ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

ラブリィ創価学会コミュの本住坊信者Sとの法義論争の記録(その4)

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
その後全く反論がないが、あっさりと敗北を認め、貴殿らが邪義であることを納得して、シッポを巻いて逃げ出してしまったのかな?(爆笑)
しかし、こちらとしては、そのまま邪義を放置することは大聖人の教えに背くので、継続して徹底的に責め続けることとする。
本住坊の坊主に対して、これまでの文書も含めてきちんと共有し、正邪の決着から逃げ出さないように伝えることである。
今回の破折は、坊主の責務に関する内容である。貴殿らが自ら希望した論点である以上、覚悟して読むことだ!


●(S女)僧侶が必要ない、僧を敬わない、供養しなくて良い、僧を謗って良しとする文証をあげなさい。


◎⇒ 大聖人の御化導は立正安国論に始まり立正安国論に終わる、と言われることぐらいは知っているであろう?
その最大の重書である立正安国論を拝するならば、貴殿らのような主張が誤魔化しであることぐらいは気が付かないはずはあるまいに。
オレオレ詐欺坊主が垂れ流すウンコをそのまま命に入れているので、貴殿らは大聖人の教えを直接拝することが叶わぬという哀れな姿をさらしているようである。

そもそも立正安国論を、念仏破折の文書だから大石寺派の坊主には該当しない、などとでも思っていたら大きな間違いだ。読めば理解できるとおり、滅後末法の弘法のあり方について示された涅槃経等を引用されている御書であり、大聖人の教えを曲げた広布破壊の坊主は当然破折の対象となるのである。
その立正安国論の中で、まず釈尊の因位の修行の姿である仙予国王の実践を教えてあげよう。

「善男子我爾の時に於て心に大乗を重んず婆羅門の方等を誹謗するを聞き 聞き已って即時に其の命根を断ず、善男子是の因縁を以て是より已来地獄に堕せず」(P.27)
(通解:善男子よ、仙予国王であった時に心に大乗を重んじていた。婆羅門が仏法を誹謗するのを聞き、聞き終わって即時にその命を断った。善男子よ、この因縁によってこれ以来私は地獄に堕ちないのである。)

分かるかな?釈尊は邪義の坊主の命を断った功徳で地獄に堕ちなくなったのである。
そして大聖人の門下においては、邪義への布施(財施、法施、無畏施)を断て、というのが立正安国論の教えなのである。

「夫れ釈迦の以前仏教は其の罪を斬ると雖も能忍の以後経説は則ち其の布施を止む、然れば則ち四海万邦一切の四衆其の悪に施さず皆此の善に帰せば何なる難か並び起り何なる災か競い来らん。」(P.30)
(通解:釈迦の以前には仏教はその罪を断罪する教えだったけれども、釈迦の出現以後はその教え邪義への布施をやめさせるというものである。したがって世界の一切の人々がその悪に布施をせず、皆がこの善に帰依すれば、どのような難も災いも起こることは無くなるだろう。)

つまり、大聖人に背き、広布を破壊して邪義に堕したオレオレ詐欺坊主やそのイヌたちを断固として破折せよ!そして、騙されている哀れな法華講員たちは脱講させよ!登山や供養などは絶対に辞めさせよ!というのが大聖人の正しい教えなのである。古文を読解する能力が無く、オレオレ詐欺に騙された老人のような貴殿らは不幸だ!(爆笑)

貴殿らと同じく、立正安国論でも愚かな「客」が、赤くなったり青くなったりしている訳だが、それに対して大聖人は、「仏子を誹謗する」のではなく、「謗法を責める」のだと指導されていることぐらい知らないのか?

「全く仏子を禁むるには非ず唯偏に謗法を悪むなり」(P.30)
(通解:まったく仏子(真実の僧侶)をいじめているのではない。)

板本尊は大聖人滅後、後世に摸刻された観心の本尊である、という「不都合な真実」を記録した公式文書を改竄したり、「日時書写の諌暁八幡抄に大聖人の花押をコピペして聖典に掲載」(知らないなら証拠を示そうか?)するような、文書偽造罪を犯して信者を騙そうとするオレオレ詐欺坊主を責めよ、というのが大聖人の教えの基本なのである!

「文に就て世を見るに誠に以て然なり悪侶を誡めずんば豈善事を成さんや」(P.21)
(通解)経文に基づいて世間を見ると全くそのとおりである。悪い坊主を戒めないでいて、どうして良いことをしていると言えようか。

そもそも大聖人がいかに僧侶の腐敗に対して厳しかったか、そんなことも知らないか!御書を示してやるので、目を皿のように開いて拝せよ!

「是の悪比丘は利養の為の故に広宣流布すること能わず」(御書P.43)
(通解:このクソ坊主たちは、わが身を養うことしか考えないエゴイストだから広宣流布することはできない。)

「我が之の仏法は余の能く壊るに非ず是れ我法の中の諸の悪比丘我が三大阿僧祇劫積行勤苦し集むる所の仏法を破らん」(御書P.286)
(通解:仏法は他人が破ることはできない。仏法の中のいろいろなクソ坊主が、仏が長い時間をかけて集めた仏法を破るだろう。)

また、天魔<第六天の魔王>は格好だけ尊い坊主の姿をして出現して、仏法を破壊しようとすることも御書には明確に示されている。

「我般涅槃して七百歳の後是の魔波旬・漸く当に我が正法を壊乱すべし、乃至化して阿羅漢の身及び仏の色身と作らん魔王此の有漏の形を以て無漏の身と作りて我が正法を壊らん」(御書P.651)
(通解:仏が涅槃して700年後に、この第六天の魔王がようやく正法を破壊し乱そうとする。格好だけ化けて、悟りを開いた者のような姿を作るだろう。魔王はこのような凡夫の分際で、悟りを開いた格好に化けて、我が正法を破ろうとするだろう。)

日顕は、この経文のままに、御本仏大聖人滅後697年にして法主になり、速やかに天魔の化身となって大聖人の御遺命である広宣流布を破壊しようとする暴挙に出たのである!まさに経文どおりではないか!


●(S女)御書【四恩抄】
「諸仏の貴き事は法に依る。されば仏恩を報ぜんと思はん人は法の恩を報ずべし乃至然れば僧の恩を報じ難し。されば三宝の恩を報じ給ふべし」云云


◎⇒ 四恩抄を引用するのであれば、貴殿らが四恩の第一である「一切衆生の恩」を示すならば、「これは大聖人の仏法が理解できた方だ」と感心したであろうに、第四の三宝の恩の末座に連なった「僧の恩」を引用するとは、「まったく御書が理解できていない方だ」と嘆くしかないな!(爆笑)
まずは四恩の道理を教えてあげよう。

「一には一切衆生の恩、一切衆生なくば衆生無辺誓願度の願を発し難し、又悪人無くして菩薩に留難をなさずばいかでか功徳をば増長せしめ候べき」(P.937)

つまり「衆生無辺誓願度=一切衆生の救済」即「世界広宣流布」を誓って実践する中にしか、自身の成仏という最高の人格完成が開かれることはない。だからこそ、四恩の第一が一切衆生の恩なのである。
御書を拝読すれば、そのことは繰り返し示されているではないか。

「一切の菩薩必ず四弘誓願を発す可し其の中の衆生無辺誓願度の願之を満せざれば無上菩提誓願証の願又成じ難し」(P.424)

「菩薩と申すは必ず四弘誓願をおこす第一衆生無辺誓願度の願・成就せずば第四の無上菩提誓願証の願も成就すべからず」(P.522)

「仏界とは菩薩の位に於て四弘誓願を発すを以て戒と為す」(P.434)

これらの御書の御文のままに、一切衆生の救済即世界広宣流布を目指して、堂々と内外の悪人たちによる弾圧(難)を乗り越えながら前進を続けるときに、成仏も叶うのである。
成仏と広宣流布とは別のものではないのだ。この「衆生無辺誓願度という究極の誓願」により「仏の生命を成(ひら)いた人」を「法華経の行者」と呼ぶのである。今まさに、全世界にSGIのメンバーが法華経の行者となって湧出しているのだ!

「涌出とは広宣流布の時一閻浮提の一切衆生法華経の行者となるべきを涌出とは云うなり」(P.834)

まさに大聖人の御書のとおりではないか!貴殿ら日蓮消宗の使命は完全に消滅したのだ!お疲れ様!(爆笑)

貴殿らが四恩抄の最後の「僧の恩」を根拠に、オレオレ詐欺坊主を弁護しようとする企みに対しては、すでに10年以上も前に学会の先輩が破折し終わっている。当時はまだ学会規則を「御書根本」に改定する前ではあるが、見事に貴殿らの邪義を破折しているので以下に紹介しておく。

―――――――――――――――――――――――

 四恩抄(P.938)では、その御文に続けて

「某は愚癡の凡夫・血肉の身なり三惑一分も断ぜず」
(通解:私は愚かな凡夫であり、血肉の身である。三惑は少しも断じていない。)

と、実は大聖人自らのことを僧宝と位置付けて説かれているのです。この四恩抄には

「次に僧の恩をいはば仏宝法宝は必ず僧に僧によりて住す、譬えば薪なければ火無く大地無ければ草木生ずべからず、仏法有りといへども僧有りて習伝へずんば正法・像法・二千年過ぎて末法へも伝はるべからず、故に大集経に云く五箇の五百歳の後に無智無戒なる沙門を失ありと云つて・是を悩すは此の人仏法の大燈明を滅せんと思えと説かれたり(中略)某は愚癡の凡夫・血肉の身なり三惑一分も断ぜず只法華経の故に罵詈・毀謗せられて刀杖を加えられ流罪せられたるを以て大聖の臂を焼き髄をくだき・頭をはねられたるに・なぞらえんと思ふ、是れ一つの悦びなり。」(P.938)

と、前段では僧宝一般についてその使命を述べられた上で、後段でここで僧宝と言うのは実は大聖人御自身のことだと示されているのです。
そして、日蓮正宗の三宝を確立された日寛上人は「三宝抄」において、まさにこの前段の文を引用した直後に、

『又予が如き無智無戒も僧宝の一分なり』

と、「僧宝の一分」という定義をされているのです。それは、この「三宝抄」の中で「末法下種の僧宝」として、日興上人や代々の法主のみならず、門流の大衆も含めて、正しく正法を受持信行し、後世に正しく伝え久住させる使命を果たす限りにおいて「末法下種の僧宝」という概念で定義しているからです。

『然れば則ち吾が日興上人は嫡々寫瓶の御弟子なること分明なり。故に末法下種の僧宝と仰ぐなり。爾来日目日道代々ことごとく是れ僧宝なり、及び門流の大衆亦爾(しか)なり云云』

 逆に、袈裟を着ていようとも、成すべきことを成さない坊主について、化儀抄に基づいて堀上人が何と言われているか確認しましょう。

「外面のみ謗法厳誡を立て内部には謗法容認の非行あらんことは物怪なり」(富要1-153有師化儀抄註解)
(通解:化他の際の外面だけ謗法厳誡を立てて、自行の際の内部では謗法容認の非行があることは物の怪である。)

 要するに、京都の末寺で本堂の御本尊の下に金むくの阿弥陀像を隠していた坊主がガンで死んだという事例や、要法寺に参詣に行った学林の所化たちが本堂で「法味言上」つまり「方便・自我偈の読経と唱題」をしたりというような振る舞いは絶対にあってはならないのです。
 また、日顕のように、自分の退座後の私邸に使うための豪邸漁りなどをするエゴイストの坊主に対しても堀上人は厳しく諫められてているのです。

「己に代るべき徒弟も養育せず・且つ身心壮健にして閑遊安逸を貪るは大に宗旨に背くの罪人なり(中略)一日片時も屋などに心安く有るべき事有るまじき事なり」(富要1-135有師化儀抄註解)
(通解:自分の後継の弟子も育てず、体は丈夫で暇にあかして遊び安逸をむさぼる坊主は全く大聖人の教えに背く罪人である。(中略)一日片時も家などで安閑としているようなことはあってはならない。)

―――――――――――――――――――――――――

◎破戒無智の坊主は平僧にしろ、というのが日蓮正宗の正依です。

 堀日亨上人が「有師化儀抄註解」において「化儀抄」の
『破戒無智にして上位となすべからず』(富士宗学要集1巻 P.146)
の文を引き、厳しく宗門の堕落を批判されていることも知らないで、よくそんな愚かなことが言えたものです!

『三界恩愛の家を出て永く煩悩と別るる事が出家僧侶の義分なれば持戒清浄が本意なり乃至末法無戒と示し給ふも、唯正像末の時の区別に従ふ大判にして・持破に超然たれと云にあり、敢えて酒食婬事に耽溺(たんでき=おぼれること)して末法無戒と誇れと云はしめんとにはあらざるなり「破戒無智にして上位となすべからず」とは此れ末法無戒が宗門の誇にあらざることを顕し給へり(乃至)「上位」とは班中の上首なり本山にては貫首・末寺にては住職等なり』(富要1-148)

と、末法無戒と言って坊主が酒食婬事(宴会や女性との淫らな遊び=芸者遊び)をして遊ぶのは許されるものではないこと、さらにはそのような生臭坊主を法主や住職の立場に置いてはならないと厳しく御指南されているではありませんか!恥を知るべきです!
 日興遺誡置文においても、
『先師の如く予が化儀も聖僧たるべし、但し時の貫首或は習学の仁に於ては設い一旦の婬犯有りと雖も衆徒に差置く可き事』
と、法主が淫行をしたら平僧にするべきである、とまで明言されているではありませんか!日顕宗のハゲたちは、いったいどこに目をつけて御書を読んでいるのでしょうか?
 日顕宗の坊主たちは、日興上人の遺誡置文を引かれた日亨上人の嘆きに耳を傾けるべきです。

『開山上人がこの法度に『先師の如く予が化儀も聖僧たるべし』と定められ、先師大聖人が無戒であるが、放埒破戒でないことを、証明せられており、日順・日尊にもまた放埒を誡めた文もあるが、この淑行聖僧というのは、現今の僧行を認めたものではない。ややもすれば、多少の反省心より汚行を恥づる有羞僧を見て、かえって身心相応せぬ虚偽漢と罵(ののし)り、全分の生活まったく在家同然で、心意またこれに相応し、たんに袈裟衣を着てるだけの違いを、かえって偽らざる正直の僧と自負する者があるやに聞く。このていの放埒ぶりを標準とせば、この条目はいまは死んでおる。自分はいまの状態は一時の変体と見ておる。』(富士日興上人詳伝(下) P.272)

 芸者遊びに狂っている坊主どもは、「一時の変体」どころか、「常時変態」です。恥を知るべきです。そして、そのような坊主を絶対に法主や住職にしてはならない、平僧にしろ、というのが、大聖人門下の正しい化儀なのです。そして、遺誡置文に背く坊主は大聖人の弟子ではなく、日興上人の門流から追放するのです。

「此の内一箇条に於ても犯す者は日興が末流に有る可からず」(P.1618)
(通解:二十六箇条の遺誡置文のうち、1カ条でも犯す出家は、日興の末流にあってはならない。)

―――――――――――――――――――――――――

以上、丁寧な表現で極めて痛快に、オレオレ詐欺坊主の本質を、日蓮正宗宗規で定めた「日蓮正宗の教義」に基づいて破折しているではないか!


●(S女)御書【松野殿御返事】
「在家の御身は、但余念なく南無妙法蓮華経と御唱へありて、僧をも供養し給ふが肝心にて候なり。」


◎⇒ その松野殿御返事では、大聖人が坊主の振舞いに対してどれだけ厳しく指摘されているのかをちゃんと読んだのか?そのお手紙の最後の言葉「南無妙法蓮華経と唱へ」ることが究極であることの御指南もあえて削除して、僧への供養のみを強調するのは、魔の眷属による切り文だと分かってやっているのかな?
それともやはり、オレオレ詐欺坊主の垂れ流すウンコをそのまま貴殿らの口からゲロゲロと吐き出しているのかな?(爆笑)

「末世には狗犬の僧尼は恒沙の如しと仏は説かせ給いて候なり、文の意は末世の僧・比丘尼は名聞名利に著し、上には袈裟衣を著たれば形は僧・比丘尼に似たれども内心には邪見の剣を提げて我が出入する檀那の所へ余の僧尼をよせじと無量の讒言を致す、余の僧尼を寄せずして檀那を惜まん事譬えば犬が前に人の家に至て物を得て食ふが、後に犬の来るを見ていがみほへ食合うが如くなるべしと云う心なり、是くの如きの僧尼は皆皆悪道に堕すべきなり」(御書P.1381)
(通解:末法には犬畜生の僧尼はガンジス河の砂のようにたくさん現れる、と仏は説かれている。この経文の意味は、末世の僧や尼は名聞名利に執着して、表面上は袈裟衣を着ているので形ばかりは僧や尼に似ているけれども、内心には邪見の剣をさげていて、自分の寺に出入りする檀那の所へ他の僧や尼を近づけなくさせようと、いろいろな嘘や中傷を言う。他の僧や尼を近づけさせずに檀那を惜しむことは、譬えば犬が先に人の家に来て食べ物をもらって食べたのが、後に他の犬が来たのを見て、いがみ合い、吠え合い、噛みつき合うようなものである、と言う意味である。このような僧や尼は皆悪道に堕すのである。)

分かるか?身命を捨てて苦悩の民衆の救済に身命を捧げている僧侶であれば許されるが、そうではない保身のクソ坊主や改竄・文書偽造のオレオレ詐欺坊主はみんなみんな堕地獄だということである!
同じ松野殿御返事で、大聖人がクソ坊主どもにとどめを刺していることを知れ!

「受けがたき人身を得て適ま出家せる者も・仏法を学し謗法の者を責めずして徒らに遊戯雑談して明し暮さん者は法師の皮を著たる畜生なり、法師の名を借りて世を渡り身を養うといへども法師となる義は一もなし・法師と云う名をぬすめる盗人なり、恥づべし恐るべし(中略)本迹両門・涅槃経共に身命を捨てて法を弘むべしと見えたり、此等の禁めを背く重罪は目には見えざれども積もりて地獄に堕つる事・譬えば寒熱の姿形もなく眼には見えざれども、冬は寒来りて草木・人畜をせめ夏は熱来りて人畜を熱悩せしむるが如くなるべし。」(P.1386)
(通解:受けがたい人間の生を受けてたまたま出家した者も、仏法を学び謗法の者を責めずに、いたずらに遊戯雑談して明かし暮らす者は、法師の皮を着た畜生である。法師の名を借りて世を渡り身を養ってはいても法師となる義は一つもない。法師という名をぬすむ盗人である。恥ずべし恐るべし(中略)本迹両門も涅槃経でも、身命を捨てて法を弘めねばならないと説かれている。これらの戒めに背く重罪は、目には見えないけれども積もって地獄に堕ちる事は、譬えば寒さや熱さが姿形もなく眼には見えないけれども、冬は寒さが来て草木や人畜を苦しめ、夏は熱さが来て人畜を熱さで悩ますようなものである。)

大石寺を離脱した改革同盟のリーダーである御僧侶が、自らの30年にわたる僧侶としての体験に基づいて、
「100人ほどの大石寺の僧侶の死に際を見たが、ほんのわずかの例外を除き、みんな堕地獄の形相で死んだ!」
と語っておられた事実が、大石寺はすでに大聖人に背く邪宗教の棲み家になっていることを証明しているのだ!
本住坊の坊主も、少しは大聖人の教えを信じる心が残っているならば、心して正邪決着の法論の場を準備することだ!
文書によるこの法義論争は、対論による法義論争の論点の抽出・整理と、その結論を踏まえた正邪の決着をつけるための準備作業であることを覚悟することである!
当然のことだが、具体的には双方ともに脱会/脱肛(笑)並びに還俗を条件として求めることを覚悟せよ!

コメント(1)

正義に対して一切反論不能の邪宗ニッケン臭が、悔し紛れに関係のない方の名前を挙げて誹謗中傷の犯罪行為を犯しています!

これこそまさに邪宗日蓮消宗の本質を明らかにした姿です!!!

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=460057&id=86054856#comment_id_1515929110
黒川オヤジ

犯罪者「新階央」、ミクシーではs-tanakaと称しています。

私の家にも、夜中に創価学会員から電話がかかって来た事があります。新階央という人物で国家公務員らしいです。どうやって自宅の電話番号を知ったのか分かりませんが、創価学会員がどういう風に個人情報を集めているのか、気味が悪いですね。敵対者リストとかを作っているに違いありません。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14142909019


(破折)

ほっほ〜!これは完全に名誉棄損、さらに誣告罪ですね!

私は彼を存じ上げていますが、大変真面目で、社会人としても活躍されている方です。

逆に、貴殿のような、都合の悪い書き込みを削除するだけでなく、こんな風に犯罪行為を犯す者こそが、ニッケン臭の中でも顰蹙を買っている「オレオレ詐欺坊主という犯罪者集団のイヌ」なのではありませんか?(爆笑)

この内容をあちこちに発信して、貴殿の犯罪行為を告発することにいたしましょう!

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

ラブリィ創価学会 更新情報

ラブリィ創価学会のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング

関連ワード

mixiで趣味の話をしよう
新規登録(無料)