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『変珍斎日乗』-第二期-コミュの『せきにんのオトシマエ』(2007年09月04日)。

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■無罪確定の機長、事故調に質問状…日航機乱高下事故
(読売新聞 - 09月03日 22:42)



日本での「航空機事故調査委員会」の問題性は、那覇空港での炎上事故
の際にも指摘したことである。それを象徴するような事案がまた起きた。


問題の事故については↓を御参照されたい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%88%AA%E7%A9%BAMD11%E6%A9%9F%E4%B9%B1%E9%AB%98%E4%B8%8B%E4%BA%8B%E6%95%85

文中の指摘にもあるように、日本で航空機事故が発生した場合は、
当然それに対する『刑事責任』が発生することになる。本来事故の再発を
目的とするはずの【事故調査委員会報告】が、この事故の場合は「乗員
ミスの有無の判断材料として採用される」という『国際法上異例の措置』
となった…このような型で乗員に責任を転嫁することは、心理的負担を
考慮する場合【あってはならない措置】だと断言して差し支えないと思う。


例えば。我々が普段乗り慣れた愛車に『運転者が意図せぬ状況』が起き
それが原因で事故が発生した場合…これもまた【運転者のミス】として
断罪されるようなものなのだ(苦笑)!仮にそれが「運転に支障を来す
様な欠陥であった場合」。その判断はどのように解釈されてしまうのか?


実は、驚くような事例が報告されている。

http://response.jp/issue/2004/1027/article65029_1.html
http://response.jp/issue/2006/0711/article83759_1.html

両記事の日付に御注目頂きたい。驚くべきことに、『該当車のリコール
通知』が出されてから2年もかかって「事故で会社幹部が書類送検」!
しかも。「書類送検の時点」で『11件⇒80件の報告を抱えていた』!

…にも拘らず。結局会社関係者は後に【不起訴処分になっている】のだ…。


これと同様のケースが、過去の「航空機事故」の場合にも存在した…。

【全日空機羽田沖墜落事故】。1966年2月4日に発生したこの事故は
当時の『単独機としては【世界最悪の犠牲者数】133名』を出した…。

国内線ジェット機導入直後で、ボイスレコーダーもフライトレコーダーも
搭載されてなかった時代。しかも運輸省に常駐の事故調査委員会さえ
なかった頃の大型事故発生。急遽日本の「航空工学の大家」達が結集し
『事故調査団』が設けられた…が。その人選に大きな問題があったのだ。

団長となったK氏(仮名)は、運輸省の依頼を受けて「次期国内線用
ジェット旅客機」を選定する(当時は「ライバル同士の機材調達合戦」が
激化し、見かねた運輸省が『統一機材の導入』という【行政指導】を各
航空会社に出したのだ)際の取り纏め役であり、複数の候補機材から

   『ボーイング727を選んだ張本人』に他ならなかった…(苦笑)。

それに追い討ちを掛けたのは、製造元の「ボーイング社」から来日した
スタッフの存在だった。当時727型機では4件の事故が発生していた
のだが、そのほとんどを彼らは「操縦ミスによるものだ」と解釈していた。
本音を言えば。『もし欠陥があった場合新鋭機の販売に影響が出る』事態
を予想しての発言だったが、これはまたK氏にとっても追い風になった。

つまり。最初から【操縦ミス説の予断に傾いていた】原因調査だったのだ!


ところが「機内に火が走った跡がある」ことから、異を唱える委員が出る。
彼(Y氏、としておく)はそれ以降丹念に残骸調査を行い、第3エンジンに
異常が発生していた可能性を掴んだ。しかも問題のエンジンが、「墜落前」
に機体から脱落しかかった可能性があることまで(取付ボルトの金属断面
から)示唆した。加えて、本来は飛行中に絶対使用しないはずの補助翼
(ブレーキスポイラー)が『通常飛行中に誤作動した』例まで見つけた。
以上の点から「操縦ミス説に傾く主流派」をよそに、Y氏は物証を重視した
【機体欠陥説】を主張し続け、会議は紛糾に紛糾した…そして結末は。


 信じ難いことに【多数決の論理で(!)原因不明とされた】のである!


Y氏と、彼に協力し続けた運輸省のN主任調査官は。共に職を辞した。
「幾多の物証」で迫ったY氏に、委員長のK氏はこう言い放ったという。

『キミの主張してることは、この世界では【マレにマレの偶然】だよ…』。

数年後、K氏は大恥をかくことになる。モスクワの空港で、日航のDC8
が、彼の言う【マレにマレの偶然が重なった大事故を起こした】のだった。


事故原因を完璧に究明するのは難しいことなのかもしれない。
だが、「必ず不可能」という訳でもない。前述の1966年、日本では
計5件もの航空機事故が起きた。そのうちの1件。英国国際航空機事故
は「犠牲者の8ミリフィルムを解析する」などして見事に原因を見つけた
からである。『刑事事件の壁』が存在するとはいえ、【疑わしきは乗員】
という先入観から、いい加減脱却を図る必要があるのではないだろうか?


【追記】

「全日空機羽田沖墜落事故」の経緯については、ノンフィクション作家・
柳田邦男氏の『マッハの恐怖』(新潮文庫版)を参考にして記していった。


『余談』

「全日空機羽田沖墜落事故」で、途中から調査団に加わったS氏(仮名)
の著書に「現代の名機」として『ボーイング727』を記した部分がある。
その中に以下(抄訳)の記述があって、『事故調査の難しさと遺恨』とを
つくづく実感させられた(申し添えるがS氏はK氏の『後輩筋』になる)。

「…羽田沖で全日空機が墜落した。その時などは、Y氏(注:著中では
「実名表記」)などは『こんな飛行機などはドンドン落ちるぞ!』などと
大騒ぎしたが、結局その後727はほとんど落ちることはなかった…」。

Y氏の名誉のために附則する。727が落ちなかったのは…本当は
『Y氏の功績』が大きかったのだ。ボルトの金属疲労による破断を疑問に
思った彼は、早速ボーイングに取付ボルトの設計方針を訊ねた。答えは…

  『緊急時にすぐ取れるように、【わざと弱めに】設計してある』!!

洋上や平原ならともかく、人口密集地でその緊急事態が発生したら
一大事である…Y氏は早速改善を勧告し、以後は丈夫なボルトになった。


航空工学の第一人者であったS氏なら『知らなくてはおかしい』話だ。
なのに【意図的にその部分を書かなかった】行為は。さて如何なものか。

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