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山本七平コミュの山本七平氏が評価した軍人。酷評した軍人

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極めて高い評価を与えているのが
沖縄32軍高級参謀(作戦)の八原大佐で
沖縄の作戦はスマートだった、あれを徹底的に
やれれると米軍はまいるとこだったと捕虜収容所で
いわれたと、記している。
また、硫黄島の栗林中将の持久作戦と対比している。
高い評価を与えているのが
香港攻略戦で感状を授与されガタルカナルで戦死した
若林中尉も陸軍予備士官学校での講和で栗林中尉が所属した
連隊長が彼について、語るとき壇上で絶句したと記している。
反対に酷評したのが、
インパール作戦で参加将兵10万の内、大半を病魔と飢えでうしなった
指揮官の牟田口中将と、参謀の亀鑑と称されてノモンハン、シンガポール
作戦を立案、指導した辻大佐である。特に辻大佐については、
狂人・異常者とまで酷評しています。
みなさんの、意見を教えて下さい。

コメント(34)

確かに辻正信は山本氏が一番忌避するような人物ですね。
誰も逆らえない正論を武器にイケイケで押し通して責任は取らない、みたいな
栗林中将は陸上自衛隊でも評価は高いです。
ただ、部下の参謀及び海軍と上手くいってなかった(栗林中将の能力に周りがついてこれなかった)のは、将帥としていかがなモノかという問題提起はたまにされます。
私に言わせれば、ボンクラ参謀及び海軍の軍人が悪いと思いますが。

八原大佐は私が好きなタイプな軍人です。
惜しむらくは、軍が玉砕したにも関わらず、本人は捕虜になった(生きて沖縄の戦訓を伝えろというのは軍司令官の命令であったのだが)事で、旧軍の将校(士官学校出)の総スカンをくらい、戦後も正当な評価がなされているとはいえないこと。この辺は、「みんな死んだらお前も死ね」的な日本人的心情が遺憾なく発揮されており、違った意味で山本七平氏の研究対象になったのかもしれない。

若林大尉は、陸自の初級幹部のお手本として、幹部候補生学校あたりでよく教育されています。

牟田口中将
インパール戦史を勉強すれば、唖然とします。本作戦に反対する参謀長を更迭。3コ師団が参加して、3コ師団長とも作戦中に更迭。作戦中、作戦失敗だと思いながら、メンツがあるので言えず、河邊方面軍司令に「目でわかって欲しかった」と戦後の回顧録でいう始末。旧軍の馬鹿将校の典型です。天保銭の弊害ここに極まれりという人物でしょう。戦後、インパールに関わった多くの高級軍人が死者の冥福を祈って隠棲していた中、一人自己の正当性を唱え、かつての部下(藤原元陸将)に冷たく突き放された人物です。

辻中佐
組織(陸軍参謀本部第一部作戦課)の力と個人の発言力を結びつける、典型的な日本の組織人ですね。
やることが、幕僚統帥(ラインでないのに勝手に命令を出す)、国際法違反の私物命令、自分の立案した作戦の失敗にも関わらず第一線の連隊長に自決強要等、どうにもならない人物です。今の日本の組織にも、このような人物は散見されるのではないでしょうか。

山本七平氏の陸軍研究は、現代日本の組織研究に十分使えると思います。
野中他『失敗の本質』でも山本七平の著書が参考文献に挙げられていますよね。

山本七平が指導者・リーダーの条件としてあげているものは従軍体験がベースになっていると思われます。そのようなレンズで政治・経済はじめあらゆる分野を見た結果、やはり軍隊式リーダーシップは汎用性がある、と確信したのではないでしょうか。

辻正信のことは、戦後の政治家時代まで含めて酷評していますね。「辻正信的な」トリックにまんまと引っかかってしまう日本人に危機感をもち、またその解明を研究課題にしていたのでしょう。

牟田口廉也と河辺正三のやりとりは先週、NHKの深夜番組でも取り上げられていました。
 多くのコメントを頂き、本当にありがとうございました。
話題があまりにも、限定されているためにレスなしを
覚悟で書いたのですが、びっくりしています。
 
 自分としては、常に八原大佐が排除され、辻大佐の様な人物が
主導権を握るのか、そしてその体質を変えるにはどうすべきなのか
常に、考えているのですが、正直に言ってこれはと言う答えがありません。
牟田口廉也は、最初ビルマに侵攻した際、軍司令官(多分飯田中将)のインド侵攻についての意見を牟田口師団長に求め、それは不可であると答えたそうです。
それなのになぜ、インパール作戦なんか始めたのか?牟田口廉也の判断を規制する何かが、あったのだろうか?発令者無き命令が、牟田口廉也に対して発っせられたのだろうか?
僕は山本先生の軍人評の本は読んでいませんので、山本先生がこの辺りをどう読み解いていたのかが気になります。
どう描かれていますか?
インパール作戦

軍事的には、ビルマ方面は英印軍が優性になり、防御を実施しても相手に押されっぱなしになるので、攻勢をかけることにより英印軍の出鼻をくじき、もってビルマにおける持久体制を確立するにありました。

問題は、牟田口中将は一気にアッサムまで突進してインドにおける独立運動を喚起し、もってビルマ戦線から連合軍を駆逐しようという考えをもっていたことです。
ビルマ方面軍が再三指導したにも関わらず、奇襲を過度に追求した野心的な計画に、方面軍参謀は唖然としたらしいのですが、河邊軍司令の「牟田口にやらせてみよう」の一言で、作戦に裁可がおりたというのが実情です。
まさに「空気による決定」の好例かと思います
 機動力のない旧式の3個師団で防衛できると考えるのが、
根本的に間違いではないかと思います。しかも、航空戦力
も枯渇していた状況では。かといって、拠点式防御をするには
広大すぎ、迂回浸透されたでしょうね。
思うに、主戦場は太平洋方面である以上、戦略持久に徹して
英印軍を吸収して、主戦場方面に寄与するのが
最善だと思います。
戦争は陣取り合戦じゃないのになぁ・・・
ちなみに、山本氏が酷評してる軍人をもう一人思い出しました。
花谷 正中将です。
素人考えの、講評をお願いします。
一下級将校の見た帝国陸軍で。。

宇都宮参謀副長の言葉を取り上げていたのが、心に残ってます。
山本氏がコメントしていそうで、なんら言及していない軍人が2人ほど思い当たります。一人が堀栄三氏で、もう一人が瀬島龍三氏です。
 堀栄三氏は、情報を重視したこと、台湾沖航空戦の大戦果が虚報であることを大本営に打電したことなど、今日の目から見てそれなりに評価することができます。山本氏が、それなりにpositiveに評価しても不思議では、ありません、
 他方、瀬島龍三氏については、台湾沖航空戦の大戦果が虚報であることを握りつぶした、仮病をつ7かって前線に出ることをさけていたなど、暗いウワサが耐えません。山本氏は、negativeな評価だったのではないかと推測しています。

 なお、個人的な感情ですが、牟田口廉也の話になると胸がはりさけるような気持ちになります。私の祖父は、ビルマ方面で戦死です。例の密林に消えた最強軍に所属していました。祖父の最後はわかりません。戦後、父が八方手を尽くして消息を求めましたが、なんらの手がかりもありませんでした。10人に1人も日本にもどれなかったので無理もないかもしれません。
>下手の横好き さん

戦争論コミュでコメントしたる〜とです。

堀氏の著書は、'86年夏にある雑誌の座談会でレイテ決戦失敗の原因はある参謀(瀬島氏)が電報を握りつぶしたからだと発言した人がいて、にわかに堀氏への注目が集まり刊行となったようです。

堀氏も戦後、貝になったと述べているように、一部の人たちにしか知られていなかったのではないでしょうか。

山本七平が堀氏の著書を読んだ可能性はありますが、余命もそれほどなく書きたいテーマを優先して執筆した結果、堀氏に触れる機会がなかったのかもしれませんね。
 瀬島龍三氏は、はっきり言って嫌いです。
関東軍作戦参謀として、ソビエトに抑留され
戦争裁判(もちろん茶番劇の首狩)において、
日本の対ソ戦準備があったと、証言して
日本を不利な立場に追いやり。
帰国後、伊藤忠会長として栄達を尽くし
政府の顧問等を歴任し、幾山河とうの著作を残してます。
中佐参謀として、恐らく部下を自決させ、または自決を強要
しながら、自分は大命を楯に生きながらえた事や
今村大将の様に、自己の責任を反省する事も、
自己の責任をはっきり明確にして謝罪することもなかった。

すいません。山本七平氏の評価した軍人と言うトピから外れて
しまいました。牟田口兼也、花谷正、辻正信と瀬島龍三の4人は許せないので
>レイテ決戦失敗の原因はある参謀(瀬島氏)が電報を握りつぶしたからだと発言した人がいて

それが事実ならとんでもないことです。
日本海軍を全滅に導いた男として歴史に刻まれるべきですね
けいすけ さん

瀬島参謀のレイテの件は、栗田艦隊謎のUターンとは何等関係ありません。
問題となるのは、海軍の「台湾沖航空戦大戦果」を信じた参謀本部及び南方軍が、現地指揮官たる山下大将の意見具申を排して、ルソン決戦からレイテ決戦を指導し、結果として比島戦線が早期に崩壊したことです。
補足すると、瀬島参謀より罪深いのは、台湾沖航空戦の戦果が誇大であると気がついたにも関わらず、隠し続けた海軍です。
> けいすけ さん

『大本営参謀の情報戦記−情報なき国家の悲劇』あとがきからの引用です。

本文では‘ある参謀(瀬島氏)’が‘大本営作戦課’となっています。
堀氏は1944/10/13頃、海軍の鹿屋飛行場でパイロットに質問し、戦果が怪しいと踏み新田原からその旨を電報に打ちました。

山下大将は堀氏が第十四方面軍に着任したため鹿屋での話を聞けたこと、また敵パイロットの捕虜からの情報で台湾沖航空戦の戦果を信じなかったのですが、戦果を信じてしまった大本営作戦課は「海軍の消滅した米陸軍をレイテにおいて撃滅すべき」と決戦場所をルソンからレイテに転換してしまった、という次第です。

大本営から派遣された杉田一次大佐は戦果を一点の疑いもなく信じていたということですから、そのとき大本営がどんな空気だったかは想像に難くありません。

なお、電報握りつぶしが判明したのは昭和33年ということです。戦史叢書をまとめるうえで出てきたのでしょうか。
ある雑誌とは『歴史と人物』、座談会とは「比島決戦を誤らせたもの」で、発言した人は朝枝繁春氏です。

堀氏は昭和33年に瀬島氏と会い、本人の口から「電報を握りつぶした、これが捷一号作戦を根本的に誤らせた」という言葉を聞いた、とのことです。
る〜と さん

「大本営参謀の情報戦記」は手元にありますが、瀬島本人の口から話を聞いた話は別の文献で見たものですよね。
教えてくださってありがとうございます。
けいすけ さん

『瀬島龍三 参謀の昭和史』保阪正康著です。
電報握りつぶしの件が詳しく書かれています。

保阪正康が瀬島氏と会いそのことを質したところ
「記憶にない」「誤解だ」「多方面に迷惑がかかる」とはぐらかされたということです。
 盲従・回避・拒否はいつから日本の伝統になったのか?

盲従とは、上級者及び組織の上部から、現実を無視した空想(妄想)的な
命令、指示がでても、反対すると上に反抗すると言うレッテルが貼られる為、
言うべき事を言わず、ひたすら服従する事。

回避とは、同僚等から意見を求められた場合、反対するとじゃあ、対案を出せ
と言われるので、まあ、良いのではと同調する事及び緊急時にも、必要な処置を
行うと、責任が追及される可能性があるため、見てみぬ振りをする事。

拒否とは、部下の提案を全て拒否する事及び、自分の責任になりそうな事を
しないと言う事。
盲従・回避・拒否は,いまでも日本の組織の宿痾です。これまでの検討と経験からすると、これらが日本の組織に顕著なのは、労働の流動性が殆んどなく、年功序列型の組織が基本となっているためではないかとの結論に至りました。
 
 年功序列型の組織では、本来、ゲゼルシャフト(機能集団)である組織が、ゲマインシャフト(共同体)化してしまいます。ゲマインシャフト(共同体)化すると、組織内部において非合理が生じても、おいそれとは、他の組織にシフトすることができません。勢い、盲従・回避・拒否が発生しやすくなります。

 他方、労働の流動性が高いゲゼルシャフト(機能集団)では、組織内部において非合理の仕打ちをうけると、実力のある人間は、他の組織(極端な例ではライバル会社)に移っていきます。これが、盲従・回避・拒否の抑止力として作用しているのではないかと考えています。
ゲゼルシャフト、ゲマインシャフトですか。
鋭い洞察ですね。
たしかに日本海軍はアメリカのようなタスクフォースがなかったですね。
盲従・回避・拒否は、日本型組織≒共同体に、官僚性の病理が合わさったものだと個人的には捉えています。

これが生起した原因は、
1 軍隊の特殊性(集団生活、生命の危機等から、心的結合が生じやすい)
2 日本社会の特殊性(村落共同体→組織への連続性)
3 第一次世界大戦未経験(総力戦の中に組織改革の概念無し)

の3つがあるんじゃないかと考えています
 英軍にしろ米軍にしろ、アングロサクソン系の軍隊では、ゼルシャフト(機能集団)の要素が強く、総力戦のときには、軍隊の上級幹部にまで、優秀な人間を違和感なく投入します。極端な例では、優秀なマジシャンを佐官クラスに登用し、独軍に対してカモフラージュ作戦を行なわせていました。「ここより永久に」では、おそらくは戦時待遇なのでしょうが、、一般大学(おそらくハーバードか何か)を出た、ウエストポイントを出た職業軍人である自分の父親よりも位の高い将校に出合って驚くシーンがあります。

 他方、ゲマインシャフト(共同体)化した日本軍は、山本氏が指摘されたように、市ヶ谷、江田島にごたわって、幹部候補出身の将校を、参謀などの上級幹部には登用しませんでした。どう考えても、運送業出身者を兵站の責任者にしたり、土木建設業出身者を工兵隊の責任者に登用したほうが、合理的ですが。
兵站の常識を無視したインパール作戦等、なぜ帝国陸軍は非合理的な作戦を選択したのかということの研究として、人間の情報入手に対する限定性の立場から、あのような作戦をとる可能性は十分あったということを記した『組織の不条理』菊澤研宗著、があります。

菊澤研宗によれば、中央と十五軍の間には情報の非対称性があり、十五軍は中央を無視し作戦決行というモラルハザードを起こす可能性がありました。

一方、資源配分のコストが高く作戦実施はないであろうと考えた中央の賢明な連中は舞台から去ってしまい、政治的個人的利害から中止のコストが高いと考えた十五軍にとっては作戦強行の隙ができました。

この関係をプリンシパル(依頼人=中央)・エージェント(代理人=十五軍)の関係で捉えたのがエージェンシー理論と呼ばれるものです。

プリンシパル・エージェントの両者はともに効用の極大化を目指しますが、利害は一致しません。また限定合理的なので両者の持つ情報も一致しません。このような場合、エージェントがプリンシパルの意図通りに行動するとは限らず、不正なモラルハザードが起き得ます。また、良きエージェントが排除され、隠れた情報を持つ悪しきエージェントが無知なプリンシパルの下に集まってくるアドバース・セレクション(逆淘汰)が起こりえます。

非合理な組織活動は人間の非合理性から行われるのではなく、各セクションの人間による限定合理性から生まれるというのが本書の立場です。

カダルカナルやジャワ軍政(これは非合理性を回避した例)も他の理論の援用になりますが取り上げられています。企業行動を説明したものもあります。

河辺・牟田口は盧溝橋にも関わっており、そのけりをつけようとインパール作戦を強行したとの著書もあります。

昭和初期の下剋上的雰囲気がモラルハザードや逆淘汰を生む下地になったのではないでしょうか。トップの権限が絶大な米国とは違いますね。
 遂に、菊澤研宗著『組織の不条理』にまで、話が展開してしまいました。現在、菊澤研宗氏による”限定合理性”が、稲垣重雄著『法律より怖い「会社の掟」』にどのように作用するか、研究中(少しおおげさか? 自分の考えを整理中といったほうがいいかもしれません)です。旧軍も、『法律より怖い「軍隊の掟」』に縛られていたのではないかと、推測しています。
菊澤研宗は経済・経営学に強く、軍事史を見ていくうえで新たな視座を提供してくれます。山本七平はキリスト教的価値観を身につけ、実戦体験を持つ評論家・著述家という立場ですから、2人をどう関係づけるかというのもおもしろいかもしれません。
いつのまにか慶應の教授になってました。新刊の『戦略学』も売れてますね。
小室直樹さんもそうですが、山本七平氏と菊澤研宗氏の対談があればなあ〜と嘆くのは、私ひとりでしょうか? 非常に大雑把な言い方をすると、山本七平氏が評価した軍人は、限定合理的(特に自分の保身や面子)にとらわれることなく、KYと指をさされることを恐れずに合理的に行動できた人々といっても過言ではないと思います。

なお、ここでは不適切かもしれませんが、mixiにも菊澤研宗会http://mixi.jp/view_community.pl?id=1839449があります。
 高木 俊郎 全滅 文春文庫 
この作品は、インパール作戦に参加した
唯一の戦車連隊の全滅の記録として
有名だと思います。

本書末尾の言葉を引用します。
「日本軍は軍紀厳正を称えたが、それは下級の兵に対してであり、
上級者ほど、まぬがれて恥じなく、しかも無責任であった。」
この言葉は、日本軍だけでなく官公庁を含む全ての日本の組織に
適用できると思います。

ただ、例外的に人格高潔と全ての人が認めうる指揮官のみは例外ですが。

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