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超即興 吉沢元治コミュの1978年 トーマススタンコへの手紙文(2)

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人は心の深いところにおいては

自我の押し付け合い、なれ合いに終わらない、

より根源的なふれあい高めあいを求めているのだと思います。

たとえば演奏において誰のものと名付けられない音楽そのものを

もちうる時、演奏者も聴くものも共に生の揺れ動きそのものを

生きているといえるのではないでしょうか?

そしてそこから、演奏を聴くという行為そのものが

始まると思います。音楽が鳴り響くには演奏者と聴くものとの、

しなやかで積極的な共に生きようとするアンサンブルが必要です。

存在そのものが内奥に持っているであろう自然さに

行きつくためには、個の内にとどまる事なくしなやかに積極的に

他との関係を開こうとつとめなければならないと思います。

個と個との照らし合わせを積極的に

より開いていこうとしなければならないのです。

音楽は表出しうる形として既に私の中にあるのではない、

それはまだないとしか、名付けられない可能性として

渾然として彼方にあるのです。

それは向かい合おうとする個と個の内奥の呼び交しとも言える

ところから一片づつ序々にやってきます。

そして演奏行為のプロセスのうちにメロディー、

ストラクチャーはプラスチックなものとして見え始めます。

それは私が作品として固定化しようとすればすぐに死んでしまい、

演奏行為のプロセスのさなかにこそ生きているものです。

一人で練習とか、音の面白さに囚われているときに

見えたと思える音は私の身振りにしかすぎないと思えるのです。


音楽は演奏者と聴き手との存在の呼び交わし場に至り、

生きるのだと思うのです。個と個がその照らし合わせのうちに、

その売れ動きのうちに生そのものをより生きようとし、

自己と他の固有性をみつめながら

個々の奥に隠された全体にむかってより生きようとする時、

音楽は永遠の生のあかしとして、生そのものの歌として

鳴り響くのではないでしょうか?私は常に急ぎすぎるので、

私の急き込みが私の前に幻想をおいてしまうのを恐れます。

しかし、幻想の罠に落ち込み、這い上がる事も

私が通らねばならない回り道であり、

私自身との新たな出会いも他者との照らし合わせを通して

より生きようとつとめなければ不可能だと思うのです。

そして主体性をもって他との関係を開いていこうとすることが、

幻想の罠に落ち込もうとすることをかろうじて避けさせると

思うのです。そして、より生きようとすることが真の生そのものに

少しでも接近することを可能にするということも。

(画像は若い吉沢さんのベースソロと、白州フェステバルでおこな われたカンパニーウィークでのDEREKとのデュオ。)

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