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ラブリィ創価学会コミュの池田創価学会が正本堂に固執する本当の理由

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昭和42年10月12日、
池田大作は正本堂の発誓願文において、

「詮する所、正本堂の完成を以(もっ)て、
三大秘法ここに成就し『立正』の二字、
すでに顕現(けんげん)せんとす」

と述べ、

「すでに大聖入御在世中に、
<慧(え)>たる本門の題目、<定(じょう)>たる
本門の本尊は建立された。
そして、ただ<戒(かい)>たる本門の戒壇のみが
『時を待つべきのみ』と後世に残されたが、
ここに深い意義を感ずるのである。
(中略)ここに正本堂建立が、三大秘法の完結を意味するという、
仏法史上重要な意義」

云々と述べた。


すなわち、

「正本堂は広宣流布の暁に建立される本門の戒壇であり、
大聖人の顕わされなかった本門戒壇を
池田大作が願主となって建立し、
ここに三大秘法が完結する」

というのである。


正本堂建立を利用した池田大作の大慢心である。


すなわち池田は、『撰時抄』『報恩抄』に、
「法華経の円頓(えんどん)の別受戒を叡山(えいさん)に建立せしかば、
(中略)伝教大師は、其(そ)の功を論ずれば竜樹・天親にもこえ、
天台・妙楽にも勝れてをはします聖人なり」
(御書842頁)

「されば内証は同じけれども、法の流布は迦葉・阿難よりも
馬鳴(めみょう)・竜樹(りゅうじゅ)等はすぐれ、
馬鳴等よりも天台はすぐれ、天台よりも伝教は超えさせ給ひたり」
(御書1036頁)

「正像二千年の弘通(ぐつう)は末法の一時に劣るか。
是(これ)はひとへに日蓮が智のかしこきにはあらす、
時のしからしむるのみ」
(同頁)

等とある御文を示した上で、


さらに
「インド、中国、日本の三国にわたり、二千余年の仏教の歴史において、
時に応じて出現したあらゆる論師、大師、大菩薩、大僧正等々と崇重されし
人々よりも、日蓮大聖人の御弘通が勝(すぐ)れたもうこと
百千万億倍である。
しかるに日蓮大聖人は、本門の題目、本門の本尊のみ建立あって、
本門戒壇の建立は後世の弟子に遺付(ゆいふ)あそぱされたのである。
ゆえに後世において、その時を得、本門戒壇建立の成就される時こそ、
三千年の仏教史の最も重大な時である。
日蓮大聖人の御入滅後七百年、国家権力の迫害を受けて、
拷問(ごうもん)され、追放され、遠流(おんる)され、
首斬られし人々よりも、我ら創価学会の弘通は遥(はる)かに
勝れている。
あるいは江戸時代のごとき大平時代に、幾千万巻の経典を結集したり、
多くの師弟の養成をなした人々よりも、
われらの弘通は百千万億倍勝れるのである。
これすなわち時のしからしむるのみ」
(昭和39年11月『撰時抄講義』の序)

などと述べている。


さすがに、回りくどく表現してはいるが、詰まるところ、
大聖人の仰せられている、

「天台大師と後身(ごしん)の伝教大師は、その内包は等しいけれども、
迹門(しゃくもん)戒壇建立という法の流布において、
天台より伝教の方が勝れる」(趣意)との
御金言を前提として、

「日蓮大聖人ですら建立できなかった本門戒壇を、
七百年後に建立する池田大作は、その弘通において大聖人より勝れる
(いわんや、七百年間に出現した先師方や、法難によって
斬首された熱原の三烈士、また江戸時代に、甚深の教学を体系化して
数多の人材を輩出された日寛上人等よりも、池田は百千万億倍勝れる)」

「釈尊の予言を証明した大聖人は釈尊よりも勝れ、
大聖人の予言を証明した池田は大聖人よりも勝れる」

と言いたいのである。


こうした池田のホンネは、種々の発言の中にも顕われている。

「大聖人の場合は人数も少なかった、時代も違う。
弟子も少なかった。信者も少ない。
そういう意味からいえば楽である。
我々の場合には時代は激動である。
そしてマスコミもある。陰険な人間ばかりである。
大変なことである。
しかし一代で終らない。
大聖人の場合には一代で一応終えられた」
(昭和52年1月16日・第4回伸一会総会)


「大聖人は700年前ご出現なされた。
しかし、全然広まらなかった。
創価学会が正しいんです」
(同年1月26日・第2回「インタナショナルの日」)

等々。

これらを見れば、池田が、自分は弘通において大聖人より勝れる、
との大慢(だいまん)を抱(いだ)いていたことは、
誰の目にも明らかである。


以上のことから、池田本仏論の全貌は、

「池田大作は御本仏日蓮大聖人の再誕(さいたん)である、
よって大聖人と池田は内証において等しいが、
広宣流布を達成し本門戒壇たる正本堂を建立するという弘通において、
池田の方が大聖人よりはるかに勝れる」

というものであったことがわかる。


何とも呆(あき)れ果てた大慢心、
恐るべき大謗法ではないか。


そして事実、正本堂建立に向かっていた当時の学会では、

「大聖人ですら本門戒壇を建立することはできなかった。
それを今、池田センセーが建立されるのだ」

「大聖人が出現しなければ、釈迦の予言は嘘(うそ)となり、
釈迦は虚妄(こもう)の仏となるところだった。
だから、大聖人は釈迦を守ったといえるのであり、
大聖人の方が釈迦より勝れるのだ。
そして、大聖人の<広宣流布><本門戒壇建立>の予言は、
池田センセーが出現して正本堂を建てられなければ、
虚妄となるところだった。
だから、あまり大っぴらに言ってはいけないが、
池田センセーは大聖人より上なのだ」

等々の指導が、再三にわたって口コミで流されていた。


こうした指導は、当時、じつに数多(あまた)の会員が耳にしており、
これを真(ま)に受けた愚直な会員が、座談会の席上、手を挙げて

「日蓮大聖人のことは<大聖人>と呼ぶのに、
どうして池田センセーのことは<大聖人>と呼ばないんでしょうか」
と真顔で質問し、
担当幹部が返答に窮(きゅう)した、などという笑えない話もあったとか。

また、こうした「池田/勝(しょう)・大聖人/劣(れつ)」という
池田本仏論の上から御書を読むから、

『観心本尊抄』の
「当(まさ)に知るべし、此(こ)の四菩薩、
折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責(かいしゃく)し、
摂受(しょうじゅ)を行ずる時は僧と成って正法を弘持(ぐじ)す」
(御書661頁)

との御文や、

第二十六世日寛上人がこれを釈した『観心本尊抄文段(もんだん)』の、
「折伏に二義有り。
一には法体(ほったい)の折伏。
謂(い)わく『法華折伏、破権門理』の如し。
蓮祖の修行是れなり。

二には化儀の折伏。
謂わく、涅槃経(ねはんぎょう)に云わく
『正法を護持する者は五戒を受けず威儀を修せず、応(まさ)に刀剣(とうけん)弓箭(きゅうせん)鉾槊(むさく)を持すべし』
等云云。
仙予(せんよ)国王等是れなり。今化儀の折伏に望み、法体の折伏を以て仍(なお)摂受と名づくるなり。
或(あるい)は復(また)兼ねて順縁広布の時を判ずるか」
(文段284頁)

との仰せも、

[地涌の四菩薩は、妙法の法体を建立する「法体の折伏」を行する時には
聖僧・日蓮大聖人として現われ、
建立された法体を広宣流布する「化儀の折伏」を行する時には
在家の賢王・広宣流布の総大将たる池田センセーとして現われる。

しかして、大聖人の「法体の折伏」は、賢王の「化儀の折伏」に対するとき
には摂受となってしまう、
というのだから、
池田センセーは大聖人より勝(まさ)る]

などという、とんでもない解釈になる。


いずれにせよ、こうした池田本仏論を完成させるための、
欠くことのできない要素は

「池田センセーが広宣流布を達成し、それを象徴(しょうちょう)する
御遺命の本門戒壇を建立した」

という事実である。

これなくしては、池田本仏論は、実証が伴わない、
単なる虚仮(こけ)の言葉となってしまう。

それ故、池田は何としても、
正本堂を御遺命の本門戒壇であることにしようとして、

正本堂が直(ただ)ちに
御遺命の戒壇でないことが明確に決定された
(昭和47年4月28日の日達上人訓諭)後も、

どこまでも固執(こしゅう)し、

「本日、700年前の日蓮大聖人の御遺命が達成されました。ありがとう」
(昭和47年10月12日のメッセージ)

「実は、本門事の戒壇は正本堂という御本尊がある。
猊下と私だけの唯仏与仏だ。
板本尊で、まさしく化儀の広宣流布の800万は、明確に終わった」
(昭和48年12月29日・第2回御義口伝受講者大会での発言)

等々と述べ続けたのであった。

こうした、正本堂に対する池田の強烈な思い入れが、
当時、宗門との間で様々な軋轢(あつれき)を生じ、
また妙信講(現・顕正会)問題を引き起こした元凶であった。

しかし池田は、いかなる問題が起きようと、
あくまでも自らの大慢を捨て去ることなく、
昭和65年(平成2年)を「広宣流布の大総仕上げの年」と見立てて、
この時に正本堂を御遺命の本門戒壇とすべく、
最後の執念を燃やしたのである。

この池田の大慢心による野望は、
現御法主・日顕上人猊下によって粉砕(ふんさい)された。

池田の大慢心を看(み)て取られた日顕上人は、
池田を宗外へ永久追放すると共に、
池田創価学会がどこまでも
(破門後までも)「本門事の戒壇なり」と固執する正本堂を、
跡形(あとかた)もなく地上から撤去(てっきょ)なさったのである。

これによって、池田大作が長年抱き続けてきた大慢心…

…池田が本門戒壇を建立して、大聖人より勝れる仏の座に着く、

という

「池田/勝・大聖人/劣」の池田本仏論は、

依るべき根拠を失い
(むろん教義的にはもとより成立しえない邪義・迷妄なのだが)、

千万に一つも実現する可能性はなくなってしまった。

だからこそ、正本堂解体の際には、
何としても解体を阻止(そし)しようとする
学会・公明党の妨害が凄(すさ)まじかったし、

これを斥(しりぞ)け
正本堂を解体したことで、
日顕上人に対する憎悪・怨嫉(おんしつ)は
極(きょく)に達した感がある。

正本堂に絡(から)んだ池田大作の恐るべき
大慢心の正体を突き止め、究明するとき、

正本堂を大石寺境内地から撒去しなくてはならないことは、
日蓮大聖人の正系門流としての信心に照らして是非(ぜひ)もなかろう。

われわれ日蓮正宗僧俗は、奉安堂建立の時にあたって、
このことをしっかりと肝に銘じ、
日顕上人の御英断に感謝申し上げるべきであろう。


http://www13.ocn.ne.jp/~ryouran/html/souka_6.html

コメント(59)

>>[21]

資料提供ありがとうございます。

第3文明社ともなると聖教新聞社には及びませんが
かなり公式に近い資料とも言えますね。
しかも2011年7月3日初版となればかなり近年です。

さて、s-tanakaさん、これはどうなんですかね?
>>[18]

日如上人御本尊への誹謗・「南」九画・「写」について 01

http://www.youtube.com/watch?v=4IgA43H3mdo&feature=youtu.be


御本尊はただの「文字」ではなく御仏の御命そのままのお姿 07

http://www.youtube.com/watch?v=JTuUzZynpmk&feature=youtu.be


>>[22]

おっしゃりたい事は重々ですよ。

てか、創価新報は旧大学新報ですから購読層はどちらかと言えば
古参の学会員ではなく若者や新規会員をターゲットにしてますからね。
また第三文明社に置いてもしかりですね。

とするならばやはりs-tanakaさんの

> 今は古参の学会員のことを考えて、従来の宗旨を否定していないようですが

といった発言はやはり解せませんね。

ま、取り合えずs-tanakaさんの弁明をお待ちしたいと思います。
>>[27]

> tanaka氏からは、もう何も「応答」は無いと思います。

えっ、そうなんですか?

> 反論できるならやってみよ!
> さあ、いよいよ反論できるならやってみよ!

僕はこう言った口調で相手に詰め入るs-tanakaさんならお答えしてくれると思っているんですけどね。

本当に「応答」が無いとするならば
それはよく創価や大石寺信者さんが使われる「遁走」というやつではないですか。
そんな事はないとはs-tanakaさんに対しては切に願っているのですけどね。

僕は何も大御本尊は模刻の疑いなどないと言っているわけではなく
その見解は創価学会にはないと言ってるだけなんですけどね。
>>[29]

> 必ず、近い将来、教義の変更が「あるはずだ」との信念(願望)を
> 強く強く主張しているんですよね、

それは当然こちらとしても解った上での指摘なんですけどね。

> 堅皇さん だけなら、退会者ですから、適当にあしらっていても
> 間に合ったでしょうが

あしらうも何も僕の質問に関しては自身の日記では無回答ですから。
で、忙しいと言い訳をしたと思ったら
自分ところの日記を放り投げてまで
大石寺の内情の事も良く知らない法華講の方を相手に
またまた饒舌に吼えてますからね。

僕がs-tanakaさんに言いたいのは言うべき相手の矛先が違うだろと言う事です。

先ず大御本尊が模刻の疑いがあると言う主張であれば
自身が所属する団体
創価学会の公式見解に異を唱え
執行部に対し一言言うのが先だろうと言う事。

加えてこれらを指摘するのであれば
大石寺の内情の事も良く知らない法華講相手ではなく
その真相を知っている大石寺僧侶に対してではないかと言う事です。

こう言った順序を踏まずに
何故に大石寺の内情の事も良く知らない法華講の方にだけ
吼えているのかってことですね。
まさに遠吠え。
それはあまりにもみっともない行為だと言う事。

もし、創価総体がこう言った姑息ともいえる人を容認しているとするならば
創価学会と言う組織も底が知れていると言う事ですよ。

> 参考までに
> 私は、変更は永遠に無いと思いますよ、
>
> 一閻浮提総与の三大秘法の大御本尊・・永遠に不変ですね。

僕も創価学会と言う組織が三代会長を永遠の指導者と掲げている時点で
これに対する変更はないであろうと言う認識にいます。

もし仮に変わることがあるとするならば会則の変更に伴い
現在の池田体制からの脱却が行われた場合であると思っています。

でも、今の現状を見ましてそれもないだろうと思います。
何故なら現創価学会は間違いなく池田教であると思いますから。
>>[24]

私が事前に指摘しておいたことに全く反省もせず、今度は妙観光のウソの代わりに、変態ヒゲオヤジの偏執動画を貼り付けただけですか?(爆)


>チビあやさんも、自分の主張を述べるのであれば、少しは自分の言葉を示してはいかがですか?でないと、ただの邪宗だと自分で証明しているようなものですよ!
>おバカな妙観光の主張の引用をそのままバカの一つ覚えのように貼り付けて天下に恥をさらすものではない!私は、あなたに対して、碩学堀上人の記録に対して反論出来るのかを問い詰めているのである!


以上のような破折に対して、完全に回答も反論も不可能だと認めた訳ですね?

結論:チビあやさんは、自らの言葉で反論不可能となり、反論を放棄して、直接的には関係のない偏執動画を貼り付けて誤魔化していることから、自らの過ちを認めたものと見做します。

>>[19]

なかなか私の論理に対しての理解をしていただけないので、お二人で適宜納得していただいて、多忙が続くため私は私の使命に徹しようかと思ったりもしましたが、一応可能な限りは説明をしておくのが人間としての誠意だと思って少し解説をしておきます。

>学会の「現時における」公式見解と、私の主張とは、全く何も矛盾してないのです。

と書いたように、学会が現時点で確認できる事実の範囲では証拠不十分で教義的な変更をしないのはやむを得ないのでしょうけれど、それはそれで特に目くじらを立てる必要もなく、私はどこまでも御書に基づいて、「証拠」を示し続けることで、真実を浮き彫りにする努力を続けているのです。

また、その目的は、どこまでも学会員の信仰面での退席痔派からの自立のための触媒あるいは抗体のような効果であり、だからこそ大聖人の御書を基準にした教義体系を目指しているのです。
例えば、

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1865307464&owner_id=54955889

などは、そうした観点からの成仏観の転換を目指した日記です。(後輩の研究発表の内容ですが、これも表現者の角度を変えることで理解が進むことを期待してアップしたものです。)

堅皇さんと根本的に違うのは、釈迦の法華経を日蓮大聖人が実践論に昇華し、三代の会長とりわけ池田SGI会長が、地球規模での法華経の行者のネットワーク(創価学会仏)を構築・育成したことで法華経の具現化が進んだという、歴史的な妙法蓮華経という哲学の進化を証明しようとしていることです。

あなたの場合は、どうやら脳科学や遺伝子工学を学んでおられないようですので、法華経の存在意義を客観的に研鑽出来ていないことが文章から良く理解できます。また、大聖人の言葉に照らせば、学会に所属の時期にもすでに本質的な問題を孕んでいたようですし、将来については本当に心配せざるを得ません。
だからこそ、もう一度御書の全編を丁寧に読破されることをお薦めいたします。


一つ一つに回答しようと思いつつ、相変わらず仕事が超多忙のため、破折論文はドラフトのままで、文章の作成をする暇がありません。いつになるか分からないので、その旨御了承ください。それではまた。

>>[32]

> でも、ある意味、堅皇さんの鋭い指摘のお陰で
> tanaka氏は、救われたと思いますよ。

本人の弁明を読む限りそうでもないと思いますよ。
この辺の問題はs-tanakaさんが創価学会員である以上
それは創価学会内部での問題かと思います。


>>[34] s-tanakaさん

> なかなか私の論理に対しての理解をしていただけないので、

あのですね。
僕がs-tanakaさんに対して今言ってる事は
あなたの論理云々を言っているわけではないと言う事をご理解頂けていますかね?

何度も言いますが模刻問題に関して言えば僕は間違いがあると言っているわけではなく
それを向ける矛先が違うといっているわけです。
その他のあなたの論理云々はまた別問題です。
お解かりですか?

あなたの主張したいことは
> ? 日禅授与本尊に籠抜きをした形跡が残っているかを確認せよ
> ? 戒壇の大御本尊をわずか数mg削って、AMS法で炭素14を分析せよ

ですよね。
そりゃー一般的に考えれば鑑定すれば一目瞭然だとは僕も思いますよ。

しかし、もくれんさんが提示された創価公式では
> なんと、日顕は、教学部長時代に「本門の本尊」である戒壇の大御本尊を勝手に
> 筆跡鑑定にかけた挙げ句、[偽物]と断定した。

つまり籠抜きがどうのAMS法で炭素14を分析云々の前に
創価とすれば大御本尊を勝手に筆跡鑑定にかけた事ですら批判対象なんですよ。
これは小樽問答で日蓮宗より鑑定を迫られた時から
創価学会としての大御本尊に対する扱いは変わってない事です。

それでもこれを覆し鑑定したいと言う場合はやはり創価執行部を納得させ
創価総体が動かなければ単なるあなたの独りよがりだと言っているわけです。

> 学会が現時点で確認できる事実の範囲では証拠不十分

ならば尚更、その証拠不十分であると思われるものを
創価公式見解を飛び越えて創価学会員であるs-tanakaさんが勝手な独断で
法華講の方々に対し学会員を自称しながら話し続けるのでしょう?

> だからこそ大聖人の御書を基準にした教義体系を目指しているのです。

それはあくまでs-tanakaさんの勝手な思いですよね?
もくれんさんに言わせればそれは己義であると言う話でもあります。

僕の事を自分宗と言っておられますが
s-tanakaさんのやっておられる行為の方が自分宗であり
また、創価学会と言う名前を語った偽装宗ですよ。
学会員を名乗りながら主張していることのそもそもが違うのですから。

お解かりですか?

僕が創価から正式に退会して、また何処の組織にも属していないのは
何処の組織にもある公式に縛られる事なく
純粋に南無妙法蓮華経とは何かを追い求めたいからでもあります。

当然僕の話は創価の方から言わせれば己義と言われるでしょう。
しかし僕から言わせれば創価の方が己義であると言う主張なんですよ。
これは退会に先立ち組織の方と何度も話し合った事です。

ところがs-tanakaさんは創価の看板を前に出しながら
創価とは全く違う逆の事を主張しています。
ぶっちゃけた話、卑怯なんですよs-tanakaさんのやってる行動って。

もくれんさん曰く

> 必ず、近い将来、教義の変更が「あるはずだ」との信念(願望)を
> 強く強く主張しているんですよね、

s-tanakaさんは、本当に創価組織の幹部とちゃんとお話しているんですか?
話していればあなたが考える教義の変更など「あるはずがない」と言う事は
ちゃんとお解かりになると思います。

引き止める創価職員に対し僕が留まるために出した条件は
教義の変更に纏わる事ですから。
はっきり言いましたよ近い将来もなにも遠い未来も
教義の変更など「あるはずがない」とね。

個人的に、また創価学会と言う組織内で
御書を基準にした教義体系を目指すのはどうぞご自由にと言う事ですが
それはあくまで創価内部の中の人と遣り合って下さい。
組織内で煮詰まってもいない教義体系で
さも、組織の代表かの如く
我こそはと言った得意げに他宗批判をするなと言う事です。

僕に弁明する事も去ることながら
もくれんさんに対する弁明はないのでしょうか?

また、チビあやさんも肩透かしでしょうね。
s-tanakaさんが学会員と思ってやり取りをしているのに
他の学会員さんから、それは創価公式とは違う事を言ってるって言われてるんですから。
>>[36]

御配慮をどうもありがとうございます。

>創価学会員としての自分を大切にしていただきたいのです。

私は、創価学会員およびすべての偉大な民衆のことを大切にしたいだけであって、自分のことは大聖人に捧げてしまっているつもりです。したがって、こうした真実を表現した結果、どのようなことが待っていようとも(せいぜい三類の強敵でしょうから)、真実は真実として追求を続ける決意です。

大聖人の仏法は、真実に基づいて構築されており、学会の規則も大聖人の教えに基づいて進んでいくと信じています。

ちなみに、国立戒壇という邪義なども、劇的に訂正されたし、学会の運営方針も過去に何度か転換されているという歴史を知れば、証拠を示しながら、普遍性を追求し続けることでしか、地球広布は進まないと思っています。

もくれんさんのような基本姿勢は、それはそれで素晴らしいことだと思います。巨大な学会はいろんな人材がおり、いろんな顔を持っていると実感します。それでこそ地球広布を推進出来るのだと確信しています。
>>s-tanakaさん

なるほど。
どうしても突っぱねられるおつもりのようですね。

メッセージ使用の文を引用させて申し訳ないのですが

> 一大秘法である「本門の本尊」の「定義」は、破門後は
> 日蓮大聖人が胸中に所持しておられる久遠元初の法である南無妙法蓮華経であり、
> 又、それを図顕した曼荼羅本尊である・・・・と

> 破門前の「定義」は、そのものズバリ「本門戒壇の大御本尊」でした、
> そして、現在の「定義」と、全く矛盾は無いと私は思います。

この辺は僕も重々承知です。
現在の勤行のご祈念文にもそう記されていますからね。

これを読んで僕も一旦は大石寺の戒壇の大御本尊と言うものは
とうとう創価学会は撤回されたのかなとも思ったんですよ。
その方が創価学会にとっても良いだろうなとね。

ところがですね。
もくれんさんも提示されたように
http://www.miraibu.net/miraibu/topics/koufu/10.html
これを見る限りまだ10月12日の大御本尊図顕の日は今でも健在ですよね。

確か近年の任用試験でも弘安2年は10月12日の大御本尊図顕の日は健在でしたよね。
正直これを見てこの後に及んで何を言ってるんだ創価学会と思ったわけです。

そしてs-tanakaさんのお話は
「◎戒壇の大御本尊が大聖人御在世には存在していなかった証拠の数々」として
それを裏付ける事として詳細を綴られているわけで
もちろん僕もこれ自体は信憑性が高い物であると言う見識にはありますが
どうもこうもそうなると
創価の現在の「定義」と、全く矛盾は無いとは思えないんですけどね。

これを何処でどう解釈すれば「全く矛盾は無い」と仰れるのか
その理由となることを解るようにご説明いただければと思います。
出来れは同じ創価学会員のもくれんさんにも
大石寺の大御本尊が模刻本尊であったとしても「全く矛盾は無い」と理解されるくらいに。

また更に
> 学会が現時点で確認できる事実の範囲では証拠不十分で
> 教義的な変更をしないのはやむを得ないのでしょうけれど、

などと仰っていますが
それを言ったら大石寺サイドも同じ事なんではないですかね。
なんせ数百年前の出来事なんですから。
更に言えば法華講さんたちが解り得る話でも無いでしょう。

お得意の
「もし証拠無くんば誰人か信ずべきや、かかる僻事をのみ構え申す間、邪教とは申すなり」
を持ち出すなら
それは大石寺サイドだけでなく創価学会サイドにも当て嵌まる事ですよ。
何故に創価は見逃せて、大石寺は見逃せないのでしょうか?

何を聞いてもs-tanakaさんの回答は
> 学会の「現時における」公式見解と、私の主張とは、全く何も矛盾してないのです。
この一点張りです。
どうもこうも矛盾だらけのお話としか思えませんね。

「模刻」がよくて「偽物」がダメって話じゃ誰も納得なんかしませんよ。
>>[41]

> 模刻であるとか、模刻でないとかは、創価学会公式見解には
> 一切、出て来ません・・・ということを大前提として、
>
> 何故、私が矛盾が無いと、言い切れるのは、「観心の本尊」という
> 信仰の概念が大前提だからです、

もともと大石寺の大御本尊が模刻であろうか模刻でなかろうが
そんな事では何の矛盾も起きないんですよ。

ですからね。
チビあやさんが指摘される平成5年9月7日の幹部会の席上での
> ただの物です、いちおうの、機械です。
> 幸福製造機だもの。

といった池田さんの発言に置いても矛盾はありませんし
第一次宗門問題として池田さんが曼荼羅を模刻された事に対しても
そもそもが日蓮の教義上何の矛盾も無いんですよ。

ですから、あの当時、池田さんは日顕さんにそそのかされ
日達さんに謝罪を行ったわけですが
これも別段その必要も無く、毅然とした態度でいれば良かったと言う事なんですよ。

僕が矛盾と指摘する行為は
もくれんさんが証拠として挙げられた創価学会としての公式見解が
これに矛盾すると言いたいわけですね。

そこんところご理解いただけてますかね?

僕が言いたいのはそれだけですね。
法華講の方を糾弾する以前に、創価学会としての公式発表されている物が
矛盾だらけであり、先ずはこれを撤回させるのが先ではないですかと言う事です。

対顕正会、国立戒壇の撤去は創価側に理あり
対正信会、池田さんの本尊模刻は池田さんに非はない
対日蓮正宗、大石寺の大御本尊は"ただの物です"

そもそもの僕の立ち居地から言えば
これらの対立における主張だけを取れば全て創価側に理があると思っています。

しかしながら解せないのは公式見解における不一致による矛盾です。
矛盾を抱えながらの法論は相手にその矛盾を付かれるだけで終わってしまいますよと言う事です。

ですから相手を攻め入る前に
先ずは創価学会自身の矛盾となるものを一つずつ消して行く事が先であると言ってるわけです。
>>[40]

本当に論理学が理解できないようですね?

私が示した証拠は、読めば分かるように間接的な状況証拠ばかりです。
しかし、AMS法で炭素14を解析して、問答無用で板本尊の模刻の時期が特定されることが、直接的な証拠であることは、科学(再現性のある機能法)と論理学とが理解できる者であれば、誰でも納得することです。また、それこそが、御書で示された論理学に厳格に基づいた考え方です。

あなたは自分宗に浸りすぎて、機能法的なアプローチがかなり脆弱になっているようですよ。もっと「本仏である民衆」の海の中で揉まれることをお薦めいたします。

>>[42]

ただし、これらの認識については、あなたは正確に把握されているようですね?

>対正信会、池田さんの本尊模刻は池田さんに非はない

昭和55年12月に、四国有志僧侶たち16名が「祖道の恢復と真の正信の確立の為に」という本を作成しています。その中で、過去の宗門の本尊に関する化儀の歴史として、

「宗門中古より大聖人、日興上人、日寛上人の御本尊の模刻、模写のものも多く、時の法主尚それをかつ認めて御開眼の供養をされているもの多し。まして学会伸展の初期の頃地方末寺にて御未来本尊の摺形木を出していた所もあり、御棟札も書いていた。
 化儀抄の「末寺に於いて弟子檀那を持つ人は守りをば書くべし、但し判形は有るべからず、本寺住持の所作に限るべし云々」の許容のまま御守り、御形木御本尊を図せし証拠、東北四国等にも残っておる。
 むしろ御本尊授与の御法主の大権が確立され宗門の綱紀統制されしは、創価学会の全国的な折伏による宗門側の対応の成果にあらずや。」

と、極めて正直な事実を記録しているのです。
 ちなみに、学会による本尊模刻について、宗門は大ウソをついているようですが、この文書では非常に正確に真実を述べているので紹介しておきます。

「御本尊模刻の件については、総監、教学部長、早瀬理事等の証言によれば、会長登山御目通りの刻、御本尊模刻を願い出た所、法主上人自ら黙認されたことを承知しているのである。従って、今こちらでこの件をついてゆけば、それでは事実はこうと聖教で公表するだろう。秋谷副会長はその意向であると言っている。かかる事体になれば法主上人の御徳にきずがつくことは免れない。故にこの件に関しては是以上言うべきではない。宗務院として強制力のある通達をもってこれを達しなければならない。」

「「辻副会長の「不用意に謹刻」と明言した通り云々○何故本山へ回収しなければならないのでしょうか」の問は、当時陰の宗務院で、6・30、11・7を演出された貴師方の代表が一番よく御存じでないかと存ずる。学会側に、「不用意に謹刻云々」と言う言辞を入れて発表してくれれば、納まると説得したのは誰であったか。週刊誌でY弁護士が、活動家の諸師方と密接に協調し、学会にも納得させて、自分が全部原稿(脚本)を書いたと告白しているではないか。」

 要するに、学会側は言われるままに悪者になってあげただけで、実態は何の手続き的な問題も無かったというのが舞台裏で明かされた歴史の真実なのです。退席痔派の坊主たちの垂れ流しているゲロは、ウソ八百だということがあらゆる証拠で明らかなのだ!(怒)


>>[44]

> AMS法で炭素14を解析して、問答無用で板本尊の模刻の時期が特定されることが、
> 直接的な証拠であることは、科学(再現性のある機能法)と論理学とが理解できる者であれば、
> 誰でも納得することです。

解んないですかね。
この大御本尊を鑑定しようと言う行為自体が
大石寺及び創価学会の宗教上の宗義に反していると言ってるわけです。
その宗義を守ろうとしている法華講の方に言ってもムダ。

また、創価学会の立場としての主張も
恐れ多くも日顕は教学部長時代に「本門の本尊」である戒壇の大御本尊を勝手に筆跡鑑定にかけた
と言う事を糾弾しているわけです。

つまり創価学会としてもこの神聖なる大御本尊に対して鑑定をかけようと言う行為自体がNGなんですよ。

更に言えば実際問題この大御本尊をちゃんと調べさせろ何てことは
今に始まった話ではなく
小樽問答の際に日蓮宗からも指摘された事です。
その時に頑なにこれを拒否したのは他でもない創価学会の方々です。

外野の声ですが
「日蓮宗をやめてこっちに入信すれば見せてやってもいいぞ」と言うような言いようでしたね。

ですから大石寺の宗義云々の前に先ずは創価学会の体質も変えなきゃいかんと言う事です。
先ずは池田先生もしくは創価学会執行部にご相談の行為なんですよこれは。

>>[46]

ひどい論理のすり替えですね?

>この大御本尊を鑑定しようと言う行為自体が
>大石寺及び創価学会の宗教上の宗義に反していると言ってるわけです。

退席痔派は確かに「筆跡鑑定も写真鑑定も認めない」と主張していますが、学会は、日犬が十分な証拠もなしに「ニセモノ」という間違った主張をしていることを批判しているだけで、「鑑定を否定した」などという事実は全く聞いたこともありませんね!

そういう論理のすり替えはやめましょうね?



>>[47]

筆跡鑑定でも充分な鑑定だと思いますけどね。
加えてあくまでも創価の立ち居地は「偽物ではない」ですからね。

何れにせよ鑑定をして、どうもこうもなく「偽物」だと判明したら創価学会は
当時、日顕猊下が調べられたとおり確かに「偽物」でしたゴメンナサイとでも言うのでしょうか?
>>[50]

なんつーかさ、s-tanakaさんの対論相手って
純然たる法華講員のようでその実は、つい昨日まで創価にいた人ばかりなのよ。
加藤くんしかりチビあやさんしかり。
それでいて自分は凄いぞみたいな勢いでまくし立てられてもねーって。
ムリだよ、そもそも自分が書き込んだ(貼り付けた)文章の意味も解ってないんだから。

これらの方々を一人前の法華講員と言ったら
それこそ古くからいる大石寺を知り尽くした法華講員にも失礼なのではないかとも。

つまりこれ
> 創価学会員もそうですが、法華講員も、「無知」の方が多いのですよ、

と言う以前に創価学会がこう言った「無知」の方をどんどん増やしていると言う話ね。
もちろん、こう言った"よちよち"状態の人が騒いでいるのを静止しない
大石寺側の管理問題も大いにありますけどね。

「無知」の方が創価をやめ、法華講に移ったところでやっぱり「無知」のまま。
これ当たり前の話ですよね。

ですから元々の問題を言えば創価学会がちゃんと教育していないって話で
創価学会がちゃんと教育してさえいれば
この様な「無知」同士の不毛なやり取りなんか本来は起きないはずなんです。

> まずは、無知が原因ですから、教育でなんとかなります。

創価学会でそれが何とか出来るならちゃんとやってくださいよ。
そもそもの原因は創価学会にあるわけですから。
てな話になるんですけどね。
>>[52]

> 私が提示している「創価学会公式見解」は、もともとは
> 聖教新聞に掲載されたものばかりですよ。

これはですね。
月に一度の座談会が、ちゃんと座談会として成立していないからですよ。
今行っている行為は営業マンの売り上げ発表会みたいなものですからね。

座談会と言う物は本来は座談の場なんですよ。
新聞を読めじゃ丸っきりダメで
本来はこの場でちゃんと説明するべきなんですよ。

加えて言えば、この座談会と言う物は悩みを持っている人がメインであり
成果のあった人の自慢の場であっちゃいけないんです。

その昔、悩みがある人がその悩みを言い
皆がその悩みに対して答えを持ち寄ったわけです。
これにより、悩んでいた人も勇気が出て次に繋がることができたと言う事。

悩みがある人に対し「それはあなたの信心が足りないのよ」と一喝してしまえば
誰も自身の悩みや疑問など口にしなくなってしまう。
それ以上に会合に出て行くことが億劫になってしまう。
これでは何のために会合を開いているのか
徐々にその活動人数が減っていくのも当然なわけです。

もっとも、今の学会は悩んでいる人疑問を持っている人に対して
誰もその回答を持ちえていないからそう言った対応ができなくなっているのだと思いますけどね。

で、組織から離れてしまった人はもう組織に対しては恨み言しかありません。
その恨み言が爆発し多くの方がアンチとなってしまっているわけです。

かつては創価の事をよく知らない人がアンチでしたが
今は確実に創価を良く知っている人たちがアンチの中心です。

> まあ、このくらいにして、明日、解散ですね、

そう言えば選挙ですね。
選挙となれば創価はもう選挙運動一色になりますからね。

もともとのこの活動支援と言うのは上層部の方はどうだったか知りませんが
僕はあくまで仏法対話の延長線上にしかありましたからね。

掛かる目的は公明党の票を稼ぐと言うよりは
選挙は普段会わないような人に仏法対話をする為の切っ掛け作りとして活動していました。
難しい仏教用語を並び立てるよりは
普段の生活に密着した政治のやり方に置いて仏教の思想を理解してもらうためのもの。

仏法を一から説明するよりは公明党が目指そうとする方向性を説明する事により
より創価学会と言うものを知ってもらおうとしてね。

良ければその公明党に書いて貰えればとなり
更に理解してもらえればそこで持ち出すのはやはり仏法対話です。

ぶっちゃけ創価学会はあくまで選挙屋ではなく仏法を広めるための団体であると思ってましたから
選挙支援はあくまでもその手段として僕は用いていました。
ですから、選挙が始まろうがどうしようが活動に置いてその違いは無かったんですけどね。

まー晩年はその公明党の何処がいいの?と言われたり
自分自身も最悪だろ、と思うようになり選挙支援自体しなくなりましたけどね。

何はともあれ今の創価では、もう公明党支援はお仕事の一環となってしまっているんで
どうかお仕事を頑張ってくださいといった感じですかね。
>>[48]

まったく論理学が理解できていませんね?


>筆跡鑑定でも充分な鑑定だと思いますけどね。

意味不明!
退席痔派は筆跡鑑定を拒否していますが、学会が鑑定を拒否した事実はありません。

もくれんさんは、現時点での学会の公式見解を順守する立場に固執しているだけで、大聖人の教えに基づくならば、厳密な証拠が確認出来れば、従来の見解であっても「事実に基づいて」訂正するのは当然のことです。

こんな当たり前の論理を否定しようとしても、具体的な事実が公開された段階で「ほうろく千につち一つなるべし」で、全面的に却下されるだけです。

>>[54]

> もくれんさんは、現時点での学会の公式見解を順守する立場に固執しているだけで、

酷い言い様ですね。

要するにs-tanakaさんは学会の公式見解に対し
公式見解は完全ではない。
更に言えば間違っている。
それに固執している方がいけないんだと言うものいいなわけです。

これはあくまでs-tanakaさんが抱える創価学会と言う組織に対する問題であり
固執するも何も
納得が行かない場合は先ずはその中での話し合いが先決だとそう言ってるわけです。

何故にあなたはそれをせずに
部外者である大石寺信者にその不平不満をぶちまけるのか
それは八つ当たり以外のなんでもない行為ですよ。
と、僕はそう言っているだけですね。

これに置いて組織を辞するか辞さないかはあくまでも個人的な判断で
更に僕はs-tanakaさんに創価をやめろとも一言も言うつもりもないんです。

ただ、不満を言う相手を間違えてないか
言いたいことはただそれだけだと何度も申しているではないですか。

> 退席痔派は筆跡鑑定を拒否していますが、学会が鑑定を拒否した事実はありません。

それは単なるs-tanakaさんの思い込み。
そうであって欲しい、そうでなければならないと言う願望ですね。

創価公式見解を客観的に且つ冷静に読んで見ますと
学会側も過去に置いて鑑定を拒否した事実はありますし
また、現在に置いても鑑定を良しとした事実もございません。

つまりは、この部分に置いては大石寺側と掲げる主張は違わないのです。

して、もう一度同じ質問。

何れにせよ鑑定をして、どうもこうもなく「偽物」だと判明したら創価学会は
当時、日顕猊下が調べられたとおり確かに「偽物」でしたゴメンナサイとでも言うのでしょうか?

s-tanakaさんはこれをどうお考えになっているのでしょう。
http://m.ameba.jp/m/blogArticle.do?unm=nyaonnyaon&articleId=10323330973&guid=ON
>>[56]

多忙な日々がずっと続いていましたが、今夜は久しぶりにあちこちにコメントしています。
それにしても、あなたは変わらず己義を垂れ流しているだけで、本当に生産性が低いですね?


>何れにせよ鑑定をして、どうもこうもなく「偽物」だと判明したら創価学会は
当時、日顕猊下が調べられたとおり確かに「偽物」でしたゴメンナサイとでも言うのでしょうか?


なんでそんな○×思考しか出来ないのですか?すでに

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1875753237&owner_id=54955889

でneiさんが以下のように正確に理解して説明してくれているのに、相変わらず自分の思い込みだけで、日犬が「ニセモノ」と言った記録をそのまま鵜呑みにしているのですね?時間の無駄とは言いませんが、優先順位は下がりっぱなしです。

>戒壇の大御本尊は事実として立派な模刻本尊で、しかも日禅授与本尊を模写したもの。決して日蓮大聖人の直筆ではないし直筆でないから成仏できないような教えではなかったということですね。
>戒壇の大御本尊=成仏へのパスワード、これを持っている人しか成仏できないという選民思想には、さらに意味がありません。

それもこれも日蓮大聖人の言葉を根本にして思考する私と、釈尊の出世の本懐を九横の大難と思いこんだりする己義の人との違いだと思っています。

すべてを相対化した結果として陥る、人生において何の価値も創造出来ない生き方に嵌っているのではないかと心配しています。お時間があれば、私の日記を全部読んでいただいて、正確な理解をしていただくことを期待していますね。



>>[58]

> それもこれも日蓮大聖人の言葉を根本にして思考する私と、
> 釈尊の出世の本懐を九横の大難と思いこんだりする己義の人との違いだと思っています。

僕が釈尊の出世の本懐を九横の大難だと言っている根拠はあくまでも
「聖人御難事」にあります。
また、その補佐として「崇峻天皇御書」の「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」ですね。
何れも日蓮の確かな書と呼ばれる物から引用しております。

出世の本懐が人の振舞であり、聖人の出世の本懐が御難事であるなら
釈尊の出世の本懐は九横の大難と言う事になります。

これに対し反論があれば先ずは反論を。

加えて言えばs-tanakaさんが創価学会員だとするならば
釈尊の出世の本懐は法華経で、日蓮の出世の本懐が大御本尊図顕でしたよね?
これは如何様な根拠によるものなのかと言う提示が前提となってきます。

加えて言えば釈迦と言う歴史上の人物は法華経と言う名前の経文は説いておりません。
日蓮が大御本尊図顕したと言う確かな書面も残ってはおりません。
当然、大石寺にあるソレはs-tanakaさんがおっしゃるまでもなく違いますよね。
現実的に考えても、それこそ己義だと思われます。

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