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『変珍斎日乗』-第二期-コミュの『わすれさられた【そうりだいじん】』(2007年08月15日)。

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■参院選ショック?閣僚の靖国参拝は『たった1名』。


結局「高市女史」だけが『点数稼ぎ的抜け駆け』wで閣僚参拝に至った
【8月15日の靖国神社】…まさか先日↓の型で皮肉ったように

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=31974120&comm_id=3161156

「高邁な政治理念に基づいた行動」なのか?って疑問はさて置いて。


その【8月15日の靖国神社】。「禊は終わった」ってことなのか?
『前総理』はじめ『超党派の政治家諸氏』が参拝に訪れたとのことである。
思惑はこの際問わないことにしよう…『英霊と呼ばれる諸氏』に失礼だ…。


さて。『閣僚の靖国参拝』が政治問題化するに至った経緯は、既に諸所で
論ぜられているから繰り返さないが。一番最初に参拝した「内閣総理大臣」
は誰なのか?って事実を、意外に知らない人が多いことにとても驚いた。


正解は『三木武夫』。1975年8月15日・【私人の資格】で参拝した。


ここで「私人」と断りを入れたことが、後の『公私の論争を呼んだ』として
三木を非難する人が結構いる。以前弊レビューで紹介した書籍である
『田村高廣の想い出―日本人への遺言』の著者・渡辺一雄氏などは

【わざわざ1章を割いて三木の行動を非難してる】くらいである(苦笑)!

それがどれだけ『全体のバランスを崩した』章かは弊レビューを参照

http://mixi.jp/view_item.pl?id=657189

頂くことにして。(あくまで一個人の感想だが)過去の総理大臣の中で

【三木武夫ほど不当に低く貶められた評価をされた政治家】は他にない!

「靖国参拝」然り、あるいは「ロッキード事件」での『前首相逮捕』然り
最近の「この国の人間」は【本当にリベラリストが嫌い】なのだと痛感…。


「金脈問題」が発端の『前任者退陣』で【三木内閣】は誕生したのだが。

現代流に言うと、それは『談合としか呼べない経緯の産物』であった。
副総裁「椎名悦三郎」による、いわゆる『椎名裁定』。本来【傍流】に
過ぎぬ三木武夫が椎名の手で自民党総裁(=首相)に担がれた理由は…

「カネに汚かった前任者と正反対の存在だった」からに過ぎなかったのだ。

(事前に裁定を下されていたことを隠して)『青天の霹靂』なる名言を
吐いた(隠したのは「漏れると他の主流派に潰される」恐れがあったから)
三木の登場を。与野党のみならず国民の大多数も同様の驚きで迎えた。


それまでの三木は、「ほぼ」一貫して『党内非主流派の道』を歩んだ。
大学卒業後直ちに政治家となり、戦後『小政党の実力者』として保守政治
に携わり、保守合同による自民党誕生によって【弱小派閥の主】となる。
時には主流派と妥協し、また時には主流派と真っ向から闘う彼の行動を
(「党内の危険物」という意味で)【バルカン政治家】などと揶揄する
向きも多かった。勝ち目のない総裁選に「男は一度勝負する」という名言
を吐き立ち向かうさまを『自民党のドン・キホーテ』とすら呼ぶ者もいた。
…と、記すと。後年の「中曽根『風見鶏』康弘」や現在の「菅直人」を連想
されるかもしれないが…彼らと異なる点は『底無しの頑固者』だったこと!
言い方を変えれば「マキャべリストになれない不器用な人」なのだった…。


そんな三木が、何故『内閣総理大臣として【最初に】靖国参拝したか』?

答えはただひとつ。そうしないと『自身がテロに遭う可能性があった』から。

この年の6月。佐藤栄作元首相の国葬会場で、三木は暴漢に襲われて
負傷する事件に遭遇する(現在VIPの警護に携わる『SP』制度の導入は、
三木のこの事件がきっかけになった)。ましてや党内で「圧倒的な非主流
派」だった彼は、『巨大な圧力団体のひとつだった【日本遺族会】を敵に
回せない』立場でもあった…。三木の心中は現在となっては分からぬが、
少なくとも「自ら進んで参拝に赴きたい」立場ではなかったことだろう…。


何故なら。「戦時中の翼賛選挙」↓で『軍部の横暴』に【非推薦候補】

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC21%E5%9B%9E%E8%A1%86%E8%AD%B0%E9%99%A2%E8%AD%B0%E5%93%A1%E7%B7%8F%E9%81%B8%E6%8C%99

として闘った過去を持つ三木が【戦前国家神道の残滓】を許すだろうか?


それでも三木は『党内融和のために』靖国参拝を余儀なくされた。
唯一の救いは…当時は【A級戦犯が合祀されていなかった】ことだが…
(「A級戦犯合祀後」なら、三木の性格だと参拝しない方が強かった)。


言わば「苦渋の選択」を余儀なくされた三木だが。

その後も『煮え湯を飲まされるような』決断を次々に迫られることになる。
環境問題・物価の安定・独禁法改正問題…etc。「庶民の視点で」改革を
図ろうとする三木を、肝腎の『主流派』は【本格政権を狙う思い上がり】
だと糾弾するのである−その亀裂の頂点が【前首相の逮捕】であった…。
党内に吹き荒ぶ「三木おろし」の風に悩まされ、首相の伝家の宝刀である
『衆議院の解散権』すら行使出来ずに(「任期満了に伴う衆議院選挙」は
戦後では『三木内閣』の時だけである…)党内抗争に愛想尽かした有権者
の行動(=与党敗北)によって、三木武夫は総理大臣の座を明け渡した。


これほどまで『与党の内部エゴイズム』を見せ付けられた例は他にない。

だからこそ『身内の恥』とばかりに【首相・三木武夫】の存在が
【必要以上に貶められている現実】というのは身勝手極まりない話である。
本当なら『反面教師』として【もっと強く位置付けられるべき存在】だと。
「三木本人に対する好き嫌い」は別に語る必要があるのではないのか…。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%9C%A8%E6%AD%A6%E5%A4%AB


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