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中西輝政研究コミュの49 日本会議を制圧したKGB工作員たち

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 日本会議は、民族系団体の中で最大規模を誇るし、また最も権威ある組織である。ここに、ロシアが目をつけないわけはなく、KGB工作の重点標的となるのは当然である。例えば、日本会議が、正常であれば、北方領土という日本の安全を左右する、固有の領土の奪還は必ずその運動の最優先課題となるが、これは対日侵略の機会を狙っているロシアとして、断固拒絶する必要がある。
 そして、日本会議の運動を、天皇・皇室問題などに限定させる(封じ込める)工作に全力をあげたのである。実際にも、日本会議の事務局には、ロシア細胞が支配的な大きさになっているのは、傍目において明確で、疑う余地はない。そこで、日本会議をロシアの下部機関にするために、日本会議に浸透したKGB(現SVR)工作員たちのリストを掲載しておこう。

  「保守」偽装の方法    備考
瀬島龍三   大口の寄付その他  コード名「クラスノフ」、陸軍参謀本                   部の少佐時代から死没まで、GRU→                   KGB。
末次一郎   「日の丸」/元号  中野学校在校生時にGRU所属、プリ                   マコフ機関員、2001年没。
吹浦忠正    「日の丸」       日本共産党正式党員、プリマコフ機                    関員
中曽根康弘 偽の「タカ派」イメージ  靖国神社つぶしの急先鋒/1949年                   より共産党シンパ(実質党員か)
田久保忠衛 偽の「親米」イメージ  プリマコフ機関員
名越二荒之助 大東亜戦争の美化  キリチェンコ機関員、2007年没。
ロマーノ・ビルビッタ 保田與重郎の研究 国籍イタリア、ファッシスト党信                     者。
佐瀬昌盛   偽の「集団的自衛権支持」  日本共産党秘密党員
中西輝政   偽の「皇室尊崇」イメージ  土井たか子直属の、社会党イデオ                     ローグ

 中西輝政が、日本会議に「KGB工作員が大量に潜入していますよ」と警告しないのは、自分もその一人だからである。「インテリジェンス・リテラシー」などの意味不明語をふりまくこと自体、自分のカムフラージュをしている証拠で、これだけでも中西を怪しむのは、主権国家の国民としての最小限の教養・常識ではないだろうか。
 ところで、保守主義は、「国家の永続」を教義として最重視するイデオロギーであるが、日本会議には「日本国の永続」の思想はすっぽりと抜けて存在しない。むしろ、積極的に保守主義思想を排斥する立場を旗幟鮮明にしている。具体例を挙げよう。
 日本会議は、自らが主催する「天皇陛下御即位二十年奉祝委員会」の「代表委員」に、今も現役の革マル派の暴力革命家で部落解放同盟の天皇制廃止を信条とする堂本暁子・千葉県知事に就任を要請した。日本会議の事務局の中に、天皇制廃止運動に全力をあげる部落解放同盟の細胞が、厳として存在するからである。
 しかも、堂本暁子こそは、家族解体と日本の伝統・慣習の全面破壊を謳う男女共同参画社会基本法(1999年6月)の制定を推進した四人組の一人であるのは有名な話ではないか(当時は、北朝鮮人の武村正義が率いる新党さきがけの参議院議員)。つまり、堂本暁子と日本会議が繫がっている事実は、日本会議の事務局が革マル派や部落解放同盟の天皇制廃止運動や家族解体運動とも密かに連携しているからである。
 なお、天皇制廃止運動と家族解体運動は表裏一体の不可分のイデオロギーだが、このことは、それらが、ルソーのたった一冊の本『人間不平等起源論』で人類初に提唱されたことで自明だろう。日本会議は、全体として「日本国の永続」を憎悪する幸徳秋水系のアナーキズムを基調としており、無意識か意識的かはともかく、天皇制廃止にいつでも反転する思想情況にある。狂信的な天皇制廃止論者の林房雄の『大東亜戦争肯定論』に共鳴するところからも、この事実は、驚愕するかも知れないが、大きなうねりとなってすでに深く日本会議を浸蝕している。ロシアが、日本会議を事実上、好き放題に操っているが、それを可能にしたのは、日本会議のこのような実態があるからである。
そればかりか、日本会議が瀬島龍三とあれほど緊密であったことは、日本会議が昭和天皇をないがしろにするばかりか、昭和天皇に対して敵意を無意識かも知れないが有していることを示している。昭和天皇は、近衛文麿をはじめ、日米開戦の決定に関ったものを決して許しておらず、当然に瀬島龍三をにたいして強い忌避感情をお持ちであった。活字の資料が少ないのだが、『田中清玄自伝』(ちくま文庫)にこうある。
 昭和天皇は「瀬島の名前をお挙げになって、そういいきっておられたそうだ」と入江侍従長の話を回想している。多少言葉が陛下のそれとはかなり異なるようだが、趣旨は、この通りであっただろう。
 「許し難いのは、この戦争を計画し、開戦を促し、全部にわたってそれを行  い、なおかつ敗戦のあとも引き続き日本の国家権力の有力な立場にあって、  指導的役割を果たし、戦争(開戦?)責任の回避を行っているものである」  (309頁)。
 日本会議とくに椛島有三らの、昭和天皇に対して弓を引くような反逆的な思考については、いずれ稿を改めたい。

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