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シュメールコミュのシュメール世界最古の文明 太陽信仰

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19世紀の後半から20世紀の前半にかけてシュメールの有名な都市が発見され、メソポタミアの歴史がかなりはっきりわかってくると、学者たちは「地方」の遺跡にも目を向けるようになった。また、それと並行して、メソポタミアから離れた場所にある遺跡の発掘も行われるようになった。その結果、地中海からペルシャ湾にいたるオリエントの各地には、戦争や交易を通じてメソポタミアの高度な文明がもたらされていたことがわかった。たとえば、エラム王国のスーサでは、アッカド王ナラム・シン(在位前2254-前2218年)の戦勝記念碑や、バビロニア王ハンムラビ(在位前1792-前1750年)の法典碑などが発見されている。これはエラム王がバビロニアと戦ったおりに、戦利品として持ち帰ったものである。また、小アジアのハットゥシャ(現ボアズキョイ)からは、楔形文字で書かれたアッカド語やヒッタイト語の粘土板文書が見つかっている。ハットゥシャは、前16世紀にバビロンを占領したヒッタイト王国の首都である。さらに、シリアの地中海沿岸では、ラス・シャムラ(古代名、ウガリト)の遺跡で、アッカド語やウガリト語で書かれた前15世紀頃の文書が見つかっている。そのうちウガリト語で書かれたものは、楔形文字を純然たるアルファベットに用いているという点で興味深い。また、同じくシリアのテル・マルディーフ(古代名、エブラ)でも、シュメール語や古代アッカド語のほか、古風な楔形文字でかかれた西セム語の文書が発見されている。(エブラの最盛期は、前2300年頃に遡る)。こういった例を見れば、メソポタミアの文明が古代のオリエントでいかに大きな影響力を持っていたか、理解できるだろう。
 一方、メソポタミアの内部では、北部のハッスーナ、サーマッラー、ハラフ、南部のウバイドなどから、前5800年頃から前3500年頃にかけて先史時代の遺跡が見つかっている。シュメール人がこの地にやってくる前からの遺跡である。また、大ザーブ川の峡谷にあるシャニダールの洞窟では、5年前にさかのぼる旧石器時代の遺跡も発見されている。


シュメールの高度な技術は文明の衰退とともに世界各地に伝播され夏、殷、周の文明と相互に関係し、さらに日本にも大きな影響を与えたと思います。
ただし、日本にも縄文以前より大変に優れた文化技術が既に存在していた事は考古学的にはその事実が証明されています。要は、シュメールの高度な技術及び文明宗教は深い所で繋がっているわけですね。

コメント(9)

大変勉強になりましたぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)
私からもご参考になればと思いまして、綴らせて頂きます。

発掘された文書総数は約2万枚ですが、その殆んどがシュメール初期王朝3期と、ウル第3王朝期のもので、現在研究されている神話などは、初期王朝期より後世に記述されたものであるため、逆照射して、ウルク期やジェムデトナスル期の人々の観念を研究しているそうです。
しかし、実際発掘された文書はコレクションとして世界各地の博物館に散在し、翻訳作業も滞っている為、研究の進展は難しいそうです。
また、大ザーブ川の峡谷にあるシャニダールの洞窟では、5年前にさかのぼる旧石器時代の遺跡も発見されている。

文書訂正部分 → 5年前ではなく5万年前 

ブチコさんコメントありがとうウインク
こちらこそ本当に勉強になりますほっとした顔
遺跡などは全然勉強不足なので、自分でも本を読んでみたいと思います。
お勧めの本がありましたら是非教えて頂けると嬉しいです。
宜しくお願い致しますぴかぴか(新しい)
グルジア原人:177万年前の化石発見
上半身はチンパンジー、下半身は現代人に近く
 2007.09.20 東京朝刊 27項 総合面 写真有(全627字)

 ◇上半身は樹上に適したチンパンジー、下半身は二足歩行の現代人に近い

 約177万年前の原人の前身の姿をうかがわせる化石が西アジアのグルジアで発見された。上半身は樹上生活ができるチンパンジー、下半身は長旅も可能な現代人に近い特徴を持ち、人類の進化解明の手がかりになると注目される。グルジアや米国などの国際研究チームが20日付の英科学誌ネイチャーに発表した。

 化石は、ドマニシ遺跡から出土した。ここからは02年に、現代人の半分程度という小さな頭骨が見つかった。人類の祖先は知能が発達した後の100万年前以降アフリカからユーラシアに進出したという定説を覆した。だが、首から下は未発見で、原人の行動や生活様式は不明だった。

 見つかったのは、青年期から成人とみられる計4体の化石。身長は144〜166センチ、体重は40〜50キロと推定されている。木に登りやすいよう、肩が前に突き出て長めの腕を持っていた。大腿(だいたい)骨は現代人とおなじような形状に発達し、直立二足歩行が出来たことをうかがわせた。研究チームは「原人の体はモザイク状」と驚いている。

 国立科学博物館の馬場悠男・人類研究部長(人類形状進化学)は「遺跡からは動物の骨が多く発見され、狩猟生活をしていたと考えられてきた。ただ狩猟には長距離移動が出来る二足歩行が必要で、それを裏付ける成果だ。当時の生活を再現する貴重な発見であり、上半身と下半身の進化の速度が異なっていたことも興味深い」と話す。【田中泰義】             毎日新聞社


上記の記事の中で177万年前の原人の化石が発見されたわけですが、我国の日本書紀巻第三神武天皇即位前紀の中で神武と言う方が、私の先祖は豊かな精神文化を持ち国家形態を既に今より1、792、470年前に確立していた。という内容の箇所がありますがわずか2万2千年の誤差です。広大なシュメール文明の歴史的流れと考え合わすと非常に興味深いですね。
                          
日本書紀に記述されていた年の細かい数値は興味深いです。
シュメール王名表にも王の治世期間が同じくらいの数値で記載されていますが、決して天文学的数値ではないことが窺えますね。
何故その数値にしたのかはわかりませんが、今回天山さんが載せてくれた原人化石の記事を考えますと、きっと意味のある数値なのかもしれませんねほっとした顔

それほどまでに長い年数を記録するというのも、やはり支配者の支配の正当性をその年数に立脚させていたのかもしれないとも考えます。

勉強になりましたほっとした顔
RawaArts さん

ギリシアとオリュムポスの関係に等しいと思いますよ。

ネットで少し調べれば出てきますよ。

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