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ラブリィ創価学会コミュの日蓮商宗退席痔派のニセ本尊の数々

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 学会が、独立した宗教法人である浄圓寺から日寛上人の御本尊の提供を受け、併せて「創価学会という和合僧団」を支持する僧侶(複数の単立宗教法人の代表住職を含む)の総意として広宣流布の進展を願う多数の僧侶たちからの決議に基づいて形木にしたご本尊を、邪宗門は「魔物・ニセ本尊」などと、全く何の大聖人の仏法の教義的な裏付けも無く、ただただ日犬や天魔の犬・妙観光がキャンキャン吠えている言葉を鵜呑みにして誹謗しているので、そんなウソを垂れ流している邪宗門・日蓮商宗退席痔がこれまでどんなニセ本尊を売りさばいて来たかについて、詳しく教えてあげることにします。

 私が調べて証拠を確認した範囲ですので、おそらく他にも神札まがいのいろんなニセ本尊の販売をしていた可能性はあります。
 たとえば、教師免許をもらった坊主が「免許袈裟」と称する「背中に御本尊を縫い込んだ袈裟」を唯一の後ろ盾に偉ぶっていますが、実は身延の化儀である「経帷子(きょうかたびら)」などはその一例です。

 それらはどれも、大聖人の教義の根本の一つである「観心の本尊」を、勤行・唱題によって内なる本尊を顕わすための対境とするのではなく、ただのお守り札としてありがたがるという、完全なニセ本尊(!)なのです。

 つまり身延あたりで販売しているお守り札と同じように、愚かな信者に販売して金を巻き上げていたのが退席寺派の数百年の昔からの悪しき伝統なのですから、とにかく最悪の謗法です。嗚呼、富士の濁流700年!


<ニセ本尊その1> 未来本尊(みらいほんぞん)

骨壺(こつつぼ)に入れたり、棺桶(かんおけ)に入れて焼くためのニセ本尊の一種で、退席寺派が昔から末寺で金儲けのために発行していたものです。
つまり、古くから退席寺派においては御本尊を不敬した五老僧の邪義(本尊を死体と一緒に棺に入れて焼く)を実践していたという証拠です。
退席寺派の宗務院が発行している坊主の正式な化儀のマニュアル「日蓮正宗教師必携」にも、
「古来末寺において、御形木の未来本尊を発行する習いがあったが、これはよくない。」
と書かれていました。ところが日犬になってからこれは、「よくない」を
「今は行わない」
と改訂し、退席寺での所化(出家したばかりの坊主)の研修で実物を見せて教え込んでおり、ニセ本尊再発行の準備中のようです。
事実、なんと2000年夏に札幌の日犬宗末寺の法華講員の葬儀で、埼玉から参列した親戚の学会員S田さんが見たものは、棺の中の死体の上に載せたこの未来本尊というニセ本尊だったのです!ついに日犬宗はニセ本尊の一つである未来本尊を復活させ、元の邪宗のウンコにどっぷりと漬かった「富士の濁流」に戻ったのです!

御本尊とは、我ら凡夫が余念無い自行化他の唱題行によって内なる仏を成(ひら)くための対境(したがって、正式名称を「観心の本尊」と呼びます)であって、骨壺に入れたり、棺桶に入れて焼いたりするための「モノ」のことは、世間では「お守り」とか「お札」と称しますが、見かけが御本尊そっくりなので、これこそ「ニセ本尊」と呼ぶのです。

邪宗日蓮宗では御書の「此の御本尊こそ冥途のいしゃう(衣装)なれ」を根拠に謗法の化儀を正当化していますが、日犬も平成9年8月28日の全国教師講習会において同じ御書を引用し、
「土葬、火葬等、死者の精霊が曼荼羅のお伴をするという意義であります」(通称「拷問説法講義録」P.78)
という意味不明の邪義を垂れて、身延と同じ邪法の化義を公式に認めた上で、この「未来本尊」というニセ本尊を正当化しています。邪宗日犬宗の面目躍如です!

添付している写真が「本物のニセ本尊(笑)」である未来本尊の写真ですが、愛知県・M寺の檀徒の息子さんが戦没し、回向したいという親心を悪用されてニセ本尊を売りつけられ、その骨壺の中に長期間折り畳んで入れていたために、折り目の個所を中心に変色して汚れています。


<ニセ本尊その2> 神座(じんざ)

退席寺派が昔から金儲けのために「変造」していたニセ本尊の一種です。
大聖人の時代には無かった邪宗教(金儲け第一)的慣習である「死んだ人間につける戒名」を、もったいぶって付けてまず金を取り、おまけにニセ本尊を「変造」して売りつけて、まさに往復ビンタのようにダブルで金を巻き上げる仕組みです。人の弱みに付け込んでありがたがらせて金をむしり取る他の邪宗といったいどこが違うのでしょうか?
おまけに、第9世日有師は、「神座は禅宗の化儀」(歴代法主全書)である、と述べています。あれれ?大石寺はいったい何宗だったのかな?やっぱり禅宗の伝統があるので、ニセ本尊の神座を販売するだけでは足りなくて、禅寺に墓を造ったのかな?(笑)
邪宗門は、学会が数十の寺院の僧侶たちの総意として提供された日寛上人の本尊を形木にしたご本尊のことを、教義の裏付けも無く「魔物・ニセ本尊の理由は、日銀が発行していないニセ札と同じ」などと口が裂けそうな誹謗をしていますが、日銀が発行しなくてもトラベラーズチェックや小切手や手形のように、ちゃんとみんなを幸せにする証券等があるではないですか。それが「仮本尊」である日寛上人の形木本尊です。
逆に、日犬宗のニセ本尊の場合は、勤行・唱題をするためではなく、棺に入れて焼いたり、単に骨壷に入れておいたり、あるいは天井裏に張り付けたりと、唱題の対境ではないので全く成仏はできないのに、金だけはむしり取る訳ですから、こういうサギ商法こそ完全なニセ札の証拠です。


<ニセ本尊その3> 棟札(むなふだ)

正真正銘の日犬のニセ本尊で、都内のS先輩のお宅にその実物があります。
我ら凡夫が余念の無い唱題(観心)によって、我が身に大聖人様の命を開くための対境が「観心の本尊」ですが、この日犬の棟札は、家を新築した棟上げの時に天井裏の柱に貼り付けて、身延などの邪宗と同じく「お守り札」にするものです。まさか、退席痔の方々は、天井裏で題目を唱えるんじゃないですよね?(爆笑)

大聖人の御本尊には書かれていない「火不能焼」(火も焼くことが出来ない)「水不能漂」(水も漂わすことが出来ない)という法華経の経文で有り難がらせていますが、木で出来ているので簡単に火がつきますし、水に浮かべればもちろん漂います。邪宗門退席寺派の坊主はこんな気休めで何十万円もだまし取るのです。

S先輩宅にある実物は、九州・熊本の学会壮年部N島さん宅の天井裏から、ネズミの小便まみれで見つかりました。
この棟札は、かなり昔から大石寺派が金儲けのために販売していたニセ本尊の一種で、愛知・妙道院の高橋粛道は「宗門としては昭和五十八年にやめた」と言い訳をしていましたが、それまではニセ本尊を販売していた、ということを認めたということです!

さらに、その後平成2年には世田谷・宣徳寺の受付で、所化が「はい、うちでは今もお出ししていますよ。」と正直に証言しました。要するに、金のためなら宗務院のお知らせなど関係ないのです。信じられないような話ですが、本当に事実なのです。なぜなら、ただの邪宗門なのですから!

また、この棟札がニセ本尊である証拠として、皆さんが自宅に安置している御本尊には、左右の肩の部分に「若悩乱者頭破作七分」「有供養者福過十号」という罰と功徳の現証となる経文が書かれていますが、この日犬の棟札は身延がお守りにして売っているニセ本尊と同じで、功徳と罰の現証の文言がまったく書かれていないのです。

それでも四の五の言い訳をする輩には、彼ら日蓮正宗の教義である「はずの」日寛上人の文段を教えてあげましょう。邪宗門は自分たちの教義にすら背いているのです。

「「我が己心を観ず」とは、即ち本尊を信ずる義なり。「十法界を見る」とは、即ち妙法を唱うる義なり。」(観心本尊抄文段)
「「観心」というは、我等衆生、本尊を信じ奉って南無妙法蓮華経と唱うる義なり。」(観心本尊抄文段)


 以上のとおり、退席痔派は、学会の日寛上人の形木本尊をニセ呼ばわりする前に、自分たちが販売してきた「観心の本尊」(勤行唱題して凡夫が成仏するための対境)ではない、ただのお守り札という正真正銘のニセ本尊について、大聖人に土下座してお詫びしてから口を開けることである!

コメント(96)

>>[056]
何も説明ありませんでした
集合写真の横に池田夫妻の顔写真が載ってます


池田大作の最近の写真は聖教新聞に載ってない
数年前の写真を使ってる

元日の新聞にも昨年10月の写真を使用してた

池田大作は少し痩せて、隣で微笑む夫人とは対象的に無表情だった

あまり永くないなぁ

最近…池田夫人が表によく出てくるのは
池田の後継者に関係あると思う


池田大作が亡くなって
創価から池田教が抜けたら少しはマシになるだろう
創価に対する批判は数々あるが
唯一…教学システムは評価出来る

しかし…大石寺派は評価出来る点が見つからない。
s-tanakaさん
新しいトピを作るのもいいけど

聖教新聞の聖教ってどんな教え?
>>[060]

友人の学会員が、「新人間革命の文調が変わった」って言ってました
何となく遺言みたいな感じがするそうです

年齢的に仕方ないですが、池田ファンには重大事でしょう
教学システムは教育者である初代牧口会長の影響と思います

特に御書の編纂は学会の功績でしょう
>>[53]

ご質問に気が付かず、お返事が遅くなりました。

>「独立した宗教法人である浄圓寺から日寛上人の御本尊の提供」を受けたのになぜそのまま「形木」にならなかったのですか?


赤沢朝陽のような仏師の方に聞いてみれば「本尊の化儀」が良く分かります。
御本尊の表装をする際に、汚損したりしている場合には、「整える」と称して書き加えたりすることがあるとのことです。

ちなみに、昭和の時代に、ある法主が全国各地の御本尊の写真を集めたそうで、そのコピーを入手したのですが、退席痔派の資料(かすれた不鮮明な写真)の「経」の部分の伸ばし方などは、現在の学会の日寛上人の形木本尊に近いものでしたよ。やっぱりあんなごく一部のかすれた写真で云々するような卑怯な手口ではなく、ニセだと主張する以上は、全体の写真を示すべきではないでしょうか?


しかも、退席痔派のウソツキたちが最初に行っていた言いがかりの
「十界がそろっていない」
などは、初期の大聖人の御本尊を確認したら、仏界しか書いていない真筆本尊がたくさんあるし、
「脇書を削除している」
などは、草創期の日寛上人の細長い御本尊も脇書を削除していることから、形木本尊の昔からの化儀だとばれたし、そうやって次々に言いがかりが撤退して、今では、
「ワシの許可がないからニセだ」
などと言い出した始末です。

しかし、今さら天魔なんかに允可してもらわなくても、日有上人が化儀抄で允可しているのですから、退席痔派の言いがかりなんか、チャンチャラ可笑しいですよね!

 退席痔派は、学会員の信心を破壊することだけを目的に、ホラを吹きまくっていますが、例えば日寛上人の御本尊を誹謗するための明らかなウソをいくつか挙げてみましょう。

?法主以外も本尊書写をしていた証拠があります
・宗門第一尊厳の化儀と言っていますが、昔は法主以外でも本尊を書写していた証拠が多数あります。
・本六の日仙は4体書写しています。(堀上人が富士宗学要集に記録)
・本六の日華は8体書写しています。(大石寺のすぐ近くにある妙蓮寺の寺宝目録)
 昔は交通が不便で、とかいう言い訳は無用です。わずか2、3キロしか離れていませんよ!
 ただし、このうち1体は偽作の可能性があることを堀上人は分析していますが、日華の花押がしたためられた御本尊が写真で公開されていて、おまけに、妙蓮寺はすべて今も寺宝として所有しています。ニセモノならば処分させるべきではないのでしょうか?要するに、学会員をだますためのウソなのです。

?相承を受ける前に本尊書写
・4世日道上人が二祖日興上人の亡くなった翌年に書写した本尊がありますが、あれれ?まだ相承を受けていないんですけど?
・日舜上人(19世)が日精(17世)から相承を受ける前に2体の本尊書写をしている証拠があります。

 要するに、昔は本尊書写については相当のフレキシビリティで運用していたということです。日犬が必死で特権を独占しようとして、ホラを吹きまくっているということなのです。

?脇書きは法主以外も書いています
 脇書きを削っているから効果が無い、などという完全にイカレた謗をしている法華講もいますが、脇書きの作法を知って言っているのかな?

・元徳2年の日興上人の本尊には、後世の法主でない3人が脇書きしている事実があります。退席痔に保管しているはずだが、見せてみろ!(笑)
・日興上人の本尊に「沙弥」つまり所化小僧が脇書きした本尊があります。要するになんなの?

?相承書どおりに書いていない
・日目上人は「日蓮御判」と書かず、「日蓮聖人」と書いている御本尊がありますが、本尊七箇相承の
「若し日蓮御判と書かずんば天神地祇もよも用ひ給はざらん」
に背いていますね?
 実は、本尊七箇相承の後書きの3ケ条は後世に書き加えられたものだということが判明しているのです。
・日目上人書写の本尊には、
「仏滅度後二千二百云云」と書いていません。ところが、相伝書とされる本尊七箇相承には、
「之を略し奉る事・大癖見不相伝の至極なり」
とボロクソに否定しています。これは、日目上人が相伝を受けていなかったのではなく、日目上人の時代にはそんな相伝が無かった、後世に書き加えられた、ということなのです。

<結論:本尊七箇相承の、七条の後に加えられている後書きの3ケ条は後世のもの。>

?百貫坊の根檀家である井出家には、16体もの歴代書写本尊を持っていたという記録があります。まあ、寝檀家にとっては、歴代の本尊はただの骨董品ですから!(爆)


 御本尊とは、正式名称を「観心の本尊」と呼んで、私たち凡夫が余念の無い自行化他の唱題によって私たちの生命に備わる仏界(御本尊の当体)を成(ひら)くための対境(カガミのような存在)のことです。

 ところが日蓮正宗では、古来より身延と同じようなただのお守り札のニセ本尊を販売して来たのが、歴史の真実なのです。牧口先生が大聖人の仏法に帰依して3年目に、退席痔(大石寺の現状を象徴した表現)とたもとを分かって、
「我々は謗法の真っただ中に敵前上陸したのである。謗法とは日蓮正宗のことである。」
と言われたのは、そうした御本尊不敬の事実を知って破折したのだと考えられます。

 日犬によって完全な邪宗門となった退席痔派が、学会員の信心を破壊するために、日寛上人の形木本尊について明らかなウソをついているので、何も知らない学会員がだまされないために、またウソで洗脳された法華講たちを破折するために、退席痔派の観心の本尊あるいはニセ本尊にはどんな種類があるかを以下に整理しました。


(1)正式とされている「観心の本尊」
?戒壇の大御本尊
 大聖人様の出世の本懐、とされていましたが、実は大聖人滅後100年以上経ってから弘安3年5月の日禅授与本尊を模写(「籠抜き」と呼ぶ)し、彫刻したものと判明。日犬は「偽物である」と言いましたが、ニセモノではなく、立派な模刻本尊です。ただし大聖人滅後の建立なのです。詳しくは、

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1881584101&owner_id=54955889

を読んでみてください。

?一機一縁の御本尊
 (戒壇の大御本尊以外の)大聖人が自らしたためられた御本尊。全国で100数十体が現存していますが、そのほとんどは邪宗日蓮宗等が所有。退席痔派は10数体を所有。
 
?書写本尊(常住本尊とも呼ぶ)
 歴代法主が大聖人、日興上人等の御本尊を紙に墨で書写した本尊。

?彫刻本尊(模刻本尊などの呼称もある)
 紙幅の本尊に和紙を当てて縁取りする(籠抜き)等の手法を用いて、仏師が板に彫刻したもの。戒壇の大御本尊は、この手法で滅後に建立された立派な模刻本尊。

(2)仮本尊と堀上人が呼称した「観心の本尊」
?形木本尊
 写真製版等による印刷の本尊のことをいう。学会員が草創期以来受持した本尊はほとんどが形木本尊。特別御形木本尊というのも、同じく印刷の本尊。
古来より末寺で行っており、9世日有上人が日蓮正宗の正依である「化儀抄」ですでに允可済み。末寺で勝手に印刷していたことは歴史上の事実です。
 昭和50年代になってから、退席痔で一括して印刷発注を開始しましたが、昭和40年代まで法道院の法華講が印刷し、寺の事務所で在家が販売していました。末寺の所化がまとめて購入し、経師屋に表装を注文して紙幅の形木本尊にしていたのです。
 脇書を削除している、などと誹謗していますが、草創期の日寛上人の形木本尊も授与書きも含めて一部の文字を削除しているのです。

?末寺住職による常住本尊
 末寺住職が書写する判形(花押)を書かない常住本尊のこと。日有上人が化儀抄で允可(いんか)済み。

?守り本尊
 懐中に携帯するお守り本尊のこと。末寺での発行を日有上人が化儀抄で允可済み。

(3)本尊もどき(ニセ本尊=唱題するためではなく、邪宗のお守りの類)
?未来本尊
 葬儀の際に、棺に入れて焼いたり、骨壷に入れておく導師本尊のコピー。学会草創期に牧口先生がやめさせた。五老僧の邪儀。(写真を参照)

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1865197534&owner_id=54955889

 古来より末寺で独自に未来本尊の形木を発行していたことも坊主の化儀のマニュアルに記載。マニュアルには「今は行わない」とあるが、2000年に札幌の末寺での葬儀の際に、棺の中の死体の上に置いてあったのです。身延と同じ邪義が復活したのです。

?棟札
 新築の家の天井裏の柱に、棟上げ等の時に打ち付けるニセ本尊。火事や洪水に遭わない、というお呪(まじな)いの書かれた板。(写真を参照)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1865197534&owner_id=54955889

?神座(じんざ)
 戒名のようなニセ本尊。日有上人は「禅宗の化儀」と指摘。(写真を参照)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1865197534&owner_id=54955889

?免許袈裟
 僧侶が教師の免許をもらう時に法主から贈られる袈裟で、背中の裏地に本尊を書き込んでいる。経帷子(きょうかたびら)と呼ぶ邪宗日蓮宗の化儀。


 特に、(3)の数々の本尊モドキは、勤行・唱題をするためのものではなく、身延と同じくただのお守り札の販売をしていたのが、退席痔派の数百年の「富士の濁流」の歴史なのです!

いろんな御本尊を作ってりなぁ(笑)

しかし…すべて日顕が始めたわけじゃ無いだろう?

…ってことは
破門騒ぎ以前は学会もこれらの御本尊を認めてたのか?
>>[67]

まったく何もご存じないのですね?

○未来本尊(棺に入れて焼くための御本尊みたいなモノ)は、牧口先生が厳しく否定して、邪臭悶はやめることになった。

○棟札(天井裏に貼り付けて火事や洪水から家を守ってくれるお守り札のようなモノ)は昭和58年に臭悶の通知でやめることになったはずだが、世田谷の宣徳寺では平成2年になっても受け付けて発行していた。

そんなただの邪宗教を、広宣流布のためだけに庇い、守ってきた学会を、消費税の導入に便乗して塔婆を1000円から3000円に値上げするという通告を学会から拒否されたことを理由にカットしたのが退席痔派の真実です!

要するに…
邪宗を庇ってきたんですね

刑法だと…共犯もしくは犯人隠匿で罰せられる(笑)


戸田先生も宗門に気を許してはいけない、僧侶に大金を持たしてはいけない…と言ってたでしょう?
それなのに多額のご供養をさせていたのは学会

会館近くのお寺は笑いが止まらなかったでしょうね



犯人グループが仲間割れして
共犯者の情報を公表して保身してるとしか見えません(笑)
>>[69]

> それなのに多額のご供養をさせていたのは学会

ちなみに言いますと、創価学会が日蓮正宗に当時行ったのは
"ご供養"ではなく"お布施"です。

"ご供養"であれば、なんら問題はないのですが"お布施"となれば話は別です。

"ご供養"と"お布施"の違いと言う物は明るみにしているものと隠して渡すものの違いです。

解りやすい例を挙げるならお供え物、お賽銭、お御籤やお守り、塔婆供養、
創価学会や大石寺の曼荼羅授与の際に渡す金品で、金額が比較的明瞭であり
周りが解るような形で差し出す物と言うのは"ご供養"の中に分類されます。

対する"お布施"と言うものは、巷で行われている募金や創価学会が行っている広布基金。
謝礼金等で金額を包み、差し出す相手にしか明かさない物が"お布施"と言うものです。

まー政治の世界で言う表の金と裏献金の違いですね。

神社等でも基金額を公示させている物は"ご供養"に分類され
公示させていない物を"お布施"に分類されています。

もし、創価学会が戸田さんが言うように大石寺を邪宗と知りつつ
会員達に"お布施"を指示していたとするならばそれは明らかなる謗法行為を助長していた事になります。

日蓮は悪僧に対しては"ご供養"は行うべきではあるが
"お布施"は行うべきではないと言っているわけですからね。
>>[70]

僕は明らかに創価学会内ではこぞって交換した「日顕さんの御形木本尊」は
「観心の本尊」の用途に用いられる物だと思いますけどね。
更に言えば大石寺にある板曼荼羅、いわゆる大御本尊と呼ばれるものも。
会員が「観心の本尊」と捉え題目を唱える本尊に対して本物もニセ物もありませんよ。

もしそこで気分が悪くなると言う現象が起きるとするならば
それは自らの心が南無妙法蓮華経に定まっていない。
妙法蓮華経を信じることが出来なくなっていると言う事が原因となっているものと思います。

つまり、s-tanakaさんが挙げられたものを繋ぎ合わせると
「日顕さんの御形木本尊」では気分が悪くなると言ってる事が
南無妙法蓮華経を信じ切れていないと言う事にも繋がる物だと思います。

ま、僕の回答よりもs-tanakaさんがどう返答されるかが
双六さんが求めるところの回答だとは思いますけどね。
>>[071]

なるほど裏金ですか
宗教法人の財布の中ですから…(笑)


長年一緒にやりながら
喧嘩別れしたとたんにイイコちゃんぶるのは(笑)


堅皇さんに教えて欲しいのですが

学会の「お守り御本尊」見たことはあるのですが
どういう主旨で、どんな立場の人が貰えるのですか?

>>[73]

学会の「お守り御本尊」は僕持ってますよ。
その昔は御本尊を安置出来ない環境にある人って言われてましたが
近年は誰でもです。
>>[074]

入院した人がよく貰ってるけど
入院した人全員が持ってるわけじゃないし

「お守り」って名称も???って思う
>>[75]

> 「お守り」って名称も???って思う

ま、確かにね。
創価学会の入会数と言うのは一般的に人数ではなく世帯換算するのは
通常の本尊授与は一世帯に一つだから
本尊の授与数を持って公称○○万世帯と言っているわけですが

本尊流布の嵩増しを目的として近年は
一人に一つと 「お守り」の授与をゆるくしているのだと思います。

「お守り」を与える条件として
先にも挙げたとおり
・御本尊を安置出来ない環境にある人

入院や出張などと言った条件が掛かる人と言う事と
もう一つは
・御本尊を大事に出来る人

この二つの複合ですかね。

「入院した人全員が持ってるわけじゃない」と言うのは
二つ目の条件から漏れる場合は外れると言うところですか。

近年においてはこの辺があまりにゆるくなっているので
一世帯に一つと言うよりは入信が長い人には
一人に一つと言う運動があった時期があるのではと思います。

加えて言えば、未入信の創価とあまり縁してない友人からも
入会を誘われた時に「お守り本尊」を薦められたという話も聞きましたから
今はもう、けっこう誰でもって印象は強く受けます。

ま、僕の場合はこちらから欲しいと言ったわけではなく
当時の地区部長と地区担の夫婦が何日も受けてくれと通われたので
やむなく承諾したという感じでした。
>>[077]ありがとうございます
ずいぶんいい加減だなぁ〜

>>[077]

私は「お守り御本尊」は無用と思ってます
知る限り…まさしくお守りとして他力本願の信心してる人が多いです

学会の指導が御本尊に哀願するようなものなのに
入院中の人に「お守り」を持たすと
ますます勘違いする
>>[79]

どうなんですかね。
僕は「お守り」及び「お守り御本尊」は謗法ではないと言う時点でどちらでもいいです。
要不要は各人の判断に委ねると言ったところでしょうか。

また「お守り」が他力本願の切っ掛けになるとすれば
「お守り」を取り上げるのではなく「お守り」の意義を問うて見るという感じですかね。
>>[080]

自分の生命力を上げる題目が…「お願いします」に使われるのは病人には不幸なこと
昔のように東を向いて御本尊を心に浮かべて題目する方が良いと思います

>>[81]

東に向きですか。
ちなみに何故に東へ向くと言われているかをご存知ですか?
>>[082]

理由は知らないけど日が昇る方向だからでは?
>>[83]

それもあるでしょうね。
と言うか東に向うのも御形木に向うのもお守りに向うのも同じだと思いますけどね。

ですから、お守りだから他力本願となるというわけでもないと思います。

それと…「お願いします」、つまりは念仏と言う物は本来は感謝の意を示す物ですから
この行為自体が謗法と言うわけでもない。

謗法となるのは…「お願いします」だけに固執して自分でどうこうしなくなる状態。
また、逆に自分で何とかするから他人の手は一切借りないと意固地になるのもどうかと言うところです。
>>[084]私も

結局は本人の信心の姿勢だと思いますし「お守り御本尊」が謗法とは思いません

病気は医師の治療と本人の病魔に勝つって意志ですが
病気で弱ると頼ってしまいやすい

「御本尊が守ってくれる」と医師の指示を疎かにする人もいます

お守り御本尊をどんな人が貰えるのか気になってたのですが
なんと言うかあせあせ(飛び散る汗)
>>[85]

それを言ったら宗教自体が病気ないし何か自分では解決出来そうも無い悩みがあって
嵌り込むところがありますからね。

そこで、自らのこれまでの行動を顧みる事が出来るか
ただ単に他力本願に陥ってしまうかの分かれ目と言うところなのではないでしょうか。
>>[70]

お返事が遅くなりました。

>交換した「阿部さんの御形木本尊」は「観心の本尊」ではなかったのですか?

「観心の本尊」の一種です。しかも、広宣流布を破壊しようとした天魔にやられた法主が書写した本尊の形木ということで、未来の世界広布の時にはプレミアムがついて珍しがられるかも知れませんし、ニューギニアかどこかの文明と途絶された奥地で、社会的な動向を何も知らずに、ただ余念なく観心の本尊即大聖人と信じて題目を唱えれば仏力・法力は生まれることでしょう。

しかし、情報が十分に供給される現代社会で、日犬の形木本尊に「問題意識も無く」題目を唱えたならば、その天魔の生命に感応して、権威主義という「人間生命をバカにした」第六天の魔王の生命が涌き出て来るのです。
実際に、私が謗法払いした日犬の本尊を持っていた方々は、皆さん「確かに他人をバカにする気持ちが強まって来た」と証言しています。

邪宗教への無知は不幸を招くのです。

>>[72]

あなたのように、全人類を蘇生させることへの責任感を持っておられない方には、南無妙法蓮華経という「一切衆生を救済する誓願の教え」の意味が理解出来ないのだ、ということがよく理解出来ます。


>「日顕さんの御形木本尊」では気分が悪くなると言ってる事が
>南無妙法蓮華経を信じ切れていないと言う事にも繋がる物だと思います。

日蓮大聖人の誓願である一閻浮提広宣流布を根本とするならば、その誓願を放棄し、世界広布を進める学会から、供養(お布施?)を3000億円(金利だけで1日100万円以上)ふんだくった上で、さらに塔婆の値上げ(消費税に便乗して、1000円⇒3000円)を要求して、これを学会に拒否された腹いせに、20万人の学会員をかすめ取れたら良い、と学会に対して「責任役員の1/2を宗門に渡せ」(要するに経営乗っ取り要求)という文書を突き付けようとした日犬の名前を見て、怒りを覚えない方々は、それだけで無知か権威主義か、その両方でしょうね。


>>[80]

名称は昔のように「お守り御本尊」と言ったり、「ペンダント御本尊」と呼んでみたり、いろいろあっても、結局はただのおすがりの対象か、大聖人の御生命だと信じ、あるいは大聖人と我々を一体化させる窓口だと確信して題目を唱えるかの違いでしょうね。要するに、
「ただ心地あ節こそなれ」
なのです。
お守り御本尊を持っていても、強い信力で題目を唱えないと仏力・法力が生まれないので、何も無いより有った方が御本尊を思い出しやすい、というのが現場の学会員の実感ですよ。


>>[88]

なんかあまりにもしょーもない話過ぎてなにをどうと言う事も無いのだが
ご供養やお布施と言う物は出したが最後、その金額なんてもう覚えていませんわ。
後になってギャーギャー騒ぐぐらいなら最初から出さなきゃいいだけの話です。

なんつーか、話を聞いていると後で
倍になって帰ってくるとかの下心があっての話と言う事ですよね。
"ふんだくった"も何もふんだくられた覚えは最初からないのですが。

そもそも基本ご供養やお布施と言う物は困っている人に差し出すものです。

受け取る側も受け取る側なら与える側も与える側だと思うだけの話ですね。
>>[089]

>何も無いより有った方が御本尊を思い出しやすい、というのが現場の学会員の実感ですよ。

無ければ御本尊を思い出し難い信心をしてるって事ですね

私には想像出来ないのですが、具体的にどんな信心の姿勢をしたらそうなるのですか?

>>[90]

すべてを「広宣流布のために」と考えるのは、やはり学会だけのようですね?

残念ながら、あなたたちの言葉の端々に、また行間からにじみ出ているのは、単なる己義であり、蛍火であり、蟻塚であり、カササギでしかない、というのが実感です(開目抄を読みましょう)。大変に残念なことです!


>>[93]

>無ければ御本尊を思い出し難い信心をしてるって事ですね

⇒ あまり庶民の現場をご存知ないようですね?お守り御本尊を受ける方のかなりが家族等の反対で形木本尊が安置できない場合ですが、そうした境界領域で実践を始めた方々に「無ければ御本尊を思い出し難い信心」などという無慈悲なバカがどこにいますか?


>私には想像出来ないのですが、具体的にどんな信心の姿勢をしたらそうなるのですか?

⇒ ひょっとしてあなたは学会員の親を持つ、俗に学会2世とか3世とか呼ばれる方のようですね?恵まれた環境に胡坐をかいて、民衆への感謝を忘れた不知恩の者に対しては、大聖人は厳しいですよ。不知恩は悪道に堕す、とも地獄に堕ちる、とも示されていますので、十分に我が身を御書に照らして信心に励みましょうね!


>>[094]

あらら…入院中や単身赴任中の現役学会員の話をしてるのに、すり替えですか?(笑)

おかげで、御守り御本尊を乱発してる事がよくわかりました
そうそうYouTubeに、元学会の顕正会員が御守り御本尊を燃やす動画がアップされてますよ
顕正会で検索して下さい
>>[094]

>私には想像出来ないのですが、具体的にどんな信心の姿勢をしたらそうなるのですか?

言い訳はいらないから、具体的に教えて下さい。

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