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ラブリィ創価学会コミュの創価学会脱会体験  ■ 創価学会員の自殺が後を絶たない

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創価学会脱会体験(60代男性)

■創価学会員の自殺が後を絶たない


平成21年、学会員だった義兄が自殺しました。
葬儀は、もちろん学会葬でした。

私と妻は、その日から毎晩のように、義兄の幽霊を感ずるようになりました。

いるはずもない義兄が、玄関のドアをガチャツと開け、
バタンと閉めて我が家に入ってきて、
家の中を好き勝手に動きまわる気配と、
生臭い匂いが、はっきりと感じられました。

ソファーに座っていると、後ろから強い力で
押されて落とされそうになったり、

布団に入った妻が羽交(はが)い締めにされたり・・・

そうした感触をリアルに感じるのに、現実には誰もいない。

あまりの不気味さに、妻は1人でトイレに行くこともできず、
恐怖と睡眠不足からノイローゼ気味になり、
私も仕事に支障をきたすようになっていました。


そのような私の家に、御住職は、定期的に通ってきて
折伏してくださったのですが、
私は、
「お寺に付けるために都合のよいことを言っているのだ」
と思い込み、
まったく聞く耳を持ちませんでした。


私は、小学生の頃から母に連れられて折伏活動をし、
水や塩をかけられながら、
それでもあきらめずに折伏を続けるというように、
学会活動に邁進する学会幹部の一族の中で育ちました。

青年部時代は副本部長、
創価班として、
また、牙城会として会館の警備を何十年も務め、

壮年部になってからは副支部長として、
精いっばい頑張ってきました。

破門後も、私は学会員としての誇りは失っていませんでした。



御住職に、何度、訪問されても、迷惑にしか思えず、
居留守を使ったり、

面と向かって、
「何度来られても気持ちは変わりません!
迷惑ですので2度と来ないでください!」
と追い返したり、

ずいぶん失礼なことをしてきました。


しかし、御住職は、熱心に通い続けてくださったのです。

そんな御住職の生命力と行動力を間近に見て、いつしか、私の心にも変化が現われてきました。

そして、私は、
“御住職の話や折伏の振舞いは、なぜか、学会草創期に自分がしてきた折伏とダブって、懐かしい感じがする。
信心の原点のような気がする。唯一無二の正しい御本尊様は日蓮正宗にしかない”
と思い、

訪ねてきてくださった御住職に、創価学会をやめ、日蓮正宗の信徒になる意志をお伝えしたところ、御住職は涙をこぼして喜んでくださいました。

そして、御住職に創価学会のニセ本尊を外してもらい、翌日、晴れて勧誡を受け、13年ぶりに、我が家に正しい御本尊様をお迎えできたのです。



私は、自殺した義兄の幽霊に悩まされていることや、
そうした怪奇現象が、私の家だけでなく、
姉や義兄の娘(共に学会員)の家でも起こっていることを
御住職に相談しました。

すると、御住職は、塔婆供養をしてくださり、
義兄の戒名を付けて、過去帳も作ってくださり、
御祈念してくださいました。

すると、我が家では、怪奇現象がピッタリと起きなくなったのです。

この一例をとっても、創価学会の"友人葬"では成仏できないことが明白です。


なお、私が住む市においても、創価学会員の自殺が後を絶ちません。



私達夫婦は、御住職の御指導のもと、まずは
身近な学会員から折伏していくことを決意し、
長女一家、次女一家を折伏し、勧誡を受けることができました。

御住職と共に、学会員のお宅へ何度も折伏に行きましたが、
私達が日蓮正宗に付いたことから、

創価学会の中では
「来ても取り合わないように」
との通達が流れ、

今まで懇意にしていた多くの学会員が聞く耳を持たなくなり、
挨拶もしてくれなくなりました。


しかし、御住職が私達の折伏をあきらめなかったように、私もあきらめることなく学会員への折伏を続けていこうと決意しました。


創価学会では、
「大石寺は、荒れに荒れて、とても危険な所になっている。
もうすぐ潰(つぶ)れて無くなる」
と聞かされていたのですが、実際には大違いでした。

桜の木はそのままだし、以前にも増して総本山特有の荘厳さが
みなぎっていたのです。

この現実を前にして、創価学会で流される情報が、いかに嘘で塗り固められていたかを、まざまざと見せつけられた思いでした。

私はますます、「日蓮正宗こそが、世界で一番正しい宗教である」と確信いたしました。


そして、私はあらためて、
「残りの人生は全て、広宣流布のために、御本尊様に御奉公させていただこう」と決意し、
16名の方を帰伏・入信に導くことができました。


思えば、学会時代の私は、幹部として創価学会の指示に従い、 宗門や御僧侶を誹謗していました。

その罪は非常に深いものであり、私は大変な過ちを犯してまいりました。


今の学会員の悲惨な状態を見たとき、謬(あやま)てる宗教の恐ろしさを痛感せずにはいられません。

また、創価学会の謗法、
なかんずくニセ本尊の害毒が国難に大きく影響していると強く確信します。


この現状を、日蓮大聖人様は、きっと嘆き悲しんでおられるに違いありません。

大聖人様の御心を肌で感じ、折伏を実践しているのは、日蓮正宗の僧俗だけです。


日蓮大聖人様は、

『法華初心成仏抄』で、

「人の地に依りて倒れたる者の、返って地をおさへて起(た)つが如し」(御書P1316)

と仰せられ、

正法に背いたものは、正法を受持することによって、初めて罪を消滅させることができることを御教示くださっています。


私は、今生のみならず、過去遠々劫から積んできた正法誹謗の罪を消滅させていただくためにも、
日蓮大聖人様の御当体たる本門戒壇の大御本尊様を堅く信じ、正統なる血脈に随順して、
心から懺悔して、唱題・折伏を行じ、広宣流布を目指して頑張ってまいることを決意しております。

コメント(260)

>>[218]


一念三千…
摩訶止観輔行伝弘決や。五陰世間や衆生世間、国土世間まで掘り下げて話をするのはめんどくさいでしょう

だ・か・ら・基本である『生命』の認識が違うと言ったのです

1から10まで説明しないと理解できないのですか?


>>[218]

智恵が無理なのは分かってるからアドバイスしたのです

まぁ…智恵は無理でも、悪知恵は得意でしょう

>>[204]

うっかり忘れるどこだった

この間桜梅桃李で意見が別れたでしょう

一念三千…三世間の一つ五陰世間が桜梅桃李です

生命の認識…変えましょう


それから…
堅皇さんの文章…長くて読みづらいです

あたしゃ…必要がない限り、説明が必要な専門用語を使いません

誰にでもわかり易い言葉で簡潔に語るのが下種のコツです

専門用語での長口上では自己満足は出来ますが、結局誰も聞いてないことになります


ここで語るのも化他行です
>>[221]

なんか溜め息が出るな。

ダミアンさんが言っている事を要約しますと。

一念三千…
妙楽や天台まで掘り下げて話をするのはめんどくさいでしょう

だ・か・ら・基本である戸田城聖との認識が違うと言ったのです

典型的な学会員発言ですねソレ。
その後に、学会員は続けます。
「難しい仏教を戸田先生や池田先生が解りやすく解説してくれているのよ。
だ・か・ら・戸田先生や池田先生に感謝しなさいよ。」

あーあ、戸田さんや池田さんの話って会員が解らない事を良い事に
話を煙に巻いているだけなんだけどね。
てか、言ってる本人すら理解してないのにね。

ちなみに摩訶止観が天台による法華経の解説で
摩訶止観輔行伝弘決は妙楽による摩訶止観の解説。

一念三千の法門は摩訶止観からの引用。
別にこれらの原本を開けとは言ってない
御書にこれらが引用されてますからね。

しっかし、三世間を理解せずめんどくさいと言いながら
よくもまー本尊は○○だと勝手なことを言えますねってところ。
ダミアンさんにしろ戸田城聖という人物にしろです。

そもそも日蓮の曼荼羅本尊と言うものは
一念三千の法門の三千を顕したものであると言うのにね。

これこそが開目抄にある
法華経の本門・寿量品の文の底にしずんでいて、
龍樹・天親が知っていても未だ拾い出さず、
ただ我が天台智者のみが拾い出した法門だと言う話。

それを1から10まで理解出来るようにこっちは説明しているわけですよ。
一念三千の法門の三千の内訳は十如是×十界互具×三世間

五陰世間とは色・受・想・行・識の五陰が集まった世界のこと。
要するに我々一固体と言う生物を形作っている世界。
衆生世間とは複数の五陰世間の集まりからなる世界であり
国土世間とは複数の衆生世間の集まりからなる世界。

更にこれをダミアンさんの大好きな戸田池田言葉で説明するなら。

五陰世間が自分自身の生命であり小宇宙
衆生世間がそれらが集まった地球
国土世間が大宇宙って事になります。

ま、戸田さんもダミアンさんと同じく三世間をめんどくさいと思ったんでしょうね。
だからこそ、曼荼羅本尊を見て
「自分自身の生命だ!」と思い込んだのでしょうね。

でも、その解釈って三世間の中の五陰世間だけを取り出したものでしかありません。
一念三千ではなく、一念一千だと言うわけです。
>>[223]

> あたしゃ…必要がない限り、説明が必要な専門用語を使いません

必要だと思えるから使っています。
また、使わなければ文章はもっと長くなってしまいます。
もう少し、勉強してくれると短くもなりますけどね。

戸田さんや池田さんの様にテキトーな事は言いたくありませんからね。
>>[224]

先ず…戸田城聖の名前は知ってるけどね、戦時中に投獄されたぐらいしか知らないよ

池田門下で活動した経験のある堅皇さんが私が戸田城聖と同じだと決めつけるのは
学会に貢献したのに裏切られたと思ってる恨みを私にぶつけたいのかな?

まぁ…かつて自分が所属してた学会を全否定することで、活動家だった過去を精算したい気持ちから、自分に従わない私を戸田城聖にダブらせてるのかな

いずれにしても八つ当たりは止めようね!(b^ー°)


あたしゃ…戸田城聖と合ったことも無ければ
任用試験すら無縁だから

堅皇さんと違い、学会教学を否定することが目的じゃない


すごく基本的なことだから
よーく覚えていてね
>>[224]

摩訶止観輔行伝弘決や五陰世間のみならず衆生世間や国土世間の文上の解説ありがとう

五陰世間は桜梅桃李の事だったでしょ

で…堅皇さんの考えをミクロの目でみるて
細胞が五陰世間で
臓器が衆生世間で
肉体が国土世間になります

マクロで見れば
惑星が五陰陽世間で
太陽系が衆生世間で
全宇宙が国土世間


一念三千はすべてに当てはまるんだよ


ねっ!生命の認識が違うでしょ
>>[225]

>必要だと思えるから使っます。

教師の意見ですね(笑)

口やかましいって嫌われませんか?

もう少しし理解できれば、説明文以外の言葉が出来るでしょう


まぁ…小学生で学会の間違いに気づいたのと、活動家まで頑張って気づくのとの違いかな〜?
>>[227]

> で…堅皇さんの考えをミクロの目でみるて
> 細胞が五陰世間で
> 臓器が衆生世間で
> 肉体が国土世間になります
>
> マクロで見れば
> 惑星が五陰陽世間で
> 太陽系が衆生世間で
> 全宇宙が国土世間

ま、そういうことです。

この世が自身の肉体だけであればミクロの目で題目を唱えても良いのだが
この世は自分の肉体だけではありません。

世界の中には自分だけしかいないと言う事は有りませんので
マクロ的視点で、自身の肉体を五陰世間と捉え、自身の知り合いの衆生世間。
自身がまだ知りえぬ国土世間まで対象にしなけりゃ世界は変わらず
一念三千の法門も意味が亡くなるという話。

ちなみに天台は一念三千の法門を理論上解き明かしたのですが
求める観法が、ダミアンさんの様に己心に向ける禅定だったわけなので
日蓮は天台のこのあり方を「理の一念三千」と呼称し
それに対する日蓮は、己心より発する先を己心ではなく三千への依報へと向けた。

それが日蓮が曼荼羅と言う概念を用いた理由。
曼荼羅では己心より発する一念を全世界へと向ける事を目的としてますから
理論上の一念三千を、本当の意味での一念三千を具現化させることが出来たと言う事。
ここでようやく目指している「事の一念三千」が完成したと言うわけ。

理と事って聞いた事ありませんか?

てか、ダミアンさんってよっぽど世間が嫌いなのか?
信じれるものは自分しかないのか?
こうまでして頑なに己心本尊論を通したいのは
よっぽどな人間不信に陥っているとしか言いようがないですね。

> 口やかましいって嫌われませんか?

どうですかね。
口やかましく言ってくる人に対しては口やかましいですよ。
そうでもない人にはそうでもないです。

これにしても因と縁ってところですね。
一人で口論は出来ませんからね。
>>[226]

で、ダミアンさんが戸田城聖の事なんか知らないと仰いますが
そこはもう知らないが故に同じ過ちをするのだと思います。
要するに不勉強。

大石寺の教義の大半なんてものは天台密教の教義そのままなんですよ。
でも、大石寺信者の人に言わせれば
天台密教の教義なんか知らないから関係ないと言うのですが
知っていれば逆にこの過ちは気が付くという話でもあるんです。

なんて言うんですかね。
簡単な引っ掛けクイズやパズルを配ってみると解りますが
最初に引っ掛かってくる答えってだいたいみんな同じなんです。

でもそこで、それは正解ではないと知っていれば話は変わってきます。
知らないが故に正解を見過ごし
同じ過ちをするケースは圧倒的に多いんです。

ちなみに僕は、日蓮の言から、何が正解であると言う観点より
何が間違いであると言う事の方を重点的に調べてみたわけです。
その為に他宗の教義もそれなりに調べましたし
創価に在籍中以上に、創価や大石寺の教義を調べつくして見ました。

もちろんこれは"日蓮が正しい"を前提としたものではなく
他宗の教義が正しいのかもと言う事も考慮に入れた形としてね。

その結果、日蓮の指摘はどれもこれも尤もだと思いましたし
だいたいがどの宗派も、詰まる所、矛盾が生じているところは
どれもこれも皆あまり違いはないものだなと思ったのも正直な感想なんですよ。
>>[229]

理の一念三千だと、仏世間、衆生世間、国土世間になるとご存じですか?

私は五陰世間と言ってるはずですが(笑)

で…ミクロ的視野やマクロ的視野はおわかり頂けたようで、我々も一念三千を具有してます

何か勘違いしてませんか?
私は己心の御本尊を磨けと言ってるのですよ
自分の仏性を高めろと言ったら理解できますか?


まぁ…お願い信心する人ちとっては御本尊は自分以外にあった方が都合がいいでしょう
最終的に責任転嫁出来るからね


書き込みの内容では勝っても、字数を比べると私なんか堅皇さんに完敗だぁ(笑)
>>[230]

>戸田城聖の事なんか知らないと仰いますが
そこはもう知らないが故に同じ過ちをするのだと思います。
要するに不勉強。

要するに…
俺は戸田城聖より勉強して賢いから戸田城聖みたいな間違いはしない。


学会風の言い方だと
下克上の宿業が出てる…ですね

進撃の巨人でも読みたまえ(。・_・。)ノ

ちなみにアニメはオススメである
>>[232]

> 何か勘違いしてませんか?
> 私は己心の御本尊を磨けと言ってるのですよ
> 自分の仏性を高めろと言ったら理解できますか?

いえ、全然勘違いはしていません。

己心の仏性を高めるためには本尊を求める必要がある。
それは己心ではないと言う事です。

> 要するに…
> 俺は戸田城聖より勉強して賢いから戸田城聖みたいな間違いはしない。

賢いからと言うのが理由ではない。
より、広域な情報量が多いという点。
また、一つの物事に対する思い込みと言う点は挙げられます。

戸田さんは大石寺からしか仏教と言うものを知り得ていません。
また、大石寺が正しいと言う物の見方しかしていません。
ただそれだけの話ですね。

日蓮は、その点一切経を読破したと言う事ですから物の見方が一辺倒ではなく
多角的であります。

悪いが戸田さんレベルなら日蓮が批判対称に置いた
法然の方が同じく一切経を読破したと言う点で全然参考になります。

法然が念仏を唱えよと言った理由と
戸田さんが題目を唱えよと言った理由を比較すると
全く持って法然の考え方の方が道理に適っているんですよ。

但し、日蓮が批判する念仏の限界と言うものはこれまた納得であると言う事。
戸田さんの解釈では、これはメチャクチャだと言う事です。
>>[233]

> 進撃の巨人でも読みたまえ(。・_・。)ノ

進撃の巨人は娯楽作品的には面白いと言えますが
話の構成的には「デビルマン」「ベルセルク」「エヴァンゲリオン」的な流れですね。
そう言う意味では昔懐かしいマンガアニメ的要素で楽しめると言うのはあります。

ちなみに"そうではない"最近のアニメってのも参考にされてみてはいかがでしょうか?

アニメに関わらず近年の作品と言うものは
物語を善と悪、と言う振り分けはされておらず、善の中の悪、悪の中の善と言う描かれ方をしています。

支配者、侵略者側の目線から描かれる場合も
支配者、侵略者側もまた別の支配者、侵略者側の存在が示唆されており
支配される側、侵略される側の身勝手さも同時に描かれていたりしますね。

もちろんこの「デビルマン」や「進撃の巨人」にも同様のテーマはありますが
修羅を描く作品をリアルに描けば描くほど、最後に訪れるのは
ハルマゲドンと言う末路が関の山なんですよね。
また、どうしても最後はそうなってしまうと言う走りが「デビルマン」なのだと思います。

「進撃の巨人」に関しては未だ刊行中ですが
先ずはその結論となるものを見てからと言う話になりますかね。
>>[232]

そうそう、創価的思考であれば
法然と日蓮では日蓮の方が賢いと思ってみてるでしょう。

僕は全然そう思ってないんですよ。
日蓮の方が後出しじゃんけんだから強いと言うだけの話。

日蓮の世では念仏が広がりを見せる中
そこで人々が救われている様に思えなかったから思考をめぐらせたと言うもの。
決定となったのは正嘉の大地震と言うものがあったから。

法然がもし仮に日蓮と同じ立場でその時代の様相を見たならば
日蓮と同じく、念仏が元凶であると見抜いていたと思いますよ。
法然ほどの高僧であれば、これに気が付かないわけがないとも思いますし。

それより何より、この惨劇を見て
日蓮しか、これに気が付く人がいなかったと言う事の方がある意味驚きです。

ですから、戸田さんの時代と、今現在を同じ量りの上に置いて
賢い賢くないの判断を用いる事自体が違うと思います。

僕の場合、この目で創価の発展と衰退の両方をこの目で見てきましたからね。
単に違いはそこの部分だけとも言えますよ。
>>[233]

私は「火の鳥」をお勧めします
「鳳凰編」あたりが面白いです
>>[234]

御本尊=仏の御当体…阿弥陀如来でも求めるのですか?

御本尊を外に求めると「上手く行かない、失敗した。求めて得た御本尊が間違ってた」となり
「こっちの御本尊が本物だから幸せになるよ〜」って大石寺のキャッチコピーに引き寄せられる

外に御本尊を求めたら、自分は責任とらなくていいから卑怯者には都合がいい理論
卑怯者には一生成仏抄は都合が悪いだろう

まぁ…「青い鳥」みたいに探して下さい


>賢いからと言うのが理由ではない。
より、広域な情報量が多いという点。
また、一つの物事に対する思い込みと言う点は挙げられます。
で…誰が判断したの?

それとも…戸田城聖を論破したの?

堅皇さんのイメージする戸田城聖像と比べても説得力ないよ


直接対決の心配がないから何とでも言える

これも卑怯者の理論
>>[238]

> 御本尊=仏の御当体…阿弥陀如来でも求めるのですか?

だから、本尊はそもそも仏の御当体って事ではないですよ。
本尊とは一切諸仏の事です。
だからこそ、曼荼羅と言う形を取っているわけです。

加えて、本尊が内にあるものであればわざわざ曼荼羅なんてものを書いて
外に求める事もないでしょうにと言う事です。

目の前に一つのケーキがあったとする。
それぞれが己心を本尊とすればそれはもう取り合いとなるか
はたまた、我慢のし合いになってしまいます。

それよりか、全ての人の心を本尊とすれば
互いに納得の行く別けあい方が出来るというもの。

大勢の中には、物凄く食べたいと思う人もいるかもしれない。
また、ケーキなどいらないやって言う人もいるかもしれない。
これは、それぞれの己心では量れない事柄です。

再度言っておきます。

てか、ダミアンさんってよっぽど世間が嫌いなのか?
信じれるものは自分しかないのか?
こうまでして頑なに己心本尊論を通したいのは
よっぽどな人間不信に陥っているとしか言いようがないですね。
>>[239]

ふーん、日蓮正宗の「学会の御本尊は偽御本尊」と同レベルなんだ

仏檀の曼荼羅は御本尊の姿を模したもの
目標とするモデルの写真を見ながら、化粧をするように

御本尊の写真を見ながら題目で化粧するのが目的

あくまで模したものだから、曼荼羅を脳裏に焼き付けた内得信仰でも成仏できるんだ


まぁ「青い鳥」を探してらっしゃい


戸田城聖の批判はもうしないのか?
下克上の命って気がついたからかな

>>[240]

> 戸田城聖の批判はもうしないのか?
> 下克上の命って気がついたからかな

ごめん、そうすれば池田さんの指導批判は下克上と言う事になるんですか?
日蓮の法然の法批判も下克上と言う事になるんですか?
四箇の格言も下克上と言う事になるんですか?

僕は池田さんも戸田さんの指導批判はしているが
これを下克上とは思っていません。
これが下克上であれば日蓮は最蓮房に下克上した事になりますがそこんとこどうなんですかね?
この質問だけはキッチリと答えてください。

また、僕がダミアンさんの池田批判を批判している理由は
池田さんの指導に対する批判ではなく、単なる人格批判だから指摘しているまでの事です。
それは単なる誹謗中傷ですから。

> 卑怯者には一生成仏抄は都合が悪いだろう

違います。
一生成仏抄には証拠が無いからです。
更に言えば法華初心成仏抄、日女御前御返事、総勘文抄、十八円満抄、上野殿後家尼御返事
にも証拠がありません。
当然ながら
御義口伝、御講聞書にもありませんし、本因妙抄、百六箇抄なんて持っての外です。
あと、有名な例を挙げるなら諸法実相抄、当体義抄、生死一大事血脈抄、阿仏房御書なんてのもそうです。

ここで言う証拠と言うものは日蓮が書いたと言う証拠と同時に
文脈的にも理証を示すべき文証と言う証拠がないからです。

残る証拠のある御書をいくら繋ぎ合わせても
己心本尊論には到達しないと言う事です。

証拠をちゃんと示しましょうよと言うのは他でもない日蓮が語っている事です。
それを忠実に実行しているだけなんですけどね。

証拠がないのにこれを証拠だと言い張ると言うのが卑怯者の言い分であり
都合が悪いから証拠がないものを用いたがるのではないですか。
詭弁って知ってます?
大前提となるものにに誤りがあるもの、または未知のもの
証拠がないものを用いて真理を欺くことを言います。

日蓮の論法ってかなり理知的なんですよ。
大前提となる文証を述べ、自らがそれに当て嵌まる小前提を述べた上で結論を述べている。
いわゆる三段論法を用いているわけです。

この場合、大前提に証拠がないものを用いては
この結論が欺瞞となるので用いるなと言っているわけです。

詭弁の例とすれば
「世間では一生成仏抄は日蓮が書いた書ではないと言われている。
しかし、そんな証拠はないので一生成仏抄は日蓮がかいたものである」

「一生成仏抄は『偽物とは言い切れない』と言ったじゃないか。
それなら、本物って事だろう」

日頃、大石寺が使っている詭弁ってやつですね。

創価が反論するところのニセ本尊と言われる疑惑の晴らし方も
同じく詭弁で返しているので何時までもニセ本尊と言われ続けているわけです。

「法華経の題目を以って本尊とすべし」は
明らかに真理を得た大前提と言えますから、これで本来は払い除けられるものです。

論理矛盾を防ぐためにも、前提条件には確固たる証拠となるものを示すって大事な事なんですよ。
>>[241]

悪いけど私の師は日蓮大聖人…

頑張って役職を貰うほど学会にのめり込んだことはないし
リアルタイムでの行動を知らずかつて先生と呼んだ故人を、自分の推察で評価して「自分の方が優れてる」と言える賎しい命を私は持ち合わせてない

権力者や有名人を利用して自分を大きく見せたかるのも真言の宿業
>>[242]

一生成仏抄抜粋

我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて 我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経と よびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり

此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり
外に御本尊を求める人には都合が悪いだろう

>>[243]

> 悪いけど私の師は日蓮大聖人…

大前提:その日蓮が言ったのが「若し証拠なくんば誰人か信ずべきや、かかる僻事をのみ構へ申す間邪教とは申すなり」

小前提:でもって、一生成仏抄には証拠がない

結論:故に日蓮を師とするなら一生成仏抄は用いない。

三段論法です。
>>[241]は
四箇の格言と自分の戸田城聖批判と同じレベルと思ってるのか?

大聖人が四箇の格言を残せるほどした勉強を、自分もしたと言い切れるのか?

自己正当化するために大聖人まで利用するな!!


池田の御書講義は知らんが
池田の納税額をみる限り、大聖人の姿とはほど遠い

仏教を利用して私腹を肥やすのは食法餓鬼以外になんと言うんだ?
>>[246]

単なる感情論丸出しじゃないですか。
>>[246]

> 四箇の格言と自分の戸田城聖批判と同じレベルと思ってるのか?

でさー、四箇の格言ってどれだけのものと言う事をちゃんと理解しています?
日蓮がその批判の矛先に持ってきた人物って
法然聖人、弘法大師空海、慈覚大師円仁、智証大師円珍、鑑真和尚なわけね。
彼らがどれだけ世間的に高僧と呼ばれていたかを知らないから言えるんですよ。

当時の日蓮なんて世間的には彼らに比べればゴミみたいな存在だったわけよ。

レベルの話をすれば
戸田城聖と法然、空海、円仁、円珍、鑑真と比べるのがより失礼な話です。
>>[245]

私は子供の時に不思議な体験してる
現証から文証を選んでるんだ

いくら言葉遊びしても確信は変わらないよ

二乗が成仏できないのがよくわかる
>>[247]

堅皇さんと違い私怨ではなく、公憤ですよ

で…食法餓鬼以外になんと言いますか?
>>[248]

ふむふむ…

自分の戸田批判も将来は
大聖人の四箇の格言なみに認められると言いたいのてすね

真言の宿業丸見え(笑)
>>[251]

思いっきり感情論に振り回されてますね。

> 自分の戸田批判も将来は
> 大聖人の四箇の格言なみに認められると言いたいのてすね

はぁ。
戸田さんの思想批判がそれほどのものですか?
彼は日蓮が書いたかも定かではない御書と
無量義経を獄中で少し齧っただけの程度の人物ですよ。
それで、認めるも認められるも全くない話と言えますね。
>>[252]

私は餓鬼の感情を持ち合わせていません
他人を利用したり他人を踏み台にしてまで名声や権力を得る気が全くないのです

堅皇さんが、御自分の戸田城聖批判と、四箇の格言とを同列に扱うのが間違いだと言っています


一般論でお話しましょう
堅皇さんより教育者でもある戸田城聖の方が漢文や古文の素養もあったと思われます

それなのに、かつて師であった戸田城聖を批判するのは真言の宿業「下克上」に見えます

>>[253]

> 私は餓鬼の感情を持ち合わせていません

ほう、十界本有批判ですか。
それはそっくりそのまま、天台日蓮批判と受け取っても宜しいですね。

> 堅皇さんが、御自分の戸田城聖批判と、四箇の格言とを同列に扱うのが間違いだと言っています

何を根拠に間違いだとおっしゃるのででしょう?

ちなみに日蓮はこれを"下克上"ではなく、"諫暁"であると述べられています。
で、"諫暁"の範疇は諫暁八幡抄にも述べられています。
証拠を出せと言われれば、先ずは諫暁八幡抄を提示させていただきます。

> 一般論でお話しましょう

何故そこで一般論?
ダミアンさんの主張は
>>[243] 悪いけど私の師は日蓮大聖人…
とかなんとかおっしゃってませんでした?

にしては、あまりに師匠の論を蔑ろにはしてませんか?
それを"下克上"と言うんです。
>>[254]

オォーっ、食らいついてきた。

気がつくのが思ったより遅かったね

想像通りの返事だけど…答えは既に用意してある

私は日蓮大聖人を批判してない
弟子とは言ったがデキの良い弟子とは言ってないよ

下克上の意味を誤魔化さないでね
>>[255]

> 下克上の意味を誤魔化さないでね

さて、では下剋上の日蓮が使った用例を見てみましょう。

下山御消息(断簡)
ここで言われているのは、下剋上とは天台宗の事である。

先ず流れとしては真言宗は
「一行阿闍梨をたぼらかして本はなき大日経に天台の己証の一念三千の法門を盗み入れて人の珍宝を我が有とせる大誑惑の者なりと心得給へり、」と
これは華厳宗が
「天台大師の十法成乗の観法を華厳に盗み入れて還つて」
と同じ事であると述べられています。

で、真言宗の弘法大師空海の事を
「天下第一の自讃毀他の大妄語の人」と最強に罵っております。

ちなみにこのくだりでは"下剋上"と言う表現は用いておりません。
つまり、真言宗、華厳宗に対しては"下剋上"ではなく「盗人」であると言う表現ですね。

"下剋上"とはここから先の話です。
日蓮がその矛先に向けたのは天台宗の慈覚大師円仁と智証大師円珍のこの二名です。

本来、法華経至上であったはずの天台宗に、何の証拠(文証)も出さずに
大日経至上の真言が勝れりと、下の経典であるはずの大日経を法華経より上だと言いやがったという話です。

下である経典である大日経が法華経より上に来るなんて
それは世間で言う"下剋上"だと言う話です。

また、善無畏抄も似た様なお話です。

伝教大師は(天台、つまりは法華経の他に)順暁和尚より真言三部の秘法を伝い顕密二道の奥旨を極た人です。
善無畏・金剛智・不空と言うのはいわゆる真言大日のものであり
伝教は華厳・三論・法相・律宗の自宗が一番だと言う人々の辺執を倒して
善無畏・金剛智・不空を天台宗に帰入して、天台大師を本師と仰ぐようにさせたのだと。

ところが、それでも自宗をほめて他宗を嫌うは常の習いであると、言っててるわけです。

その例として挙げられるのが法然の例を挙げられて
「天台真言等の大法を念仏の方便と成せり、」と。

要するに念仏なんてものは法華経はおろか大日経にも劣るのに
これが一番であると言っているのは世に言う"下剋上"と同じであると言う事。

ダミアンさんが考えている

> 真言の宿業「下克上」に見えます

というのと少し表現が違うでしょ。

まー、不審に思うなら今一度、下山御消息や善無畏抄をご自分で読まれてみてください。
そうそう。
ちなみに天台宗の智証大師円珍と言っても
ダミアンさんはピンと来ないかもしれませんが

日蓮が17歳の是生房蓮長時代
この円珍の「授決円多羅義集唐決」というのを書写した真蹟が残されているんですよ。
大石寺版の御書全集には収録されています。

ダミアンさんの言い分であれば、日蓮はかつての師に対し下剋上したと言う解釈になりますよね。
>>[256]

何度も同じ事を言わせないで

日蓮が延暦寺で学んだ事はご存知ですね
仏教の専門教育を受けた上での批判です

堅皇さんは戸田城聖なみの仏教の教育を受けましたか?


日蓮のは批判
堅皇さんのは中傷

真言の下克上は中傷から始まる

>>[258]

戸田城聖なみの仏教の教育?

1900年(明治33年)2月11日 - 石川県に生まれる。後に、北海道厚田村へ移住。
1908年(明治41年) - 厚田尋常小学校に入学する。
1917年(大正6年) - 小学校の准教員資格試験に合格する。
1918年(大正7年) - 夕張の真谷地尋常小学校の代用教員として採用される。12月、夕張の真谷地尋常小学校の正教員試験に合格する。
1920年(大正9年) - 上京、牧口常三郎を訪ねる。[1]。開成中学夜間部(のちの昌平高校)に入学する。
1925年(大正14年) - 中央大学予科入学。
1928年(昭和3年) - 牧口が日蓮正宗の法華講員・三谷六郎(素啓)に折伏されると、戸田も牧口とともに日蓮正宗に入信した。中央大学経済学部入学。
1930年(昭和5年) - 牧口が創価教育学体系を著す(創価学会では、この日・11月18日を創立記念日としている)。
1931年(昭和6年) - 中央大学経済学部卒業。
1943年(昭和18年)6月 - 日蓮正宗総本山大石寺に呼ばれた牧口と戸田らは、神札を拒絶する。(『神札問題』)[2]その後、創価教育学会は登山を禁止される。7月治安維持法違反・不敬罪の容疑で、牧口とともに逮捕される。
1944年(昭和19年)牧口は、11月18日に獄死[3]。ちょうど、この頃、戸田は、自分が地湧の菩薩の一員であることを悟り、これが、75万世帯弘教の原動力となる。

戸田城聖って何処で仏教の教育受けたんですか?

彼の悟りとは思いっきり自称ですよ。
> 真言の下克上は中傷から始まる

だから、下剋上が書かれている
下山御消息や善無畏抄を今一度、ご自分で読まれてみてから書いてください。

日蓮は"真言の下克上"なんて使い方してませんから。

いい加減、自分の憶測、思い込みで書かれるのやめられては如何ですか?

>>[249]
> 私は子供の時に不思議な体験してる
> 現証から文証を選んでるんだ

ご自分の事を霊能力者か超能力者
もしくは戸田さんのように悟達者と思われているようですが。

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