが、なかなか興味深い使用例です。
第三の壮士「じゃア、匙は四つでいいよ。おれは食べねえからな。そりゃア、あまくねえとはいわねえが、なんだか薄気味悪いや。ニトロをたっぷり吸い込んで、まるで粘土細工につかう粘土みたいに、いやにネバネバしてやアがってさ。一匙食べるたんびに、鼻につうんとくるじゃアねえか。おらア、あのニトロの匂いをかぐと、さっそく、頭痛がしてくるんだ。」
女壮士「食べないんだって! あんた、まだスネてるのね。食べなかったら、承知しないから。」(中略)
(女壮士の友人Aは、箱から銀紙にくるんだケーキのようにみえるダイナマイトを五つとりだして、ちゃぶだいの上にならべ、Bは、茶をくばり、第二の壮士は、匙を持ってくる。まさに平和なティー・パーティの光景である。)
女壮士の友人B「(第三の壮士に)これは、風月のチョコレートよりも、ずっとおいしいのよ。(中略)あんたは、これまでに西洋菓子を食べたことがないんでしょう?」

〜「爆裂弾記」1963年、劇団演劇座・有志客演公演。『爆裂弾記』1963年未来社刊。

 だいぶ以前に読んだ時にも、このダイナマイトをサジですくって、ケーキのように食べるシーンには、度肝を抜かれたものです。いったい、これは食べられるものなのでしょうか。ダイナマイトの製造は、女壮士の担当らしく、硫酸と硝酸、グリセリンを使って、ニトロを作り、これにケイソウ土を加え、ダイナマイトを作る、一連の作り方も解説されていますが、いくら「ニトロのほうは、心臓の薬にのむひとだってあるんですからね」と言われても…。
 mamikoさんが、古本屋の検索で公演パンフレットを見つけたそうですが、何気なく講談社文芸文庫のデータを見ていたら、吉行和子さんが出演されていたのですね! おそらく果敢な女壮士の役だと思われますが、見たかった。40年後の『百合祭』の宮野理恵さん役と、比較検討したい誘惑に駆られます。

 昨日の横浜市長の「コペルニクス的ばか者」発言ですが、「見逃したくせに、開き直るな!」という反発もあったようです。市長は、あるいは単純に「天文学的ばか者」と言いたかったのかもしれないと、今日思いつきました。
「たとえば川上村の井光(いかり)は、吉野川を見おろす高い尾根の上にあるが、かつてそのあたりには、しっぽのある人間―すなわち、有尾人(ホモ・コウダツス)が住んでいたということだ。その有尾人は、不意に竪穴のなかから出現して、東征の途中にあった磐余彦(いわれひこ)の一行を、ギョッとさせた。暗褐色の毛で覆われ、身長は四尺あまり、薦骨の付近から一尺ほどのしっぽが生え、しかも鬱蒼と生い茂った、日の光りの乏しい密林の中で、全身、薄光りに光っているのが、ますます、そのものに、妖怪じみた感じをあたえた。そういえば、その化物のとび出してきた竪穴からもまた、後光のように、青白い光りがつよく射していた。『古事記』には、そのくだりが、「尾ある人、井より出で来りき。その井に光りありき。汝は誰ぞと問いたまえば、僕は国つ神、名は、井氷鹿(いひか)という、と答え曰(もう)しき。」と簡潔に書かれている。いったい、この吉野原人とでも称すべき有尾人は、何者であろうか。」

〜「力婦伝」1973年『群像』。『室町小説集』1973年講談社刊所収。

 1月28日の「ダイダラ坊の足跡」について、らら星さん、mamiko@怒り心頭さんのコメントを頂き、改めて「力婦伝」の紀伊・吉野川上流の伝説に関する記述を思い出しました。密林の中から、毛むくじゃらの、人間離れした生物が現れたというと、目下マレーシアで話題になっている「ビッグフット」を連想しますが、日本古代の、こちらは身長120センチぐらいと、小柄なのですね。その代わり、30センチぐらいの尻尾を生やしています。花田は、この原人(?)が出てきた、青白い光りを放つ竪穴に注目し、次のように推理します。

「しかし、わたしは、竪穴は―青白い光りをはなっていた竪穴は、住むためにではなく、水銀や丹砂(辰砂)を手に入れるために、ほられたのではないかとおもうのだ。青白い光りは、水ではなく、穴の底で大量の水銀が光っているためではあるまいか。水銀は生まのままでもとれるが、赤土のように見える丹砂のかたまりを焼き、出てきた蒸気を冷やしてもまた、とれるのである。なぜこんなことをいうかといえば、大和や伊勢には、丹という字のつく地名が多く、そのへんでは、盛んに水銀や丹砂を採掘していたらしい形跡があるからだ。」

 花田は、『古事記』に登場する有尾人を、毛皮の衣を着て、尻尾に見えるような腰紐をたらした、水銀採掘に従事する人々ではないかと推測しています。「小説」の冒頭で、神話や伝説をキッカケに古代の産業構造をえんえんと検証しているのには、最初面食らいましたが、この小説の主要人物の一人である丹生川上神社の神官、小川弘光が、水銀から作った金色の丸薬、金丹を服用し、魔法を使う超人として、人々に畏れられたことへつながっていきます。もっとも花田は、小川弘光を、超人気取りの俗人として描いていますが。
 mamikoさんの「日本神話の神さまや妖怪は、だいたいは、古代の部族が信仰する自然や産業神だったりすることが多い」というご指摘に、これが当てはまるかどうか分りませんが、花田が相当徹底して、民俗資料を読んでいることは間違いありません。
 しかし、『古事記』の「有尾人」が「僕は国つ神、名は〜」と名乗るのは、なんだか可愛らしくて好いですね。「僕」の語感は、現代とは異なるのでしょうが。
>mamiko@怒り心頭さま
 目下お怒りの著作権問題、遥か遠くからではありますが、心より応援しています。かつてエロ本編集者時代の、こうした問題にルーズだった自分に、心理的な冷や汗をかきながら。

>カラカラさま
「張三李四」についてのご教示、有り難うございました。よく理解できました。それほど、みんなが「切り」に走るというのは、実に素晴らしい、まことに恐るべき民族です。
「李稜」は、ストーリーより何より、漢文脈の緊張感が、たまらなく快感でした。花田のウネウネ、どこまで続くか分らないような論理をたどっていく、ひねくれた(?)快感とは別の、
山頂の空気のような清冽な快感です。「弟子」は忘れてしまいましたが、「やおい」で解釈するところがスゴイ。手元にありませんが、読み返してみようかな。漢文脈ではありませんが、「文字禍」という短編には感嘆した覚えがあります。これも再読してみましょう。
魯迅『故事新編』より「鋳剣」
「(前略)賢い子どもよ、よいか、聞け! おまえはまだ知らぬのか、おれがどんなに仇討ちの名人であるかを。おまえのは、おれのだ。それはまた、このおれだ。おれの魂には、それほど多くの傷がある。人が加えた傷と、自分が加えた傷とが。おれはすでに、おれ自身を憎んでいるのだ」
 闇の中の声が止んだ途端に、眉間尺はすっと手を伸ばして、肩から青い剣を抜き取ると、そのまま、ぼんのくぼから前に、削ぐように剣を引いた。首は地上の青ごけの上に落ち、剣は黒い男の手に渡った。
(竹内好訳。岩波書店『魯迅選集3』)

 魯迅の原作と読み比べて、花田の戯曲「首が飛んでも―眉間尺」の軽妙さ、ユーモアが分ったように思います。暗く、激しい感じのする魯迅作品ですが、案外ユーモラスなところもあって、それは主に国王と、その周囲に群がる王后、妃、大臣、シュジュ、宦官などに対する風刺です。魯迅作から引用した、少年の自刎(じふん、というらしい。自分で自分の首をはねること)のシーンの鮮やかさには、目をみはります。花田は、少年には自刎させず(手違いで、奇術師が少年の首を切ってしまった!)クライマックスの奇術師のところで、乾坤一擲、といった感じで自刎させました。
 『故事新編』の「序言」も、同時代の批評家たちを痛烈に批判して、花田を彷彿とさせるようなところもあります。

「そのころ、我等が批評家、成仿吾(チェイファンウー)先生は、創造社(文学結社)の入り口の「魂の冒険」と書いた旗の下で、大鉈(おおなた)をふるっていた。彼は「凡俗」という罪名を着せて『吶喊』(とっかん)をズタズタに斬り刻んだが、ただ「不周山」だけは佳作とほめた―むろん、欠点はやはりあるそうだが。正直の話、これこそ私が、この勇士に対して心服できないばかりか軽蔑するようにもなった原因である。」

*『吶喊』は魯迅の第一作品集で、「不周山」がもっとも作者の評価の低い作品でした。
「それは新しい現代のドン・キホーテの一つの姿である。反動的な時代に、反動の波に乗って、果敢な突撃を試みている至極現実的なドン・キホーテもまた存在するのだ。理想をもたない、きわめて虚無的なドン・キホーテ一一これは逆説的であり、難解でもあるが、何も今にかぎったことはない、過去にも無数にあったドン.キホーテの一種の型かも知れない。とはいえ、いまだ嘗て物語られたことのないドン.キホーテだ。(中略)
 今日のドン・キホーテが、もしもかかる(注:理想的な)ドン・キホーテ主義をもたないとすれば、それは却ってその従者であるサンチョ・パンザによって一一きわめて現実的でもあり、打算的でもあるサンチョ・パンザによって、なお現にもち続けられているのではなかろうか? 思うに理想と絶縁したドン・キホーテがあるように、理想に憑かれたサンチョ・パンザもまた存在するにちがいないのだ。これは大いにあり得ることなのだ。ハイネ自身もこのことを歌ったではないか。

 全く倒(さか)さの世の中だ
 われわれは頭で歩いてゆく!
 猟師は束にされて
 鷸(しぎ)の手で撃たれる
 今日では犢(こうし)が料理人(コック)を炙り
 馬が人間に乗って行く」

〜「現代のアポロ」1940年『文化組織』。『花田清輝全集』第二巻。1977年講談社刊所収。

 花田らしからぬ、短いセンテンスを叩き込むような、体言止めの多いエッセイですが、末尾に「附記 本稿は、講座『新しい人間の創造』のノートからの抜粋」とありました。全集の解題に寄れば、1940年の5月に、花田の講座があったのだそうです。また、これは『錯乱の論理』所収の「指導者の素描一一コラージュ」の初稿に当たるそうですが、引用部分はカットされています。
 繰り返しドン・キホーテについて語った花田ですが、日本の敗戦5年前に、周囲に満ちている、理想を失った、反動的なドン・キホーテの群れに対し、みずからを新型のサンチョ・パンザと規定しているところが斬新です。

「ドン・キホーテ主義者、サンチョ・パンザの影像は、十分僕の興味をそそった。突然一一それは真に突然だった。僕はその影像が、僕自身の一一僕らの世代の、あるいは僕らの階級の、もっとも的確な自画像であることに気づいたのである。」
「僕らは東洋における家庭一一家族制度というものが、いかに一般に厄介なものであるかを身を以て知っている。封建社会の社会的単位としての家庭は、もちろん、完全に滅ぼされなければならない。サンチョ・パンザの家庭は、道徳的に習慣的に、すなわち形式化した儒教主義の残滓によって僅かに余命を保っている家庭が解体してしまった後、家族相互の因習を脱した関係によって、あらためて結びつけられたものなのである。サンチョが、かれの父母や、かれの妻や、かれの子供と住むのは、かれらが父母であり、妻であり、子であるからではない。そういう名前のためなのではない。もっと直接的に、彼ら相互が人間として各々必要とし合い、すくすくと自分を伸ばし得んがためであり、これを足場として歴史の針を押しすすめんがためである。」

〜「現代のアポロ」1940年『文化組織』。『花田清輝全集』第二巻。1977年講談社刊所収。

 ふだん、相当長時間、TVをつけっぱなしのわたしのワンルームですが、昨日来の妊娠報道はおおいに迷惑であり、キャスターからレポーターから、みんなが○○さま、○○さまを連発するのが、どうも気に触っていけません。かつて美智子さんが結婚した頃、あんなに「さま」を連発していたでしょうか。子どもの頃で、すっかり忘れてしまいましたが、TVでこれほど大量に「さま」を連発されると、北朝鮮の「首領さま」を笑えない気になってきます。神様、仏様ならいざ知らず、人が人に無条件で「さま」をつけるのは、おかしいと思う。
 もっとも、戦中に、上のような民主的(?)家族観を提示した花田も、家族の眼から見ると、そうも理想的にいかなかったようで、黎門氏が、廃刊目前の『新日本文学」に書いた回想は、可笑しく読みました。
私も『新日本文学』読みました。花田トキさんは、とても苦労されたみたいですね。そして、花田のわがままぶりが、あざやかに描かれていて、可笑しかったです。ところで、花田十輝というアニメの脚本家は、花田の孫なのでしょうか?ご存じでしたら、どなたか教えて下さい。血筋への関心なんて、花田の望んでいた人間の在り方とはかけ離れていると思うので、ホント恐縮なのですが。
「今月で二十冊目が出る。ようやく、これからというところだ。気ながにやるほかはない。せっかちなやつらのザマはなんだ。花火のように、パッと空中に飛びあがって、そのまま直ぐ消えてしまう、といいたいが、それほどでもなく、地面にころがってイライラしているうちに、いつか湿気がきて駄目になってしまう、というのが掛値のないところだ。ワイルドの有名な『狼烟』の話を思い出す。「反俗的俗物」というやつは皆そういうものだ。人をサバクばあいはすこぶる苛酷だが、自己をサバクことだけは絶対にやらない。我々の仕事には、「俗物」も近づくが、それにもまして「反俗的俗物」共が押し寄せてくる。こういう連中を清算し、ほんものだけを残してゆくのはむつかしいことだ。(中略)――いや、こういうことばかり書いていると私まで「反俗的」であるかのようだ。さもなければ、すこぶるタフみたいにみえるだろう。ドライ・ハードネスこそ、我々の仕事の標語だが、こいつが私のなま身をけずる。」

〜『文化組織』編集後記。1941年(昭和16年)8月号。『花田清輝全集』第2巻。1977年講談社刊所収。

 昭和16年を年表で見ると、6月独ソ開戦、10月東條内閣成立、12月真珠湾奇襲、とありますので、花田は「大東亜戦争」開戦前夜に、「ドライ・ハードネス」こそ我々の標語、と書いていたわけで、面目躍如たるものがあります。これは現代のわたしたちのキャッチフレーズにしても、じゅうぶん通用するのではないでしょうか。もっとも、「ドライ&ハード」などというと、アサヒビールのCMを思わせないでもありません。
ものぐさ太郎さま

 ビックリしました。私はアニメにまったく無知なのですが、検索してみたら、以下の記述を見つけました。<はなだ・じゅっき>氏というらしいですね。

●花田清輝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
花田清輝(はなだ きよてる、男性、1909年3月29日 - 1974年9月23日)は、左翼アヴァンギャルド作家・文芸評論家。アニメ脚本家の花田十輝は孫。

●花田十輝(Hanada Jukki)
■プロフィール
 脚本から小説、ゲーム企画まで幅広くこなす『なんでも屋』。死ぬまでにもう一度、広島カープが優勝するところを見るのが夢。
■作品紹介
○アニメーション・シリーズ構成
○アニメーション・シナリオ
○小説
* くるりくる!
* 大嫌いな、あの空に。
* 無敵王トライゼノン ガイアゼノン
* お嬢様特急
* ときめきメモリアル
kuninori55さん、ありがとうございます。つい血筋への関心を示してしまう私は、「反俗的俗物」であるようです。反俗的俗物性を自覚しつつ、もう一度、それをひっくり返さねばなりませんね。(苦笑)
「といって、かならずしも老人が、老人を描いた小説で成功するとはかぎらないということは、青年の手になった青春小説の大部分が、読むにたえないのと同じ事情にもとづくのであろう。どちらにも、年相応のナルシシズムというものがあって、仮借するところなく、在るがままのおのれの姿をみつめようとはしないのである。とすると、まがりなりにも、『退屈な話』が、老醜というものを、あざやかに描きだすことができたのは、かえって、チエホフが、二十代の青年だったためであるとも考えられよう。しかし、いちがいに、そうとばかりきめてかかるわけにもいかない。そもそも老醜とは、いかなる状態をさすのであろうか。」

〜「老人雑話」1968年『伝統と現代』。『乱世今昔談』1970年講談社刊所収。

 ここでも、花田的・接続詞が、いきいきと活躍しています。「といって、かならずしも〜」→「とすると、まがりなりにも〜」→「しかし、いちがいに〜」→「そもそも〜であろうか」。文意の二転三転する柔軟な運動が、とても心地いい(個人的な好みですが)。
 老醜の例として、ニ番目に上げている、次のような記述は、内容的には至極当たり前ですが、書きっぷりに哄笑を誘われます。

「もっとも、そうはいうものの、精神は、すっかり、耄碌して、子供にかえっているのに、肉体の一部分だけが−−たとえば消化器や生殖器などが、風雪にたえて、いやに溌溂としている場合もまた、当人はいざ知らず、はた眼には、みていてあんまり気もちのいいものではなかろう。『退屈な話』の主人公なら、まだマシであるが、われわれを待っている老醜は、むしろ、このほうのアンバランスによるものが多いのではあるまいか。」
「しかし、人間よりも、サルやブタを尊重する連中が、『三国志演義』の張飛、『水滸伝』の魯智深、『金瓶梅』の潘金蓮などを――要するに、武田泰淳のいわゆる「淫女と豪傑」とを不当に過大評価し、そこに、知識人には求むべくもない、庶民の無限のエネルギーがあるのだといいくるめようとするのをみると、わたしは憤りを禁じ得ないのである。「反省もない、ためらいもない、ただ生きていくことの強さ。生きること、淫すること、殺すことの絶対性の前には理くつや詠嘆は無意義となる。」と武田泰淳はいうが、それでは庶民とは、サルやブタとえらぶところのないシロモノであろうか。」

〜「わが西遊記」1968年筑摩書房『世界文学全集』月報。『乱世今昔談』1970年講談社刊所収。

 ここで「サルやブタ」と言っているのは、孫悟空や猪八戒のことで、花田は、中島敦や田中英光の描く西遊記が、三蔵法師以上に、その家来どもの活躍ぶりに注目していることに不満を漏らしているのでした。
「わたしには、そこに、知識人の――中国風にいうならば、読書人の、目に一丁字なき連中にたいするインフェリオリティ・コンプレックスがうかがわれるような気がして、不満でならないのである。」
 それが、さらにエスカレートしたのが、武田泰淳的な「淫女と豪傑」好みで、花田に言わせれば、
「三蔵法師の一行のなかでは、いちばん、影の薄い沙悟浄が、いちばん、人間に近いといえばいえよう。中島敦の『悟浄出世』の主人公が、たえず「なぜ」という問いを連発しながら、狐疑逡巡して、決着したところのないゆえんなのだ。これが、庶民の在るがままのすがたというものではあるまいか。」
 といって、花田は「庶民を正確に描け」と言っているのではなく、もともとの『西遊記』自体、サンスクリットの原文を求めて天竺に向かった「三蔵法師の超人ぶり」を軽視しすぎているので、この「知識人」にもっと注目すべきではないか、とうながしています。
 人間中心主義からの脱却を繰り返し説いた花田が、サルやブタやカッパより、人間のインテリに注目せよ、と改めて提言しているところが可笑しいですが、「ただ生きていくことの強さ」などといって庶民を祭り上げる、インテリのコンプレックスが、ここでは批判されています。
 この短いエッセイの最後で、『チベット旅行記』を書いた河口慧海が「法然頭」(ほうねんあたま)であったことが紹介され、三蔵法師の頭もこのタイプでなかったかというのですが、これはおそらく、浄土宗の法然上人がモデルになっているのでしょう。「脳天の真ん中が大きくくびれ、頭蓋の山が前後に二つある」のだそうです。丸坊主にしたわたしの頭は、残念ながらこんな形をしていませんでしたが、会津の中学生時代に、そんな頭の友人がいたような気がします。
「先日、ロ・ズカの『ポスター』(クセジュ文庫)を読んでいたら、ローマ時代のポスターにつぎのようなものがあったので、記憶に残った。
『男奴隷。二耳、二眼、完全。質素、正直、従順保証。ギリシア語若干解す。』『女奴隷。そのすばらしい引きしまった肉体! 皆さん方お望みの若い女性ではありませんか? 純情は請け合い。(かの女が赤くなるのでわかります)』
 むろん、奴隷商人のポスターだが、右の文句から受ける感じでは、男奴隷よりも、女奴隷のほうが、はるかに商品としての魅力がある。前者は「二耳、二眼、完全。」というが、そうわざわざことわっているところが、いくぶん、あやしいような気がしないこともない。両手、両足はあるのだろうか、とおもわず疑いたくなろうというものだ。」

〜「奴隷の系譜」1958年『自治新聞』(全日本自治団体労働組合機関紙)。『冒険と日和見』1971年創樹社刊所収。

 ローマ時代に、奴隷商人が張り出したポスターがあったとは驚きですが、明らかに女奴隷の売り出しの方に力が入っています。女奴隷の方が、値段が高かったのでしょうか。男奴隷に対する要求レベルの低さは、買われた後の労働の苛酷さを如実に示して、気の毒みたいなものですが、女奴隷の方の労働もまた、別の意味で苛酷そうです。
 奴隷を買ったのは、ローマの貴族のようですが、現代の社長でも、似たような採用基準をもった社長がいるのではないでしょうか。花田は、女奴隷のキャッチコピーを「万事実証的であって『純情』の説明も気がきいている」としながら、

「しかし、あんまり感心してばかりもいられない。なぜなら、当節のブルジョアジーのプロレタリアにたいする好みが、ローマの貴族の奴隷に対する好みから、それほど進歩しているともおもえないからだ。
 なるほど、われわれ男性は、『二耳、二眼、完全。』だなどといって自慢はしない。とはいえ、女性のなかには、いまだに『そのすばらしい引きしまった肉体』を鼻にかけているようなひとがいるではないか。」

 これが結語の部分で、短いエッセイの大半を引用してしまいましたが、最後の一節は、読み方によっては引っかかる人もあるでしょう。わたしも「なるほど〜とはいえ〜」という接続詞に注目しましたが、「当節のブルジョアのプロレタリアにたいする好みが、ローマの貴族の奴隷に対する好みから、それほど進歩しているともおもえない」例証として、女性のアピールポイントが、ローマの女奴隷と変わっていない、男性だって、ローマの男奴隷と変わらないのでは? と警鐘を鳴らして(?)いるように思われます。
 発表されたのは、通称「自治労」の機関誌ですが、「自治体と自治体関連の公共民間で働く労働組合」だそうです。ここに「奴隷の系譜」と題して寄稿したのは、そうとうドスが利いているように思われますが、58年当時の状況が分りませんので、軽々しく断言はできません。
「目下のところのわたしの関心は『暴力論』を書いたソレルにまさるともおとらないほど、わたしの非暴力論を、いろいろな角度から深めていくことにある。わたしはガンジー主義について考え、赤十字精神について思いをいたし、たおやめぶりについて頭をひねり、テロリストをへなへなの状態におとしいれるマジナイの文句について研究した。(ちなみに、真言秘密の法で、危機一髪のさい「急々如律令」と唱えるのは、どうやら「くわばら、くわばら」という意味らしいのだ)」

〜「私と非暴力」1961年『朝日新聞』。『新編映画的思考』1962年未来社刊所収。

「急々如律令」は「きゅうきゅう−にょりつりょう」と読むのだそうです。日本国語大辞典(小学館)によれば、中国の漢代の公文書に、本文を書いた後に、「この趣旨を心得て、急々に、律令のごとくに行え」という意で書き添えた語。後に転じて、道家や陰陽家のまじないの言葉となり、また、悪魔はすみやかに立ち去れの意で、、祈祷僧がまじないの言葉の末に用いた。その後、武芸伝授書の文末にも書かれて、「教えに違ごうことなかれ」の意を表した、とか。
 どうも、花田のいう「くわばら、くわばら」とは、だいぶニュアンスが違って、エクソシストの呪文に近いようですが、ちなみに「くわばら、くわばら」というのも呪文だそうで、同じ辞典によれば、落雷を防ぐために唱えるのだそうです。それが一般化して、「いやな事を避けようとする時に唱える呪文」になりました。
 本来は、結構積極的かつ闘争的な呪文ですが、「くわばら、くわばら」となると消極的かつ平和的です。この違いはどこから来るのでしょうか。花田が例に引いている「真言秘密の法」では、あるいはそうした意味で使っているのかもしれませんが、このエッセイのテーマが、暴力と非暴力であることを考えると、もしかしたら花田は、本来の語義を押さえた上で、中国発祥の暴力的な呪文を、和風の非暴力的な呪文に変換したと、考えられないこともありません。(この持って回り方! どうも、花田の文章を毎日書き写しているうちに、瑣末なところが物まねになってしまったようです)。
「しかし、それにしても、どうしてわれわれの周囲では、ファースよりもサタイアのほうが、ヨリ高級なもののようにおもいこまれているのであろうか。むろん、わたしは、『殺人狂時代』のようなサタイアは大好きだ。しかし、あんな作品がうまれたのは、それまでにチャップリンが、さんざん、ファースを手がけてきたためではなかろうか。ファースをつくるためには、人間を「物」としてとらえる非情な眼が必要だ。シジフォスを、シジフォスとしてではなく、スカラベ・サクレとして――あのファーブルの『昆虫記』の冒頭に登場して、糞の玉を押しあげていってはころがりおちる、コガネムシのようなものとしてとらえる眼がなければならない。」

〜「『満員電車』と市川昆」1957年『キネマ旬報』。『花田清輝全集』第7巻。1978年講談社刊所収。

「farce」=笑劇、茶番、お笑い。「satire」=風刺。昨日の深夜、何気なくTVをつけたら、東京12チャンネルでモノクロの日本映画をやっていました。寝て起きた後だったので、ぼんやり見ていたら、これが妙に面白いのです。60年前後のTV局が舞台で、誰にでも優しいプロデユーサーの船越英二(現在の2時間ドラマの王者のオヤジですね)が、妻がいるのに、女優やらメイクやら台本の印刷屋やら、その場の雰囲気で、誰とでもできてしまい、女たちはヤキモキするのにウンザリして、いっそ彼には死んでもらいたいと、妻や愛人たちが結束して、殺人を計画するというスト−リーです。
 いかにもなTV業界に対する風刺は、底が浅いものの、その場その場を生きる、定見のない、いい加減な男が、どうも身にしみて、わたしたちの問題のような気がしてきました。女優たちの長いセリフも、50年前の女性はこんな風に喋っていたのかと、隔世の感があり、また結果的に巧まざるユーモアとなって、笑わせます。モノクロの画面のカメラワークもかっこ好くて、つい最後まで見入ってしまったのですが、慌てて監督を検索したら、市川昆でした。この映画については、次のブログが、実にうまくコメントしています。

http://www.chelucy.com/alice/main/culture/cinema/2002/black/top.shtml

 そこで、花田が市川昆について、どんな批評をしているか調べて、たまたま行き当たったのが、この「『満員電車』と市川昆」でした。引用箇所は、花田のスタンスがよく表われている、別に目新しい主張ではありませんが、市川昆を「凡庸なモダニスト」と決めてかかっていたが、『満員電車』を観て、「みずからの不明を恥じた」ことが書かれています。『満員電車』がどんな映画か知りませんが、同じく妻の和田夏十脚本の「風刺コメディ」のようです。当時「映画漫画」と評された、とありますので、案外、敢然と褒め称えたのは花田ぐらいだったかも知れません。次のような花田の言葉は、激賞ととって構わないでしょう。

「はやい話が、『満員電車』をみたあとで、わたしのもっとも不満に感じたことは、どうしてかれが、この作品を、ミュージカル・コメディにしなかったかということであった。」
「しかし、ひるがえって考えるならば、戯作者は、シジフォスよりも、むしろ、スカラベ・サクレに――ファーブルの『昆虫記』の冒頭に登場する「糞虫(くそむし)」に、はるかに近い存在かもしれない。スカラベ・サクレもまた、シジフォスのように、わき眼もふらず、けわしい勾配を糞(ふん)の玉をころがしながら、登っていく。ちょっと足を踏みはずすか、またはその平衡を乱すたった一つの砂粒にでもぶっつかると、玉は、たちどころにごろごろと、谷底にむかってころがり落ちてしまう。玉のころがっていくはずみでひっくりかえったスカラベ・サクレは、しばらくもがいているが、やがて起きあがり、ふたたび玉を押すために勾配をくだっていく。こういうしぐさを、なんべんも、なんべんも――無限に繰返すところは、まったく、シジフォスと変りがない。かれもまた、断じて谷底を迂廻したり、もっとゆるやかな勾配のほうへ転向したりしようとせず、どこまでも初一念をつらぬきとおそうとするのだ。ただ、かれには、カミュのいわゆる「意識の時間」がない。――すくなくともないようにみえる。したがって、事、志に反して、いかにかれが掌中の玉をとり落そうと、われわれは、そこに、悲劇ではなく、喜劇をみることができる。のみならず、かれの懸命になってはこんでいる重荷が、石塊ではなく、糞の玉だということも注目に価いしよう。なるほど、地上から不浄をとりのぞく仕事は、神聖な職業であり、それゆえにこそかれは、われわれのあいだで「神聖な甲虫(スカラベ・サクレ)」と呼ばれているのであろうが――しかし、また同時に、その職業が、われわれのあいだで、かくべつ、高級な職業だとおもわれていないことも事実である。」

〜「スカラベ・サクレ」1954年岩波講座『文学』。原題「戯作者の系譜」。『大衆のエネルギー』1957年講談社刊所収。

 ただもう見事な文章で、糞ころがしにも、はるか及ばないわたしたち、イヤわたし自身に思い至ります。 
「こういうと、あるいは、読者のなかには、わたしのいわゆるドライ・フールが、程度の差こそあれ、ことごとく価値の顛倒を経験し、懐疑的になったり、不可知論的になったりした挙句の果、ビター・フールやスライ・フールの断じて手放そうとしない価値尺度すら見失い、人間の一生なぞ、ばかばかしいものだという気になり、涙をながす代りに、野放図もない出鱈目をいって、笑ったり、笑わせたりしている絶望者のむれであり、わたしが、ひとを風刺したり、皮肉をいったりしないドライ・フールを、その他のフールの上におくのは、すでに反俗的であろうとする余裕すら喪失した、かれらの絶望の深さのゆえであろうと考える、アンドレーフや太宰治の亜流があるかもしれないが――しかし、むろん、それは、完全な誤解であり、ドライ・フールが、ドライ・フールであり得るのは、ミュンヒハウゼンの例によってもあきらかなように、いささかも懐疑的ではなく、おのれの嘘を――不可能の可能性を、断乎として信じこみ、したがって、いかなる危機に遭遇しても、希望を失うことなく、つねに呑気で、快活で、無邪気で、あくまで生の歓喜にあふれているからであった。」

〜「驢馬の耳」1949年。『二つの世界』1949年月曜書房刊所収。

 これで、1センテンスなのですから、恐れ入りますが、ドライ・フール=愚鈍なる道化、スライ・フール=悪賢き道化、ビター・フール=辛辣なる道化、という道化の3タイプは、普通はドライからビターにむかって、次第に高次の存在と目されるなかで、花田はこの「進化の段階を逆に」とらえ、ドライ・フールこそ「わたしの理想的人間像」であると主張しています。そして、その系譜としてあげているのが、シェークスピアのフォルスターフ、ドイツの男爵ミュンヒハウゼン、フランスのクラック男爵などでした。この花田の主張は、安吾のファルス論を思い起こさせますが、花田が終始、安吾を愛した理由の一端がうかがえそうです。
 目下、鳥取に来ています。倉吉市、鳥取市、米子市とまわって、尾崎翠映画第二作のロケハンや準備をしているところですが、改めて映画を作るという作業が、多くの人やお金を、いやおうなしに巻き込む、途轍もない試みのように思われ、とてもドライ・フールというわけにはいきません。
「しかし、まあ、強いてわたしが、かの女を女神あつかいすることもなかろう。いずれにせよ、カルモナは、天正八年(1580)二月、大島城において、お多福風邪にかかって、六十五歳で、あっけなく死んでしまったのである。それから二年後の天正十年(1582)二月、かの女の婚約者だった織田信忠が、信州へ攻めいったとき、戦意をうしなっていた信廉は、あっさり、大島城を放棄して退散してしまったので、松姫は、兄の仁科信盛のたてこもる、すぐ近くにある高遠城へ移った。そして、そこでも、妹たちをはじめ、武田方の女性たちを組織して、負傷者たちの看病に専心した。いくさは凄惨をきわめ、武田の一族郎党たちは、ほとんど死んでしまった。かの女は、かの女の梟(ふくろう)と共に、高遠城を出て、甲府へ逃れ、ついで東山梨郡栗原村の海洞寺へ走り、さらに武蔵案下峠をこえて、案下谷へ逃れた。そして、そこで剃髪して信松尼と称した。(中略)それ以来、信松尼は、戦災孤児や浮浪者を集めて保護を加えたり、病人の看護につとめたりして、元和二年(1616)四月、坐ったまま、ほほ笑みながら、五十六歳で死んだということだ。梟のアテーナのその後の運命についてはつまびらかにしない。」

〜「みみずく大名」1962年『群像』。『鳥獣戯話』1962年講談社刊所収。

「群猿図」「狐草紙」につづく「みみずく大名」の最後の部分であり、『鳥獣戯話』三部作のエピローグとしておかれた挿話ですが、それまで、武田信玄の父、信虎の、戦国武将の枠をはみ出した、凄まじい生涯をたどってきて、その最後のどん詰まりで、この松姫のエピソードに触れると、思わずホロリとなってしまいます。センチメンタルは、花田のもっとも嫌ったところですが、この信虎の孫娘であり、非暴力のシンボルであるような、きわめて印象深い女性像が、ドライに点描されているので、いっそう感銘が深いのでした。

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