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中西輝政研究コミュの52 湾岸戦争の真実を歪曲するKGB高官プリマコフに、なぜ中西輝政の新著『覇権の終焉』はシンクロするのか

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 1990年夏、イラクのサダム・フセインがクウェートに侵略したとき、日本の国中、1974年のオイル・ショックを想起して震憾した。石油価格の5倍以上の跳ね上がりが予測されて、経済の大混乱より経済の低落が確実だったからである。だが、中西輝政だけは共産党や社会党に合唱して、サダム・フセインに拍手喝采した。日本経済の低落に手をたたいてはしゃぐ「外国人」であるだけでなく、世界に侵略があれば何であれ本能的に必ず歓喜する中西輝政にとっては、当然の行動だった。その当時は、まだ日本人も多少は賢明で、中西輝政が社会党左派のイデオローグだと正しく認識していたので、中西批判はかなりあって、その意味では、当時の日本人の外交感覚は、今のように腐敗と無気力はなはだしいものではなかった。
 だが、それから十八年を経て2008年12月、中西輝政が、サダムフセインのクウェート侵略を擁護した1991年5月号の『VOICE』論考と同趣旨の、日米同盟解体論である“過激な反米本”『覇権(=「米国の時代」)の終焉』を出版したとき、「何だ!これは!土井たか子の非武装中立論を国際政治学で厚化粧しただけではないか」と正しく批判した声も、それに類する批判も何一つなかった。日本では、いつしか「保守」が絶滅しているのである。つまり、1995年頃を境に、日本の論壇に「保守人士」は一名を除きすでに一掃された。実質的な日本共産党員である御厨貴が出版した『保守の終わり』(2004年)は、内容はともかくタイトルだけは事実に即して正鵠を射ている。
「民族系」のみは相変わらず残存しているが、左翼思想を母胎として生まれた畸形的なグループである「民族系」は「イデオロギ―の色盲」だから右と左の識別能力はできないし、左翼に対する批判力がそもそもゼロと言えて存在しない。むしろ「民族系」は、左翼に強い親和性を持ち「潜入左翼」や「偽装左翼」と緊密な合体情況にある。しかも、“国家の永続”を決して考えない、日本の未来にいささかの責任意識もないニヒリズムの麻薬に酔う民族系には、「保守思考の不在」というより、“保守思考の拒絶”が基軸にある。中西輝政のような“保守偽装の極左アジテーター”が好き放題に民族系の洗脳が簡単にできるのは、このように民族系には著しい知の欠陥と腐敗的な精神の病が蔓延しているからである。

一、サダム・フセインの侵略を万歳した“狂気の論客”中西輝政――『VOICE』1991年5月号
 中西の本性とは“親ロ一辺倒/反米一直線”であるだけでなく、日本経済の破滅を待望する非・日本人である。だから、イラクの独裁者サダム・フセインが、ヒットラーのオーストリア併合(1938年3月)やチェコのズデーテン地方併合(1938年9月)と全く同種の、クウェートを侵略しその併呑を宣言したとき、この暴挙に歓喜したのである。
 クウェートは石油産出国で日本の重要な輸入先である。しかも、フセインはクウェート併合だけで満足したのでなく、サウジアラビアの大油田地帯もUAE(アラブ首長国連合)やカタールに至るまで、ペルシャ湾岸の大石油生産地帯全域を占領する予定であった。ヒットラーが、オーストリアやチェコで満足せず、ポーランドやユーゴスラビアまで侵略したのと同じである。
 だが、中西輝政は、日本の石油の過半の価格がサダム・フセインの匙加減一つで5倍にも10倍にもなる事態を、徹底擁護した。それが、『VOICE』1991年5月号の中西のエセー「湾岸に沈んだ新秩序」であった。
 中西輝政の狡智は、“秩序の崩壊”や“無秩序”のことを「新秩序」と、逆さに転倒した言葉を平然と用いる恐ろしさにも現れていよう。イラクがクウェートやサウジの油田を武力で占領して無法と暴力を「新秩序」とするのは、ヒットラーが東欧に侵攻しノルウェーを攻め、オランダやフランスに戦争を仕掛けた1939〜40年の侵略戦争を「新秩序」だと絶叫したのと同じで、中西輝政はヒットラーの再来であろう。「ヒットラー→サダム・フセイン→中西輝政」であるとの認識は、否定し難い明快な判断としてよい。
 正しい新秩序の構築とは、戦争が専断する弱肉強食の無法と無秩序の非平和な国際社会を排して、法による秩序ある国際社会を目指すことを意味して、これ以外ではない。だから、無法な暴力の侵略(aggression)であったイラクの全面撤退を強いた、1991年初頭の湾岸戦争での米国の勝利は、米国一極構造の時代(momentではなくera)の到来を告げて、名実ともにパックス・アメリカーナという新秩序が確立したのである。古代ローマ帝国による、地中海世界の“法と正義”に基づく平和(=秩序)をパックス・ロマーナと呼んだが、その再来であった。
だが、日本を呪詛し日本の経済発展が許せない中西輝政は、日本の存立と経済発展に欠かせぬ“法秩序ある平和な世界”が到来するのが許せない。かくして、暴力と無法が支配する戦争の世界を心底から待望する中西輝政は、次のように、世界無秩序(disorder)を唱導する。共産党シンパで社会党左派のスターリン信奉の暴力革命家である中西輝政は、(ジョージ・オーウェルが発見した)レーニン的な転倒語の、その日本語における達人であるので、文脈から正確に読解するように。

 「ベルリンの壁が崩壊したあと(米国がモンロー主義に回帰して、1930年代のような世界が無秩序な弱肉強食の戦争の世紀に逆戻りできたのに、悔しいことに湾岸戦争でサダムが米国に敗北したため)、われわれ(=日本の共産党と社会党)が<新秩序>という言葉で頭に描いてきたもの(=「無秩序」)とは、かなり様相の違ったもの(=本当の「新秩序」)が浮上し始めている・・・(のは実に残念無念)」(201頁)。

 偽情報宣伝・洗脳の名人である中西輝政の怖さは、このように、ペテン師的な詐言が滑らかに次々と口から零れ落ちてくる話術にある。もう一つ、挙げよう。クラウトハマー的な「米国単独行動主義」を可能とするパックス・アメリカーナの破壊を信条とするが故に中西は、「国際協調的な世界新秩序」を口にする。
だが、一九三〇年代、拮抗するおおむね対等な軍事力のドイツ・日本・ソ連・フランス・イギリス・イタリア・米国の七ヶ国が国際協調したのかどうか。全くしなかった。ヒットラーのドイツも近衛文麿の日本も、英米との国際協調を拒否して戦争を選択した。国際協調するのでなく、サダムと同じく、「今や無秩序の時代だ、無法が可能だ!」とばかり、弱肉強食の戦争で覇権争いをするに至った。
中西の狙いはここにある。米国を内政志向に後退させて、世界を多極化させれば、一気に世界は無秩序な戦争の時代へと変貌する。これが、“転倒語法の悪”中西輝政の「国際協調的な世界新秩序」の真意である。具体的には、ロシアと中共に日本を侵略させたいのである。
 さて、中西の口から出鱈目の嘘は延々と続く。ほんの一部だけ紹介する。

「湾岸戦争で米国が勝利したから<アメリカの真の友人>ドイツが反米になる」(206〜7頁)。
「ベトナムやインドが反米に転じた」(203頁)。
「ポスト冷戦で、アメリカは多極化の世界に合わせて、勢力均衡(バランサー)的役割に徹し、少ないコストで大きな影響力を確保する方向が、アメリカの知識人たちの広くコンセンサスされた」(219頁)。
「米ソ首脳会談を繰り返してきた米ソ協調路線なしに<湾岸の勝利>はありえなかった」(213頁)。
「・・・・」。

 だが、ドイツはNATOのメンバーとして、湾岸戦争時、パトリオット部隊をイスラエルに派遣し、イスラエルの対イラク防衛に参画した。その後もずっとNATOを通じ米国の緊密な同盟国である。ドイツがNATOを離脱したなど聞いたことがない。インドもベトナムもその後、慌てて米国との関係改善を急速に進めることになった。米国の知識人の間では、湾岸戦争の後、米国単独行動主義が主流となっていった。1999年のコソボ空爆であり、2003年のイラク侵攻・占領作戦は、その体現である。
ソ連は、湾岸戦争中は蚊帳の外におっぽり出されただけでなく、世界中から無視・黙殺されて、その年の暮れには国家自体が自壊してしまった。嘘の洪水を垂れ流す中西輝政の特技は、朝鮮人固有の生まれつきの才であろう。

二、プリマコフの白々しいアリバイ工作とNHKの全面協力
 対日情報工作と対中東情報工作を担当するKGB高官のプリマコフこそ、実は湾岸戦争の仕掛け人であった。プリマコフこそ、サダム・フセインを唆してクウェートやサウジの油田の占領をさせた仕掛人だし、その脚本家であった。1990年時点、石油価格の暴騰以外で、経済破綻した断末魔のソ連経済の救済策は、何一つなかった。
日本でも、この「プリマコフ仕掛人」説は定説になろうとしていた。フセインはプリマコフに乗せられた、と。だからプリマコフは、それを弁明すべく、急いでNHKのKGB工作員小林和夫に依頼して『誰が湾岸戦争を望んだか』を日本人向けにNHK出版部から緊急出版した。(NHKは全社挙げてソ連KGBの協力機関だから、受信料はロシア人から徴収すべきである。日本人は払ってはならない)。
 中西の前述のVOICE論考は1991年4月10日に発売されたが、このプリマコフの著も同年6月には店頭で売られていた。プリマコフの主張と中西のそれは全く同じである事実は軽視してはならない。サダム・フセインの侵略擁護に徹し、またロシアを利すことに終始している中西のVOICE論考とは実は、内容を含め、モスクワのKGBからの依頼であることを強く示唆しているからである。当該プリマコフと中西の内容の比較として、次の一例を熟読して頂きたい。 プリマコフは、結論する。

  「中東では・・・流血は激しく、人の苦しみは増している。これらはすべて、クウェートからのイラク軍の無条件完全撤兵を実現するため、考えられるすべての政治的手段が使われなかった結果起こっている」(209頁)。

 なんと、馬鹿馬鹿しい詭弁を弄することか。パレスチナ・アラブ人とユダヤ教徒のイスラエル国家の壮烈な血で血を洗う内戦は1945年から続いている。ところが、プリマコフは「1991年の湾岸戦争から起きた」と嘯く。1980年代のイラン・イラク戦争は、まさしく1980年代であるが、これも1991年かららしい。またレバノン内戦もまた、1991年から起きたらしい。
 中西輝政も、次のように言う。

 「湾岸戦争が及ぼした…新秩序が蒙った傷は甚大なものであり、少なくともそれはイラクへの経済制裁の上に立った政治解決によって得られたであろう新秩序の可能性を大きく削り取ることになった」(201頁)。

石油とともに中東の特性である血腥い戦争を湾岸戦争にこじつけるプリマコフの嘘を、中西は、湾岸戦争こそが形成の原動力となった“米国一極構造における新秩序”を逆さにして新秩序が消え去ったと転倒させる嘘に変えているだけで、ともに、イラクの完全な敗北と迅速な解決をという米国の軍事介入の成果を否定することに躍起である。両者とも、国際政治の現実を歪曲すべく、なんともおぞましい情報操作をすることか。中西は、国籍をロシアに変えて心の祖国に帰るべき時であろう。

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