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ラブリィ創価学会コミュの故斎藤教学部長に

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先日斎藤元教学部長が逝去された旨が聖教新聞に掲載されていました。死因は心不全だったとのこと。思い出したのは、斎藤教学部長が以前ご自身の体験として、幼いころに心臓病で死にかかったことがあり、家族の信心によって蘇生することが出来たという話でした。ほんとうはすでに若くして死んでいたのを宿命転換して、更賜寿命によって60代半ばまで寿命を延ばし、しかも学会の教学部長の重責を担い、矢面に立って退席痔派の坊主やキチガイ集団妙観光などと戦ってきたのです。間違いなく200年後の地球広布の総仕上げの「時」には、再び先生のもとに集って戦われることでしょう。

そんな斎藤元教学部長とは正反対に、同じ元教学部長でも学会を退転して邪宗門・日蓮消宗に転向し、しがみついて滅んでいった原島某などは全く悲惨な末路でした。

かつて妙縁痔支店でSさんにコテンパンに破折された時は、アル中特有の手をプルプル震わせる症状が一目見て明らかだったそうで、先日いただいたテープや資料の中にその対論の記録がありましたのでアップします。一壮年部員がSさんです。


<元教学部長原島嵩が一壮年部員から法論で完膚無きまでに破折され大恥を晒す!>

 12月5日に妙縁寺まで法華講員の救済に出かけた一壮年部員と炎の婦人部たちが、奥座敷に通されて折伏を始めたところ、教学は全く分からない法華講員たちが慌てて「原島さんを呼びます」と言って別室に呼びに行き、奥からノコノコと出てきたのが、あの山友に誑かされ、酒と女に溺れた元教学部長の原島嵩だったのです。
 かつて教学部長だった頃の写真しか知らない一壮年部員は、出てきた男があまりにもショボくれた生気の無い顔だったので、思わず「あー、原島さんですか?」と大声で確認したほどでした。
 そして、席について話し始めた途端に、原島の新聞を持つ手も、お茶を飲もうと湯飲みを持つ手もガタガタと震えて、怖じ気づいてなのか、それともただのアル中なのか、おそらくその両方でしょうが、とにかく惨めな姿だったと婦人部の皆さんも証言しています。
 おまけに一壮年部員との教義上の議論では、「あのーーー」とか「あーー」とか、まるで日顕と同じような無意味な感嘆詞を連発するばかりで、期待したはずの原島の無様さに、いい加減にしびれを切らした法華講員の方が、はるかにしっかりと受け答えし、学会の一壮年部員の主張にしきりに納得していました。
 こうして何人もの法華講員たちの目の前で無様な生き恥を曝し、どこに所属しても、出来損ないは出来損ないでしかなく、惨めな人生になることを証明する裏切り者・原島嵩の不幸な姿でした。


(救済運動の対話全記録)

壮年部「今ちょうど日蓮正宗の化儀について、特に三宝について、松本さんが間違ったことを書いた資料を送ってきたので、三宝について、あと血脈相承、そして御本尊について、この三つについて教義的な部分を、化法・化儀を確認して、正しい日蓮正宗の教えを皆さんと一緒に理解したいと言うことでお呼びしたんです。
 で、日蓮正宗の三宝について、送られてきた資料には、僧宝として、第二祖日興上人を随一とする歴代上人となっていますが、これは残念ながら日蓮正宗に定める正しい僧宝ではありません。日蓮正宗においては宗規という法的にも定められた憲法のような規定があります。その第一章に宗綱、要するに教義の根本が定められています。日蓮正宗の教義の根本です。要するに創価学会は学会規則で「日蓮正宗の宗規に基づく」と書かれていますが、それはまさにこの宗綱に基づくんです。その中に「本宗は」つまり日蓮正宗は、「血脈付法の人日興上人を僧宝とする」とあり、歴代法主を僧宝とは定めていない。これが日蓮正宗の「本宗の」教義です。これについて何等かの反論をいただきたい」

法華講「反論じゃなくて質問しますがね。じゃあね、日興上人様を僧宝としてそれ以外のことは認めないと言うことですか?認めていればだって今現在の歴代上人も同じでしょ」

壮年部「僧宝というのはそういういい加減な形で定めてないんです、日蓮正宗は」

法華講「だから定めてなくても、ね、日興上人様だけで、僧宝はないのか、ということです」

壮年部「己義を構えるのはよして下さい。貴方の個人的な考え方を聞いているんじゃなくて、私は日蓮正宗の」

法華講「67代までね、続いている歴代の猊下様は認めないんですか、と聞いてるんです」

壮年部「正しい人は認めるんですよ。それはちゃんと三宝抄に書かれてますでしょ」

法華講「じゃあどうして今の猊下様は正しくないと言ってるんですか」

壮年部「今の猊下のことを言ってるんじゃなくて、今は僧宝のことを言ってるんです」

法華講「だから僧宝は私たちの方は今の現在の猊下様が僧宝になる訳です」

壮年部「じゃあ文証を出して下さい」(法華講は沈黙)

原島「それは、きょう、あのー、日興、日寛上人が仰ってるでしょ」

壮年部「どういうふうに」

原島「あのーーー、あれですけど、歴代、あのー、当家三衣抄に。あのー」

壮年部「当家三衣抄は、下根を導くための方便で末法下種の僧宝について定めています。しかし、久遠元初の僧宝、要するに日蓮正宗の・・」

原島「そう、久遠元初の僧宝と言えば、そりゃ日興上人なんで」

壮年部「そうでしょ。なぜかって分かりますか 。久遠元初の僧宝について当流行事抄にどういうふうに定められているか、分かりますよね、教学部長やってたぐらいですから」

原島「はい」

壮年部「要するに日蓮正宗は僧宝として久遠元初の僧宝日興上人を無条件の信仰の対象とする。ですから真言見聞なんかにね、「謗法とは謗仏・謗僧なり。三宝一体なる故なり」これは一体三宝・別体三宝の、三宝抄に定められている化儀に基づけば、御理解いただけるとおり・・」

原島「あのね、別して、確かに、あのー、日興上人が」

壮年部「別して?どこに別してって書いてありますか?久遠元初の僧宝と末法下種の僧宝」

原島「そりゃあそうだ」

壮年部「別して、総じてはここでは使いません。教学部長だったんですから、ちゃんと勉強して下さい」

法華講「でねえ、じゃ、これはどういう意味ですか。じゃあこれ、池田会長が59年の432ページにはこりゃ、こんなに書いてるのは」

壮年部「知ってますよ。昭和54年以降、特に会長を引きずり降ろされてから、56,7年頃から60年頃まで、池田先生の指導の中に、歴代御法主上人猊下を遣使還合の僧宝とするという言葉が頻発するようになりました。それ以前には皆無に等しい。なぜか、それは昭和54年以降、要するに学会は宗門にある意味で教義上ひざまずきました。だからそれ以降、そう言う風な日蓮正宗の宗綱に基づかないことを言わされてたんです」

法華講「ああ、そういう風に解釈するんですか」

壮年部「そうです。大聖人様の教えだってね、佐渡以前と佐渡以後で違ってますでしょ」

法華講「そう、違ってる違ってる」

壮年部「我が学会の主張だってね、破門以前と破門以後で明確に、より本質的になってる」

法華講「ああ、なるほど。ああ、ああ」

壮年部「だから日蓮正宗の教義に基づくようになった。正しく。であるが故に、本宗は血脈付法の人日興上人を僧宝とする。これは当流行事抄に書かれている久遠元初の僧宝のことです」

原島「そうなれば、当流行事抄ではそういう、言われてますが、ではそれが定まれば」

壮年部「はい」

原島「今度は」

壮年部「はい」

原島「あのーー、日興上人・・・・以来ですね」

壮年部「ええ」

原島「血脈、唯授一人の血脈と言うのがあるんですよ」

壮年部「あの、今は三宝について言ってるんで、血脈については後でまたお話ししますから。三宝について話して下さい」

原島「んー、だから、僧宝に、僧宝が入るんですよ。あのー、歴代上人が」

壮年部「じゃあね、三宝抄に書かれている、「法宝を以て中央に安置し、仏及び僧を以て左右に安置するなり。」大客殿を見て下さい。御本尊の両側にね、大聖人様の御影と日顕の御影があるいは本体があった事例ってありますか」

原島「そんなことじゃ、それは違いますよ」

壮年部「これは三宝抄ですよ」

原島「ええ、三宝抄には」

壮年部「分かります?」

原島「ああ、分かります」

壮年部「一体三宝と別体三宝の化儀、分かります?」

原島「さんぼうと呼ぶんですよ」

壮年部「そうですよ。ちなみに私共はさんぽうと読んでます。宗門ではさんぼうと読んでますしね。それは呼び方はいろいろあります。漢字ですからね」

原島「あのー、いずれにしてもあなた方は」

壮年部「ええ」

原島「あのー」

壮年部「大聖人様の教えです」

原島「僧宝として」

壮年部「はい」

原島「えー、あのー、代々の、歴代法主上人を僧宝として認めないんですか」

壮年部「あのですね、そういう末法下種の僧宝でしたら、ちゃんと日寛上人が三宝抄の中で、然れば則ち吾が日興上人嫡々寫瓶の御弟子なること分明なり。故に末法下種の僧宝と仰ぐなり。分かります?爾来日目日道代々悉くこれ僧宝なり。及び門流の大衆もまたしかなり。分かります?」

原島「そう、そのとおり、よ、読んでくれればいい」

壮年部「末法下種の僧宝ですよ?」

原島「そう」

壮年部「私は末法下種の僧宝とって言うのと、久遠元初の僧宝の違いを今説明しようとしてるんです」

原島「ああそう、じゃあそれで、もう少し・・」

壮年部「要するにね、御本尊=法の宝、大聖人様、日興上人様、これが三宝一体の、一体三宝・別体三宝の日蓮正宗の化儀です。ここに書かれている末法下種の僧宝は、日目上人以下歴代法主の席は、三宝に取り次ぐ、分かります?一閻浮提の座主の席において三宝に取り次ぐ姿で勤行唱題してるんです。そして、その末法下種の僧宝というのは、分かりますね?門流の大衆もまた然なり。正しく受持信行する限りにおいて、門流大衆檀信徒に至るまで、末法下種の僧宝と定める。これが日寛上人の教えです」

法華講「そ、そ、そ、そりゃね」

原島「大衆って言うのはいわんなくて(意味不明)、これは僧侶なんです」

壮年部「ここでは僧侶なんです」

原島「・・・僧侶なんです」

壮年部「ええ、日蓮正宗要義ご存じですか。日蓮正宗要義にはちゃんと門流大衆檀信徒、全部僧宝って言ってます」

法華講「たださあ、今のじゃあ猊下はさあ、認めないってこと、認めてる訳でしょ。ここでは認めてるように取れるだけどね」

壮年部「正しく受持信行する人であるかどうかの証明が必要なんですよ」

法華講「じゃあ正しく受持してないと言うのがお宅ですか、じゃあ、今の猊下は」

壮年部「あのね、それについては後でまた説明しますが、今三宝について、無条件に信じる僧宝は久遠元初の僧宝は日興上人ただ一人、分かりますね。そして日蓮正宗の宗規を見て下さい。宗規に定められている僧宝、これが本宗、日蓮正宗ですよ。あなたはもしも歴代法主も僧宝ですと言うんだったら、じゃあ本宗じゃない訳ですね」

法華講「そんなふうな解釈になるの?」

壮年部「そうじゃないですか。ここは日蓮正宗の宗綱で定めてるんですよ」

法華講「うん」

原島「だから・・」

壮年部「だから歴代法主が、私たちを僧宝と呼ぶのは正しくないと言われてるじゃないですか。ただし、広く言えば正しく受持信行する限りにおいて僧宝の一分と呼ぶ。それについて日寛上人が言われてるじゃないですか」

原島「日寛上人がおっしゃってるでしょ、うん」

壮年部「また余がごとき無知無戒も僧宝の一分なり。これは謙譲も含めて、日寛上人様のような偉大な猊下が言われてます。しかし、あくまでも謙譲も含めてのみならず、僧宝の一分として、末法下種の僧宝として言われているんです。しかし、日蓮正宗としては、本宗、日蓮正宗は血脈付法の人日興上人を僧宝とする。

原島「うん」

壮年部「要するに無条件の信仰の対象は久遠元初の僧宝・日興上人ただ一人、これを信じるべきなんです。分かりますね」

原島「うん、そりゃそのとおり」

壮年部「分かりますね」

法華講「なんかちょっとね」

壮年部「いや、違いますよ。あなたたちが言ってるのは、末法下種の僧宝。要するに条件付きと無条件とゴッタにして言われてるんで、違いますよ、ちゃんと無条件の久遠元初の僧宝を信じるべきである」

原島「信仰の対象として、の僧宝は日興上人一人に限りますよ」

壮年部「そのとおりですよ。そのとおり、仰るとおり。で、歴代法主の言葉で、日蓮正宗の教義に背いた場合は、それを用いてはならない。というのは分かりますね」

原島「そりゃそのとおり」

壮年部「であるならば、じゃあ無条件に信仰の対象とする、日興上人様唯一人、これがあって初めて極悪不善の我等が即身成仏を得ることができる。分かりますね」

原島「うん」

壮年部「だから、歴代法主を日興上人に抱き合わせにしてゴッタにすることは日蓮正宗の教義ではないんです。あなたたちは末法下種の僧宝、要する正しく受持信行する僧俗檀信徒まで含めてゴッタにして歴代法主上人血脈相承を受けた人はみんな無条件に僧宝だと言っているから間違いなんです。末法下種の僧宝の一分でしかない者を無条件に久遠元初の僧宝に抱き合わせにするっていうのは三宝破壊って言うんです」

原島「だから末法下種の三宝の一分であることを認める訳でしょ」

壮年部「言ってるじゃないですか」

原島「ねえ」

壮年部「しかし久遠元初の僧宝に抱き合わせにするのを僧宝破壊と私は言ってるんです」

法華講「要するに今の宗門は、ね、抱き合わせにしてるってことを言ってる訳でしょ」

壮年部「あなたは少なくとも抱き合わせにしてたんです。こういう資料をもとに」

法華講「この資料が、だからね、この資料が間違ってるってことをいってんでしょ」

壮年部「ということを説明してあげてるんですよ。日蓮正宗の教義に基づいて。で、それを三宝破壊って言うんですって、言ってるんですよ。三宝っていうのを正しく受持信行しなくちゃだめなんです」

法華講「そしたらさ、今までさ、御本尊様を守って来たのは宗門でしょ。」

壮年部「大御本尊の話をしてるんですか」

法華講「いやあ、大御本尊様を守って来たのは宗門でしょ。」

壮年部「それで」

法華講「それが、さ、最高責任者は歴代の猊下様でしょ」

壮年部「それで」

法華講「だから一緒で考えたっていいじゃないですか」

壮年部「そんなことどこに書いてますか?だから、あなたの己義はいらないんです。あなたは教義に基づいて正邪を判別しなければだめなのを、世間の道理と仏法の道理が分かってか分からずか、そのまま勝手に類推してるだけなんです。それを三宝破壊って私は言ってるんです。久遠元初の僧宝・血脈付法の人・日興上人を僧宝とする。この日蓮正宗の教義は、本宗は、ですよ。で、あなたは本宗じゃないんです。日蓮正宗じゃないんですよ」

法華講「ああそう、じゃあオレは日蓮正宗じゃないってこと」

壮年部「そうなんです、三宝破壊してるんです」

法華講「うん」

壮年部「あ、分かっていただけた?」

法華講「三宝破壊してるって、オレが三宝破壊しているならば、じゃあ学会が三宝破壊してないっていう証拠はどこにあるんですか?」

壮年部「学会が三宝破壊してない証拠ですか?」

法華講「うん」

壮年部「三宝を破壊してないっていうよりか、かつて昭和56、7年頃にいろいろと学会は言わされましたけれど、その後ちゃんとね」

法華講「言わされたって」

壮年部「56,7年頃のをちゃんと見て下さいよ。これが平成2年以降です。要するに創価学会は正しく、要するに破前・破後ですね、破後はちゃんと僧宝は日興上人。こんなのは昔っからです。たとえば戸田先生だってそうだし、歴代法主だってそうです。僧宝は日興上人様。ずっと700年、いや日寛上人以降だから、数百年間変わらなかった教えなのに、何と数十年前からおかしな事を言いだしてるんです。だから日寛上人の言葉どおりやらいとダメなんです」

法華講「うんー」

壮年部「正しく受持信行しなかったら三宝破壊につながるんです。そのことを私は申し上げたいんです、まず」

原島「三破壊はねえ、あのーーーーー、創価学会の方ですよ」

壮年部「創価学会は戸田先生の時もそうだし、池田先生も当初はずっと日興上人って言われてましたよ。日興上人って言ってたのを昭和56,7年頃からね、歴代法主も遣使還合の僧宝ですって言い始めたんですよ」

原島「いやいや、昭和49年ぐらいからね、僧宝とは在家だって」

壮年部「誰が教学部長やってたんだ」

原島「ボクですよ」

壮年部「間違ってるじゃないですか」

原島「間違ってます」

壮年部「末法下種の僧宝と言わないから間違うんです。あなたは習い損ないじゃないですか、まるで」

原島「そうじゃありませんよ」

壮年部「じゃあ、どういうことですか」

原島「学会がそうしてきたんです」

壮年部「学会がそうしてじゃなくて、戸田先生も言ってるんですよ。あなた方班長たちも僧宝だ、社会のために体張って頑張るのも僧宝だ、ただしそれは末法下種の僧宝なんですよ。それを教学部長でありながらちゃんと理解できなかったからおかしくなったんです、あなたは。久遠元初の僧宝は日興上人様唯一人、末法下種の僧宝は正しく受持信行する全ての大衆檀信徒」

原島「それはあ、だからあ」

壮年部「教学部長でしょうが。あなた責任があるんですよ、だから」

原島「そりゃある」

法華講「今の猊下が正しく信行してないってこと言いたい、言ってるでしょ」

壮年部「あ、それに入っちゃって良いんですか?じゃあ認めますね?」

法華講「いや、おれあ、認め、これは、ここは、日興上人様までの、その、あの、歴代の・・・」

壮年部「ちょっちょっちょっちょ。認めない?今、記録をちゃんと採ってますからね」

法華講「記録採ってもいいですよ」

壮年部「いいんですね?要するに、日興上人が久遠元初の僧宝だというこの日蓮正宗の教義を認めないんですか?」

法華講「だ、だ、だから、それと、ね、それと、歴代の猊下と、ね」

(形勢が不利になったため、横から止めさせようと妨害が入る。)

壮年部「ん、じゃ、次行きましょう、次」

外野「何を言いたいためなら」

壮年部「いや、順番に行きたいんです。次ね、血脈相承に行きましょうか」

外野「威圧的だねえ」

外野「今に始まった事じゃないもの、本質だもの」

壮年部「じゃあね、血脈相承のことで、どんな風な血脈相承になっているかというのを、これは日因上人の直筆を堀上人が起こしたんです。相承書について、二十代日典上人の御代、大坊焼失のみぎり焼け失せたるものか、故に今御目録17条のみこれあり、御相伝悉く皆失う、当山日目上人の相伝悉く房州保田にある。日目上人以来の御相伝は保田妙本寺にあって、なんと大石寺には全部焼け失せていた。そしてそういう相承を受けた一人の法主の、これは日因上人の随宜論批判です。堀ノートです。堀上人が起こしたこの文章を分かりやすくしました。これは随宜論、17世日精の随宜論について、日因上人が批判しました。当家造仏を許さない、蓮祖開山以来すでに五百年なり、精師一人これを許す。日精がなんと17世で釈迦像・多宝像を造った。そして40数年かかってやっと取り除いた。日精がいる間はずっと邪義をやっていた」

法華講「歴代の猊下の中にも、そういうそのそうした謗法をした人がいるってことですか」

壮年部「そうですねえ。こういう人が僧宝になるんですかねえ」

法華講「ああじゃあ、そういう人は僧宝と認めないってことね」

壮年部「こういう人を僧宝と言わないんでしょうね。こういう証拠をですね、まあ本当にいっぱいあるんですが、どこから出そうかなって感じですけど」

法華講「よく勉強してますね」

壮年部「創価学会でちゃんと邪義と戦うと勉強しますよ」

法華講「ああそう」

壮年部「この日精っていう法主と大喧嘩して大石寺を追い出した一信徒、敬台院の手紙です」

法華講「敬台院て本山にも御供養した人じゃないですか」

壮年部「ああご存じなんですか。これが続家中抄日量上人のです。これに、当山日精と大檀那日詔、敬台院とが隙を生じて、精師富士を退去し江戸下谷常在寺に移住す。要するにケンカして追い出して、常在寺に移りました。これによって当山無主、要するに法主がいない、貫主がいない。時に将軍御世替わり御朱印改めあり。しかるところ当山無住について将に廃地に及ばんとす、これを大衆が嘆いて、後任のことを敬台院にお願いした。この器を選んだのが法詔寺、これは邪宗要法寺の末寺ですが、日感いわく、日舜に如く者なし。よって敬台院は日舜を当山に入院させた。要するに、日精を追い出したけど住職がいないんで、後任住職として日舜を推薦してもらって、それを法主にした。これがその敬台院の手紙です。私たちは持仏堂には日興上人様の曼荼羅を掛け置き申し候。日精の曼荼羅は見申す度ごとに悪心も増し、気色悪いから、あんたらに返すわ。要するに、気に入らない法主を追い出して、その法主の本尊は見るごとに気持ち悪いから、あんたらに突っ返し、私たちは日興上人様の正しい久遠元初の僧宝の御本尊によって成仏していきますよ。そういう手紙です。これは堀上人が集められた本の中にちゃんと出てます。こういう歴史があるのをご存じですか?」

法華講「いやあオレは知らない」

壮年部「あ、知らない。で、敬台院の墓はどこにあるかご存じですか」

法華講「いや、知らない」

壮年部「御影堂の裏の三烈士の横にあるんです」

原島、法華講他「ザワザワ・・」

(つづく)

コメント(2)

壮年部「敬台院のように、ちゃんと邪義は邪義だ、たとえ法主であっても釈迦像をこんなふうに造って、死ぬまでに大事に抱きかかえて手放さない、それどころか死ぬ直前にまで邪義を書く、そんな法主は追い出して、後任法主は自分たちで決めて、その人の墓が御影堂の後ろにあるんですよ。」

法華講「うん」

壮年部「で、そんな歴史があったから、実は日蓮正宗の相承書なんていっぱい無くなっちゃっていて、これは堀上人がまとめた研究教学書ですが、相承書の一覧が出てますが、見て下さい。「写本保田妙本寺、写本保田妙本寺、写本要法寺。」邪宗要法寺とか、昭和32年まで、学会が折伏するまで邪宗だった保田妙本寺に相承書の写本があって、大石寺には無かった。そのことを堀上人が富士宗学要集の相承書の一覧の中で、あっちこっちから写してきました、って書いてるじゃないですか。そういう惨めな歴史があったんですよ。相承書は無かった。ましてや、31世日因上人が、相承書は日典上人の時代に焼け失せて全部無いと言っている」

法華講「そうするとね、そうすると今までその、67代続いて、まであれした中でも、そういうふうな謗法・・だらけの猊下がずーっといたと言うことなんですか」

壮年部「ずーっととは言いたくないですね」

法華講「だけども」

壮年部「何人かいた」

法華講「いたということでしょ」

壮年部「何人かいた。たとえばね」

法華講「それはですね、何人かいたから、現在においてもそれは謗法を犯してるからダメだと言うことですか」

壮年部「そんな勝手なことはボクは言いませんので。これは3年前の教師講習会の内容です。2年前に本が出たでしょう」

法華講「えー?」

壮年部「創価学会の偽造本尊義を破すとか、もう一冊出たじゃないですか」

法華講「あーあー、宗門から出た」

壮年部「あの中にですね、日顕の講演ですよ、法詔寺日感から檀頭への書状がある。その中に、日舜はいまだ若いから寺檀定めて軽々しく思うだろうと笑止に候、大笑いだと。別して大石寺のことは金口の相承と申す事候いて、この相承を受けた人は学不学によらず、バカでもアホでも、生身の釈迦日蓮と信じる信の一途を以て末代の衆生に仏種を植える。分かります?これはどういうことかと言うと、24歳で日舜が法主になったけれど、さっきの推薦を受けて。その日舜は24歳でまだ若いから誰も相手しないだろうと応援演説をしたのが法詔寺日感です。これが富士宗学要集、堀上人がまとめた文章です。3年前に日顕がこの部分を引いて講釈をした。天台宗は智者だから一念三千の観法で広める。日蓮宗、大石寺の寺檀は愚者、アホだから信の一字を修して仏種を植えるんだ」

原島「アホだ、アホだからなんてね」

壮年部「愚者だから、愚かだから、愚か者だから」

原島「あのねえ、ま、末法は愚者を大切にする。」

壮年部「そうですよ」

原島「ね、アホだからとか、そういうあれじゃない」

壮年部「分かりますよ、御書にはちゃんとね、教いよいよ高ければ位いよいよ低しとあります、そのとおりですよ」

原島「そう、うん、そのとおり」

壮年部「ただし、貴方は分かってそういうことを言われてるんですか?法詔寺日感というのはどういう人物かご存じなんですか?法詔寺日感ていうのは」

原島「知ってますよ」

壮年部「ご存じですね。あれですよ、邪宗要法寺の・・」

法華講「要法寺ってよく出て来るんですけど、邪宗なんですか」

原島「いや、邪宗じゃないですよ」

壮年部「邪宗じゃなかったらなんで釈迦多宝像を祀ってるんですか?日尊以来ずっと祀ってるじゃないですか、上行院に」

法華講「じゃ、今でも祀ってるの?」

壮年部「祀ってますよ」

原島「当時はそうだけどさ」

壮年部「ずっと祀ってますよ」

原島「違った・・、あの・・、要法寺からね」

壮年部「9人の法主が来てますよ」

原島「9人来た僧侶がね、みんな謗法だとか、そう言うふうに言うのは暴論だと思うな」

壮年部「あ、私そんなこと言いました?」

原島「ああ、言わなかった」

壮年部「みんなそんなこと言ってます?堀上人はちゃんと、そこについて言われてるんじゃないですか?堀上人は、要法寺から何人も来たけれど、初めは小僧が来て、それを徐々に養育するようにしたけれど、後の方では日精なんかがやって来て、自分が力の及ぶあらゆる寺に釈迦多宝像を造って、ほとんど大石寺を要法寺と同じようにしてしまったと書いてるじゃないですか。これもちゃんとご存じでしょ?教学部長やってたんですから」

原島「でもね、そういうことがあったとしても」

壮年部「ん?」

原島「そういうことがあったとしてもね」

壮年部「それで?」

原島「それが一体なんだったんでしょうね」

(つづく)
壮年部「いやいや違いますよ。日顕はね、こういう邪宗要法寺のこの人間、法詔寺日感が何をしたかご存じですか。釈迦多宝像を建ててるんですよ、鎌倉鏡台寺に。要するに鎌倉鏡台寺に釈迦多宝像、四菩薩像を建てるような、そういう人間が書いた手紙を根拠に、「に、に、日顕が大聖人様だと言わないけれど、こういう教えが大石寺には伝わっておる」と言ってるんですよ。「日顕が、に、に、に、日蓮大聖人様なんて一遍も言ったことない。ないけども、やはりそういう意味でのですね、あのー、この、しっ、信仰がやはり富士門流の大石寺の信仰としてあることが、あー、伝わっておるという意味であります」と、ちゃんと日顕は言ってます。法主が生身の釈迦日蓮などという言葉は日蓮正宗の教義にはないんです。日蓮正宗の教義って分かりますよね、皆さん。日蓮正宗の教義とはどこに定めていますか。ご存じですか。これが日蓮正宗の宗規です。日蓮正宗の宗規の第一章の宗綱の、分かります?第五条に正依ってあります。要するに教義の根本とする正しい依文は、宗祖遺文、大聖人様の言葉です。日興上人、日有上人、日寛上人遺文。これらによってのみ日蓮正宗の正しい教義が構築される。たとえばさっきの17世日精のような、生涯謗法を犯した邪宗の法主の言葉を根本とはしません。であるが故に、日蓮正宗は歴代の中でも正しい方の言葉を根本とするのです。だから日顕は、その正依の中に、法主本仏とか生身の釈迦日蓮なんていう文は一切無いから、謗法の寺、しかも釈迦多宝像を建てた法詔寺日感という者の手紙を根本として、この相承を受けた人は学不学によらず生身の釈迦日蓮と信じなさいと、いうふうに言っているわけです」

原島「よく分かるけども、あなたね」

壮年部「こういうのを邪義と言います」

(以下テープ切れ。この後、学会の本尊下付の正義を証明し、邪義の法主・日顕を破折したが、原島は相変わらず全く何の反論も不能のまま、法華講員たちの前で、ただただ赤恥を晒すのみだった)


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